旧約聖書士師記にギデオンという人物が出てきます。気が弱くて心配性のところは、自分とそっくりなので親しみを感じます。
水曜礼拝で士師記を学んでいるので、教えられたことと感想を書かせていただきます。
イスラエルの人たちは7年の間、ミデアン人に苦しめられていました。収穫の時期が近づくと、畑の作物を根こそぎ取られてしまいます。それでも立ち向かってくことができず、洞窟で隠れるようにして暮らしていました。
イスラエルの人たちは、神様に助けを求めました。
神さまは、みつかいを送って、酒ぶねの中で小麦を打っている青年に話しかけられました。
その青年こそ、ギデオンです。酒ぶねの中で小麦を打っていた訳は、ミデアン人にみつかったら恐ろしいので、酒ぶねに隠れていたのです。
みつかいがギデオンに言った言葉がすごいです。
「勇士よ、主があなたといっしょにおられる」
酒ぶねに隠れているような者に『勇士よ』と呼びかけてくださったのです。
みつかいはさらに言われました。
「あなたはイスラエルを、ミデアン人の手から救い出すことができる。わたし があなたを遣わすのではないか」
ギデオンはさぞかし驚いたことでしょう。
ギデオンは「どうすればイスラエルを救えるでしょうか」と尋ねます。
みつかいは「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミデアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」と言いました。
こわがり屋のギデオンは、そのあと何度も神さまに確かめながら、それでもミデアン人に勇敢に立ち向かっていきます。
ギデオンは①恐怖②心配③神に対する畏れという3つのおそれを抱いていました。
①や②は誰でも持っている恐れですね。③は恐れではなくて畏れです。
畏れとは、『神に対するつつしみ深さを伴った敬い』だと教えていただきました。これが大切なのだと聞きました。
神様に対して恐ろしいと感じるのは、たたりがあるかもしれない、ばちが当たるかもしれないと思うからでしょう。でも、天地万物を作られた神様は、たたりを起こしたり、ばちを当てたりしません。だから恐れるのではなく、畏敬の念を持つ意味で畏れるのです。
写真は知人からいただいたフランスのノートルダム寺院。
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イスラエルの人たちは7年の間、ミデアン人に苦しめられていました。収穫の時期が近づくと、畑の作物を根こそぎ取られてしまいます。それでも立ち向かってくことができず、洞窟で隠れるようにして暮らしていました。
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「勇士よ、主があなたといっしょにおられる」
酒ぶねに隠れているような者に『勇士よ』と呼びかけてくださったのです。
みつかいはさらに言われました。
「あなたはイスラエルを、ミデアン人の手から救い出すことができる。わたし があなたを遣わすのではないか」
ギデオンはさぞかし驚いたことでしょう。
ギデオンは「どうすればイスラエルを救えるでしょうか」と尋ねます。
みつかいは「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミデアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」と言いました。
こわがり屋のギデオンは、そのあと何度も神さまに確かめながら、それでもミデアン人に勇敢に立ち向かっていきます。
ギデオンは①恐怖②心配③神に対する畏れという3つのおそれを抱いていました。
①や②は誰でも持っている恐れですね。③は恐れではなくて畏れです。
畏れとは、『神に対するつつしみ深さを伴った敬い』だと教えていただきました。これが大切なのだと聞きました。
神様に対して恐ろしいと感じるのは、たたりがあるかもしれない、ばちが当たるかもしれないと思うからでしょう。でも、天地万物を作られた神様は、たたりを起こしたり、ばちを当てたりしません。だから恐れるのではなく、畏敬の念を持つ意味で畏れるのです。
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