名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

お知らせ。

2020-07-27 | 自己紹介

数か月前

読者の方から京都の◎◎光〇◎◎院様に
関する質問を頂きました。

積み重なった事情がありますが、
余計な事を言うと自分の品性が落ちるだけです。
この件に関しては沈黙あるのみと思っております。

経緯や私情などは一切申し上げず、
結論のみを回答いたしました。

誤解があるといけないので、
このブログでもお知らせ致します。



わたくし、名古屋のウサギは、
京都の地蔵を祀る非公認・新興宗教施設。
◎◎光〇地蔵院様とは
一切無関係です。
将来的にも一切関わらない方針です。

◎◎光〇地蔵院様の関連団体、
非営利団体〇〇の会(実態は某氏の後援会)にも、
現在は一切関与しておりません。
〇〇の会に於いても〇地蔵院様と同様、
今後一切関わらない方針です。




コメント (3)
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主義、思想と人格は無関係

2020-07-26 | 思う事


あるお方が私に質問した・・

「ウサギ様が私に伝えたい一番肝心なこと・・・何ですか??」

私は即答した・・・


主義、思想と人格は無関係・・・
正しい立派な思想の持ち主だからと言って
頭から信用してはいけない。

立派な思想の持主であるが、
独りよがりで誠意のない人間も存在する。
これを理解しないと失敗する。



ウサギ仙人思うに・・・
立派な思想、立派な能書・・・
それ以前に大切なことは・・

   誠実   

   誠意   

    謙虚    

  信用  



立派な能書き垂れるが、基本的な部分で判断能力に欠け、
発想が幼稚で、
潜在的にモラルに欠けるひとも存在する。



誠意のない立派な人の特徴・・


人の話を聴かない・・
自分に対して絶対的な自信を持っていて、
聞いているフリはするが、聴いていない。



常に自画自賛していて、
自分の考え、判断は絶対に正しいと信じている。
失敗しても反省しない。
(これをプラス思考と思っている。)



「自分は、選ばれたる徳の高い特殊なひとである」
と信じている。
(全ての人間が「選ばれたる人」ではなかろうか???)



逆に言えば・・
カルト宗教の教義を信じている人でも、
誠実なひとは多く存在する。

共産主義とは人を不幸にする宗教である。
しかしながら・・共産主義者であっても
誠実なひとは存在する。

無神論者、唯物論者・・・
誠実な立派な人は多くいる。

●本●郎とかいうタレント崩れの議員がいる。
天皇陛下に手紙を手渡そうした身の程知らずの
馬鹿者である。

彼の単純な思想や、言動は愚かであると思うが、
彼自身の性格は、
真面目で誠実な人間であるような気がする。

悪意のある黒幕に踊らされている気の毒な青年と思えます。

私が感じるに●本●郎の性格は・・

真面目・・几帳面・・義理堅い性格。
これを「 誠実 」と呼ぶのかもしれない。
思想は愚かでも・・憎めない男である。

「思想は立派でも不誠実な人間」より
●本●郎のほうが「人として」・・好感が持てる。

言葉は人格を表す???
いえ、無関係です・・・

言葉・思想だけでは人格を見極める事は不可能。
参考程度にはなりますが・・

 立派な思想を持つ不誠実なひと・・
実に厄介な存在である。

こういう人は、
悪意を持っていないが故に更に厄介だ。

私は経験を通してこれを実感した・・

思想と人格は無関係・・
それは当然と言えば当然なことである。

分っている積りで分かっていなかた・・
私も50歳過ぎて・・・
人を見る目があると自惚れていた・・

立派な思想の持ち主だから、
最低限の常識は分かっているはずだ・・
と勝手に思い込んでいた。

痛い思いをした・・・

自分のバカさ加減を実感した。

調子よい立派な言葉に惑わされて、
深く関わると、酷い目に遭う・・

思想以前に大切なことは

・・誠意・・

誠意とは???

・・自分を疑う賢さ・・

・・変えることの出来る事と、変える事のできな事を
見極める勇気と知恵・・・・

・・謙虚・・

・・自分のバカさ加減を認める素直さ・・

言葉より大切なものは

   誠意 

  信用    
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明るい心で危機管理

2020-07-24 | 思う事


 大陸ではバッタが異常発生

 大陸では大水害

 米国、某国に強硬姿勢・・事変の兆候

 米国、日本軍に真珠湾攻撃させたの時のような雰囲気???

  武漢の疫病による不安要素



 極めて不穏な雰囲気 

内容に関わらず、非常事態のとき
必ずトイレットペーパーが品薄となる。

トイレットペーパーとティッシュは1年分の在庫を常に確保している。

トイレットペーパー1年分買い込んだ。

豊富な時に買い込んでおくのが
無駄にならない「保険」。


これからの時代のキーワードは
「明るい心で危機管理」
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私の目標は・「 イヤな奴 」になること

2020-07-20 | 思う事

 優しさしい人は強い人??? 

いえ、
そんな単純な考え方は拝み屋さんの発想。

優しい人間ほど、
優柔不断、意志薄弱、自虐意識、という
マイナス要因を内在し、
それによる弊害を撒き散らすこともある。

強い人間は横暴になりやすい。

懸命に努力してきた人間、
負けてはならぬと闘争心を持った人間、
強い責任感と、危機感を持った人間。

そういう人ほど、思いやりや
優しさに欠ける事が多い。



「 優しさ 」 には裏側があるし、

「 強さ 」 にも裏側がある。



「 イヤな奴 」が悪い奴とは限らない。。

「 イイ人 」が、
結果的に多くの害悪を垂れ流す事も良くある。

どちらが良い悪いではない。

社会経験がある人間なら、そんなこと誰でも分かっている。

宗教屋さんは、「良い人」を一束ねにして、



徳を積みなさい・・・  親切を施しなさい・・・

善行をしなさい・・・  優しくしなさい・・・

などと宣う・・・・・・・

謹んで申し上げたい・・・・

 行為に意味などない!!!!  

 行為の前提に意味がある 



「 動機など問題ではない・・・善行をせよ、徳を積め 」

こう云う単純な言葉を真に受けて、
不幸になった人を多く見て来た・・・・



生半可な信仰者、

独りよがりな宗教家・・

無意識のうちに 
 自分こそ神から特別に、選ばれたる人間だ 
と思い込んでしまう。

こういう思いあがった状態が一番危険な状態だと思う。

 弱い  ・  強い 

 イイ人 ・  悪い人 

あの人は徳を積んでいる ・・・ この人は積んでいない

そんな二元的な見方でしか、
人を見ることが出来なくなってしまう。 



キリストさんは言ったらしい・・・

 弱い時ほど強いのだ 

表面をだけみて一喜一憂しては、
それだけで今生が終わってしまう。

 私の目標は・・

「 イヤな奴 」 になること 
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食い殺された私

2020-07-13 | その他
「キャラに食い殺された私」 西川 史子 Ayako Nishikawa at KUDEN


西川史子さん・・・以前はテレビなどで見ると、
嫌悪感を持っていた。

この動画をみて、見方が変わりました。

責任感が強く、真面目で頭の良い人間であると思う。

頑張ってほしい・・・
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神仏は目に見えない。もし見えたら幻覚。

2020-07-07 | 宗教

美貌・・容姿・・財産・・
現金・・強靭な肉体
・・豪華な家・・車・・貴金属・・・
特権・・地位・・肩書き・・・名誉・・・

無いより、あったほうがよいに決まってる。

豊かな事は尊いことであり、
これらを否定したら、個人主義の上に立脚した、
文明は成り立たない。

ただし・・・
価値観と人間の意識が、
この次元で止まってしまう事で、これらの要素が毒となる。

富 ・・ 快楽 ・・ 豊かさ・・繁栄・・
これら、全ては、
「 目に見えるもの 」
即ち、実感としての現実である。

この、「 目に見えるもの 」を信じ、
これのみを妄信的に追い求める者は、
やがて、これらの ‘ 富 ‘の奴隷となり、
本来の自分を失ってしまう。

一番の不幸とは、自分を見失う事である。

絶好調なときも、ひと時は
あるかもしれないが、自分を見失うと、
最終的には、孤独・失望・未練・
落胆・不和・虚無感の暗闇に引きずり込まれる。

そういう不幸な人はたくさんいる。

宗教の真の目的とは、
目には見えないモノを見る 
事にある。

 目に見えないモノを見る とは、
霊を見たり、神や仏の姿を映像として見るという意味ではない。

もし、神仏や霊を映像として見たなら、
それは、幻覚であり、自分の内部で起きている、
「 脳内現象 」であり、
「 真実 」ではない。

神仏の声など聴く事はできない。
もし聞こえたら、それは幻聴・・・

先に述べた、「 見る 」とは、
「 観る 」 = 「 静観する 」という意味である。

「 静観 」とは、
事物の奥に隠された本質的なものを見極める
という意味。
「 静かに見る 」のではない、
目で見るのではなく、 心で観る 

たとえ、目の前が、辛酸な、惨憺たる状況であろうとも・・
栄華を極めた状態であろうとも・・・

その背後にある、「 見えないもの 」を見ることが出来ない人間は、
この世に生まれてきた最大の意義と、権利を放棄した事になる。

目に見えないものを観たとき、
自分にとって、、最高にして、最大の幸福を観る。

他者との比較ではない、「 自分が全て 」なのだ。

「目に見えるもの」 のみが全てと考えるなら、
全ての人間が平等ではない、
「 全てが不平等 」である。
生まれつき虚弱なひともいれば、強靭な人もいる。

生まれつき裕福な環境で育った人もいれば、
貧乏な環境で育ったひともいる。

五体満足で生まれた人もいれば、
障害を持って生まれた人もいる。

誰かが言うでしょう・・・

おれは善良に、真面目に生きている、
悪に憧れている訳でもない・・
なのに、なぜ!!不平等なんだ!!!
神も仏もあったものか

その気持ち、痛いほど分かります・・
だからこそ・・・
「 目に見えないもの 」が存在するのです。

誰かが言うでしょう・・・
この、ウサギオヤジ!!!屁理屈ばかり
言いやがって!!!詭弁をいうな

ご最もでございます・・
だから、宗教はバカにされるかもしれません・・



しかしながら、

理論的な判断だけではどうにもならないのが、

‘ この世 ‘ なのです・・・

そこから一歩踏み出さない事には、
世のなか真っ暗闇で、人生が「 徒労 」となってしまう。

目に見える世界は不平等だが、
それは、その奥にある、
「 絶対的なものを観る為の道具として、現われる仮の姿 」
見えないもの とは  

 自分の内に宿る神 

 自分の生命の根源である‘神‘  

 自分の内に宿る生命の偉大さ 

 自分を見守る、親の心・先祖の想い 



 全ての人間は、神の分霊・仏の化身 

全ての人間は根底で繋がっていて、一体である



これを知らせる為に、釈迦が現われた。
これを知らせる為に、キリストは現われた。

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