週刊朝日8月19日号には、菅総理の独占インタビューが掲載されていると聞き及んで、早速購入しちゃいました。ぜ。
聞き手は、本社・常井健一と書かれていた。
菅さんは間違いなく私の思っていた通りの菅さんだったと、改めて納得できた内容でした。
このあいだのエネルギー・環境会議の話で言われたことと、重なる部分もあったけれど、経済界と政界で新しい動きを抑え込むような綱引きがある・・という部分は、そーだろーなー、としみじみ納得。
菅さんが5月のOECDの会議で、自然エネルギーの割合を2020年のできるだけ早い時期に、少なくとも20%超えるようにしたいという目標を世界に示したことに対して、難色を示す経済界。
これに対して、菅さんの話。以下青字で抜粋(編集は金木犀による)
これは新しい産業革命です。
20世紀は、エネルギー消費の伸びと、GDPの伸びがほぼ比例していました。でも、21世紀は違う。電力を減らす努力が、GDPを伸ばすことにつながる。
たとえば、LED電球にしてもヒートポンプにしても、省エネの方向に技術開発を進めたほうが、世界的な競争で優位に立ち、GDPも伸びるんです。
やっぱり健全な未来志向で、こんなことを言う政治家を他に知らないもの。思考回路が立体的で、合理的。だからこそ、菅さんの言ってる内容が見えず、保守的で現状維持を望んでいる人たちには、うとまれるのかも・・。
------しかしそれを理解している企業と理解しようとしない企業があります。
今は理解しようとしない企業の方が力を持っていて、新しい動きを抑え込もうとしている。経済界でも、政界でも、同様の綱引きが繰り広げられています。(・・後略)
思うんだけど、経団連の偉い人で眉毛が白い人がいるけど。前頭葉の血行が悪くなると、眉も白くなるらしいから、やっぱり、人と交わって第一線で働いて新たな決断をしなければならない仕事に携わっている場合、眉が白くなったら、身の処し方を、ちっと、考えたほうがいいんじゃないかなぁ~と。
・・・仙人のような特殊な仕事なら、それも箔がついていいんだけど。
めんご。話がすぐそれちゃう・・ヾ(;´▽`A‘‘アセアセ
いい悪いは別にして、石炭が石油に変わり、映画産業がテレビジョンに変わり、固定電話が携帯電話に変わったように、時代のニーズに合わせて、産業は移り変わってゆくものです。個人的に好む好まざるにかかわらず・・・。
今までに、政官財マスコミ等々、いろいろなしがらみを構築することで、強固で安定した独占企業だった電力会社も、ここにきて、変化せざるを得ないのは、もう仕方ないことなんだと思います。
あんな事故を起こしちゃったんだもの。事故を矮小化し、同じように維持継続するのは、日本国民のみならず、世界に対しても、許されないことだと。
せっかく流れが少しずつ変わってきているのに、やめちゃうのもったいないね、菅さん。
…でも、菅さんはここにくるまで本当に頑張ってくださったと思う。事故発生から18日の夜まで、24時間体制で官邸にいて、公邸には戻らなかったそうです。
体力気力丹力も、限界まで発揮してくださったと思います。
加えて、原子力村を構成する各方面から(自分たちの責任は棚に上げて)人格や人権を傷つけるようなバッシング。菅政権へのネガティブな印象操作のための意図的なデマ。
体もお疲れだったろうけど、心の中では、泣いていたのだろうと感じます。しかし、それらをぐっとこらえて、乗り越えて、ここまでようやく来たんだもの。
もう、菅さんだけに重荷を背負わせちゃ、だめだ。この国は、私たちの国だから。
菅さんが辞められてポスト菅と言われている人たちは、菅さんのようにはっきりと原発からの決別を明言していないけど、むしろ推進しそうな気配もあるけど、元に戻ることなんか、出来やしないのだ。
なぜなら、私たち国民の7割は、そんなことをちっとも望んでいないから。
菅さんは原子力村との戦いを一言こう言っている。
--------しかし「辞任」をほのめかした総理が「戦い」に勝てますか
今後数代の政権にまたがる課題ですが、国民の支持があれば勝てます。
今や、中国の国民でさえ、ネットによって公然と政府批判できるようになった。
命の危機を体験した、日本の国民だって、もう他人事じゃないし、だまっちゃいられないから。
日本を支えているのは、経団連だけじゃない。原発事故が、国民の命を支える農林水産業を破壊してしまうことも痛感したから。
幼い子を抱える親たちも、心労で身も心も疲れ果ててしまった。
もっともっと大きなうねりで、脱原発の道を国に訴えてゆき、一方で、省エネの方向を選び、多少、一時的に電気代が高くなっても、自然エネルギーを選択する道を選ぶ。
政治家が、逆に国民についてくるような時代を作ろうよ。
聞き手は、本社・常井健一と書かれていた。
菅さんは間違いなく私の思っていた通りの菅さんだったと、改めて納得できた内容でした。
このあいだのエネルギー・環境会議の話で言われたことと、重なる部分もあったけれど、経済界と政界で新しい動きを抑え込むような綱引きがある・・という部分は、そーだろーなー、としみじみ納得。
菅さんが5月のOECDの会議で、自然エネルギーの割合を2020年のできるだけ早い時期に、少なくとも20%超えるようにしたいという目標を世界に示したことに対して、難色を示す経済界。
これに対して、菅さんの話。以下青字で抜粋(編集は金木犀による)
これは新しい産業革命です。
20世紀は、エネルギー消費の伸びと、GDPの伸びがほぼ比例していました。でも、21世紀は違う。電力を減らす努力が、GDPを伸ばすことにつながる。
たとえば、LED電球にしてもヒートポンプにしても、省エネの方向に技術開発を進めたほうが、世界的な競争で優位に立ち、GDPも伸びるんです。
やっぱり健全な未来志向で、こんなことを言う政治家を他に知らないもの。思考回路が立体的で、合理的。だからこそ、菅さんの言ってる内容が見えず、保守的で現状維持を望んでいる人たちには、うとまれるのかも・・。
------しかしそれを理解している企業と理解しようとしない企業があります。
今は理解しようとしない企業の方が力を持っていて、新しい動きを抑え込もうとしている。経済界でも、政界でも、同様の綱引きが繰り広げられています。(・・後略)
思うんだけど、経団連の偉い人で眉毛が白い人がいるけど。前頭葉の血行が悪くなると、眉も白くなるらしいから、やっぱり、人と交わって第一線で働いて新たな決断をしなければならない仕事に携わっている場合、眉が白くなったら、身の処し方を、ちっと、考えたほうがいいんじゃないかなぁ~と。
・・・仙人のような特殊な仕事なら、それも箔がついていいんだけど。
めんご。話がすぐそれちゃう・・ヾ(;´▽`A‘‘アセアセ
いい悪いは別にして、石炭が石油に変わり、映画産業がテレビジョンに変わり、固定電話が携帯電話に変わったように、時代のニーズに合わせて、産業は移り変わってゆくものです。個人的に好む好まざるにかかわらず・・・。
今までに、政官財マスコミ等々、いろいろなしがらみを構築することで、強固で安定した独占企業だった電力会社も、ここにきて、変化せざるを得ないのは、もう仕方ないことなんだと思います。
あんな事故を起こしちゃったんだもの。事故を矮小化し、同じように維持継続するのは、日本国民のみならず、世界に対しても、許されないことだと。
せっかく流れが少しずつ変わってきているのに、やめちゃうのもったいないね、菅さん。
…でも、菅さんはここにくるまで本当に頑張ってくださったと思う。事故発生から18日の夜まで、24時間体制で官邸にいて、公邸には戻らなかったそうです。
体力気力丹力も、限界まで発揮してくださったと思います。
加えて、原子力村を構成する各方面から(自分たちの責任は棚に上げて)人格や人権を傷つけるようなバッシング。菅政権へのネガティブな印象操作のための意図的なデマ。
体もお疲れだったろうけど、心の中では、泣いていたのだろうと感じます。しかし、それらをぐっとこらえて、乗り越えて、ここまでようやく来たんだもの。
もう、菅さんだけに重荷を背負わせちゃ、だめだ。この国は、私たちの国だから。
菅さんが辞められてポスト菅と言われている人たちは、菅さんのようにはっきりと原発からの決別を明言していないけど、むしろ推進しそうな気配もあるけど、元に戻ることなんか、出来やしないのだ。
なぜなら、私たち国民の7割は、そんなことをちっとも望んでいないから。
菅さんは原子力村との戦いを一言こう言っている。
--------しかし「辞任」をほのめかした総理が「戦い」に勝てますか
今後数代の政権にまたがる課題ですが、国民の支持があれば勝てます。
今や、中国の国民でさえ、ネットによって公然と政府批判できるようになった。
命の危機を体験した、日本の国民だって、もう他人事じゃないし、だまっちゃいられないから。
日本を支えているのは、経団連だけじゃない。原発事故が、国民の命を支える農林水産業を破壊してしまうことも痛感したから。
幼い子を抱える親たちも、心労で身も心も疲れ果ててしまった。
もっともっと大きなうねりで、脱原発の道を国に訴えてゆき、一方で、省エネの方向を選び、多少、一時的に電気代が高くなっても、自然エネルギーを選択する道を選ぶ。
政治家が、逆に国民についてくるような時代を作ろうよ。
「脱原発」への道筋を何がなんでもこの際確定するために、「目覚めた市民」個人個人が頑張りましょう!
今、リンク先をざっと読ませていただきました。
見出しだけで、しっかり共感できそうです(笑)
これから、じっくり読ませていただきますね。
>「目覚めた市民」
私も似たようなことをずっと考えていました。
社会の枠組みの立場・組織の立場じゃなくて、一人一人個人として考えようということです。
「目覚めよ個人として」
このところのブログテーマでもあります。