ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

シェラレオーネでのエボラ出血熱 終結しました!

2015-11-08 23:30:39 | カトリックの信仰
今日、11月7日、待望の「エボラフリー」が発表されました。
去年の5月から1年6か月、これでやっと普通の生活に戻れます。
経済的な困難は、改善されたわけではありませんが、少なくとも
「エボラ」の名前を口にすることなく、生活できるのは、大きな安らぎです。
今朝6時頃から、ルンサの町中大きな歓声があがりました。
3955名の犠牲者を出したシエラレオネですが、去年の11月より、人々はより
注意深く、忍耐深く、互いに注意し合いながらこのビールスと戦ってきました。
これからは、孤児となった子供のサポートや、一度に多くの、突然の死を体験した
生徒のトラウマにどう寄り添って行くかなど、問題もの残ってますが、とにかく
エボラから解放されたという喜びのニュースを、皆さまにお届け致します。



昨日届いたメールです。
長い長い困難と緊張の中で過ごされていたシエラレオーネの皆さんが
感染を防ぐためにひとり一人が生活習慣も新たにしたり、メールにあるように
注意深く、忍耐深く、お互いに注意し合いながら過ごされていた結果です。
以前、エボラ出血熱による感染が広がっていた時に、ご心配いただき、一緒に祈ってくださった方にも
ルンサの街の歓声に加わって、この喜びを味わっていただきたくて転記しました。
その節はありがとうございました。

まだまだ、悲嘆や困難の中で立ち上がるために、問題は山積しているようですが
彼の地に留まって、寄り添っているシスター(修道者)がいて、
その中に私の友人である日本人もいることを
祈りを持って支えてくださいますようにお願いいたします。

祈り

2015-10-30 15:13:06 | カトリックの信仰

   

平日の昼下がり、誰もいない聖堂は一人神さまと向き合うには最適な空間。

何人もの気になる方々の顔を思い浮かべながら、祈る。
健康のこと、安否のこと、次から次へと祈る。
静かな時を持つと日ごろ、傍においていた想いに気付く。
ゆっくりと、ゆっくりと心が膨らんでいく感覚が嬉しい。

何か、いい感じになって家に向かう。

孫の洗礼式

2015-05-05 19:26:48 | カトリックの信仰
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2月に生まれた次女宅末っ子が洗礼を受けました。
今回はみんなの都合もビッタリ、上の子たちより早く恵みにあずかることができました。

霊名はシエナのカタリナ。昨年12月に初聖体を頂いた長女が1年半要理の勉強を見て頂いていたシスターがこの3月に急逝されました。シスターがいらっしゃったら誰よりもこの日も喜んで下さったに違いありません。
そのシスターの霊名はカタリナでした。
洗礼式は5月2日、シエナのカタリナの祝日は4月29日。

お説教では、神様に祝福されて洗礼にみちびかれた子は私たちの家族になります。
今日の福音でイエス様のぶどうの木に繋がる私たち共同体は、洗礼を受けるこの子供を家族として共に見守り、育てていきましょうと触れて下さいました。

神父さまに抱かれても泣かず、ホッ! いいですね、GWの只中でしたので、少なめの信者さんだったことも幸い?だったかしら、アットホームな感じが嬉しかったですね、

娘家族は親戚も居ない地に住み、5人の子育てをしています。ご近所の方々、学校や幼稚園繋がりの方々、そして教会を通して神様に導かれて、心強いことだと思います。
感謝!

たまたま、私の霊名はマリア・カタリナです。




エボラ出血熱のその後のニュース

2015-01-21 06:01:20 | カトリックの信仰
今回、シェラレオネから帰国した女性のエボラ疑いの発熱で経過観察入院しておられた女性は陰性で退院なっなとのことホッとしました。が気になって、友人のシスターに問い合わせました。
シェラレオネのエボラ出血熱の報告です。

現状を知っていただきたいので、以下転載させていただきます。
*********
ニュースの女性は、1973年からシエラレオネで教育一筋のシスターSです。
お母さんの葬儀で帰国していました。
でもシスターは、こちらでも度々熱やお腹をこわす、マラリアと、よくも長年
アフリカで過ごせたと、思うくらいでしたので、私のインターネットのニュースで
知った時は、多分何もなく、報道機関を裏切るでしょう、と思っていました。
予想通りインフルエンザ、でも2日位で治るものなのですか。今日には退院している
はずですが。その後は、イスラム国とテニスの全豪オープン、サッカーのアジアカップ
で、エボラはどこかに消えてしまいました。
とにかく何もなく神に感謝!

最近のエボラ情報です。
こちら、Lunsarは、もうしばらく救急車のサイレン聞きませんが、周りの村での
感染が続いています。先日も、お米 配りで寄った途中の村は、3軒しかない小さな村で、
1軒から6人の感染者が出て死亡したのです。もう一つの村は、「今日はずいぶん静かね。」
と、一緒にお米配りをしている先生と話しながら村の中へ。実はこの村48人死亡。私たちが
寄った時は、隔離措置中で、ほとんどの家で、皆外に出ることが出来なかったのです。
昨日の保健省のニュースでは、Lunsarから車で10分くらいのところの村で、167名が
エボラでなくなったと出ていました。
この様なわけですから、村の人々の教育が緊急の課題です。今日は、エボラ孤児のプロジェクト
のミーティング。その中でもう一つの村のエボラケースが発表されました。それは、ある村の18歳の青年がエボラで亡くなり、エボラ葬式チームがきて、規則に従って埋葬しました。
ここで終われば問題はないのですが、村でも伝統を重んじるグループに属していた青年であったので、同じグループの人たちが、夜中に埋葬された遺体を掘り起し、自分たちのしきたりに従い、遺体を洗い、
抱擁しお別れをしたのです。これが最悪の状態です。遺体はビールスの住まいですので、
ここから2次感染!
自分たちのしきたり、今これが一番の問題です。
ただし、今週の新しい感染数は、非常に少なくなっています。3地区位を除いて
ゼロの地区が多くなっていますので、今年は大いに希望が持てます。
とにかく早くエボラフリーになり、学校の再開を願っています。
お祈りください。 **********

エボラ出血熱 その後・・・収束への道のり

2014-12-24 07:04:41 | カトリックの信仰
このブログでも、エボラ出血熱収束のためにお祈りをお願いしましたが、シェラレオーネ在中の友人のシスターから12月通信が届きました。小さな一歩の積み重ねでシュウソクヘノ一歩が見えてきた嬉しい内容でしたのでシェアしたいと思います。
各地での取り組みが進み、新しい患者が出ないことを祈りたいと思います。


12月通信
今日は、支援者の皆さんにKailahunより、です。
本当に今の状態は、待降節・救い主を待つ季節、そして、“Na God hear us
!"(神様が祈りを聞いてくださる)と信仰のうちに、このエボラの終息を待っています。
今、私は、養成院が有り、またエボラが最初に発症したKailahunに来ています。
ここには、「国境なき医師団」によって創設された最初のエボラ治療センターがありますが、3日前にこのセンターから最後の患者が退院しました。このまま、あと39日間(21日間の2倍の42日間)、新しい感染者がでなければ、Kailahunには「エボラフリー」の証明書が発行されます。5月にここに来たときは、まだエボラの話はありませんでしたので、ここにこぎ着けるまで6か月かかったことになります。この計算で行くと、Lunsarでこの話を聞くのは、新年の2月末、エボラフリーにこぎ着けるのはさらに1か月半先の4月でしょうか。
今、どこの地区も、それぞれの地区を守る気概のあるチーフ(酋長さん)のいるところでは、他の地区からの訪問者は、チーフのところにあいさつに伺い、氏名、訪問目的を知らせて、滞在許可を願わなければなりません。これをしないと罰金です。
私も、ここの修練院のシスタージョセフィンとKailahunのチーフのところに御挨拶に伺いました。ちょっと太めのとても柔和な酋長さん。この日に至るまでの市民の無理解に苦しんだこと、特にお葬式に関して、一番難しかったそうです。しかし、現実に多くの方々が感染し、亡くなるにつれ、人々は忍耐強く彼の指揮に従い、”Don't
Touch "(接触するな)を守り、感染の拡大を減らしていったのだそうです。
救い主イエス・キリストのお誕生を祝うクリスマスを前に、この朗報に接し、希望を持って祈り続けるここの人々の信仰に深い感動を覚えます。
どうぞ、新しい年も、みなさんのお祈りを心からのお願いいたします。
新しい年・2015年が、皆さんにとりまして希望に満ちた一年となりますよう、シエラレオネから、お祈りいたします。

待降節第四主日

2014-12-22 15:03:54 | カトリックの信仰
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昨日はカトリックではクリスマス前の最後の日曜日、待降節第四主日でした。
所属の教会でお二人の洗礼式があるというので、同じミサで1年を超えてシスターとマンツーマンで勉強していた孫は初聖体を頂くことができました。
土曜日に初めてのゆるしの秘跡を受けて真っさらになっか孫は緊張しつつも、ミサの中で奉納のお役目も頂き、無事に初めてご聖体を頂きました。
これからもどんな時も共にいて下さる神、イエスを感じながら信仰を大切に育み、成長してほしいものです。

ちなみに彼女の着ているドレスは、私や娘たちが初聖体の時に着たものです。60年も経つドレスを孫が着て晴れ姿は別の意味でも嬉しいことでした。

12月

2014-12-02 11:05:12 | カトリックの信仰


カトリックでは11/30から新しい暦に入りました。
この日からが典礼上の年の始めであり、クリスマスを待つ季節になります。

巷ではハロウィーンが終わると、町のイルミネーションは年末商戦、クリスマスムードに変わりますが、やはりキリスト者としては、この待降節第一の主日からアドベントで飾りも出します。
教会の馬小屋の支度はこの日から、そしてイエスはクリスマスまで、まだお生まれにならず飾りません。

そして、一週ごとにイエスの誕生を迎える準備をしていきます。
象徴的なのが写真にアップしたアドベントのろうそく飾りですが、一本ずつ灯していくろうそくを増やします。4本がつくのはクリスマス直前の主日(日曜ミサ)です。

そして、クリスマスのお祝いは25日で終わりではなく、1月6日の主の公現の日まで続きます。
日本ではお正月飾りが間に入って、クリスマスの飾りは片づけることが多いのですが実は1月6日まで飾っておいてもいいのです。でも・・・飾ってあるとお客様には「えっ?}ということにあるでしょうね。

        

庭で今年は満了が一杯実をつけていて、やっと赤くなり始めました。11年前父が病に着く直前に買い求めたかにシャボテンの花が今年は大きいです。去年は先初めに大寒波が来て、その後花が咲きださずに蕾で落ちてしまいましたから今年は頑張って咲切れるといいなと思っています。

中軽井沢の紅葉

2014-10-27 10:43:18 | カトリックの信仰
中軽井沢の紅葉 美しいほんの短い盛りの瞬間に立ち会えたことに感謝!



地区の宣教司牧部門で秋に中軽井沢で開いている一泊黙想会は19回目になる。黙想指導をお願いする司祭と日程を決める時に10月半ばから11月にかけての中から決めるのですが、宿泊先の修道院の都合もあわせて10月の終わりのこの時期は19回のうち何回かしかないかと思う。

今年は紅葉がとてもとても綺麗でした。先週がちょっとリフレッシュタイムが多くて、お散歩はしないで修道院の中で過ごそうかと思っていたのですが余りの荒天、余りの紅葉の美しさにでかけてみた。

黙想会の内容は・・・後日機会を設けるとして・・・まずは紅葉の素晴らしさを分かち合い!!

40年近く前から毎年家族で夏を過ごしていた所に足を向けてみた。何でだろう、この地へ行かなくなって年月が経たないうちにも散歩で足を向けたことがある。その時が苦しかったのでずっと行かなかったのに、今回は朝の空気の良さが気持ちを向けたのだろうか、余り考えなしに行ってみた。
その後、建て替えがあったので当時の面影は無いのだが、別荘地に入って行く小橋も小さなせせらぎも少し上り坂の脇の木々も変わらずにありました。その地の周囲の木々も変わらず・・・毎年、別荘開きの時は一杯のカマドウマのお迎えでびゃーびゃー騒いだことも、お布団を干す場所をあちこちに確保したり、バーベキューをしたこともはなびをしたこともあったっけ・・・
懐かしくて胸がキュン、キュン。いつから行かなくなったのだったっけ?とか・・管理人さんのこと、一緒に遊んだ友達のことも思い出されてくる。
建て替えて、子供たちはこの地へ父を看る為に通ったこともあったのだった。できたことできなかったことが走馬灯のように蘇る。

でも行って良かった。

今年の黙想会のテーマは《イエスが開いた生き方》 静かな時の中で、いつも私たちを見ていて、いつでも受け入れて下さる髪の慈しみに立ち返る生き方を繰り返し繰り返し、聖書のよく知っているような箇所をいくつか用いて、ゆっくりゆっくりと沁み入るように話して下さった講話をこの一泊二日だけのことではなくて、これからのキリスト者としての生き方を ―キリストを知らなくても自分の生き方を求めている人々にとってもきっとヒントになるに違いない― できたこと、できなかったこと、やりたいこと、与えられること、色々と思うことは一杯ある。 
もう少し自分の中で咀嚼してから、含蓄ある黙想会の話をお伝えできたら嬉しく思う。

昼下がりの聖堂

2014-09-04 10:32:37 | カトリックの信仰
散歩の途中で自宅近くの修道院の聖堂に寄りました。
誰もいないと思って扉を開けたら…シスターが奥の方に立っておられました。
祭壇に向かって、何人かの友人たちの顔を思い浮かべながら祈りました。
静かな、静かな聖堂の中で、時々衣擦れの音…

この聖堂の十字架は、痩せて哀れなイエス像がかかっています。
太っちょのふんぞり返っているイエス像はあり得ませんが、そんなのもっと嫌ですね。
あまり、この像のこと好きじゃないのだけど、でもこの十字架の足元を飾る花はイエス様のことをいつも賛美している気がしてミサに与るとミサ後にカメラを向けたくなります。

今日も友達の顔を思いながら見上げるイエス様は、今流行の男子スカートをはいて(似合っているかも)、みんなお見通しのようです。全部受け止めて、「大丈夫だよ」って言っておられるようでした。

何が大丈夫なんでしょう・・・とりあえず・・・祈らずにはおられない友達がそれぞれに抱えていることは違うけれど、神様からの恵みに支えられて平穏な気持ちの中で過ごすことができるようにと、みんなが笑顔の中で過ごせますようにと思います。どんな形であっても神さまはいつでも見ておられるから、希望をもっていて欲しいと思います。

祈ることしかできない私はすでに、困難や悲しみ、涙の中にいる彼らに励まされているような気がします。祈れることに感謝しつつ心を込めて祈るときに、何より彼らと共にいることに気付くのです。

シスターが「十字架の道行」をしておられることに気が付きました。
遠く母国からいらしているシスターのために、良く日本にいらして長く尽くしてくださっていることに感謝せずにはいられない気持ちになりました。イエス様の十字架の道をたどりながら、復活へ導かれる祈りはいつでも珠玉の祈りです。