生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

夏の終わりに

2007-08-31 13:23:22 | 日記

今日で8月も終わり。
この夏はほんとうに暑かったですね。最近、暑さに弱くなっているのですが、体調もこわさずに夏を過ごせたことを感謝します。
涼しくなってほっとしたせいか、ゆうべは体がだるく、発熱したかと思ったほどでした。久しぶりに体温を測ると35℃。体温計が壊れているわけではありません。はさみ方が悪かったのだと思って測り直し、10分も測っていたのに35.2℃。

平熱は35.8℃~36.0℃だったはずですが……。35.5℃以下になると、低体温というのだそうです。35℃は癌細胞にとっては適温らしく、低体温になると免疫力、基礎代謝が低下してくるらしいので、恐ろしいです。気温は上がらないで欲しいけれど、体温は1℃上がってほしいです。

友人から送られてきた手紙にマザー・テレサの言葉が書かれていました。神さまがわたしの心に直接語りかけて下さったように受け止め、励まされました。

 
あなたの中の最良のものを


人は不合理 非理論 利己的です
気にすることなく人を愛しなさい
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく善を行いなさい
目的を達成しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなくやりとげなさい
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう
気にすることなくし続けなさい
あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい
あなたの作り上げたものが壊されるでしょう
気にすることなく作り続けなさい
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく助け続けなさい
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい
蹴り返されるかもしれません
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい
最後に振り返ると、あなたにもわかるはず
結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです
あなたと他の人の間であったことは一度もなかったのです

あなたはわたしを愛するか?

2007-08-29 17:22:22 | 聖書から
 
ようやく涼しくなって、生き返ったようです。気がつけばもう実りの季節。写真は近所で今日撮ったものです。

黙想祈祷会に出席しました。いつも黙想祈祷会の最後に祈る祝福の祈りに心打たれていました。その祈りをコピーさせていただいたので、紹介します。

 
祝福の祈り
 
 主があなたの前におられるように、あなたに正しい道を示すために。
 主があなたのかたわらにおられるように、あなたを胸に抱き、守るために。
 主があなたの後ろにおられるように、あなたを悪人のたくらみから守るために。
 主があなたの下におられるように、あなたが倒れるとき助け、わなから救うために。
 主があなたの中におられるように、あなたが悲しむとき、慰めるために。
 主があなたを囲んでおられるように、他の人々があなたを襲うとき、防ぐために。
 主があなたの上におられるように、あなたを祝福するために。
 いつくしみの神がこのようにあなたを祝福なさるように。

    【ディアコニア カウンセリングセンター 黙想の資料より】


黙想に入る前、今まで犯したさまざまな過ち、失敗、言葉で人を傷つけたこと、などを思い返して心が痛んでいました。
配られたプリントに印刷されていたのは、ヨハネ21:1~17で復活されたイエス様がティベリアス湖畔で弟子たちの前に姿を現された箇所でした。

ペテロは大きな失敗をしています。イエス様が十字架につけられる前、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ26:33)と大言壮語したのに、イエスさまが捕らえられると恐ろしくなって、3度も主を否定してしまいます。その直後に鶏が鳴いて、ペテロは悔い改めたのでした。

悔い改めがすんでも、あのときのことを思い出して、心が疼くことがあったのではないでしょうか。そんなペテロにイエス様は話しかけられました。

 
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子、シモン。あなたは、この人たち以上にわたしを愛しますか」と言われた。ペテロはイエスに言った「はい。主よ。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい」(ヨハネ21:15)


イエスさまは同じような質問を3度して、ペテロに3度答えさせています。それは、『わたしはすでに3度の失敗を赦しているよ。過去の失敗に心痛めず、わたしの愛に生きるものになりなさい』とペテロに言われたのですね。

そして、今、過去の失敗に心痛めていたわたしにもイエスさまは語りかけて下さいました。
 
「あなたは、わたしを愛するか?」「わたしの羊を飼いなさい」

Good News(その2)

2007-08-28 12:04:46 | 教会
  
昨日の続きで26日の礼拝メッセージについて書いています。
青字がS先生のメッセージ、緑字は聖書のことば、茶色字がわたしの感想です。


 
イエスさまを紹介するとき、聞く人の文化的、宗教的背景を考える必要があります。パウロとバルナバが異国の都市ルステラ(現在トルコ)でキリストを伝えたとき、足の不自由な人の足を治したことから神の化身として崇められました。そのときパウロは「わたしたちは同じ人間です」と言い、*生ける神がおられること。*その神を礼拝するように。と教えました。

その生ける神とは、 
「恵みをもって天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たして下さったのです。(使徒の働き14:17)」

このような神です。

 
神さまは、ただ人間が生きるのに必要な食べ物を与えるだけでなく、味わって楽しむためにもたくさんの種類の食物を与えてくださっているのですね。感謝!

聖書の神さまは、人の弱さを指摘しようとしているのではなく、また罪を責めようとしている神さまではありません。恐ろしい神ではなく、恵み深い神さまなのです。

 
そのことがとても嬉しいです。


パウロはユダヤ人たちに教えるときは、旧約聖書の話しをしましたが、ルステラで語るときは旧約聖書を持ち出しませんでした。それは、ユダヤ人は旧約聖書に精通しているけれど、ギリシャ人は旧約聖書を知らないからです。パウロは、聞く者の文化的背景を尊重して語り方を変えたのです。私たちもその努力をしなければなりません。

山浦玄嗣氏は気仙地方の故郷の仲間に伝えるためギリシャ語を勉強し、ケセン語訳聖書を作りました。

 
茨城弁訳聖書も作られるといいなあと思いました。

それぞれの習慣や伝統をふまえて伝えることが大切です。わたしたちが伝えるのは良いニュースです。

 
わたしは、日本で宣教がすすまない理由として、日本人の国民性にもあると考えます。自分自身も含めてではありますが、あからさまに感情を表さないことがマイナスになっているのでは? 心の内側では救われたことの喜びに溢れているのですが、そのことを表さないので、周りの人には伝わりません。

こんなに良いニュースを知っているのだから、もっと喜びを表現して熱くなったらいいと思います。喜んでキラキラ輝いて生きていたら、まわりに伝染するでしょう。すると、クリスチャンでない人は疑問に感じます。なぜいつも喜んでいられるの?と聞かれたら、しめたものです。イエスさまのことを語るチャンスです。

周りの人がどう思うか気にする人が多いことも宣教がすすまない原因だと思います。有名人でクリスチャンの人はたくさんおられますが、クリスチャンだということを公言している人が少ないのは何故でしょう。信仰、信仰と言っていたら社会的に不利になるのでしょうか? 偏見の目で見られるのでしょうか?
たとえそうだとしても、クリスチャンであることを恥じず、もっと堂々としていたらいいと思います。

                   おわり

Good News (その1)

2007-08-27 12:37:35 | 教会
 
昨夜は教会でめぐみ祭りが行われました。金魚すくいや、ヨーヨーつり、出店もたくさん用意されて縁日のようなにぎわいだったことでしょう。去年はヨーヨーつりのお手伝いをしましたが、今回わたしは残念ながら参加できませんでした。

神社で行われるお祭りにはクリスチャンホームの子供は行きません。でも、行きたい気持ちを抑えるのはつらいですね。それで、教会でお祭りができればどんなにいいだろうかということで、毎年8月末の日曜夕方に教会で行うことにしたのです。近隣の人も含めて100人以上の人が集まります。
めぐみ祭りは、野外で礼拝をしてから始まります。盆踊りならぬ『めぐみ音頭』もあるのですから驚きです。

朝の礼拝は7月末から【世界宣教シリーズ】で、ケニアやアメリカの宣教師の先生や韓国の先生をお招きしてメッセージをいただきました。昨日は久々にS先生からのメッセージを聞きました。世界の中の日本の宣教についてです。
青字がS先生のメッセージ、茶色字がわたしの感想です。
 
福音(よき知らせ)は、どんな文化圏に住む人にとっても素晴らしいニュースです。


注釈:福音(ふくいん)とは、神の御子イエス・キリストを救い主として信じる者は、赦され、神との関係が回復され、だれでも永遠のいのちをもつことができるというgood newsです。

 
唯一絶対の神が、わたしたちを祝福して下さいます。その証拠としてイエスさまがわたしたちの身代わりとなって十字架にかかって下さいました。このニュースは2000年間にあらゆる文化圏に伝えられてきました。

でも、日本における宣教はすすんでいません。現在の日本では、信仰のことを自由に語れ、集会を開くことができるのに……。
日本文化にある非常に濃い人間関係がキリスト教を受け入れにくくしていると、わたしは考えます。
神道や仏教が生活に影響を及ぼしています。町内会では神社と結びつけてお祭りをし、通過儀礼は、ほとんど仏教や神道と結びついています。また、日本人の世界観は汎神論的です。


そういえば先日テレビで放映されていた「ミヨリの森」もジブリの映画(すべてではありませんが)も汎神論的世界観ですね。



戦後の教育は無神論の教育です。それゆえ否定的な宗教観をもつ人が多く、マスメディアでは宗教を危険視し、健全な信仰感を述べる人がいません。
日本の社会の中ではクリスチャンとして生きていくのが大変です。そのような中でクリスチャンになったのは「恵み」です。


本当にそうだと思います。クリスチャンホームで育ったわけでもなく、クリスチャンの知り合いがいたわけでもないのにわたしはクリスチャンになりました。そのことが不思議です。恵み以外何ものでもありません。


唯一絶対なる神がいるということ、神がどれだけわたしたちを愛しているかということ、そして十字架の意味をどうしたら感動的にのべ伝えられるでしょうか。


わたしは小説や童話を通して感動的に伝えるにはどうしたらよいか?とそればかり考えています。



           つづく


いつくしみと恵み

2007-08-25 17:27:20 | 
19日の礼拝メッセージ(昨日の記事をご覧下さい)を聞いて詩を書きました。

いつくしみと恵み
 

つらいとき
無理して笑うことないんだよ
大声を上げて
文句言ったらいい

でも、さいごには
イエスさまを呼ぼう
イエスさまは与えて下さるよ
平安と幸いを

苦しいとき
平気な顔することないんだよ
なりふりかまわず
泣き叫んだらいい

でもさいごには
イエスさまを呼ぼう
イエスさまは連れてきて下さるよ
いつくしみと恵みを

追いかけてくる“いつくしみと恵み”

2007-08-24 12:55:48 | 教会

この間の礼拝は、F教会のK先生からメッセージをいただきました。
その日は夏期学校の翌日で、ふらふら状態で教会に行ったので、いつものメッセージを書き留めるノートを持っていくのを忘れてしまいました。メモに書いたのですが、その紙が見当たらなくて、今週は礼拝メッセージについての記事は書けないと思っていました。

今朝、デボーションで詩編23篇を読んで涙を流したとき、この間の礼拝メッセージの感動を思い出しました。少ししか書いていませんでしたが、メモがみつかったので書かせていただきます。(青字がK先生のメッセージ、緑字は聖書のことば、茶色字がわたしの感想)

詩編23編からのメッセージなのでまず、それを紹介します。


1主はわたしの羊飼い。
私は、乏しいことがありません。
2主は私を緑の牧場に伏させ、
いこいの水のほとりに伴われます。
3主は、わたしのたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
4たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。
5私の敵の前で、あなたはわたしのために食事をととのえ、
私の頭に油をそそいでくださいます。
私の杯は、あふれています。
6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと
恵みとが、私を追ってくるでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。



6節にわたしのいのちの日のかぎり、いつくしみと恵みとがわたしを追ってくるでしょう。と書かれています。
『いつくしみと恵み』というのは神さまの愛、すなわちイエス・キリストによって罪赦された赦しの愛です。
自分が主によって罪赦されたことを喜ぶことがいちばん大切です。


確かに気持ちが落ち込み、憂鬱になっているときは、罪赦されたことを忘れているときです。


神さまがおられ、守って下さる。神さまに愛されている。神を感じるという喜びが従者のようにずうっとついてくるのです。


従者のようについてくるというのは、嬉しいですね。苦しいのに無理して喜ぶのではありません。どんな状態の時でも神さまが一緒にいて下さることが喜びなのです。



哀歌3:22には私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。と書かれています。


自分の罪を思い起こしたとき、滅びるしかない者だということに気づきます。まさに主が赦しを与えて下さったから滅びないですんでいるのですね。



喜びは神との交わりです。永遠に主の家に住まうという天国の希望による喜びです。


地上での生涯が終われば天国に行けるという喜びはあります。でも、それまでが長いのです。人生の中で色々な苦しみに出会うと不安と恐れに取り囲まれ、とても喜んでなどいられなくなります。


でも、イエスさまと関係を持っているなら、聖霊の働きによって、いつくしみと恵みが追いかけてきてくれる人生になるのです。


いつくしみと恵みが追いかけてきてくれる……。そういえば、今までの人生をふりかえると……そうでした。今回の夏期学校も……。

K先生が会衆に向かって、
「あなたは神さまから祝福をいただいていますね。」と言われたとき、「はい、溢れるほどたくさんいただいています」と心の中で答えました。



あなたは私に、命の道を知らせて下さいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。詩編16:11

ワーシップ賛美

2007-08-22 16:55:08 | CS(子供伝道)
 
祈祷会でオーストラリア・シドニーにあるヒルソング教会のワーシップ賛美の映像を見せていただきました。身体全体を使って踊り、生き生きと賛美している姿に感動しました。

worship(ワーシップ)とは、worth(価値のある)+ ship(状態)という言葉からできていて、神さまに十分な価値を置くという意味だそうです。

ダーリン・チェック師は  「わたしの内にあるすべてのものが神をほめたたえる」と、言っておられましたが、賛美しているときの映像を見ても、心から神さまをほめたたえていることがわかります。

賛美の神髄は、旧約聖書Ⅱサムエル記24:19-25にあるそうです。その箇所にはダビデ王が主の祭壇を造ってささげ物をしようとしたときのことが書かれています。アラウナがダビデに「わたしの物をさしあげますから、それをささげてください」と言います。そのときダビデは、「費用もかけずにささげ物をしたくない」といってアラウナにお金を払いました。
わたしたちも愛なる神さまへの応答として賛美をするので、犠牲を払って主の前に賛美をささげなくてはならないと聞いて、その通りだと思いました。
さらに、 「賛美はパフォーマンスではありません。人に見せるためではなく神の心を喜ばせるために賛美するのです。わたしたちができることから始めなさい」と薦めておられました。

わたしはそれを聞いてCS賛美のことを考えていました。教会学校では礼拝前に2曲賛美をします。そのうちの1曲は振り付け賛美で1か月間は同じ曲を賛美します。

かなりハードな踊りもあるので、踊りの指導は若い教師にすべてをまかせて、わたしは踊らずにピアノ奏楽奉仕をしていました。


前月の教師会の前に賛美指導者で集まって踊りの練習をしているのですが、若い教師たちは踊りを覚えるのにかなり苦労していました。
子供の前に立ったとき、教師が自信なく踊ると、子供たちも不安げに踊ります。そんなときは、とても喜びをもって賛美しているようには見えません。

それで先月から交代でわたしも子供たちの前に立って振り付け賛美をすることにしました。実は、わたしはリズム感が弱く、踊りは大の苦手で、1テンポ遅れてしまうこともあるのですが……。
わたしが、老体にむち打って(?)踊っている姿を見たせいかどうかはわかりませんが、最近は若い教師たちも意欲的になってきました。

でも、ヒルソング教会のワーシップ賛美を見たら、まだまだだと思いました。心から喜びをもって歌い、踊り、捧げていきたいです。
 
ちなみにこんどの日曜は、「グローリー」を踊ります。実は1曲踊ると息切れがするのですが、全力投球です。イエス様がわたしにして下さったことに感謝して、その応答として賛美します。

死なないでください

2007-08-20 21:42:30 | 
 
今日から夏期学校の疲れが出てきています。(1テンポ遅いのは年のせいでしょうか……)でも、具合が悪いわけではないので、ゆっくり休めば回復するでしょう。

今日は家事もそこそこにしてK子さんへ手紙を書きました。何より優先しなければならないと思ったからです。

K子さんは日本ミッション発行の「よろこびの泉」7月号に掲載されたわたしの証しと詩を読んで電話をかけてきて下さいました。20代の若い方です。躁鬱病で精神科にかかっているとおしゃっていました。

昨日3回目の電話をいただいて、大きな問題を抱えておられることを知り、心を痛めながら聞いていました。自殺願望があったけれど、この詩で救われたと言われるのを聞いて、神さまに深く感謝しました。わたしはこのような方のために書くという使命を与えられているのですね。

わたしのHPにも載せていますが、よろこびの泉に掲載された詩、「死なないで下さい」を紹介します。K子さん、死なないで下さい。あなたは、愛されていますよ。

 死なないでください

 
死なないで下さい
あなたが生まれた時
小さくてたよりない
その体を 
そっと包むように
抱いてくれた人がいるから

死なないで下さい
あなたがお母さんの
おなかにいる時から
あなたを知り
かたち造ってくれた
お方がいるから

死なないで下さい
すべての道が閉ざされて
何の希望も持てなくても
じっと見ている
お方がいるから

死なないで下さい
心の傷をすべて 
涙の数をすべて
知っていて下さる
お方がいるから

死なないで下さい 
いとしいひとり子の命を 
あなたのために
ささげてくれた
お方がいるから

夏期学校から帰ってきました

2007-08-19 17:05:51 | 日記
 
1泊2日の夏期学校が終わり、昨日元気で帰ってきました。たいへん疲れましたが、今日は礼拝に出席することができ、CS奉仕もできました。お祈りして下さった方、有り難うございました。

写真は宿泊した大洗子どもの城の部屋から撮りました。林の中にアスレチックがあり、林の向こうは海岸です。

一昨日から暑さが和らぎ、夜には雨が降りました。昨日は大洗では昼まで雨で、最高気温26度。16日までは35度を超す猛暑が続いていたのです。今日はまた暑さがぶり返していますが、まるで夏期学校の間を守るかのように涼しさが与えられました。もし、35度くらいの暑さが続いていたら、具合悪くする人が続出したでしょう。

今回、カウンセリングを行うということで、ひとりひとりの子供たちと一対一で話しをする時間が与えられました。わたしは2年生の女子を担当しました。夏期学校でこのようなカウンセリングをするのは初めてだったので緊張しましたが、素晴らしい時となりました。子供たちはたくさん話しをしてくれました。

「つらいことがあるとイエスさまに祈るの。そうするとイエスさまは慰めて下さるよ」
「イエスさまはわたしの罪のために十字架にかかって死んでくださったの」
「イエスさまを知らない人がたくさんいるから、イエスさまのことを伝えたい」

子供たちの信仰に頭が下がる思いです。

メッセージを聞いての感想を聞くと、まっすぐに受け止めていることを知り、感動して涙が出そうでした。
 
わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。(ヨハネ14:6)
という聖書の言葉を聞いた子供が、「イエスさまが道だってことを初めて知ってすごいと思った」と目をキラキラさせて話しました。

キャンプファイヤーもせず、アスレチックも天候不良でできませんでしたが、神さまの祝福に満ちあふれた2日間でした。


行ってきます

2007-08-16 13:33:46 | 日記
 
明日から教会学校小学科の夏期学校が始まります。1泊2日で大洗へ行くのです。今年は1-4年までと5.6年に分かれて行われます。去年までは1-6年まで一諸に行っていましたが、だんだん参加人数が増えてきて(去年は子供62名、奉仕者26名参加)、一度に連れていくのが大変になってきたのです。

わたしは、CS教師になってから毎年参加していたのですが、乳癌の手術後は体力が落ちて行けませんでした。
今年は一大決心して4年ぶりに参加することにしました。毎年夏期学校の奉仕をしている娘と一緒に参加します。

服用している薬も1種類になって、体力がほぼ術前にもどったように思われること、今回は「信仰の決心」がテーマで、子供たちひとりひとりにカウンセリングを行うということなので、参加しなければ……という気持ちになり、祈って決めたのです。

この3年間、夏期学校に行けないことで子供たちや父兄に対して申し訳ない気持ちを抱いていました。夏期学校はいちばん体力のいる奉仕です。もう一生行けないと思っていました。
今回また行けるようになってとても嬉しいのですが……同時に不安もあります。

体力がほぼ術前にもどったように思われると書きましたが、果たしてもどっているのでしょうか? 薬の副作用も多少あり、加齢により体力が落ちています。

以前夏期学校に参加したときでさえ体力の限界を感じ、帰ってから2.3日寝込んでいました。
夏期学校の曜日が火、水または水、木が多かったので、寝込んでも日曜日には元気回復していました。でも、今回は金、土曜日です。帰った日と翌日には主人がいるので、寝込んでもいられないのです。夕飯の支度はできるのだろうか? 翌日の日曜は教会にいけるのだろうか? いや、それよりこの猛暑の中での夏期学校の最中に倒れたりしないだろうか……と次々不安になります。

でも、決心したとき充分祈ったことを思い出しました。迷いはありましたが、祈っていたら参加したいという思いが与えられたのです。だから、神さまは、きっとわたしに必要な体力を与えて下さるでしょう。そのことを信じて行ってきます。

これを読んで下さっている方、どうかお祈り下さいね。

投資

2007-08-14 15:50:35 | 教会

明日のことを心配せず、先のことを思い悩まず、人の顔色を見ず、嘘をつかず、空腹の時と気持ちが悪いとき、眠いときは全身で泣き、快、不快をつつみ隠さず表情で表し……。生後4か月の赤ん坊のことを言っています。何をしてもしかられず、ひとつひとつの仕草が可愛いと言われ、愛されている赤ん坊。人生でいちばん幸せな時期なのかもしれません。
ヒックンが昨日から泊まりがけでやってきました。今日はパパとママが朝から出かけたので、おじいちゃんとユコちゃん(わたしのこと。おばあちゃんではありません)はベビーシッターです。
ごきげんな午前中が過ぎ、ただ今お昼寝中。冷房の効いた部屋で気持ちよさそうに眠っています。さて、夕方もきげん良くお願いしますよ。


12日の礼拝は、アメリカの宣教師のポール・ブライアン・キム先生からのメッセージを聞きました。先生は宇宙工学者として飛行機を作る仕事をされていたそうです。
あるとき教会で「あなたの人生の目的は何ですか? なぜ生きているのですか? なぜ息をしているのですか? なぜ地球上で生活しているのですか?」と問われたとき、答えられなかったそうです。
永遠に残るものは3つだけで、そのほかのものはすべて消えてしまう。消え失せるものに投資していていいのだろうか? と思われたそうです。
永遠に残るものとは何でしょう? 

1神  2神の言葉  3人々
 の3つです。
人々というのは人々の魂のことです。肉体が死んでも人の魂は天国と地獄で永遠に存在します。イエス・キリストを信じている者は天国で主と共に永遠に生きられます。
永遠に残るものがこの3つだと知って、仕事を辞めて献身されたそうです。

わたしたちはいつかこの世から去らなければなりません。地球上で生かされている時間は限られています。主は、自分の時間を神さまのために使うことを投資と言われました。世から去るとき、神さまは「あなたはどの教会へ通っていたか? どんな仕事をしたか?」とは問われません「あなたはわたしと共にいるか?」「私との関係で得られた実は何か」と問われます。あなたは消え失せるものに投資しますか? それとも永遠に残るものに投資しますか?

聖書の言葉

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ4か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて刈り入れるばかりになっています。
すでに刈る者は報酬を受け、永遠の命に入れられる実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。(ヨハネ4:35・36)



このメッセージはわたしに強く迫ってきました。乳癌になってから、地上で生かされている時間は限られていることを実感しています。わたしにとって投資とは、なんでしょう? 伝道師や宣教師になって働くことは不可能です。いまのわたしにできる投資は、あかし文章を書くことです。書く時が神さまに捧げる時間になりますように。


わたしは山羊?それとも羊?

2007-08-11 17:10:53 | 聖書から
   
今日から主人はお盆休みです。娘と主人の運転する車で買い物に行き、夢庵でランチを食べてきました。今日は誕生日だったので、そのお祝いということでご馳走になりました。51歳です。主にある喜びを文章によってたくさんの人に伝えていける1年になればいいなあと願っています。

  
この間の祈祷会で、マタイの福音書25章を読んで黙想をしました。少し長いのですが書き写します。この聖書箇所の意味するところの解釈はされませんでした。いろいろな解釈があるようなので、わたしもコメントは控えます。ただ、感じたことを書きます。

  
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位につきます。そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。  そうして、王は、その右にいる者たちに言います。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

するとその正しい人たちは、答えて言います。『主よ、いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。いつあなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。また、いつ、私たちはあなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
(マタイ25:31-40)


祈祷会では、新共同訳聖書からこの箇所が印刷されているプリントが配られました。(上記は新改訳)そして40分間、繰り返し読んで黙想する時が与えられました。
この聖書箇所を読んだとき、その続きを思い出していました。

王が左にいる人たちに向かって、「わたしが空腹であったときは食べる物をくれず……」と言い、言われた人が「いつあなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見てお世話しなかったのでしょうか」と尋ねます。すると王様は 『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
と前に言ったことと反対のことを言われます。

  
いつもこの箇所を読むと、後半の方が印象強く、自分は左にいる者(山羊)ではないかと不安になってしまうのです。
人に不親切だったこと、愛に欠けた行為をしたこと、人の心を傷つけたことなど……が思い出され心が痛んでいました。
でも今、なぜあえて後半部分は読まず、前半部分だけを何度も繰り返し読む機会が与えられたのでしょうか?
わたしは山羊?それとも羊?

そのとき 山羊-山=羊という式が思い浮かびました。

わたしは山羊だったけど、羊に変えられたのではないでしょうか? 王様、つまりイエスさまが、わたしの山(罪)を取り除いて下さった。わたしの背負っていた大きくて重い山をイエスさまが背負って下さったので、わたしは羊になれ、右に分けられる者になったのではないでしょうか。

そう思うと、感謝と喜びが沸き上がってきました。そして分けている王様は、心痛めておられる。みなが羊になってほしかったと思い、泣きながら分けておられる。そんな気がしました。
   
明日午後から三鷹の実家にいきます。といっても明後日の夕方には息子一家が来るので1泊だけして大急ぎで帰ってきます。息子たちが来たら賑やかになりそうです。   

ホームページ更新

2007-08-10 14:10:12 | 日記

今日は日本クリスチャン・ペンクラブ(JCP)のHPの更新をしました。更新は月1度、毎月10日前後にしています。1週間以上前から少しずつ作って準備します。
いまはJCPで出版されたあかし新書の中からあかし文章を順番にアップしています。文章のファイルがあるので楽ですが、ファイルは校正前のものなので、本とつきあわせて何度も読み返さなければなりません。

いちばん時間がかかるのは背景画像選び。こだわらなければいいのですが、文章の内容のイメージににあったものをと考えるとなかなかぴったりの画像をみつけることができません。
今までは背景を固定させる方法がわからず、風景や写真画像を背景に使うと分割されてしまってうまくいきませんでした。

娘がこちらにいる間がチャンスだと思い、昨夜教えてもらいました。スタイルシートを使って背景画を固定させる方法がようやくわかって大喜び。
JCPのHPを開いてエッセイ「遠くを見るまなざし」をご覧下さい。背景を固定させています。

最初はHTMLがよくわらなくて、コピーミスで記号の一つが消えて画面がバラバラになると、どこを直したらいいのかわからず、大変な思いをしていました。最近は大部わかってきたつもりでいたのですが、基礎的なことがわかってなくて、娘にしかられてばかり……。しかも、せっかく教えてもらってもすぐ忘れる。応用もできないのです。

マッキントッシュだと見え方が違うので、ウインドウズでちゃんと見えているからといって安心できないそうです。

今回は本の紹介も書きましたが、本の写真画像が画面に出てくれません。外出している娘が帰ってきたらきっと直してくれるでしょう。(「いつまで頼ってるの!」と、またしかられそうですが……)

いろいろ苦労はありますが、楽しんでさせてもらっています。ほかの人の書かれた文章を何度も読むことによって、すごく恵まれてきます。文章の勉強になるだけでなく、神さまの働きを間近に見る思いだからです。

神さまからのプレゼント(その2)

2007-08-08 16:59:49 | 教会

昨日の続きです。

神さまは、私たちに「平安」と「祈り」というプレゼントを与えて下さっている
とメッセージで語られましたが、わたしは今まで「祈り」がプレゼントであるという感覚はありませんでした。

聖書にはペテロが牢獄に入れられたとき、教会は彼のために、
神に熱心に祈り続けていた。(使徒12:5)
と書かれています。

教会の人たちは何の力もなく、ペテロを助けることができませんでした。でも、彼らは祈ることができました。祈っていたから奇跡が起きたのです。ペテロの鎖ははずれ、牢獄の扉は開かれました。

祈りによって奇跡が起きるのは聖書の世界だけではありません。神さまは今も生きておられ、わたしたちの祈りを聞き、奇跡を見せて下さいます。

確かにわたしの人生の中でも奇跡が起きています。去年は、父の魂の救いを祈った結果、父はイエス・キリストを信じて召されました。今年は、わたしの書くあかし文章が用いられるようにと祈った結果、テレビ出演、よろこびの泉執筆、そしてペンライト賞の入選……。これらは神さまの奇跡です。

祈りは神の子だけに与えられている特権です。わたしたちが霊的跳躍するため、神さまは祈りというプレゼントを下さったのです
と聞いて、祈ることができる喜びを感じました。


祈らずに、自分の力で何とかしようともがいてもどうにもならないときがあります。
人間は自分の力で生きられない弱い者です。祈るとき神の霊が働き、助けが与えられます。祈る人生は神の力によって生きる人生です。

リンカーンは祈りの部屋を発電所と言ったそうです。祈りにより奴隷解放の力が与えられ、大統領としての使命を全うしたのです。

祈りは霊的発電所です。祈りには力があります。なぜ力があるかというと、イエスのみ名によって祈るからです。イエスさまはすべてのものを造られた神さまです。イエスさまは死んだ者を生き返らせる力を持っておられるお方です。

だから力があり、奇跡が起きるのですね。


祈ることによって祝福された人生を送ることができます。祈りは凧の糸のようです。祈りを離れると、糸の切れた凧のようになります。糸が切れると、一瞬高く上がりますが、すぐ墜落してしまいます。凧は糸につながっているゆえに高く上がるのです。
どんな小さなことでも祈って下さい。祈りの特権を用いて祈って下さい。皆さんがこのプレゼントを享受できますように。
と最後に薦めがありました。

祈りというプレゼントが与えられていることを深く感謝しました。これからもっと熱心に祈り、どんな小さなことでも祈っていきたいです。

神さまからのプレゼント(その1)

2007-08-07 12:55:21 | 教会

5日の礼拝では、新約聖書の使徒の働き12:1-12から「プレゼント」と題して大方(デバン)教会の先生がお話しして下さいました。メッセージは韓国語で(もちろん通訳つきです)ものすごい勢いで話されたので、すべてを書き留めることができませんでした。


神さまは、私たちに「平安」「祈り」というプレゼントを与えて下さっていると言われました。

平安とは、自分の機能を発揮することだそうです。飛行機が無事空港に着くということは、飛行機の部品ひとつひとつが機能を全うしているからです。体が平安なときはひとつひとつの器官、細胞がその働きを全うしているときです。



「使徒の働き」は、イエスさまの十字架の死と復活の後の弟子たちの働き、初代教会のようすを記した書です。
初代教会はひどい迫害を受けました。12章にはヘロデ王によってイエスさまの弟子ヤコブが殺され、ペテロが捕らえられて牢獄に入れられたことが書かれています。

ペテロが捕らえられたとき、教会では熱心な祈りが捧げられていました。ペテロは2本の鎖に繋がれてふたりの兵士の間で寝ていました。そのとき、み使いがペテロのわき腹をたたいて起こし、牢から助け出しました。


ペテロは牢獄で鎖に繋がれ、明日は殺されるかもしれないという危機的状況にあったのにもかかわらず、み使いがわき腹をたたいて起こさなければならないほどぐっすり寝入っていました。

なぜこんなときぐっすり眠れたのでしょう? ペテロは自分の人生すべてが神のみ手にあると信じて、どこに行っても、どんな状況にあっても神さまが共におられ、助け、守って下さると信じていたからです。この信仰がペテロに眠りを与えてくれたのです。この平安は神の民が享受する平安ですと語られました。


わたしは、どうなのだろう?と自分に問いかけてみました。 いまは平安です。いつも平安でしょうか? そうとはかぎりません。
心配事があると、夜眠れなくなってしまいます。想像力豊かなのは創作にはプラスに働きますが、こういうときはマイナスに働き、誇大妄想にとりつかれてしまいます。そうすると全く眠れません。あせるとますます眠れなくなります。そして、たちまち体調がくずれてしまいます。
そんなときは祈るしかありません。


神さま助けて下さい。不信仰なわたしを赦して下さい。心配でたまらないのです。でも、いっさいのことがあなたのみ手の中にあるのですね。いつもあなたが共にいて守って下さるのですね。あのことも、このこともあなたにお任せします。

このように祈るとほっと安らいだ気持ちになります。これが、神さまの下さるプレゼント、平安なのですね。


平安のうちに私は身を横たえ、
すぐ眠りにつきます。
主よ。あなただけが、
私を安らかに住まわせてくださいます。
(詩編4:8)

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