名古屋の白ウサギ・1964年生・

別名、ウサギ仙人・・職業・会社員

恐るべし・・・カルト宗教の洗脳

2019-06-26 | 宗教

xjapan というバンドの
 Toshi という人物がカルトにはまり、
洗脳され、12年間、胴元に支配され、
10億円の金を吸い取られ、
最後は自己破産した・・・・

この事件の
顛末がテレビで放映されました。

それは、限りなく卑劣で残虐なものした・・・

洗脳団体の恐ろしさを垣間見る思いでした。

    

洗脳の手法 1  「 シェアー  」

グループで座談させ、過去にあった悪い思い出を語らせる。
同席者と過去の嫌な記憶を 共有 させ、
過去の体験を歪めた形で認識させるよう誘導する。

この事により今までさほど気にしていなかった体験に対し
悪意のある、解釈を持たせ、意味のすり替えを行う。
( 座談のメンバーはサクラである )

洗脳の手法 2 「 フィードバック 」
その人の性格、行動、容姿、能力などの 
欠点や弱点、コンプレックス
などを洗いざらい エグリ出し、 追求し、容赦なく罵倒し、
『 自分は良くない人間である 』 
という観念を、徹底的に叩き込む。

洗脳の手法 3 「 醜さを認めさせる 」

自分の醜さを徹底的に自覚させる。
『 教義に疑いを持っている自分の心を疑え、 』と教える。

洗脳手法 4 「 縁を断ち切らせる 」
親、兄弟、肉親を敵対視するよう、家族の批判を徹底的に行わせる。

洗脳手法 5 「 自尊心を打ち砕く 」
自分は罪深い人間であり、最低の存在であるという意識を植え付ける。

・・・・・・・・・・・・・・・・

よくも、こんな手法を思いつくものだ・・・
ある意味、感心しました

上記の術を掛けられると、その人は、
「 自分の意思 」が削ぎ取られ
 善悪の判断 が出来なくなり、
操り人形になってしまうのです。

ある団体から脱退した、〇〇〇子さんと言う人が、
最後に締め括った言が印象的でした・・・

「 信教の自由は確かに機能している、ただ、それは、
入る時の自由であり、いったん入ってしまったら、
辞める自由はない、これがカルトの最大の特徴だ、 」

カルトの胴元が、上記の
「 人間をダメにして、支配する方法 」
を体系立てて構築する事ができていて、
なお且つ、それが機能すると云う事は、裏を返せば、その反対の
 「 人間を幸福にする方法 」 
も、胴元は、分かっているはずであると感じました。

言い方をかえれば、カルトの手法と反対の事を行うことが、
人間を幸福にする方法であるはずです。

カルトの行う、こういった
「 人間の尊厳を打ち砕く 」手法が、
機能すること自体「 生命の尊厳 」を説く、
性善説を前提とした、考え方や、手法が、
人間を幸福にするという事の証とも感じました。

・・・・・・・・・・・・

「 親との縁、兄弟の縁、そんなな束縛など断ち切りなさい 」

これは、カルトの決まり文句、

こういうことをいう団体や、
思想には絶対に近づいてはいけません。
こういう思想は、
絶対に人を不幸にします。

この反対の考え方が、 「 真理 」 なのです。

人間の本来の姿(実相)は神であり、善である 
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幽霊より怖い「念霊」

2019-06-18 | 宗教

人間の心は・・・
皮が幾重にも折り重なっています。

自分の不運を悲しむ者。
自分の過去を悔やむ者。
誰かを恨む者。

その皮を一枚剥いで差し上げると、
悲しんでいるのではなく・・・
じつは・・・・

それを望んでいる

そういうお方を何人か見ました。

それは、自分にとって都合の良いドラマの
自作自演。

自分の我欲を満たすための他者を
巻き込んだ悲劇のシナリオ。

自分自身を欺く「自己破壊行為」
  
人間の心が描く「 念 」とは、
一歩間違えば、強烈な幽霊(想念の塊りのようなモノ)
を創り出す。

これを「 念霊 」と呼ぶ。

念霊は、実在しないものであり、幻であり、蜃気楼のようなもの
である。

実在しない念霊(蜃気楼)は、
それを創り出した本人から離れていて、
あたかも発した人間とは別の
独立した存在のような動きをする。

念霊は本物の幽霊(死者の霊)より遥かに怖い。

幽霊は・・・元はと言えば・・人の子、話せば分かる。

念霊は、人の子ではなく、妄想の子供。
話しても言葉は通じない・・

念霊を説得する事は不可能。

念霊を消し去る方法はだだ一つ、
その「 念 」を発している生きた人間の心を正す以外
方法はない。


一気に皮を剥いでやると最悪の場合、
その人は気が狂ってしまう。

その人から何かを教わる振りをして皮を剥ぐ。
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意味などない。

2019-06-17 | 宗教

・・写真・・・若かりし頃の白ウサギ・・仏教遺跡にて。

私は自称・宗教家・・・
ではありますが・・出家する積りはありません。
修験者になるつもりもありません。

そんな根性は私にはない

でも、一般人として、実業家として、
自称・宗教家として・・・

生涯、求道を続ける覚悟でいる


何のために 人に親切を施すか?・・・・・ 
意味など無い

困っている人を助けて何の意味があるのか? ・・ 
意味など無い

徳を積む事に何の意味があるのか? ・・・ 
意味など無い

社会に貢献する事に何の意味があるのか? ・・・ 
意味など無い

毎日、せっせと働く事に何の意味があるのか?・・・
意味など無い

全てに意味を求め、意味を追求する事に何の意義があろうか?

こういう風に考えると
私が、今まで歯がゆく思っていた
多くの矛盾や、理不尽で不条理な事例が

 ・・それもアリかな・・・・ 

と軽く受け流す事ができる。

無意味 を生き
無意味 から逃げず
見意味 を業ずる 

極限までこれに徹した時、、
その時はじめて・・その奥にある
有意義 が見えるのではないのだろうか。

無意味を徹底的に極めたとき
私にも、何かが見えるような気がする

よくよく考えてみると、
私が今まで接して来た多くの人間のなかで
尊敬できるひとは

無意味な事を真剣に、ガムシャラになって
行う事の出来る人間であった。

それは、能力などとは
はあまり関係ないように思える。

 神を信じる 信じない とも関係がない 

明確な 方向性・ 目標設定 を定め、
そのあとは、何も考えず、一見無意味とも思えることを
ただガムシャラに馬鹿になって 業ずる者は
その人に応じた分野や、世界で、必ず大成している。

精進する者の頭上には
神 を意識していなくても

神の光が燦然と輝く
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言葉の重み、信用。

2019-06-13 | 思う事

宗教病、スピリチャル病の人が軽々しく
お吐きになる言葉。

奇跡がおきました!

例え事実に反するこ言葉であったとしても、
宗教屋さん、スピリチャル屋さんにとっては
嘘をついたことにはなりなせん。

普段から、失敗や損失、
見込み違い・・・どんな事に対しても、

自分の判断が間違っていた・・・

とは言わず、

 あの方法では良くない事が分かった 

なに????  それ????
      

ニューソート思想の寝言????
このような寝言を聞かされると、

信用して支援・応援していた人にとっては、
    

成功・失敗・・如何なる局面に於いても、

 奇跡です! 

 大成功です!  

 大きく前進しました! 

と言っていれば、

失敗しても、判断を間違っても、
騙されても、貪欲な人間に利用されても。

「奇跡です!」「大成功です!」

と言っても嘘にはならない。

なぜなら、言葉の重み、言葉の定義が
一般人とは違うからです。

これは、コトバだけの世界。

「信用」とは別問題。

信用をなくしても、「ありがたい!大成功!」

と豪語する悪癖が染みついてしまうと、
もう誰の声も耳に入らなくなってしまう。

私も気を付けなれば・・・

といつも思っている。

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自称・偉い先生・・・・大嫌い。

2019-06-12 | 宗教

自分に厳しく人に優しく・・・
これ、私の信念。

と思われるかも知れません。


お前・・・このブログで人の
批判ばかりしてるじゃないか!!!



はい、確かに批判してます。
でも、批判している対象は
「宗教屋さんの自称・エライ先生」です。

宗教屋さん以外の一般人に対しては批判はしません。



おい!! 白ウサギ!!!
お前、自称・宗教家と名乗ってるだろ!!!

ならば、そう云うお前は・・・
最低の人間???じゃないか???


はい、仰る通りです。
私は自称・エライ先生ではありませんが、
同類です。
それ故、私も最低の馬鹿者です。

  
宗教家とは業の深い人間に与えられた役割です。
それ故、一般人なら許されることでも、
宗教家は赦されないと思っています。


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問題外

2019-06-08 | 思う事


企業や会社・組織のなかで

自分の考えを持ち、それを提案をする。
現状を分析して問題点を抽出して改善の提案をする。

これをして左遷されたり、退職に追い込まれた人間もいる。

そういう事例を目の当たりに見たこともある。

一流と呼ばれている会社でも

頭を使うな!!!! 考えるな!!!
上から 言われたことハイと言ってやればよい!!! 

と怒鳴る管理職もいる。

世間に名の知れた一流企業でも、そういう会社が存在するは事実。

また、その逆もある。

 伝書鳩になるな!!!! 

自分の考えがないような人間は不要だ!!! 



イエスマンが美徳な企業、組織。

創意工夫を美徳として、改善意識を持つ企業、組織。

前者は潰れても良さそうだが、
現実は潰れずに存続している。



不思議なお話だが・・
たぶん・・・イエスマン集団も必要であり、
それなりの意義があるのだろう。



ならば・・・・

企業や組織の存続を決める、決定的な要素は?

銭勘定ができる会社であるがどうか。

情報管理ができる会社であるかどうか。

この2点に集約される想う。

銭勘定とは、帳簿管理。
損益分析。

情報管理とは、
顧客の名簿や、業務上の記録の管理。


「イエスマン集団」であろうと。

「改善意欲旺盛集団」であろうと。

そんなことは大きな問題ではない。

原始共産主義生活者は別として、
自由競争の文明社会の中で生き残る為に、
何よりも大切なことは、

 銭勘定と情報管理 

これが企業・組織としての基本的な義務と思える。

これが出来ないなら、出資者に対する裏切りである。
希望的観測による楽観主義経営は、
例え悪意はなくても、
サイコロを振るような丁半博打

いつかはそのツケをが回って来るはずだ。

最後は愛想尽かされるだろう。

まぐれ当たりに順風が吹いたとしても、
その怠慢さを改善しない限り、安定は見込めないと思う。

これは、ごくごく当たりお前のお話ですが・・・

こんな初歩的なことも分っていない親方も存在する。

この基本的な事が出来ない人を信用する気にはなれない。


神はサイコロを振らない


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強烈な仕返し

2019-06-07 | 出来事

ヘンな事件が起きた・・

3車線の道路の真ん中車線で車がハザード点滅させて
止まっていた。

故障の様子、後ろは渋滞。

ウサギ仮面、何とかせねば・・・
今こそ一偽善のチャンス!!! と・・思った。

車を安全な場所に止めた、
ここでウサギ仮面が怪我でもしたら馬鹿らしい。

仕事で使うヘルメットで武装して車を降りた。

故障車に歩み寄り車の運転手に声掛けた。

「歩道まで押します、
Nにしてハンドル操作して下さい」


運転席の男がウサギ仮面の顔を見つめて言った。

「 〇〇さん? 」



なんでこの男、ウサギ仮面を知っているのか?
私はそんな有名人ではない・・・



男の顔をみて思い出した。

この男、昔の同僚、
その当時、仕事上のいやがらせや、妨害を受けたことがある。

この男に散々な目に逢わされた経験がある。



ウサギ仮面・黙って車を歩道まで押した。
男は、申し訳なさそうな声でいった。



「ありがとうございました。助かりました」



ウサギ仮面、ニッコリ微笑んで、無言で立ち去った。



ウサギ仮面!!!   カッコイい!!!!
自分で自分に酔いしれた・・


私は彼を助けたのではない。
結果として・・巧妙な仕返しに成功しただけのことである。

今でも、この事件を思い出すと
ニヤリと笑ってしまう。

最大限に痛快な出来事だった・・・
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黒狐兎犬の犬言

2019-06-05 | その他


黒狐兎犬が呟いた・・・


私が人に優しいのは、
嫌われるのが恐いから。

私が他人を批判するのは、
自分に対するコンプレックスが強いから。

そういう意味に於いて、
「優しさ」とは、自己防衛のバリア。

これはある意味「弱さ」
結果としてそれが人の役にたてば、
動機が不穏でもすべてよしでではあるが、
大きな意味での有害な側面もある。

心の優しい人ほど、不運になりやすい。
これは、「優しさ」の背後にあるものが、
コンプレックス、自己否定、自己嫌悪、


どうして・・・まさか・・・
あんな優しくて良い人が・・・・・

という事件はよくある。
このメカニズムを知らず、
美談の能書きを垂れる輩になりたくない。
ここが肝心。
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最高にバカらしかった講演会

2019-06-01 | 出来事

約15位年前の話ですが、
ある経緯があって、ある大学教授の
講演会のチケットを入手。

場所は、名古屋市内のビジネスホテルの会議室だった。
好き好んで聴きに行きたいとは思いませんでしたが、
ある義理があってチケットを買う羽目になり
お金を出したからには捨ててしまうのも勿体ない。

嫌々ながらも、参加することになりました。

この講演会では3名が喋りました。

○○大学教授、Mさん、
(この方は有名な方で「○○の暗号」とかいう
科学的という触れ込みで、疑似科学のような、
精神論みたいな本を書いているお方。)

ある宗教団体の運営する団体「栄○会」の雇われ会長Kさん。

K会長の助手と思われる30~40歳のR君。

1番最初に、K会長。
2番目にR君。
3番目にM教授。

1番目のKさんの講演の演題は、
確か・・「信仰」というような趣旨の演題だったと思います。

K会長・・・演題に上がると唐突に、

「政治家は死ぬ気で、命を懸けてやるとかいうけど、
未だかって切腹した政治家など見たことがない!!!!」

気迫あるどすの利いた声で言い放つ。

旧・民社統の春日一幸のような低音でハリのある
ドスの効いた声だった。
如何にも政治屋さんか総会屋さんの喋りかた。

聴くところによると、K会長は昔、ある代議士の秘書だったらしい。

なんだ???
このオヤジ・・・
場違いの話では???

ならば・・・???あんた三島由紀夫氏のように
切腹するのか???

と思った・・・

k会長に与えられた時間は1時間。

この1時間は、題目とはまったく無関係の話のみで、
地球温暖化防止に関わる環境問題に命懸けで
取り組んでいるとか・・・・自我自讃の嵐。
それが終わると、
K会長のあと喋るR君、M教授の
話す内容を事前に伝える為にだけ費やされた。

私は、くだらないプライドなどもっていないが、
そんな私でも、もしM教授の立場なら、
怒って帰ってしまうだろうと思います。

K会長のくだらない話がやっと終わると、

R君の番・・・
R君・・・・
「もう私の言うべきことはk会長がお話し下さいましたので・・・」
そのあとは少し困ったような表情でK会長が既に話した
話を繰り返すような雰囲気で、約30分の講演。

最後、M教授の番になった。
M教授の十八番は既に、K会長から聞かされている。

M教授・・・・
こんな馬鹿にされたような状況で怒らず真剣に
喋っている。

M教授の学者としての権威も疑ってしまう。

それとも、M教授、K会長に弱みでも握られているのだろうか?

ウサ太郎は帰るとき思った・・・

K会長・・・聴取をバカにしているのか???
ひょっとしたらアルコール中毒か???

なんだ????この妖怪オヤジ・・・・
人前で喋るのは100年早いのでは・・・
こんな妖怪みたいな男を
会長として雇っている団体にも不信感をもった。

宗教団体はこういう馬鹿者を偉い先生にしてしまう愚かさがある。
こんな人に対しても「 先生 」と呼ぶ義務が課せられる。
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