天皇陛下が即位してから7日で1週間。宮内庁の西村泰彦次長は会見で「ご退位とご即位の儀式が滞りなく終了して大変よかった。新しい御代(みよ)の行事を一つ一つ着実にやっていきたい」と述べた。

 陛下はこの日、東京・元赤坂のお住まいから皇居に移動し、宮殿・菊の間で、内閣からの書類を決裁する「執務」を行った。その後、皇后さまとともに、即位の礼と大嘗祭(だいじょうさい)の期日を報告する祭祀(さいし)「奉告の儀」を行う宮中三殿を視察した。

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 天皇陛下と学習院の幼稚園から中等科まで一緒だった元ホテルオークラ東京総支配人室室長の立花眞さん(59)には、陛下との忘れられない思い出がある。

 30代のとき、母を亡くした。その翌年、ホテルオークラ東京で国賓として来日したアイルランド大統領のパーティーがあり、当時の天皇(現上皇さま)や皇族方が参列した。

 帰り際、厳重な警護の中で歩く皇族方の列を見守っていたところ、当時皇太子だった陛下がすっと列を離れて歩み寄ってきた。そして、「遅くなりましたが、お母様のことお悔やみ申し上げます。お力を落とされませぬように」と小声でささやいた。

 「予期せぬことで胸にジーンと熱いモノがこみあげました」

 ログイン前の続き陛下とは初等科の6年間は同じクラス。誕生日が近く、背丈も同じくらい。遠足や校外学習などで並ぶ時はいつもそばにいた。遊ぶ機会も多く、東宮御所に招かれて滑り台やボールで遊んだ記憶が残っている。

 社会人になってからも交友は続き、他の学友たちとともに陛下を何度か「外」に連れだした。学習院の先輩にあたる故寛仁(ともひと)さまに「将来の天皇陛下に庶民の暮らしぶりを知らせるのは学友のつとめだ」とハッパをかけられたことがきっかけだった。

 「できるだけふだんのままを体験していただこう」と、赤坂の小料理屋では事前に店主に知らせずに部屋を予約。コースの鍋や煮物などを皆で食べた。「お酌に来たおかみが、お顔を見てびっくりして固まっちゃってね」

 この時は陛下の希望で徒歩で帰宅した。夜道を皆でおしゃべりしながら、御所の門まで送った。

 立花さんは「陛下はお若いころから『人に優しく、モノに優しく』という教育を徹底して受けていらした」と言う。

 高校、大学と海外で学び、自身も6カ国語をたしなむ立花さんは、天皇皇后両陛下の英語力を絶賛する。国際化が進み、海外から大勢の人が来日しているが、日本人にはまだまだ英語が壁になっていると感じる。「その点、両陛下は壁がない。新しい日本の『顔』として、国際社会で大いに羽ばたいていただきたいですね」(斎藤智子)