朝鮮外務省備忘録 ≪朝鮮半島と核≫労働新聞2010・4・21/柴野貞夫時事問題研究会

2010-05-04 20:05:23 | 北朝鮮
(ピョンヤン4月21日発、朝鮮中央通信)朝鮮民主主義人民共和国外務省は、21日≪朝鮮半島と核≫という題目による、次のような備忘録を発表した。)

(本文)

核武器なき世界を建設する事は、20世紀を越え21世紀に繋がってくる人類の強烈な念願だ。

朝鮮半島非核化は、世界非核化の一環だ。朝鮮半島の非核化の為の六者会談が、過ぎる何年間進められて来たが、これといった結実を見る事が出来ず、現在重大な難関に直面している。その主たる原因は、当事者たちの間の不信が根深い中で、一部参加国等が不純な目的で、問題の本質を甚だしく歪曲している事にある。朝鮮半島非核化の本質を正確に理解しその実現方途を正しく探そうとすれば、はじめに、朝鮮半島が核化された経緯と根源から正確に認識される事が必要である。

1、 世界最大の核被害国

世界的に朝鮮民族ぐらい、核の脅威を最大且直接的に、最も長い間受けてきた民族はない。我が人民にあって、核脅威は決して抽象的概念ではなく、現実的であって具体的な体験だ。

わが民族は、広島・長崎に対する米国の核攻撃被害を直接受け、日本人民と同じ様に多くの死亡者を出した民族だ。(軍事施設と軍需工場が集中した広島・長崎では、強制徴用された朝鮮人が多数被爆した。広島で7万人、長崎で2万人以上と指摘されている。-訳注)

原子爆弾の、むごたらしい惨禍を直接体験した人民にあって、米国が朝鮮戦争時期に強行した原子爆弾による恐喝は、言葉通り悪夢だった。1950年11月30日米国大統領トルーマンが、朝鮮戦争での原子爆弾使用に対し公開的に言及したのに続いて、同じ日、米国戦略航空隊に対し、≪極東に、即応的な原子爆弾投下のために、爆撃機等を飛ばし、送る事が出来る様に待機≫する事に対する指示が下達された。その年12月、米極東軍司令官・マッカーサーは、≪朝鮮北部に、東海から西海に至る放射能廊下地帯を形成するだろう。その地帯の中では60年、或いは、120年の間、生命体が蘇生する事が出来ないであろう。≫と暴言した。

米国の原子爆弾恐喝で、(朝鮮)戦争時期の朝鮮半島では、北から南へ流れる、≪原子爆弾避難民≫の行列が生じた。家族が一緒に動く事が出来ない多くの家々から、一家の代を継ごうとする一念で、夫や息子だけでも南側へ避難させた。この様になって生じた、数百万に達する≪散り散りになった家族≫が、今日も朝鮮半島の北と南に別々に住んでいる。

米国は、朝鮮半島で最初に核武器を引き入れた張本人だ。1950年代後半期、日本で反核運動高潮し、親米政権の維持が危機に瀕するや、米国は日本に配備した核武器を、南朝鮮に移動させた。1957年に、米国の初の戦術核武器らが日本から南朝鮮に搬入、配備された。結局米国は、日本を≪非核化≫する対価として、朝鮮半島を核化したのだ。南朝鮮に対する米国の核武器配備は不断に増大され、1970年代中葉には、その数が1000余個を越えた。

米国は1960年代末から、南朝鮮に配備した核武器を、我が共和国に対する侵略戦争に実地使用する為の、合同軍事演習を繰り広げた。

1969年≪フォーカスレティーノ≫作戦として始められた米国・南朝鮮合同核戦争演習は、それ以後、≪フリーダムボルト≫、≪チームスピリッツ≫、≪連合定時増援演習≫、≪キーリチョルブ≫、≪禿鷲≫と≪乙支(うるじ)フリーダムガーディアン≫などと名前を換えて、極めて長い40余年の間、毎年絶えることなく強行して来た。

この様に、戦後に生まれた世代たちも、南朝鮮に実践配備された米国核武器の標的になり、核火薬の匂いを嗅いで育ったのが、即ち朝鮮半島の厳然たる核の現実だ。

2. 米国の核脅威を除去する為の共和国政府の努力

米国の核脅威を除去する為の朝鮮民主主義人民共和国の努力は、新しい段階を経て集中されてきた。

最初の段階で、共和国政府は、平和的な対話と協議を通した非核地帯創設の方法で、米国の核威嚇を解消する為に努力した。

1959年に、アジアに、原子武器がない平和地帯を創設する事を発起したし、1981年には、東北アジア非核地帯創設案を発表し、1986年には、朝鮮半島を非核地帯とすることを提案し、その実現のために積極的に努力した。

1984年1月10日には、核戦争の危機をなくすための朝米会談に、南朝鮮当局も参加する三者会談の開催を提議したのであり、1986年6月23日には、政府声明を発表して、核武器の試験と生産、貯蔵と搬入をせず、外国の核基地を含んだあらゆる軍事基地を許容せず、外国の核武器等が自身の領土、領空、領海を通過することを許容しないと厳粛に宣言した。

しかし米国は、朝鮮半島非核地帯を創設する為の我々のあらゆる努力を無視し、我々に対する核威嚇を加増させてきた。

二つ目の段階で、共和国政府は国際法に基づき、米国の核威嚇を除去する為の努力を組み合わせた。

1978年に、核武器拡散防止条約の寄託国である米国と、かってのソ連、英国は、条件付き的ではあるがこの条約に加入した非核国家に対して核武器を使用しないと言う≪核不使用担保≫声明を発表した事がある。

朝鮮民主主義人民共和国は、我々に対する米国の核脅威を、除去することに手助けになるだろうと言う希望から、1985年12月この条約に加入した。

米国が、≪チーム・スピリッツ≫核戦争演習を中止すると約束したことに伴って、我々は核武器拡散防止条約の該当条項に準じて、1992年5月から1993年2月までの期間に、国際原子力機構が進めた6回の不定期査察を積極的に幇助して来た。

しかし米国は、担保協定に従う機構の不定期査察がまだ完了する前に、その何かの≪核疑惑≫を云々しながら、機構内の不純勢力等をそそのかし、核施設だけではなく我々の鋭敏な軍事対象まで狙った≪特別査察決議≫を捏造し出した。こんな強制査察の強盗的本質は、その後イラク事態で赤裸々に露見した。米国は査察の美名の下で、イラクの大統領宮殿までくまなく探し、大量殺戮武器があると言う≪情報≫をでっち上げ、軍事的攻撃の口実とした。後で、イラクに大量殺戮武器があると言う≪情報≫が、虚偽捏造だったと言うことが満天下に明らかになったが、時はすでに遅く、国が滅び民族が血の海に沈んだ後だった。

米国は、我々に≪特別査察≫を強要しようと、すでに中止した≪チーム・スピリッツ≫合同軍事演習まで再開しながら核威嚇を露骨化した。結局、国際条約も、米国の専横を防ぎとめることは出来なかったし、むしろ、米国の強権を合理化してやる道具に悪用しているのが明白になった。

朝鮮民主主義人民共和国は、条約第10条により、国の自主権と安全を守護する為に、1993年3月12日核武器拡散防止条約脱退を宣布し寄託国らに通知した。その後米国が、朝米対話が進められる期間、条約脱退効力発生を、一方的に臨時中止させる措置を取った。

クリントン行政府時期である1994年10月21日、朝鮮半島核問題を解決するための≪朝米基本合意文≫が採択されたが、ブッシュ行政府が介入し、米国は一方的にこの合意文を破棄してしまった。ひいては、ブッシュ行政府は2002年1月30日、≪年頭教書≫で、我々を≪悪の巣窟≫と指定した。世界最大の核保有国が、一国家をこれ程に敵対視すると言う事は、即ちその国に対する最大の核威嚇を意味する。特にその年3月、米国が我々を≪核先制攻撃対象≫に包含させた≪核態勢報告書≫を発表する事で、我が国と民族の安全を、極めて厳しい核の惨禍の脅しに、身を置く事なった。

対話を通した努力も、国際法に義挙した努力も、すべて水泡に帰したと言うことが明白となった。世界のその如何なる所でも、探して見る事が出来ない朝鮮半島の特殊な状況は、特殊な解決策を要求してきた。南は、最後の選択案はもっぱら≪核には、核で≫対抗する事だけだった。米国が、我々に対する極度の核威嚇で、必死で(我々を)核保有へと押しやっているのだ。

2003年1月10日、共和国政府は、中止させていた核武器拡散防止条約脱退の効力を発生させ、条約から完全に脱退する断固とした自衛的処置を取った。条約の拘束から抜け出た後、合法的に堂々と、試験原子力発電所の電力生産過程で出てきたプルトニュームを、すべて武器化する事で方向を転換した。条約から脱退してから3年後である2006年10月に、初の核実験を進め、2009年5月には、2次核実験を進行した。

このように、(共和国を)核武器と核の傘でびっしりとかため、唯一朝鮮民主主義人民共和国だけが、ただ一つの核空白地帯として残されていた東北アジア地域の核不均衡状態は、終わりを告げる事となった。共和国の核保有が持つ抑制効果で、朝鮮半島での戦争勃発の危険は、顕著に減少する事となった。この事が即ち、口先だけで訴える方法ではなく、米国の核を我々の核で抑制していく、現段階での核脅威除去能力だ。

3. 朝鮮民主主義人民共和国の核政策

朝鮮半島に、強固な平和体制を用意し、非核化を実現しようとする共和国政府の立場は不変だ。

2005年、6者会談で採択発表された9・19共同声明に指摘された、朝鮮半島非核化は、検証可能な方法で、朝鮮半島に対する外部の実際的な核脅威を完全に除去することを基礎として、全朝鮮半島を、核武器がない地帯にする過程だ。非核化の実現は、信頼の醸成を必要としている。いまだに停戦状態にある朝鮮半島で、早く平和協定が締結されるほど、非核化に必要な信頼が速やかに作られるだろう。

朝鮮民主主義人民共和国の核武力の使命は、朝鮮半島と世界の非核化が実現される時までの期間に、国と民族に対する侵略と攻撃を抑制、撃退する事にある。朝鮮民主主義人民共和国は、核保有国と野合し我々に反対する侵略や攻撃行為―に加担しない限り、非核国家に対して核武器を使用したり、核武器で脅かさない政策を、変化する事無く堅持している。

我々は、他の核保有国らと平等な立場で、国際的な核拡散防止と核物質の安全管理努力に力を合わせる用意がある。

我々は、必要とするだけ核武器を生産するが、核軍備競争に参加したり、核武器を必要以上に過剰生産しないのであり、核保有国らと同等な立場で、国際的な核軍縮努力に参加するだろう。  

朝鮮民主主義人民共和国は、6者会談が再開されるのか、そうでないのかに関係なく、過ぎた日と同様に今後も、朝鮮半島と世界の非核化のために、終始一貫した努力を傾けていくだろう。

主体99(2010)年4月21日 ピョンヤン(終)

(訳 柴野貞夫 2010・5月4日)

http://www.kcna.co.jp/today-rodong/rodong.htm 2010・4・22付5面)

柴野貞夫時事問題研究会


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