■「ノンちゃん雲に乗る」作家・石井桃子さん、101歳で死去(読売新聞) - goo ニュース
児童文学者の石井桃子さんが101歳で亡くなられました。
息子が生まれてから、読みきかせをすることで絵本や児童文学の世界に深く親しむことができました。中でも児童文学の金字塔と自分の趣味で勝手に思っているのが、ピーターラビットシリーズとくまのプーさんシリーズ(ディズニーのプーさんじゃなくてオリジナルの方)です。
そしてその翻訳を両方ともしてくださったのが、石井桃子さんです。
どちらの翻訳も、私はとても好きです。特にくまのプーさんの訳は、永久保存して欲しいくらいです。
「くまのプーさん」より、一節を書きますね。
・・・・コブタとプーは、夕方の金色に輝く光の中を、考えにふけりながら、いっしょに家のほうに向かって歩いていました。二人は長いこと何もいいませんでした。
が、とうとう、コブタがいいました。
「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一にどんなこと考える?」
「けさのごはんは、なんにしよ?ってことだけだな。」とプーがいいました。
「コブタ、きみはどんなこと?」
「ぼくはね、きょうはどんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーは考え深げにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。
大好きな友達、ちょっとまぬけ、たっぷりした時間の流れ、なんとなく哲学的、作者のA・A・ミルンが創り出したプーさんの世界感が、日本語でしみじみと伝わってきます。
石井桃子さんは、プーさんのお話を、「真綿でくるまれているような幸福な世界」と表現していました。
同様に、子どもたちは、幼い時、社会に関わっていく前にプーさんの森のような「真綿でくるまれた幸福な世界」に住むことが必要なんじゃないでしょうか。
それは、家族や身近な人たちの無償の愛情であったり、空想がはばたくような自分だけの安全な場所であったり、真綿にくるまれたような、やわらかくてあたたかい心地よい時間なんだと思います。
現実は、身近な自然が失われ、両親とも忙しさの中で、子どもと過ごす時間が少ししか持てなかったり、昔と違うことはたくさんあるでしょうが、子どもたちが1日のうちの1時間でも30分でも、真綿でくるまれたような、やさしい時間を持てるように願わずにいられません。
大人になったとき、それらは記憶の隅に押しやられ、忘れてしまったとしても、そういう時間を持てた子どもは、心の中のキャパシティに奥行きがでるのではないかなあと思います。
上記の記事にも「ピーターラビット」「ドリトル先生」シリーズなど、石井桃子さんが手がけた約200冊にのぼる翻訳作品は、この国の戦後児童文学史そのものとありますが、その通り。石井さんがいらっしゃらなかったら、私達が世界のすぐれた児童文学や絵本を読むことができるのは、ずっと後になったことでしょう。
またご自身の童話も良いものが多く、かれこれ50年も前に書かれたちょっとレトロな岩波の「やまのたけちゃん」シリーズは息子にせがまれて、何度も何度も読みかえしました。子ども時代の幸福感が随所にあり、平成生まれのわが子も、その楽しい気分が十分満喫できたようです。
石井さんは晩年、インタビューに答えて、「私は長い間、子どもの本づくりにかかわってきて、命の大切さを意識的に学ばせようと意図したことはありません。通り過ぎていく自然や季節のうつろいをしっかり体感させることが、いちばんそれにつながると信じています」と語っていたそうです。
石井桃子さんの長年のご功労に心から感謝申し上げ、ご冥福をお祈りします。
★おまけ★
↓
「おしえてgoo」:なぜくまのプーさんは『さん』付けなのでしょうか?
児童文学者の石井桃子さんが101歳で亡くなられました。
息子が生まれてから、読みきかせをすることで絵本や児童文学の世界に深く親しむことができました。中でも児童文学の金字塔と自分の趣味で勝手に思っているのが、ピーターラビットシリーズとくまのプーさんシリーズ(ディズニーのプーさんじゃなくてオリジナルの方)です。
そしてその翻訳を両方ともしてくださったのが、石井桃子さんです。
どちらの翻訳も、私はとても好きです。特にくまのプーさんの訳は、永久保存して欲しいくらいです。
「くまのプーさん」より、一節を書きますね。
・・・・コブタとプーは、夕方の金色に輝く光の中を、考えにふけりながら、いっしょに家のほうに向かって歩いていました。二人は長いこと何もいいませんでした。
が、とうとう、コブタがいいました。
「プー、きみ、朝おきたときね、まず第一にどんなこと考える?」
「けさのごはんは、なんにしよ?ってことだけだな。」とプーがいいました。
「コブタ、きみはどんなこと?」
「ぼくはね、きょうはどんなすばらしいことがあるかな、ってことだよ。」
プーは考え深げにうなずきました。
「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。
大好きな友達、ちょっとまぬけ、たっぷりした時間の流れ、なんとなく哲学的、作者のA・A・ミルンが創り出したプーさんの世界感が、日本語でしみじみと伝わってきます。
石井桃子さんは、プーさんのお話を、「真綿でくるまれているような幸福な世界」と表現していました。
同様に、子どもたちは、幼い時、社会に関わっていく前にプーさんの森のような「真綿でくるまれた幸福な世界」に住むことが必要なんじゃないでしょうか。
それは、家族や身近な人たちの無償の愛情であったり、空想がはばたくような自分だけの安全な場所であったり、真綿にくるまれたような、やわらかくてあたたかい心地よい時間なんだと思います。
現実は、身近な自然が失われ、両親とも忙しさの中で、子どもと過ごす時間が少ししか持てなかったり、昔と違うことはたくさんあるでしょうが、子どもたちが1日のうちの1時間でも30分でも、真綿でくるまれたような、やさしい時間を持てるように願わずにいられません。
大人になったとき、それらは記憶の隅に押しやられ、忘れてしまったとしても、そういう時間を持てた子どもは、心の中のキャパシティに奥行きがでるのではないかなあと思います。
上記の記事にも「ピーターラビット」「ドリトル先生」シリーズなど、石井桃子さんが手がけた約200冊にのぼる翻訳作品は、この国の戦後児童文学史そのものとありますが、その通り。石井さんがいらっしゃらなかったら、私達が世界のすぐれた児童文学や絵本を読むことができるのは、ずっと後になったことでしょう。
またご自身の童話も良いものが多く、かれこれ50年も前に書かれたちょっとレトロな岩波の「やまのたけちゃん」シリーズは息子にせがまれて、何度も何度も読みかえしました。子ども時代の幸福感が随所にあり、平成生まれのわが子も、その楽しい気分が十分満喫できたようです。
石井さんは晩年、インタビューに答えて、「私は長い間、子どもの本づくりにかかわってきて、命の大切さを意識的に学ばせようと意図したことはありません。通り過ぎていく自然や季節のうつろいをしっかり体感させることが、いちばんそれにつながると信じています」と語っていたそうです。
石井桃子さんの長年のご功労に心から感謝申し上げ、ご冥福をお祈りします。
★おまけ★
↓
「おしえてgoo」:なぜくまのプーさんは『さん』付けなのでしょうか?
かけがえのない宝物ですね!
>プーは考え深げにうなずきました。
>「つまり、おんなじことだね。」と、プーはいいました。
なんてきらきらとした心に沁みる言葉でしょう!
セリフの一つ一つが本物で力がありますよね!
最後になりましたが、このたびブログをお引越し
することになりましたのでコッソリと(笑)
ご案内に伺いました。
ブログタイトルは、私のHNの元になった
大好きなバルザックの小説タイトルから拝借致しました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。m(__)m
⇒「谷間の百合」http://blog.goo.ne.jp/palty-yuria
>なんてきらきらとした心に沁みる言葉でしょう!
>セリフの一つ一つが本物で力がありますよね!
そうなんです!共感いただき、うれしいです!
石井桃子さんと翻訳したプーさんとディズニーのプーさんでは、まったくイメージが違うんですよ。
絵が違うということもありますが、翻訳の力も大きいと思います。
お引越しなさったんですね。
なんとなんと、わが町、goo町じゃあ、あ~りませんか。
虹色つながりじゃなくなってちょっと残念ですが、薫り高くやさしい百合の花は、ゆりあさんにぴったりですね。
今後ともよろしくお願いいたします。