ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

3女性誘拐監禁事件の続報

2013-05-11 22:20:12 | 事件

クリーブランドの事件で逮捕された、女性3人が監禁されていた家の持主のアリエル・カストロ(52歳)とその兄弟二人。起訴されたのは、結局アリエル一人だった。屋内の捜査や被害女性たちの証言から、兄と弟は事件には関与していなかったと考えられたようだ。(・・・でも、ってことは、警察は何の証拠もなしに兄弟も逮捕したってことで。アメリカもイギリスと同様、簡単に逮捕しちゃうのねぇ

 

アリエル・カストロは、前妻グリミルダとの間に4人の子供をもうけた。始めのうちこそ幸福だったが、最初の子が生まれた頃からアリエルは変わった。グリミルダに膝下丈のスカートだけをはくよう言い、彼女が何を食べ、誰と友達でいるかを決めるようになった。また彼女に対し、ひどい暴力をふるうようになった。「アリエルは彼女を縛って地下室に監禁し、犬の鎖で打ちつけた。流産させようと妊娠中の彼女を階段から突き落とし、腹を蹴った。」グリミルダののちのパートナー、フェルナンド・コロンは言う。コロンはグリミルダが頻繁に訪れた病院で働いていた。彼女の境遇に同情した彼は、彼女に自分の家に来るよう申し出、のちに二人は子供をもうけた。嫉妬に狂ったアリエルは、コロンがアリエルの娘たちを性的虐待したと告発したが、アリエルの子供たちがそれは嘘だと法廷で証言した。それでもなお、コロンは保護観察処分におかれた。

「彼女は鼻骨を二度折られ、歯を折られ、肩を脱臼させられ、肋骨を折られ、脳内に血栓をつくられ、彼女と子供たちを殺すと脅された」と、彼女の近親は言う。裁判所にもDV被害の申し立てと怪我の記録が残っていた。アリエルは彼女に家族や友達と連絡を取らせず、玄関のドアさえ自分では開けられないよう錠をかけた。彼女の姉は言う。「妹を訪ねて『ニルダ(グリミルダの愛称)、私よ、ドアを開けて』と言っても、『できないのよ、アリエルが鍵を持ってるから』と言われたわ。」

   グリミルダさんの写真。真中のは、昨年4月に亡くなった彼女のお葬式への案内状らしい。1963年生まれだから、私より1歳若かったことになる。お気の毒に・・・

         

                                      子供たち(下左)、成長した娘(下右)と。

     

    自分の家族と。右端がグリミルダさん。                               グリミルダさんの姉一家。

       

グリミルダの兄は言う。「奴は支配欲が強く他人を操るのがうまかった。表面上はいい奴に見えるしいい奴っぽく振る舞うが、閉ざされたドアの向こうでは全くの別人なんだ。」 家を出たら本当に殺されるかもしれないと我慢に我慢を重ねたグリミルダだったが、1996年に4人の子供たち(アンジー、エミリー、アンソニー、アーリーン)を連れてDV被害女性の保護センターに駆け込んだ。 「あのまま奴と一緒にいたら、殺されるところだったよ。」 彼女は病院に行き、警察を呼び、何度も窮状を訴えた。1997年に、グリミルダは子供たちの完全養育権を獲得した。二人は離婚したが、記録によると離婚後もアリエルは、「養育権を持つ母親の元から何度も子供たちを連れ去った」。面会の権利を全く与えられていなかったにもかかわらず。

その後再婚したグリミルダは、アリエルが3女性を拉致監禁するずっと前にあの家を出ていた。グリミルダは昨年4月、脳腫瘍のためこの世を去ったが、彼女の家族はその原因はアリエルの暴力にあったと信じている。しかし、アリエルが支配的で暴力的だったことを知っていたグリミルダの家族でさえ、彼があそこまでひどい事件を起こせるとは信じられなかったという。

アリエルの家からは、彼が被害女性たちを拘束するのに使ったらしいロープや鎖が発見された。三人の証言によると、三人はそれぞれ別々の小さな部屋に監禁されていたが、お互いの存在は認識していた。アリエルは出掛けるふりをして隠れ、彼女たちが逃げ出そうと試みるとひどい暴力をふるうということを繰り返し、彼女たちから逃げ出そうという意志を奪った。三人は10年の間に一度か二度しか、木々やフェンスで覆い隠された裏庭に出してもらえず、それもカツラとサングラスで変装した上でのことだったという。近所の住人によると、数年前にアリエルの裏庭に裸の女性がいるのを目撃したため警察に通報したが、警察は取り合ってくれなかった。別の住人もあるときものすごい叫び声を聞いて通報したが、警察は何もしなかった。「誰かのふざけた叫び声と、本当に恐ろしい目に遭っている人間が出す血が凍るような叫び声とは全然違うだろう?なのに本気にしてもらえなかったんだ。」 警察は「そのような記録は残っていない」と、通報があったことを否定している。

アマンダ・ベリーの7歳になったばかりの娘ジョセリンの父親は、DNA鑑定の結果アリエルであることが確認された。ジョセリン誕生の際手伝いを命じられたのはミシェル・ナイトで、彼女は「赤ん坊が死んだらお前を殺す」とアリエルに脅されたという。出産は、室内の汚れを最小限に抑えるため、子供用のビニールプールの中で行われた。

アリエル・カストロの伯父は、アリエルの家がある通りで44年前から商店を営んでいる。店内には行方不明だったアマンダとジーナのビラが貼られていた。月曜日、店にきた客のひとりから行方不明の女の子のうち一人が見つかったと聞いた伯父は、外に駆け出した。「嬉しさで一杯になって駆けつけたんだ。ところが発見されたのは、甥の家だった。」

 

アリエルの4人の子供たちは、ずっと前から父親とは一緒に暮らしていなかったとはいえ、自分たちの父親がこんな恐ろしい事件を起こせるような人間だったことにショックを受けている。

「食事をしている間にも、彼女たちは同じ家の中にいたわけでしょう?どうして?どうしてそんなことができたの?・・・父は牢獄で朽ち果てればいいわ。」と、娘のアンジー。事件の発覚後は、毎朝目を覚ますたびに、全てが悪夢であってくれたらと願う。そして、テレビのスィッチを入れると現実に引き戻される。

アリエルの息子アンソニーは言う。「父は暴力的で支配的な男で、1993年には脳手術から回復中だった母を殴って危うく死なせるところだった。そんな父をもち、日常的に暴力を見、時には自分も殴られながら育ったから・・・家族として親密な方ではないのは、そのせいだと思う。父は今後一生を監獄で過ごすべきだ。被害者たちが生きていたことに、ただただ感謝する。」

     アンジーと、                                                  アンソニー。

      

アリエルの娘アーリーンは、被害者の一人ジーナのクラスメートで、二人は仲良しだった。ジーナが失踪した日、二人は一緒に学校を出た。警察によると、通りかかったアリエルが(おそらくアーリーンと別れたあとの)ジーナに、車で家まで送ってやると申し出た。彼の車に乗り込んだジーナは、自宅の代わりにアリエルの家に連れ込まれた。

事件発覚後アーリーンはテレビに出演してジーナと家族に謝罪し、「父は極刑に値する」と涙ながらに述べた。 アリエルの子供たちは皆、拘禁されている父親に面会に行かないことを誓っている。

    

アリエルの母親のリリアン・ロドリゲスは、車の窓から記者たちに、息子がしでかしたことに対する謝意を表明した。取り調べの結果、リリアンは事件について何も知らなかったと警察は確信している。しかしながら、アリエルによって時々家から連れ出されていたジョセリンには、リリアンは何度か会っていた。リリアンはアリエルに、ジョセリンは彼とガールフレンドとの間にできた娘だと紹介され、ジョセリンはリリアンを「おばあちゃん」と呼んでいたという。

         10日(金)、クリーブランド市に住むアリエルの妹マリソルが、母親のリリアンに車で拾われて走り去ったと報道された。

                   

      走り去るとき、マリエルは伏せて顔を隠した。その後二人は、友人に飼犬を託しに寄った。マスコミの攻勢から逃れるため、しばらく町を離れるつもりらしい。

         

 

8日(水)、アマンダは姉の家(下左)に迎えられた。アマンダの姉は、妹の無事を祈って自宅前の木にくくりつけたビラを外さず、黄色いリボンを定期的に新しいものと交換していたという。同じ日ジーナも、9年ぶりに自宅(下右)に戻った。ジーナの家族も、情報提供を呼びかける大きなポスターを9年間ずっと外に掲げていた。

    

                                                             親指を上げてサインを送りながら自宅に入るジーナ。

    

 

そんな二人に比べて、影が薄いのがミシェル・ナイト(32歳)。他の二人が病院を出て家族に迎えられても、彼女だけは病院に残っている。監禁されていた間に受けた暴力のため聴覚と顔面の骨格に異常が認められているそうだ。彼女は見舞いに行った兄(弟かも)には会ってハグもしたが、母親のバーバラには面会を拒否している。そんな彼女については、気の毒としか言いようのない続報が入っている。

2002年8月23日に従姉妹の家の近くで失踪したミシェルのデータは、行方不明者を登録したデータベースから失踪の15ヶ月後に削除されていたことが、その後わかった。それというのも・・・・・

彼女の大叔母によると、失踪の数年前、ミシェルは学校で、3人の男子学生に輪姦され妊娠した。彼女は生まれた男の子をジョーイと名づけたが、その後彼女は親権を取り上げられ、息子は里親に渡された。親権を取り上げられた理由は、バーバラが当時付き合っていた暴力的な傾向のある男が、よちよち歩きのジョーイに怪我をさせたためだったという。息子を取り上げられて何もかもが嫌になったミシェルが、自らの意志で行方をくらましたのではないか。と、判断されてしまったのだった。

           

バーバラは、「希望を失ったことはなかった。これでようやく、ミシェルに異父妹で10歳のケイティーを紹介できるわ。」と述べた。

けど・・・ この人、「警察が捜索を打ち切ってからも、ビラを貼り続けた」と言うけれど・・・ 何となく歯切れが悪い。クリーブランドの住民も、「アマンダとジーナのビラはよく見たけれど、ミシェルのは見た覚えがない」とコメントを寄せている。

その上ミシェル本人が、母親である彼女に会うのを拒否しているというし・・・ 二人の間には、周囲の知らない確執があったのでは。

         

       クリーブランドに向かうため、現在住むフロリダの家を出るバーバラたち。左下の写真の女の子が、ミシェルの異父妹のケイティーらしい。

              

『二度雷に打たれることはない』という諺に反して、若い時点で二度も、残酷な犯罪の被害者になってしまったミシェルさん。今は、早く回復して息子と再会できるのを楽しみにしているという。

ゆっくり時間をかけて傷を癒し、自分の意志でもって今後の人生を生きていってくれますように。

 

さて、“クリーブランドのヒーロー”として一躍有名になったチャールズ・ラムジーさんですが。メディアの脚光を浴びたことにより、彼も過去をほじくり返されました。

報道によるとチャールズさん、1997年、1998年と2003年に、DVの容疑で逮捕され、1998年には半年間の、2003年には8ヶ月間の禁固刑をくらっていたそうです。2003年に、夫婦は離婚。前妻によると、彼はその後、娘の養育費の支払いも怠ったとか。

一方「事件発覚時、最初に駆けつけてアマンダを救ったのは俺。チャールズはアマンダが救出されてから到着した。」と、別の隣人のエンジェル・コーデロが申し立ててきました。「チャールズに対して嫉妬や怒りを感じるわけじゃないけどね。」

    インターネットで遊ばれるチャールズさんです。

        

DVの過去が暴露される前から、チャールズさん、言っていました。「自分は全然ヒーローなんかじゃない。誰もがするであろうことをしただけ。報酬が出るというなら、その金は全部、被害者たちにやってくれ。」

DVの過去については、「いろいろあったけど、その結果、今の俺があるんだ。」と認めています。

正直言って私、チャールズさんのDVを知って(なんだ、そんな人だったのか・・・)とちょっと幻滅を感じました。でも、過去は過去。

チャールズさんが女性たちを助けようとしたことに変わりはない。到着したのが2番目だったとしても、彼が独特の言い回しで自分の行動をカメラに向かって(図らずも面白可笑しく)述べてくれたことにより、それを見た人たちを「今後、困っている人がいたら助けよう!」という気にさせたかもしれない。チャールズさんの過去は、彼が取った行動とは何の関係もなく、彼はひどく困った様子の女性を純粋な動機から助けただけなのです。

だから、チャールズさん、 ・・・やっぱりマクドナルドが一生食べ放題になりますように! 祈ってますよ!!

 


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