生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

もっと近づいて

2014-11-26 18:03:23 | 聖書から
またまたご無沙汰してしまいました。まとまった時間が持てなくてなかなか書けません。

母はだいぶ元気になりました。食欲も出てきて色々なものが食べたいと言うようになりました。この間は、餃子が食べたいと言ったので、一緒に作って食べました。母が油で焼いたものを食べたのは3か月ぶりぐらいです。

歩く足どりも軽く、手術前の元気な時のようにスタスタ歩けるようになりました。
お祈りしてくださったみなさま、ありがとうございます。

まだ飲み薬による抗がん剤治療が続いています。抗がん剤治療をしているときは、免疫力が低下します。ウイルスに感染しやすくなるので、気をつけなくてはなりません。毎週訪れているわたしは絶対風邪をひけません。

わたしは抗がん剤治療を受けているとき、白血球の値が下がって肺炎になってしまいました。
母はだいじょうぶだろうか……喉が弱いわたしは風邪をひかずに乗り切れるのだろうか。……(例年だと、この季節、月に2回ぐらい風邪をひいているのです。)と、考え始めると不安になり、恐れに取り囲まれてしまいます。


そんなとき、礼拝メッセージで「恐れないで、ただ信じていなさい」という聖書の言葉が語られました。
先月24日のブログにこの聖書の言葉を書いたばかりだったので、はっとしました。
今のわたしに最も必要な言葉なのだと思います。

「わたしたちは、恐れと信仰のはざまを行ったり来たりしている。」
と聞いて、本当にそうだなあと思いました。『母のことも妹やわたしのこともすべて神様におまかせします』と祈って平安を与えられていたのに、また恐れが出てくるのです。

「イエス様は信仰のはざまに立っていてくださる。」と、K先生が言われました。

会堂管理者のヤイロは、娘が死にかけていたのでイエス様のところへ必死の思いで行き、癒しを願いました。
イエス様がヤイロのところへ行く途中で長血を患った女性が、病を癒してもらいたくてイエスの衣にそっとさわりました。
彼女は身体的痛みと、精神的苦しさ、社会的に阻害されていたこと、汚れた者とされていたことで神の前に出られないという4重の苦しみを負っていました。
女性はイエス様の衣にひそかにさわって、癒され、ひそかに帰りたいと思っていました。
イエス様は女性の苦しみを知っておられました。
あえて彼女が癒されたことを多くの人の前で証言させました。そして、「あなたの信仰があなたを治した」と声をかけました。
声をかけることによって、彼女のこれからの生活が変えられるためです。
救いとは、関係の破綻からの回復なのだそうです。

女性のことを癒しているうちにヤイロの家から人が来て、「あなたのお嬢さんはなくなりました」と言いました。
ヤイロは絶望しました。死んでしまえばいくらイエス様でもどうすることもできないと思ったからです。ヤイロの信仰はその程度でした。
しかし、イエス様は言われました。「恐れないで、ただ信じていなさい」
イエス様はヤイロの娘の手を取って起き上がらせてくださいました。

ヤイロの信仰は、いのちそのものの主、イエスの信仰へと変わっていきます。
イエス様は、会堂管理者という身分の高いヤイロにも、長血を患った名もなき女性にも同じようにかかわってくださいました。絶望的なふたりの間に身を置いてくださいました。

ふたりともイエス様を求め、イエス様に近づいて行ったからです。

恐れがあってもいいのですね。
恐れと信仰のはざまに立たれ、励ましてくださるイエス様にもっと近づいていきたいです。



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グンカンドリのお話し

2014-11-18 11:57:13 | CS(子供伝道)
先週の土曜日にOさん宅で子ども家庭集会がありました。今日はそのときにわたしがしたお話を紹介させていただきます。



(写真を見せて)この鳥を知っていますか? グンカンドリです。オスには赤い喉袋があります。
グンカンドリは、ハヤブサ、アマツバメと並んで世界最速の鳥です。水平に飛ぶときの早さは、およそ時速150キロメートルですが、急降下するときは420キロメートルにもなります。

グンカンドリは水鳥が捕まえた魚を横取りするので、ほかの鳥たちに恐れられています。鳥を殺したりはしませんが、呑み込んだ魚をむりやり吐き出させて取り上げることがあります。狙った鳥は必ずつかまえるそうです。どの鳥より早く飛べるからできるのですね。

どうしてそのようなことをするのでしょう。意地悪な性格だからでしょうか? そうではありません。それには、理由がありました。
水鳥の羽は水をはじくようにできています。だから水の上に浮かんでいても沈んでしまうことはありません。ところがグンカンドリは羽がぬれると重くなり、水の上にいると、沈んで溺れてしまうのです。

だから魚をとりたくても、水の上にとまれません。トビウオなど、水面に顔を出す魚はとれますが、それだけでは餌が足りません。
それで、魚を捕まえた鳥を襲って横取りするのです。生きるためには仕方のないことだったのです。
また、グンカンドリの足の水かきは細い枝をやっとつかむぐらいしかできません。地上を歩くのは苦手です。
グンカンドリは飛ぶのに適した体をしているので長い時間とんでいます。飛びながら寝ることもあるそうです。

グンカンドリのオスとメスの違いは一目でわかります。



この写真はグンカンドリのメスです。
オスの胸に赤い袋がありますが、メスにはありません。オスは、気に入ったメスと出会うと、赤い袋を膨らませて、キョホホホホ……と鳴きます。メスはそれをみて、結婚相手を決めるのです。


グンカンドリのひなは真っ白ですね。

地球上には数えきれないほどたくさんの種類の鳥がいます。鳥は神様によって造られました。グンカンドリは早く飛べるけれど、水の上や地上は苦手という特徴があります。
鳥には種類ごとにそれぞれ特徴があり、一羽一羽みんな違っています。神様がそのように造ってくださったのです。
わたしたち人間もひとりひとり違っています。得意なこと、苦手なことが違っています。お友達には理解できないような性格や能力を持った子どもがいます。

病気でじっとしていることができない人、人前でしゃべれない人、静かにしていなければならないときに大声を上げてしまう人、一日に何時間もとび跳ねてしまう人。色々な人がいます。神様がその人にしかできないことをさせるため目的を持って造ってくださったからです。
人と違うからといって、悲しんだり悩んだりする必要はありません。また、自分と違う人を嫌ってはいけません。
「あなたがたは互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)」と聖書に書かれています。聖書は神様の言葉です。違いを受け入れてお互いに愛しあうことを神様は望んでおられます。

(お話はここまで)


世界最速の鳥を調べていて、グンカンドリのことを知りました。最初、ほかの鳥がつかまえた魚を横取りする鳥を好きになれそうにありませんでした。でもグンカンドリの特徴を調べていくうちに、神様にそのように造られた鳥だったのだと、納得しました。
赤い喉袋をふくらませてキョホホホホ……と鳴く姿がいとおしく思えてきました。
 
違いを受け入れることはたやすいことではありません。自分の目から見、自分の経験したことから考え、自分の感性に頼っていると、自分とかけ離れた人を見たとき、嫌悪感を抱いたり、裁いたりしてしまいがちです。
残念なことに、障がいのある人のことを「理解できないから受け入られない」と言う人がいます。

でも、どんな人でも神様によって造られたと思えば、愛することができます。
神様がひとり子のいのちを与えてまで愛してくださった人を愛していきたいです。


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最高の作品

2014-11-11 19:52:20 | 教会
お久しぶりです。実家に妹がルーターを持ってきてくれたので、一時的にネットがつながるようになりました。

母は小康状態を保っています。
少しずつしか食べられないので、すぐ疲れたと言いますが、寝込んでいるわけではなく、家事も少しできるようになり、買い物がてら散歩にも出かけています。

点滴の抗がん剤治療は、そのたびに5日間入院しないといけないと言われました。高齢だからでしょう。母はそれを聞いてはっきり断りました。飲み薬の抗がん剤治療を受けています。副作用で額と頬がかぶれ、かゆみが出ていますが、それくらいですんでいます。

一昨日は、教会で幼児祝福式が行われました。礼拝では、現代の子供たちに起きている問題について語られました。

学校でいじめを受けていた中学生の少年は、自分に悪いところがあるのでいじめられるのだと自分を責めていました。
「ほんとうは、君が悪いんじゃないよ」と言ってもらいたかったのですが、誰も言ってくれなかったそうです。
そのうち不登校になりました。親には学校であったことを言えません。
親はあと3か月で卒業だから、がんばって学校に行くようにと叱咤激励しました。
少年は絶望して自殺未遂をしてしまいました。親は、学校で行われていたいじめの実態を知って、学校へ行かなくていいと言ってあげればよかったと後悔しました。


親の一言は子どもに大きな影響を与えますね。辛い思いをしているときに「頑張れ」と言われると、傷口に塩を塗られたようになります。
小さいころから人と比較され、常に評価されているので、いじめをうけると、自分を責めてしまうのでしょう。
親が「そのままでいいんだよ」「愛している」と言って、愛情表現をすることが大切だと聞いて、わたしは親としてそのような言葉がけをしてきたのだろうか……ほかの子どもと比較したこともあり、子どもの心を傷つけていたのではないかと胸が痛みました。


でも、「パーフェクトな親は一人もいないのです」と聞いてほっとしました。
親も悩み、まどっています。子どもの最善のために何ができるか試行錯誤しているのです。

何より大切なことは、「主を恐れることは知識の初めである。(箴言1:7)」と聖書にあるように、親が主をおそれて生きること
だと教えていただきました。

エペソ2:10には「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」と書かれています。


救世軍の創立者ウイリアム・ブースの母キャサリンは「神さまがあなたの成長を待っている」と語りながらおっぱいを飲ませたそうです。

どのような人でも、神様に期待されているのです。子どものダメなところ、欠点を指摘するよりも、いいところを褒め、期待されている人間だと伝え続けることによって、素晴らしい働きをする大人になっていくのではないかなと思いました。



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本の出版

2014-11-01 16:06:57 | 日本クリスチャン・ペンクラブ
早11月になりました。9月から、今日が何日で、何をしなければならないのかを毎朝確認しないとわからなくなるほどの忙しい日々を過ごしています。トンネルの出口は見えてきましたが、まだまだ遠く、ひと山もふた山も越えなければなりません。


クリスチャン・ペンクラブからあかし新書「春夏秋冬」が出版されました。
ペンクラブ会員が、春夏秋冬のテーマで400字エッセイを書き、1200字で「私と食べ物」「私とクリスマス」「私とふるさと」のエッセイが掲載されています。エッセイといっても、それはあかし文章です。あかし文章とは、神様がしてくださったことを証しするという意味で、自分が努力して勝ち得たことを書いているわけではありません。

今まで書いたことがある喘息のこと、中学2年のつらかったときのこと、友人を言葉で傷つけてしまったときのことをまた書いていました。でも、同じことを書いているようでも、書いた時の心情によって違い、また焦点の当て方によっても違った文章になります。

今回、友人を言葉で傷つけた時のこと(私とクリスマス『神の作品』)は、反省というより、自分のアイデンティティーが確立されていなかったために人から言われた言葉に異常な反応をしてしまったことを書いています。

今までほとんど書いたことのなかった主人のことを書いたのは、「私と食べ物」の『世界で一番おいしい味噌汁』で、自分ではこの作品がいちばん気に入っています。
私とふるさとは、第二の故郷、神戸のことを書きました。

編集後記にも書きましたが、テーマが与えられると、まず何を書こうかと思います。いくら考えても思いつかないときは、焦ります。締切日がだんだん迫ってきます。

『何を書くか思いつかないときは、記憶の引き出しを開けて思い出すこと』と教えられて一生懸命思い出さそうとします。でも、みじめな思いや、つらかったことだけが頭に浮かんでくるといけません。落ち込んだり、心の傷が痛んだりするだけです。

「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩編103:2)」というみ言葉を思い出すと、次々と恵みの引き出しが開き始めます。

さあ、今年は(いえ、来年は)どんなあかし文が書けるのでしょう。今現在のような試練の真っ最中の時は書けませんが、きっと過ぎ去ったとき、主のよくしてくださったことをたくさん書けることでしょう。

あかし新書「春夏秋冬」については、日本クリスチャン・ペンクラブのHPに紹介文を載せています。よかったらお買い求めください。



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