goo blog サービス終了のお知らせ 

虹色オリハルコン

命にエネルギーを与えるパワーの力

命からエネルギーを奪うフォースの力

どちらを選ぶかは自分次第

月光浴

2010年03月30日 | 自然からのメッセージ

    ちょっと、写真がぶれてます(汗)が、
    今晩のまんまるお月様。
    お月様の光で、淡い影ができていました。
    3月末とはいえ、肌にひんやり、冷たい空気。
    不思議な時間と空間です。
    趣味で集めた虹入り水晶さんたちに
    月光浴していただきました。
    リフレッシュできたかな。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ほめて育てよ赤ん坊」の検証調査

2010年03月28日 | 子ども・子育て
写真:写真素材足成

<ほめる育児>適応力高める 4カ月~3歳半、親子400組追跡調査
2010年3月27日(土)18:00
 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。父親の育児参加も同様の効果があった。「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる09年まで追跡。親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野30項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける――などが社会適応力を高める傾向があった。
 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の時点で社会適応力が1・8倍高いことも判明した。母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなった。


 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られていたことを、科学的に明らかにできた。成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】(毎日新聞jp)



胸をふさぐようなわが子への虐待のニュースが後を絶たないけど、きっと虐待する親も、ちゃんとした子ども時代をおくれなかったんだろうな、と・・(涙)
親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かったということです。

そういえば、「奇跡のリンゴ」の木村さんも、弱ったリンゴの木に「がんばれ」と声かけをして回ったといいます。
結局、声をかけなかった木ばかりが、枯れてしまったというのも、何か子育てと共通するものを感じます。それが、言霊の力というものでしょうか。

今回の調査で、父親の育児参加が、さらによい影響を与えることがわかりました。
最近は、子どもに絵本の読み聞かせをするおやじの会というものもできているそうです。
パパさん、出番ですよ(笑)。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

むすんでひらいて、さくらんぼの花

2010年03月23日 | 自然からのメッセージ



植木鉢で 枯れそうだった 桜桃(さくらんぼ)の木
地面に植え替えてから もう何年たったでしょう
今年 ようやく 蕾をつけて 花が咲きました
   

   


反対から撮ると、逆光に花びらが、透けてきれいです





とはいえ、咲いているのは、ここだけです(笑)
・・・少しずつ、少しずつ がんばっていますよ 




  ★おまけ
   金木犀つながりで、キンモクセイというバンドを応援してます。
   今は、活動休止中とのことですが、この曲、私のお気に入りです。
   「むすんでひらいてやさしくなれる」というところ。
   桜桃(さくらんぼ)の花も、蕾がむすんで花が開いて、
   今年はいよいよ実を結んでくれるかもしれません。

キンモクセイ ‐ むすんでひらいて


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蛇のうろこ、せみの翼

2010年03月20日 | 心に残る言葉
写真:フリー素材屋Hoshino


「老子・荘子の言葉100選」の中で、なるほどと思い、いいなと思った言葉の一つがこれです。

   蛇(へび)の蚹(うろこ)、蜩(せみ)の翼

これだけじゃあ、なんのこっちゃい?と意味わかりませんが・・(笑)

荘子は、老子の思想をいろいろな物事に例えて印象に残るような説明をしているんですが、これもその一つ。
以下は、境野勝悟さんの解説を抜粋させていただきました。


 ●どちらかに決めようとするから争いがはじまる

へびは体の下にあるうろこを動かして体を進める。あの細いたくさんあるうろこを、次々と見事に動かしているのは、へびなのだろうか、うろこそのものなのだろうか。
せみは、羽根を動かして飛ぶ。あの薄い羽根を動かしているのは、せみなのであろうか、または羽根なのであろうか。
ここで人間の知恵が動き出す。はたして、へびなのか、うろこなのか。せみなのか、羽根なのか。へびだ、という派ができる。反対に、うろこだ、という派ができる。二つの派は、お互いに譲らず、自分の考えを曲げずに対立の原因になる。
さらに、せみ自身の力による派と、羽根自身の力による派が生まれてきて、それぞれ小ざかしい理屈がつけられて、その解決に苦しむ。どちらかに決めようとするから、悩み始め、戦いが始まってしまう。どちらかをピンセットでつまもうとするから、どんどん世の中の対立と不幸を生む。そんなのどちらでもいいではないか。





たとえば、木村秋則さん。(大好きな方なので、何度も引き合いに出させていただきますが・・)
今年2月に出た「リンゴの絆」に、ちらりと書かれていたこと。
隣の国、韓国に呼ばれて、何度も農業指導に行っているそうですが、最初のころは、「加藤清正だ」という言われ方をして驚いたそうです。歴史をさかのぼること、400年も前のことなのに。
韓国で講演会をしたとき、木村さんはこう言いました。

「もし実際にお釈迦様のような存在がいて、天上から地球を見ているとしたら、線を引いていないと思うのです。国境がないという意味です。だから私はそういう気持ちで韓国に来ています。国と国の間にどんな過去があったのかは知らない。だけど歴史をさかのぼると我々日本人が、あなた方に迷惑をかけたのは、確かなようです。それは謝罪します。」

木村さんの誠実なお人柄もあるでしょう。韓国の人たちは、謝まってくれただけでいいと、納得してくれたそうです。
また、別に国境問題が起きたとき、突然韓国からチケットが送られてきて、意見を求められたそうです。
木村さんは、こう言われました・・・

「地球っていうのは、人類の共有財産なのではないか。なのに、なぜ人類同士、角を立てるのか」って。

老荘思想、そのものです。私が木村さんに心酔しているわけ、わかってくださいますよね。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている不思議死んでゆく不思議

2010年03月12日 | 

このところ、台所仕事をしているときは、ほとんどエンドレスで、木村弓さんの「いつも何度でも」を聞いています。
この時期になると聞きたくなるのは、3月10日という母の命日を挟んでいたからでしょうか。

母がなくなる前、おひさまの光が降り注ぐ病室で、母の体から、肉体ではない体が離れてにっこり笑ってあいさつしてくれた・・・と、我が家の不思議人間のAが教えてくれたあの時間が、現実離れしたあの空間が、よみがえってきます。
何故だか、浮き上がった母の背後にピンク色のお花がいっぱい咲いていた・・という少女マンガのような展開に、不謹慎に思われるかもしれませんが、不思議なうれしさを覚えました。(詳しいいきさつはこちら

生きている間は、いろいろと葛藤もあった母との関係ですが、今は、一緒に共有できた時間へのいとおしさと、縁あって育ててくれた母への感謝の気持ちだけが残っています。

youtubeに、ウクライナのナターシャ・グジーさんという方の歌われている「いつも何度でも」を見つけました。
彼女は、チェルノブイリ原発事故現場から、わずか3.5キロの距離の村に住んでいて、6歳で被爆しました。父親は当時、原発職員で、事故後も放射能にまみれて処理に追われていたといいます。
彼女の村は、土に埋められ、地図から消えてしまいました。

彼女にとってもこの歌は、特別の意味があるのですね。この曲のテーマは「希望と再生」だから。
ご本人も美しい方ですが、その声も心に響く美しいものです。


  いつも何度でも -Nataliya Gudziy-




3月10日は、東京大空襲の日でもあります。
人間は、なんと残虐なこともできるのか、あの時死んでいったたくさんの人たち。それから生まれてきたたくさんの人たち。くりかえされる人間の営みは、愚かだったり、悲しかったり・・・それらもすべて「許し」という大きな愛で包んでくれるような気がして、大好きな曲です。

虹色の翼」のゆりあさんの記事に、「天使の着ぐるみ」という詩の紹介があり、とても共感できました。
肉体は魂の服。くりかえされる輪廻転生の中で、私たちはいろいろな経験をしながら、一歩ずつ成長してゆくのかもしれませんね。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リンゴの力と人間の力

2010年03月09日 | 薬のこと・薬害のこと
「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんをyoutubeで、探すのが楽しい今日この頃。
これは、木村さんのお話と川村敏明氏(浦河赤十字病院精神神経科部長)と、向谷地生良氏(北海道医療大学教授)の映像です。

木村さんの著書「リンゴが教えてくれたこと」にも書かれていましたが、リンゴが病気になったとき、その葉っぱの患部に穴をあけてわざと落して、リンゴの木は、自分で自分を守るのだそうです。
原生林と同じ多種多様の微生物が生息するふかふかの土に根を広げ、木村さんの愛情をたっぷり受けたリンゴの木は、農薬も肥料も使わずに、自分で自分を治す力を持つ。

人間も、病気を治そうと、薬をいっぱい飲んでいるのに、ちっとも治らないでだめになっていくのはなぜなのか。
農薬や肥料を使う現代農業と、投薬中心の現代医療の関係に共通するものがあります。
医療の専門家二人を交えた話だけに、とても興味深いお話です。

奇跡のりんご 木村秋則 × べてる @ 弘前市岩木町


以下、先生方に木村さんが、言われていたこと(要旨)

 -----------------------

その人が持っている特性を発見することが先生方の仕事なのでは?

野菜作りの場合、一般の農家は、肥料を使うから、どの野菜の植え方もおんなじ。
私の場合は、肥料を与えないから、それぞれの野菜の特性をいかしてやらなければならないわけ。
トマトは、水が嫌だから高い畝にしましょう。
ピーマンやキュウリは、水を好むから低い畝にしましょう。
トウモロコシはその中間だから、その中間の畝を立てましょう。

それぞれそのものが持っている特徴を生かしてやる、その舞台を作るのが本当の治療じゃないかな・・・

それを見出すのは観察。
南側は元気がいいけど、北側はおひさまのあたりが少ないから本当の姿を見せる。


-----------------------

この木村さんの話の後、流れた音楽にかぶっちゃってるけど、川村先生は、「大学で聞きたかったなあ」とつぶやかれていました。
うんうん、川村先生の気持ちわかります、現代医療を学ぶ学生さんたちにも聞いてほしいですよね。

対談を聞くと、投薬中心主義の現代医学と農薬や肥料に頼る現代農業は相似形であるようです。
さて、こちらの先生方は、帰ってから、人間の北側を観察されるのでしょうか。

このように考えると医療だけでなく、木村さんがいつも言われている、「自分がリンゴの立場だったら」という考え方、自分を相手の立場に置き換えて考えるということは、すべての職業、すべての人々の生き方に普遍的な共通のメッセージであるように思います。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

香りの先

2010年03月05日 | 自然からのメッセージ

    香りの先を 辿ってゆくと・・・

    沈丁花の花が 咲き始めていました

    今年も 春の訪れを 教えてくれる

    終わらない冬は ないんだよって
 





コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サインはD

2010年03月04日 | 歴史・文化

奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土(読売新聞) - goo ニュース
奈良時代に「D」?記号入り須恵器が出土
2010年3月3日(水)17:58(読売新聞)
 兵庫県朝来市和田山町、南但ごみ処理施設建設予定地の「高田遺跡」から、奈良時代のものとみられる漆で漢字やアルファベットと似た文字か記号が書かれた須恵器の破片約30点が見つかり、2日、朝来市教委が発表した。
 1か所で同様の須恵器が見つかったのは但馬、丹波両地方で最多で、一般集落からの出土例はなく、市埋蔵文化財センターは「経済的にゆとりがある人物が漆を使ったと思われる。自分の所有物を示すために書いたのでは」としている。
 施設整備事業に伴い、昨年12月から円山川沿いの丘陵地約3230平方メートルで発掘。これまでに、市内全体の遺跡の分布調査で踏査した結果、土器が見つかったことから本格調査した。
 見つかった漆書きの須恵器には、漢字の「木」を書いたようにみえる破片(縦7センチ、横12センチ)や、アルファベットの「D」に似た柄が入った破片(縦3・5センチ、横4センチ)などがあり、筆や木の先端、ブラシなどで書いたとみられる。


わざわざ、漆を使っているのだから、何か意味があるのでしょうか。
記事のように、持ち主を示すマークだったのか、模様のつもりだったのか、メッセージ性があるのかないのか、ただのいたずら書きだったのか・・・
できるなら、奈良時代に戻って確認してみたいなあ。
わかれば、多分、「なあんだ」っていうことなのでしょうが・・・はたまた?
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする