老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

 2016 1、9 

2016-01-09 16:45:34 | 俳句

        ☆    生い立ちは誰も健やか竜の玉    村越化石

 この句は一度、ブログに載せたことがある。
しりとり俳句を繋いでいる ぴのこさん がこの句をしりとり俳句の中でコメントをした。
再度、このブログに登場したのである。

村越化石さんは ハンセン病を患い、一生を、群馬県草津の栗生楽泉園で過ごした。
91才で生涯を閉じるまで、ここで暮らした。
その間、俳句界では、蛇笏賞をはじめ、賞と云う賞は総なめにした。
素晴らしい俳人であった。


            

 しりとり俳句の流れは

     >  子らの声遠くて近き小正月    てまり

     >  流されし島を包んで冬銀河    猫髭

     >  永遠に消えぬ言霊冬銀河    ラスカル

     >  半眼の梟悟る冬銀河    ミミ

     >  閉ざされし化石の森や冬銀河   ぴのこ

     >  凍てる日の遠き想い出オペの朝   てまり
          
 こんな具合に次々としりとりされた。

お隣の街には、四国ではここだけと云う、ハンセンの患者さんが隔離されて一生を過ごした大島がある。
1996年に「らい予防廃止法」が施行され、いままで国がとってきた、らい予防法に基づく、らい患者、元らい患者に対する隔離政策のあやまちを謝罪した。
患者さんの耐え難い苦悩と苦痛の、困難だった筆舌に絶する生活が、わずか船で15分か20分の島で営なまれていた。

           

 庵治港には、大島行きの連絡船乗り場がある。
今も島で暮らしている90人ちょっとの元患者さん、島の病院で働く人達が毎日利用している。
今は、私達も港湾にある事務所で、名前を書くと、自由に出這入りが可能である。

らい病になると、世間から偏見の目で見られ、世間から隔離された、辺鄙な土地にある療養所に入るしか選択はなかった。
この港で乗る船が、片道通行で、この港に二度と帰られぬとは、、、、
患者さん達の苦難な始まりであった。

 猫髭さんが一生忘れない句があると云う。

    癩にくし花に飼はるる思いして   須並一衛

    雷去りて雷また近かむ夜の胡桃   須並一衛


 しりとり俳句をやっていて、ブログに載せることは止めようと、何度思ったことか。
あくまで お遊びだからと、その日が終われば、うたかたのように消え去る句である。
しかし、今日は皆さん、真摯な句を投句されて、消してしまうのは、惜しいと思った。





       




コメント
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