(ケイトーとのお別れ ① からの続きです。 注:これは去年の話です)
ムスメの帰宅を待ち、4月22日(木)の夕方もケイトーに会いに出掛けた。
その日はケイトー、歩けるかどうかを試すため芝生の庭に出されたが、歩けなかったそうだ。今後はステロイド注射をして様子をみる、とのことだった。
安楽死について、ずっと考えていた私。
ケイトーがゴハンを食べられるうちは、キラキラ輝く瞳で私を見つめてくれるうちは、安楽死を受け入れる気持ちにはどうしてもなれなかった。
それで獣医さんに「このまま歩けなくても、家に連れ帰って気が済むまで介護したい」旨を告げた。
獣医さんは少し驚いたような表情を見せたが、反対はしなかった。私の言葉を聞いたムスメは、喜びのあまり泣き笑い。
一昨年(2009年)5月に草原で撮った写真。一面に咲いているのはバターカップ。天国もこんな感じだといいな。
4月23日(金)。ムスメは「ケイトーが帰ってくる」とニコニコ顔で登校。ところが・・・
午前11時前、獣医さんから電話で「ケイトーが苦痛を感じているようで、興奮し攻撃的になっている。自宅介護はもうオプションではなくなった。苦しみから解放してやることが、最大の親切と思う」と告げられた。
ムスメは以前から「ケイトーの最期には立ち会いたい」と言っていたが、その日は私、ムスメの帰宅前から泊りがけの仕事が入っていたので、翌日の土曜日の午前中の安楽死をお願いして一度は電話を切った。
が、少し落ち着いてから考えた。自分の都合でケイトーの苦しみを引き延ばすのは間違いだ。ケイトーが苦しんでいるなら、早く楽にしてあげなくちゃ。
そこでまず職場に電話し、出勤を午後8時に遅らせてもらえるよう頼み、獣医に電話をかけ、午後4時半頃にうかがうのでお願いします、と告げた。
いつものスーパーの代わりに、ムスメをバス停で待ち伏せ。声を掛けると一瞬驚いた顔をし、すぐに「何?どうしたの!?」と不安な表情に。
車の中で事の次第を説明すると、しくしく泣き出した。当然だろう。今朝は「ケイトーが帰ってくる」と信じて登校したのだから。
獣医に向かって運転しながら思った。ケイトーがこんなに愛しいのに、私が着くとケイトーは死ぬことになるなんて。なんて矛盾してるんだろう。私ってまるで死神じゃないか。
家から持ってきたケイトーの布団、ムスメのベビー布団を縫い詰めて再利用していた布団を受付で渡し、ケイトーをそれに載せて運んできてくれるよう頼んだ。
間もなく診察室に招き入れられ、奥の扉からその布団に載せられたケイトーが運ばれてきた。
興奮した様子はもうなくぐったりとしており、私達を見ると少しばかり頭を上げてシッポを弱々しく振る。目にも生気はない。
ケイトーの様子を見て、安楽死を明日まで待たなくて正解だったと思った。
日本で買ってきたお気に入りの柔らかいササミのおやつをあげたりしながら、10分ほどかけてお別れ。
ムスメも私も、涙でボロボロだった。獣医さんは気をきかせて席を外してくれていた。
戻ってきた獣医さんに別れが済んだことを告げる。
私はケイトーの、空いた方の前脚を握り、頭を撫でながら「ありがとうね、ケイトー。また会おうね・・・」と耳元で囁いた。
ムスメは声を立てずに泣きながら、ケイトーの背中を撫でていた。
呼吸が次第にゆっくりになり、眠るように安らかに、ケイトーは逝った。
ケイトーがムスメのお古に包まれてこの世を去れるように、その布団ごとケイトーを火葬してくれるようお願いし、涙でぐちゃぐちゃになったムスメと私は帰宅の途についた。
こうして4月23日が、ケイトーの命日となった。16歳と4ヶ月だった。
(つづく)
ムスメの帰宅を待ち、4月22日(木)の夕方もケイトーに会いに出掛けた。
その日はケイトー、歩けるかどうかを試すため芝生の庭に出されたが、歩けなかったそうだ。今後はステロイド注射をして様子をみる、とのことだった。
安楽死について、ずっと考えていた私。
ケイトーがゴハンを食べられるうちは、キラキラ輝く瞳で私を見つめてくれるうちは、安楽死を受け入れる気持ちにはどうしてもなれなかった。
それで獣医さんに「このまま歩けなくても、家に連れ帰って気が済むまで介護したい」旨を告げた。
獣医さんは少し驚いたような表情を見せたが、反対はしなかった。私の言葉を聞いたムスメは、喜びのあまり泣き笑い。
一昨年(2009年)5月に草原で撮った写真。一面に咲いているのはバターカップ。天国もこんな感じだといいな。
4月23日(金)。ムスメは「ケイトーが帰ってくる」とニコニコ顔で登校。ところが・・・
午前11時前、獣医さんから電話で「ケイトーが苦痛を感じているようで、興奮し攻撃的になっている。自宅介護はもうオプションではなくなった。苦しみから解放してやることが、最大の親切と思う」と告げられた。
ムスメは以前から「ケイトーの最期には立ち会いたい」と言っていたが、その日は私、ムスメの帰宅前から泊りがけの仕事が入っていたので、翌日の土曜日の午前中の安楽死をお願いして一度は電話を切った。
が、少し落ち着いてから考えた。自分の都合でケイトーの苦しみを引き延ばすのは間違いだ。ケイトーが苦しんでいるなら、早く楽にしてあげなくちゃ。
そこでまず職場に電話し、出勤を午後8時に遅らせてもらえるよう頼み、獣医に電話をかけ、午後4時半頃にうかがうのでお願いします、と告げた。
いつものスーパーの代わりに、ムスメをバス停で待ち伏せ。声を掛けると一瞬驚いた顔をし、すぐに「何?どうしたの!?」と不安な表情に。
車の中で事の次第を説明すると、しくしく泣き出した。当然だろう。今朝は「ケイトーが帰ってくる」と信じて登校したのだから。
獣医に向かって運転しながら思った。ケイトーがこんなに愛しいのに、私が着くとケイトーは死ぬことになるなんて。なんて矛盾してるんだろう。私ってまるで死神じゃないか。
家から持ってきたケイトーの布団、ムスメのベビー布団を縫い詰めて再利用していた布団を受付で渡し、ケイトーをそれに載せて運んできてくれるよう頼んだ。
間もなく診察室に招き入れられ、奥の扉からその布団に載せられたケイトーが運ばれてきた。
興奮した様子はもうなくぐったりとしており、私達を見ると少しばかり頭を上げてシッポを弱々しく振る。目にも生気はない。
ケイトーの様子を見て、安楽死を明日まで待たなくて正解だったと思った。
日本で買ってきたお気に入りの柔らかいササミのおやつをあげたりしながら、10分ほどかけてお別れ。
ムスメも私も、涙でボロボロだった。獣医さんは気をきかせて席を外してくれていた。
戻ってきた獣医さんに別れが済んだことを告げる。
私はケイトーの、空いた方の前脚を握り、頭を撫でながら「ありがとうね、ケイトー。また会おうね・・・」と耳元で囁いた。
ムスメは声を立てずに泣きながら、ケイトーの背中を撫でていた。
呼吸が次第にゆっくりになり、眠るように安らかに、ケイトーは逝った。
ケイトーがムスメのお古に包まれてこの世を去れるように、その布団ごとケイトーを火葬してくれるようお願いし、涙でぐちゃぐちゃになったムスメと私は帰宅の途についた。
こうして4月23日が、ケイトーの命日となった。16歳と4ヶ月だった。
(つづく)