ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

干し柿

2010-10-31 21:54:30 | 料理
はじめは何年前だっただろうか・。干し柿を作り始めたのは、友人の手づくりの干し柿が本当においしかったからだったような気がする。元もと干し柿は好きだった。でも、手づくりの干し柿を頂くようになって、市販のものでは味わえない柿本来の甘みを知ってしまった、という感じである。 はじめは10個ぐらい、翌年はおねだりしてもっと、そうして数年たって、友人の親戚の柿をとる時期に皮むきを手伝うようになった。皮をむく人出があれば、とご親戚もご主人も一杯一杯採ってきてくださり、渋柿を下さる方も増えて、ひところは三人で300個とか500個とかむいた年もあった。友人と皮をむき、ひもにくくりつけ、ご主人が干し場に次々に干して行ってひと月半ぐらいするとこを吹いた美味しい干し柿が出来上がって、手間賃代わりに本当においしい干し柿を頂いていた。

ご親戚の方が年をとってかきの世話ができなくなり、渋柿が手に入らなくなって本当にがっかりしても干し柿好きな所には集まるもので数は減ったけれど、毎年手作りの干し柿を口にすることができている。去年から皮をむく手伝いが出来なくなった。友人は相変わらず、時期が来れば美味しい干し柿を下さる。それは本当に嬉しく、ありがたく頂いている。

この間、長野に滞在中自宅のそばの八百屋さんで干し柿用の渋柿が手に入るか聞いてみた。東京に送ってくれるかと…。丁度一週間。

今日、10キロ届いた。午後、皮をむいて、ひもを通して、軒につるして行った。60個。鳥除けネットと雨が当たらない工夫もした。昼夜の寒暖の差が美味しい干し柿を作ると言うから、東京では美味しくできないかもしれない。そして多分友人は今年もくれるだろう。担保もある(笑)

でも、東京の気候で美味しい干し柿ができたら、いくつか彼女にあげよう。きっとびっくりするだろうな。

あ~あ、渋柿を60個むき終わった時に写真を撮ろうと思ったのに…、あ~あ、渋柿を干した時に写真を撮ろうと思ったのに…、もうすぐ雨になるわよ!という声に慌ててネットをはり始め、ビニールで養生しているうちに写真を撮ることを忘れてしまった。 明日、何とか干した柿をとることができたら…アップしよう。

Qumamiさんへ

2010-10-30 22:58:59 | カトリックの信仰
 半年振りに会えたね。顔を見て、ちょっとホッとしました。でも、きっと芯から疲れただろうなぁと思っています。無理するな!といいつつ誘い込んでネ。「いつか見た顔が多い」ということは懐かしいなあと思う時には嬉しいことだけれど、草の根のようなムーブメントを起こしたいという主催者はどう思っているのかなぁ、と思いますけれど…。それでも数人ずつは若い人が増えていることにかすかな希望の光が。

やっぱり、貴女とはあそこで、ゆっくりとおしゃべりするのがいいかな。ゆったりと流れていく時を感じられる、そんな空間だからね。

もう少し身体が落ち着いたら、会いましょうね。それまで少しずつリハビリをしてね。私は・・・もう少しまともに自分から解放されるようでありたいと思ってます。 ゆっくり休んでください。

深秋の献立 

2010-10-29 00:33:14 | 料理
寒くなりましたねぇ。秋というより冬でした。

先週の金曜日、いつもはお手伝いのU市の料理教室、水曜日にメインの先生が体調不良につきピンチヒッターを頼まれた。その日から悲鳴を上げながら献立を考え、材料をそろえ、買い物の手筈を整えて、滑り込みセーフ。

献立を考えること丸一日、木曜日の夕方にやっと懐石教室おもてなし料理の体をなす献立をたて、材料が整うかいきつけの魚屋、八百屋に食材の確認。、そしてU市での買い物手配をして、やっと献立確定。

★秋刀魚のおつくり 
信州の土地で秋刀魚の刺身が食べられるようになったのはごく最近。 秋刀魚を三枚におろして、皮をむき、飾り包丁を入れて刺身につくる。もう刺身で食べる旬としては名残りの献立だろうか。岩手産秋刀魚は脂が乗っていてとても美味しかった。
★岩石豆腐椀
とり腿肉を皮・脂抜きで粗挽きして貰った肉と豆腐を合わせて岩石につくり、エビ、春菊、椎茸と炊き合わせて柚子を添えた煮物椀。上品で綺麗な一品になった。
★落ち葉から
おからに、枯れた秋の風情。栗、銀何、焼き蒲鉾、椎茸、春菊の軸とあわせて胡麻油で煎り煮する。栗の甘みが勝負。酒としょうゆとみりんだけの味付け。手はこまごまとかかるが贅沢な尾からの料理。
★むかごご飯
長芋の子たちをよく洗って、少しの酒と塩味で炊くだけ。

せっかく作った献立、今週の火曜日のカルチャーでも使わせてもらった(って自分でたてたのだから遠慮はいらないが・・・)。金曜13人、火曜日11人、皆が楽しんで調理し、喜んで食して帰路につく顔を見送ると本当に嬉しい。そしてやりがいがある。

いまどきの若い女の子 2題

2010-10-28 23:23:35 | 日々の出来事
今日、出勤途中で車中にて。

1 中学生か高校生。今日は雨だけれど途中駅近くにある体育館で何か大会があるらしく大勢の子が乗っていた。私のすぐ横には女の子が二人。その言葉遣いがまず私には本当に違和感のあるまさに「美しくない日本語」でいつもこんな会話をしているのかなぁと思っていたが、最後に面白い問いかけを一人がした。「ねぇ、失恋と耳が聞こえなくなるのとしゃべれなくなるのとどれが嫌?」間髪いれず「しゃべれなくなるの嫌!」「だよねぇ、耳が聞こえなくなるとしゃべれなくなるんだよ。自分の声聞こえなくなるから」「へえ、そうなんだ~~」と会話が続いていた。へぇはこっちである。失恋と他の二つが同じ次元なのがとっても不思議。電車の中でずっとしゃべり続けている彼女たちにとって、「しゃべれなくなる」のは本当に困ることなんだろうなぁと聞くともなく聞いていた。

2 乗り換え駅で車両の扉の前には何人か並んでいた。一人の女の子が携帯のメールをしながら肩に大きなバッグをかけ、もう一方の手でキャリアバッグを持ち、今日は雨だったので傘が斜めにキャリアバックの上にあった。列が進んでみんなが乗り始めているのに、彼女は扉の前までメールに夢中になりながらタラタラ進み、乗るのか乗らないのかという感じでドアをふさぐ形になっていたか俵を私が通り抜けて乗り込み、次にもう一人の女性がその女の子と同時くらいに乗り込んでドアが閉まった。扉の内側に二人が並んだ形になったのだが、どう見ても彼女のバッグと斜めになったキャリアバッグに傘が空間を余計にとっていて邪魔なのに、メールを終えるでもなく後ろの女性に向かって「何ゴソゴソしてんだよぉ」って!! 

唖然、呆然。 はぁ~~込んでいる電車の中でホッとする微笑ましい風景に出合うこともあるけれど・・・  いまどきの若い女の子たちでした。

Qumamiさんへ

2010-10-27 22:22:38 | 大切な人 家族・友人
 食べたいです! 何の一貫性もないお料理、それがお母さんの味でしょう!!

ミネストローネ、あふれかえっているの、いいにおいが漂ってきます。 スープじゃなかったら、ラタトゥユになる?? 私も具だくさんのスープや煮込み好きです。、そして、味なしをいっぱい作って、和風味にしたり、カレー風味にしたり、トマト味にしたりして手抜きをします。大勢の食卓を飾るには、まとめ作りをして、冷蔵庫の片付けとともに愚を足していけばいいしね。

豆腐となめこのみそ汁、定番で、そこにかつ丼 (笑) できすぎです。美味しいかつ丼、食べたいなぁ。私は外で臭いに誘われて食べたくなる時ありますけれど、絶対外食でかつ丼は食べない派です。自分で作るかつ丼、一番ですよね。

sayoちゃん、kumaoさん、sotaくん、みんな~~、幸せ者だねぇ。 お母さんの滅茶苦茶料理を食べることができて…。

毎日の食卓が、料理教室みたいに整っている、訳ないじゃないですか。 身近にあるものつかっても、手間をちょっと掛けて、丁寧に盛り付けて、味が良ければ立派なおもてなし、ですよね。 家族のためのもてなし、できる「今」が大切だね。

そういう日が過ごせる「今」をブログで読ませてもらえて、本当に嬉しいです。 できることができる、食べたい物を作れる「今」、お互いに大切にしましょうね。

あ~~ 南京錠の鍵が・・・(>_<)

2010-10-26 22:35:52 | 日々の出来事
今日、スーツケースを宅急便で出した。鍵かけないで出すときもあるのに、今日は盗まれて困るものも入っていないのに(いや、なくなればそれはそれで嫌なんですが)、わざわざちっこい南京錠を掛けたのでした。

さぁて、教会でのキリスト教講座も終わって、今日のカルチャーセンターから持ち帰った汚れたタオルや布巾、エプロン・・・保冷剤やら密封容器、器などなど片付けて、明日の上京の支度をしようと持っていかなくてはいけないものを並べていったら・・・ない! ない! ない!

スーツケースにつけた南京錠の鍵がない!

あっちのポケット、こっちのポケット、かばんの中を空にして、きていた洋服のポケットを逆さにして、乗せた車の座席を見て・・・今は大きな懐中電灯をもって駐車してかばんを出し入れしたところまで行って探してきたけれど、やっぱりない。

ちっこい南京錠だから、簡単に壊れるとは思うけれど、他のところも壊れたら困るなぁ・・・。
夕方出したので、明後日着。慌ててやると集中力が落ちる。夕方の運転はこの頃気をつけて、そのことに集中していたら、鍵は??? どこかからひょいと見つかるとしたら、きっと南京錠を壊した後なんだろうなぁ。

寒!! それにしても急に冬です。明日はもっと寒くなるそうな。東京も???!!!

季節の変わり目

2010-10-25 22:24:12 | 日々の出来事
今日は20度を切り、明日は最高気温が13度とか。東京で着ようとして「暑そう!」といわれたウールのジャケットをもってきた。昨日の午後は晴れていたので、こちらでも「暑くない?」といわれた。で、今日は薄手のウールのカーディガンでいた、が少し肌寒い。午前中、ちょっと外に出たときにはそこへ、木綿の薄物を羽織ったら丁度良かった。

明日はどんな格好をしたらいいのかな。同じ長野市でも山沿いは明日の午後初雪かもしれない、らしい。風邪をぶり返さないようにしないと。まだ20度を超える東京都の行ったり来たりすると体も伸びたり縮んだり、ビックリしているみたいな気がする。同時に鍛えられているような感覚もある。どっちにどの洋服があるのか、それを頭に浮かべながら段々に衣替えして、それぞれの気温を頭に入れて調整したり、これも頭の体操の一つ。

野球のシーズンが終わって、何となく気分は手持ち無沙汰。そこへ先週末はフィギュアスケートがあったので、少し楽しんだ。テレビで見る番組が多いのは一番ニュース、ドキュメント番組、スポーツ番組、そして気になるドラマ。スポーツはみていても熱くなれたりするから、気分転換になる。そんなにスポーツバリバリする訳ではないけれど、いつも健康診断で何かスポーツしてますか?と効かれ、カルテに『徐脈』と書かれる。全然心配することはない、らしいけれど・・・血液がゆっくりと回っているので頭の血の巡りも悪いかも、なんてね。 ドラマを見る基準は内容、そして配役。

先週見たドラマ『てのひらのメモ』、裁判員の話。つい引き込まれて見た。いつも早く寝る母も最後まで見ていた。田中好子も板谷由夏も良かったし、丁寧に心情を描いていると思いながらみていた。選ばれないといいけれど、もし、裁判員に選ばれたら、最後に外れて欲しい。

さて、温まって布団の中で本でも読みながら、寝ようかな。

今読んでいる本、出版された時から気になっていて、それが映画公開の広告、しかも堺雅人が主演だというのを見て、しまった~~読んでいなかった~~と思い出し、慌てて図書館に貸出予約を入れて週末に手に入れた。今、半分。やっぱり面白い。映画は多分観ないと思うけれど。

昨日から今年二度目の紅玉のジャム作りをしていて、今日は瓶詰め。一杯出来た。

Sさんの帰天 カトリックの懐は広い

2010-10-25 10:49:09 | カトリックの信仰
Sさんとの出会いは8年ぐらい前。私のキリスト教入門講座に参加したいといらした男性はがっちりした体格の穏やかな表情なのだけれど鋭い感じがして、実はちょっとビビッた。でも、いつもクラスが始まる10~15分前にいらして、お話しするうちに、そしてクラスの中で彼が披瀝する積み重ねていらした人生の、そして知識に裏付けから良た逸話は(時に、話が長くなったことはあったけれど)、でもクラスが元気になった。

私は、クラスを持った時から、始めはその方のお名前しか聞かない。それぞれの事情があって「今、教会の扉を開けて、キリスト教それもカトリックの教会で教えを学ぼうとされている」そのことを受け止めようと勤めてきた。だから、Sさんもその例外ではなかった。

それでも回を重ね、皆さんがいらっしゃる前に問わず語りに彼の人生を垣間見る機会があった。彼が現役の頃、校長職までなさっていた東京の高校は、私の実家の父が学んだ成城学園(大正デモクラシーの時期、澤柳政太郎先生によって創立された私立学校)の創立以来の同僚であったた小原国芳先生が袂をわかって作られた玉川学園であったことは、少なからずSさんを身近に感じさせるエピソードであった。勿論時代は違うが、父の兄弟は皆、成城学園に学び、三男である叔父がいわゆる玉川学園騒動の時期に当たり、祖母は兄弟を分けて叔父を玉川学園に移して、双方の先生に報いたという話を何度も聞いた。(ちなみに、私の卒論のテーマが大正デモクラシーの教育論であったので、その頃は少しは勉強したり・・・) Sさんは晩年の小原先生と面識があり、その全人教育(キリスト教の影響下にはあるが会えてキリスト教教育とはいわない)に大いに共感したと話されていた。

高校生のラグビー部の顧問をした頃から、熱いラガー先生となり自身もコート(というのでしょうか)を走り回ったスポーツマン。入門講座にいらした前年、大きなくも膜下出血を患い、医師も驚く脅威の快復を見せて一命を取り留めたときに、長年校長職にあって、職員朝礼で聖書に基づいた話しをしていたけれど、もし自分が入信するとしたらカトリックかと思うが、実はカトリックのことを学んだことはないと長野に居を移されたのを機に、土曜日の夕方のミサに通い、火曜日の講座に通われることになった。国語教師であったことから、私がキリストのことを伝え、聖書の話を伝えると、中国の故事、論語や儒教の教え、エピソードの中にあることと関連付けてお話くださり、多分ご自身の中で腑に落とされる作業であったのだと思うが、神の教えの普遍的なものを受け止めていく作業であったかと思う。それでも何年来、プロテスタントの香りの中ですごされたにもかかわらず、信仰を得るということにはまだ踏みきる気持ちにはなれないのを察して、この方はご自分で探しておられるのだから、私はただそのままに来て下さったときにそのまま受けていただこうと思っていた。もしかしたら、洗礼は受けられないかもしれないな・・・と思いながら。

でも、神様のなさることは分からない。彼に何らかの問いかけを促し続けてていたH師の説教と拙い私の講座を通して、2年余の年を経て、あるとき恥ずかしそうに 「この私でも、次の復活祭には洗礼を受けられますか」と口にされた。いいも、何も・・・・あとは、H師と話していただき、洗礼の時を迎えた。6年前のことであった。

Sさんは定年で長野に戻ってこられたのであるが、電車で40分のふるさとである市でビル清掃職を選び、通っていた。「掃除好きですから」と。一清掃員のつもりがそのリーダーシップを買われて、清掃会社の人材育成などなど責任のある仕事を任せられるに従い、4年くらいから住まいをU市に移した。癌の発病は2年半まえ、そのときにはすでに手術不可能、転移も見つかった状態であったと聞く。あるとき電話が来て 「悪いものが見つかっちゃったんですよ。まわりはセカンドオピニオンというので、クラスで一緒だった外科のK先生を紹介してもらえますか?」ということで病気を知った。「頚椎骨折、くも膜下と危ない時は何回もあったのだから奇跡がまたあるかもしれない」と、元気そうではあった。その後も、時折電話で声を聞けば「いやぁ、大丈夫です。仕事もちゃんとしてますよ。すごく忙しくて県下を回ってます」と話しておられた。

その彼が6月頃電話してきて、「春先から調子は悪かったけれど、5月の連休にはあと2,3日と言われたんですよ。でも退院してきて、病院にいるときよりは好きなものを食べられるからいい。ついては先はそんなに長くはないと思うので、そのときの為にN教会に置いたままになっている教会籍をU教会に移したい。どうしたらいいだろうか」という相談だった。可能と思うので司祭と相談して欲しいとH師に取り次いだ。家庭の事情もあるのでU市のS師が受け入れるかどうかと心配はあったが、8月にお見舞いに伺ったときにスムースに転籍できたとのことで安堵していた。スポーツマンであったので痩せて体力も落ちてと車椅子ではあったが、生きているうちは寝たり起きたり、食べたいなと思うものを食べ・・・とはいえ「あ~ケンタッキーのフライドチキンを久しぶりに食べたいなぁと食べたら、お腹が大変なことになったので、今は肉系はこの間もブラジルの焼肉が食べたいなぁとブラジル人の友人の持ってきた肉を一口ガムのように咬み、味と香りを楽しんで、お行儀悪いけれど肉は食べないの」とか「そうめんなら食べられるので、好きな野菜だけ少し入れて食べるの」「なかなか字を追えないけれど、新聞の見出しをだけでもとおもって。。」と工夫しながら、残されている時間を大切にしていらっしゃる風だった。

先週の日曜、奥様から「もう残りわずかだと思う。なかなかU師と連絡が取れないのだが、籍を移したものの彼にとって馴染みの深いN教会のH師にそのときの司式をお願いできないだろうか」という相談だった。いやぁ、教会って許容量が広いようでいて決まりごともあって、籍を移したのでまずS師の意向を聞かないと物事は進まないとお返事して、枕元でSさんの容態等を話していた。私との電話と分かり、苦しい息遣いをしていた彼が電話口に代わった。
「どうですか?」
『いやぁ、大変です。』
「大変ですねぇ、こういうときに何といえば良いでしょうね。がんばって下さいというのは酷ですし、体も心も穏やかになれると良いですね。お体は辛いでしょうけれど、心は穏やかですか?」
『いやぁ、心穏やかじゃないです』
『あらぁ、それではせめて心穏やかになれるように心こめてお祈りしていますね』
「お願いします」
『お元気じゃない方に、お元気でねとは言えませんね。神様に良くお願いしておきますね』
それがお話した最後であった。しんみりしたくない私、精一杯の会話だった。

日曜日に救急車で病院に行き、『もう、これでお終いにしよう』と点滴もはずして民間の救急車で自宅に戻ったそうだ。その一言を口にしたときに彼はもう死を受け入れたのだと思うが、心中に深くしまわれた重い思いは最後まで愚痴ではなく、一人で引き受けていく覚悟をきめる最後の時だったのだろうと思う。火曜日の朝9時半に帰天。享年70歳。

葬儀はS師のたまたま都合がつかず、Sさんの遺志、遺族の意思、そしてH師がSさんの洗礼を引き受けたように彼の遺志も引き受けてくださり、希望通り洗礼教会であるN教会でとりおこなわれた。棺に眠るSさんの表情がすべての重荷を下ろした安堵の表情であったのが印象的であった。神様のもとで、永遠の安息に入られ憩うておられることを祈り続けたい。


セリーグ CS

2010-10-22 23:00:44 | 日々の出来事
何で中日に弱いんだろう。
昨日、おとといでもう大手をかけられて、日本シリーズに出るには負けられないジャイアンツ。

それにしても、中日がセリーグ優勝してから20日も間があって、その間に通常のリーグの試合は残っていて、最後はファーストステージと重なっていた時があったっけ。この間大リーグの最後の方を気にしていたら、リーグの試合日程終了時を決めておいて、雨とか延びた時にはダブルヘッダーもやって消化していくみたい。その方がダレ無いかもしれない。
今、セリーグはセカンドステージだけど、パリーグはもうCSは終わって、セリーグが決まるまで待っている感じ。
日本シリーズを戦うのなら、両リーグの始まりも同時にして、終わりも合わせて、CSも同時期にして、一気に日本シリーズに突入の方が盛り上がっていくと思うのだけど…。

CS(クライマックスシリーズという)の第一ステージ、最終的には三位になったジャイアンツは適地甲子園でやることになったので、負けちゃうかなぁと思っていたのが原采配、ドンピシャと当たって面白いように勝てた。中日相手にそのまま行くはずがなかったけれど、なんと不甲斐ないこと!完封負けが続くと悔しいよりも、情けない。

今、誰のファンという選手がいないので、誰が打っても投げても熱くはならないけれど、やっぱりジャイアンツファン。今日は2点で、危ないなぁ、追加点を入れないとと思っていたら残念、やっぱり同点にされて…。いや~なムードだけど、あの阪神に勝った時の集中力は??と期待もしたくなる。9回、阿部のホームラン。この人、キャッチャーじゃなかったら本当に三冠王を何度もとれるような選手だと思う。1点だけだと危ないなぁと思いつつ、クルーンじゃなくて山口。この山口もよく頑張っている。表情を変えないのはいいストッパーの条件かも。抑えてくれました。

CSを勝ち抜ける条件はやっぱり負けが許されないのだけれど、でも来年のためにもこのまま簡単に中日に勝ってもらったら困る。それに落ちあいを好きになれない私。なんでだろう、ね。あのシレ~~とした感じがねぇ・・・。

今週は、本当に色々なことがありすぎた。頭もパンパンだったけれど、その中で熱くなりすぎない野球はちょっと息抜きには丁度良かった。明日も、みようっと。

オット、その前に明日は私が企画から携わったシリーズ講座が始まる。三連続司会が続く。その初日。頑張らないと…って私は頑張る必要はない。受講者に企画の糸と講師の話がうまく伝わることのみ心したい。

色々あったことは後日。

栗ご飯

2010-10-17 21:26:55 | 料理
今日は、近茶流懐石教室の先輩であり、上田教室を一緒に教えているお仲間であるM先生の教室創立30周年記念のお祝いがあった。一口に「30周年」というけれど、1歳だった子が30歳を超えるって・・・、60歳になった人がまだ30歳だったとき・・・って、すごいことだと思う。長い間、ずっとお教室を続けてこられたことを心から尊敬し、お祝いしたいと思った。

   あ~~、それにつけても私の自宅での教室、開店休業中なのはとても残念。
柳絮会(近茶流教授会)の集まりや今日のような集まりでは刺激を受ける。
続けていたら、 今年は15年になるのに・・・。愛犬の死、父の看病と初孫出産とその後で
体力と気力を使い果たして休んだら続けられなくなった。父を見ているときに
宗家夫人から、『そういう時も続けなさい、何とか続けなさい』といわれた言葉を
今、思い出す。 続けて欲しいという当時の生徒さんの声もあるし、あったのに。
その後、もう6年、カルチャーの前に復活すべきだった、と悔いるときもあるけれど
でも、いつかまた少しずつの生徒さんを相手に、和気藹々とした教室を再開したい。
勿論、カルチャーでの教室、和気藹々としているし、上田での教室も楽しい。

まず、娘たちに、伝えることから・・・かな。


M先生、この準備はきっと本当に大変だったことと思う。声をからして大勢の参列者の間を回っていらっしゃった。上田教室をお手伝いすることになったのはもう10年まえになる。はじめて松本のお教室をお尋ねした時には、緊張していて助手が勤まるだろうかと思ったものだが、M先生のお人柄は明るくて、フレンドリー、何よりお酒が好きで遊ぶことが大好きという、今日のお祝いの席に集まられた方々の大勢なことと皆さんのM先生の声かけが暖かい物であったことでも分かる茶目っ気もあふれたかわいらしい先輩に魅了されたことを覚えている。

来賓に近茶流宗家後夫妻のご挨拶、三味線のミニ公演で杵屋五司郎ご夫妻とご子息、30年前に教え始めた時の生徒さんが7人続けておられる方々への感謝状と豪華な幕開き、教室の生徒さんOBもその友達も、その家族もいっぱいいっぱいで、あっという間の4時間、ここ数日のたまっていた疲れも取れるほど心地よいパーティーでした。

写真はそのときにテーブルを飾っていた、M先生のボランティア活動の一つ障害者施設の方々のアレンジフラワーを頂いたもの。

そして、そして、数日前から食べたくて食べたくて仕方なかった栗ご飯、栗は弟から貰った立派な栗。弟も食べたくて食べたくてとうとう買って自分で半分向いて、義妹に炊いてもらったそうな・・・。昨日の晩、皮をむきながらことし、いつむいたのだろうか、むいた覚えはあるのに栗ご飯食べた覚えはないなと不思議に思っていたら、今思い出した。長野でテレビを見ながらむいたのは9月の終わり。ご飯にする時間がなくて、蒸して冷凍庫にはいっている、はず。今朝、早朝に出来上がるように仕掛けて、M先生のところへ出発する前に自分の分を取り分けて 長野に持ち帰った。お昼ごはんが遅かったのと、パーティーで沢山頂いたので、今晩はこれで充分。