根津公子さんの停職「出勤」日記11

2009-06-29 12:38:15 | 教育
根津公子です。
今週は 1日(水)まで不在のため、「出勤」はしません。
2日(木)は16:00から河原井・根津の07年、08年、河原井さんを含む都障労
組3人の裁判です。法廷は、526号または606号法廷です。傍聴いただけるとあり
がたいです。
3日(金)はあきる野学園に「出勤」します。

来週は、8日(水)の南大沢学園は朝だけ。
9日(木)は立川二中に、7(火)と10(金)はあきる野学園に「出勤」します。

以下、停職「出勤」日記11です。


6月22日(月)

 疋田哲也さんの分限免職取消裁判を傍聴した。小平5中当時の校長、教頭、都
教委管理主事に対する尋問だった。

疋田さんを小平市教委研修(研修センター)に送ったことについて。校長は、疋
田さんが毎日午前午後に送った報告書を「一切見ていない」と言った。その時は、
あれっ?いったいどういうこと?と思っていたら、管理主事に裁判長が聞いたこ
とではっきりした。研修成果など、校長たちには関係のないことであったのだ。

裁判長が「研修期間は04年3月までとなっていたのに、分限免職は2月。分限
免職を決定するのは、研修結果を見てからでよかったのではないか」「そうしな
いと研修の意味がなくなってしまうのではないか」「要望書には3月まで教壇に
立たせないでほしいとあり、しかし、その要望には反対の保護者もいたのだから、
3月で転任という方法もあったのではないか」と聞いたところ、管理主事は、
「現場からはずすために研修センターに送ったのだから、成果を見る必要はなかっ
た。分限免職にしてよかった」と言った。

校長・市教委・都教委は、「教壇に立たせないでほしい」という「要望書」を保
護者から受け取り、それに沿って疋田さんを研修センターに送ったわけだが、
「要望書」を提出した保護者からは事情を一切聞いていないことも明らかになっ
た。

 疋田さんに対し、研修の成果を期待してではなく、分限免職にすることを目的
として研修センターに送った。研修センターに送るために、「要望書」が必要だっ
た。保護者の「要望書」は利用の対象でしかなかったのだ。

 疋田さんの分限の理由に体罰もある。疋田さんには、体罰をこれ幸いとばかり
に分限の理由とすべく、報告を市教委に挙げたのに、同じ時期、この学校では他
にも体罰があり、その生徒は鼓膜損傷したにもかかわらず、その件については報
告を挙げていなかった。校長は、「市教委へ報告を挙げるのを忘れた」と見え透
いた嘘を言ったが、校長は体罰には鈍感であり、疋田さんの件については、分限
の理由にすべく使ったのは明らか。

体罰はあってはならない。「校内暴力」が激しかった頃、「体を張って生徒を抑
える」「愛のムチ」ということが中学校では堂々とまかり通っていた。そうした
教員と私は激しく対立した記憶がいくつもある。しかし文部省が通知を出し動き
出し、体罰が懲戒処分の対象となると、体罰は少なくなっていったが、体罰を使っ
た「指導」について反省を表明した機関や個人はない。疋田さんも体罰を体罰と
認識できない環境にあったように思う。研修センターに送られ、研修を受ける中
で彼は反省し、現在はDCI「子どもの権利のための国連NGO」の会員だとい
う。

疋田さんが過去のことを消すことのできない事実として、受け止め続けていかな
ければならない、と私は思う。しかし、だからと言って、分限免職しかたなしと
は思わない。体罰を繰り返しておとがめなしに校長や副校長になった人が大勢い
る。体罰を指摘した私に口論を吹っかけ、対立したかつての同僚もその例外では
ない。そういう人たちがいる一方で、疋田さんにはそれが分限の理由に使われる。
恣意的、不公平である。不公平な扱いに黙ってはいけない。それは支援しなけれ
ばと思うのである。

分限理由とされた体罰を受けたとされる「A君」(処分の理由書に「A君」と記
載されているという)が「疋田先生にお世話になった。私が処分の理由にされた
と聞いて、今日来た」と傍聴していたことから見ると、「A君」事件は分限の対
象から外すべきではないかと思った。

「私物」を理科室・理科準備室に置いたことが分限理由に挙げられていることに
も首を傾げるが、その「私物」を何度も写真撮影し、証拠にした教頭(現校長)
は、「平成14年15年と変わらず、(今も)疋田さんには反省がない。免職処
分は適切だったと思う」と平然と言った。

細かいやり取りについては、事情がわかっていないので、理解できなかったり、
聞き逃したりもしているが、3人とも、いくつも嘘を言い、疋田さん代理人から
指摘をされ、証拠を突きつけられると、やっと認めるという具合。この人たちに
は、一人の人間を免職に追い込んだことのためらいは、みじんも持ち合わせない
のだろう。「職務」で片付くのだろう。

都教委にとって目障り、消したいと思う人については、どんな手段でも使うこと
を、私は2001年から1年にわたって受けた多摩中での攻撃で体験済み。「要
望書」が使われたのは、私もまったく同じ。やっぱり、と何度も思いながら、3
人の悪意に満ち満ちた証言を聞いた。

疋田さんが都教委の計画通り分限免職にされ、私が都教委の読みどおりにならな
かったのは、攻撃が始まってすぐさま声を挙げたか挙げなかったかの違いだと思
う。声を挙げたことに、大勢の人が応え、動いてくださったから、私は指導力不
足等教員にされず、分限免職にされなかったのだと思う。

今からでも大勢の関心が集まることが大事。


6月23日(火)

 あきる野学園に午前中だけ。

 学校に入られようとする女性がプラカードを見て、「どういうことですか」と
声をかけてこられた。説明をすると、「私も君が代は嫌いです。強制するなど、
おかしいですよね」とおっしゃる。初めて出会った保護者だった。「うちの子ど
もが起立しなかったら、あるいは、君が代は嫌だと言ったら、校長先生や先生た
ちは、変な目で見るのかしら?子どもに被害がいくのかしら」ともおっしゃる。
私は、東京中の、校長も含め教員たちの多くは起立はしているけれど、「君が代」
の強制と処分に反対の気持ちを持っていることを伝えた。そして、「教員がもの
言えなくなった学校で、子どもが大事にされないのは必然。だから私は起立しな
いんですよ」と伝えた。

 しばらくして、再び、その保護者の方は私の前に来られ、福祉切捨ての石原都
政や身の回りのことについて話をしていかれた。

 Aさんが、冷えたさくらんぼを差し入れてくださった。口に入れると、甘酸っ
ぱさと冷たさが広がり、とってもおいしかった。今年初めてのさくらんぼだった。


6月25 日(木)

朝は都庁前でチラシ配り。午後は、多摩中控訴審判決。

都教委の主張をそのまま書き写したごとくの地裁判決を踏襲し、さらに都教さえ
はっきり主張していないことまで加えた。

「学習指導要領には『家庭や家族の基本的な機能を知り、家族関係をよりよくす
る方法を考えること』『幼児の生活に関心を持ち、課題をもって幼児の生活に役
立つものをつくることができること』などが授業内容とされているものについて、
(根津は)男女共生のみ、7時間の授業を行ったものであり、学習指導要領に反
するものということができる」と。


6月26 日(金)

あきる野学園に。出勤してくる同僚たちには、昨日都庁前で配ったと同じチラシ
を手渡した。

 今日は近藤さんとHさんが来てくださった。Hさんは、終日同行してくださっ
た。自転車に乗った女性が自転車を止め、話しかけてこられた。ご近所にお住ま
いのBさんで、私の発言を以前聞いたとおっしゃる。



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