名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

A Day in the Life (George Martine In My Life) Jeff Beck Guitar Cover

2022-05-07 | 音楽
自分に酔わず、高度なテクニックで淡々と奏でる。
これぞ大人の風格。
素敵!!!
日々努力、修練してお見えであると感じます。
最後の笑顔は天女の微笑み。

A Day in the Life (George Martine In My Life) Jeff Beck Guitar Cover
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祟りの仏像

2022-05-06 | 宗教


私の住む家から、自転車で10分位の場所に、
●●寺というお寺があります。

この寺は、真宗大谷派(東本願寺)に属する寺で、
このお寺の納骨堂に私の先祖の遺骨が納められています。
私も、今生を終えたら、この寺の納骨堂にはいります。



数年前まで、この、お寺の御堂の階段の昇り口の脇に、
高さ20センチ位の大きさの、木彫りの弥勒菩薩の
仏像が放置されていました。

どういう訳か・・・
この仏像は、祭られている訳でもなく、
無造作に置かれているといった状態でした。

この仏像は何だろう?
いつも不思議に思っていました。

仏像の形態から推測するに、
この仏像はホンモノの仏像ではなく、
奈良か京都の観光地の土産物屋で、
レプリカとして売られている、
飾り物の仏像のようでした。



そんなある日のこと、私の母親がこの寺を参詣したとき、
御堂の前で、住職とバッタリ出くわました。



私の母親が、住職に尋ねた・・・
「 この仏像は、どうしてこんなところに置いてあるのですか? 」

住職答えて曰く・・・

「 実は、この仏像・・・檀家のある方から引き取って欲しいと
頼まれた‘ 呪いの仏像 ‘なんです。
その方は、
複雑な事情があって、この仏像を貰い受けたのですが、
この仏像を手にしてからは、
悪いことや、怪奇現象、不吉な事の連続。
『 そんなの偶然か、気のせいですよ』と
答えたのですが、
その方は、脅えていて、
あくまで引取って欲しいと言って一歩も譲りませんでした。
『 ならば、その辺に置いておおいて・・・』と
言ったら、
ここに置いてゆかれたのです。」



「 そんな因縁のある仏像をこんな雨ざらしの
場所に放置して良いのですか?」

と母が、問うと、
住職答えて・・・

「 祟りなどありませんよ、私はそんなお話は、
信じていません、恐くも何でもないないですよ 」

とニコヤカにお答えになったとのこと・・・



  

この仏像がもし、ホントウに呪いの仏像なら、
住職は、この仏像を受け入れたあとも、
霊障で病気になったり、
不慮の事故に遭ったりする事もあり得るはずだ。



この仏像は、数年間、相変わらず軒下に放置されていましたが、
住職の身に、
何の変わった事もなく、平穏無事に生活し、
長寿を全うして、数年前に大往生されました。

住職が他界されたあと、
いつしか、この仏像は軒下から無くなっていました。



これは、私の推測ですが・・
たぶん、家庭ごみとして、普通に捨てたのだろうと思います。



祟りとか、因縁とか、霊障とか・・・
そういった不可解な事が「 現象 」として存在していることは
事実であると思います。



だだ、「 現象 」は、
それに対応する人の信念や、信心で姿を変える。

ある人には、祟りが「 現象 」として現われるが、
ある人には、それがまったく無い・・・
という事も多くある。



南無阿弥陀仏とは、
「 阿弥陀佛に身を委ねます 」という意味。

同時に、「 私の生命は、阿弥陀佛と一体です 」
という意味み含む。



この住職の心の中には、
「 阿弥陀如来 」
に対する絶対的な信仰と、
信念・しか存在していなかったのだと思う。



それは、ある意味、「 覚悟 」ではなかろうか。
阿弥陀如来と云うも、天照大神と云うも、
呼称や、信仰形態の違いあれど、
根本的な意味に於いては、同じである。



そういった心境の人には、
祟りや、霊障など寄り付く事は出来ない。

こういう覚悟を持った人の発する魂の波長は、
祟りとか、怨念とかの荒い波長を受け取る事が出来ないので、
受信したり、それに、干渉することはない。



恥ずかしながら・・・
私は、自称・宗教家ですが・・
そんな ‘ いわく付きの仏像 ‘ を気安く
受け入れることなど恐くて出来なません。

これ、即ち、まだまだ青いという事です・・・



まだまだ精進せねば・・・
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貧乏にならない為の鉄則

2022-05-04 | 思う事

世の中には、
いつも決まって、
小銭を持っていない人が存在します。

こういう人は、
財布の中に、必ず一万円札を
数枚入れていて、
何故か不思議な事に、
千円札は持っていません。

お金を使えば、必ずお釣りをもらい、
そこで、小銭が出来るはずです。

金を使わなければ小銭が発生しないのですが、
そんなことは不可能です。

一歩外に出れば、電車賃とか、昼飯代とかで、
必ず一万円札を崩さなければならないはずです。

たまには、偶然、小銭を切らす事は誰にでもあることですが、

いつも、決まって、必ずと言っていいほど、
小銭を持ってない人が存在するのです。

私が若い頃、
同僚だった、ある人物は、
3年以上、休み以外は毎日顔を合わせたのですが、
いつ如何なるときも、
絶対に小銭を持っていませんでした。

ひょっとしたら・・・
この人は、
絶対にひとにバレない様に
小銭を隠し持っていたのかも知れません。

まったくもって不思議な現象です。

ここまで徹底している人はめったにいませんが、
これに近い、不思議な習性を持つ人を
私はいままで、数名見たことがあります。

こういう人に共通して言えることは・・・

1 ・ 金運が無い。

2 ・ 友達が無い。

3 ・ 人望が無い。

どうしてこうなるかの説明は差し控えますが・・・

このことを深く掘り下げて考えれば、
貧乏にならない為の鉄則が分かってきます。

「 小銭持っていない病 」の人の反対の事をすれば、
金運があがる。

「 如何なる時も、必ず小銭を持ち歩く 」

「 小銭を切らさないよう、意識する 」

小銭は 「 貧乏除けのお守り 」りです。

これが重要な事だと思います。
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