自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

耕す、文化、農業

2018年01月31日 09時16分49秒 | コラム

 耕すことと農業との一致は理解できるが、文化と密接な関わりがあることは、それぞれを英語に訳すると理解できる。CULT(耕す)から派生した言葉が文化であり、農業でもある。文化と対の言葉が野蛮だが、文明に対しては野生とでも言うのだろうか、、。トランプ大統領の野性的というか野蛮とも取れる言動は物議を醸しているが、迷ったら原点に戻るが原則だし、建国時の理念に戻る必要がある。独立宣言を起草し、第三代大統領になったジャファーソンの言葉をかみしめる必要がある。”大地は人間が生活していくための宝庫である。”、”大地を耕すものは。もっとも価値ある市民であり、彼らは強健であり、最も独立心に冨み、最も徳に秀でている。”

 誰もが望んでいない戦乱が絶えることなく続いていて、下手をするとハルマゲドンを招きかねない状況が日々進行しているが、人類滅亡を避けるには、文化を高めることしかないのではないだろうか、、、。大地に挑み、苦心して自然栽培を成功させ、”百姓が地球を救う”というタイトルの本を出された木村さんは、最高の文化人と言えるだろう。何しろ自分のことを百姓と言える文化人は希少価値になってしまった。百姓というと差別用語と取られかねないが、元々、姓(かばね)とは仕事を表したもので、あらゆる仕事をこなしている人のことを百姓というのだが、、、

 ”衣食足りて礼節を知る”は真理で、争いなど起こるはずもない。中東にしても、水さえ十分であれば豊かな生活が保障され、互いに共存できる地域である。ところが水が乏しい乾燥地帯、石油が豊富に産出されることが欧米列強の争奪の場になってしまった。その欧米列強を師匠役にして国の歩みを始めたのが明治維新であり、富国強兵、殖産興業がそのスローガンであった、沖縄、台湾、朝鮮、中国(満州)から冨を奪いながら、大日本帝国を建設したのだが、最終的には巨大帝国に叩き潰されてしまったのが75年前のことである。

 その後、文化国家建設を目指したのだが、、、、文化の反対は野蛮、究極の野蛮が戦争であることを再認識しなくてはならない。その決意であった日本国憲法は風前の灯火、何故にこのような状況になってしまったのであろうか、、、。文化の基である農業を犠牲にして、高度経済政党を目指してきた戦後にその原因があるのだろう。国破れて山河あり、その緑の山河に、農地解放によって私有地をものにしたこの国の百姓が必死になって働いてくれたので、餓死者を出すことがなかったのに


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