この3年間で、いちばん出会ってみたかった花に、ようやっと巡り会いました。
今年こそは出会いたいと、切望しておりました。
そのためにはどうすればいいか、どこに行けば出会えるかなど、漠然とではありますが青写真を描いていました。
今週末か、次の週末には、思い切って遠出をしようと考えていたのです。
そろそろ行動しないと、今年の花時期は終わっちゃうだろうなと、少々尻に火がついた状況になっていました。
それがです。
先日、都内某所、庭園風の公園を訪ねてみました。
すぐ側の別の公園に、ある花を求めて行く予定があったので、その前に寄り道してみようかなと、軽い気持ちで行ってみたのです。
もちろん、変なスケベ心は皆無です。
公園の様子を、軽くチェックするほどの思いでした。
初めて足を踏み入れた公園ですのでね、一渡り周遊し、植えられている植栽の種類や傾向を把握しておきたかったのです。
和物系の草花が充実しているのかな。
この公園、かなり気に入りました。
家から少々遠いので、頻繁に顔を出すのは無理ですが、定期的に回っている花探訪の1ヵ所として、この公園も加えることに即決です。
そろそろ本来の目的地に向おうとしたそのとき、待っててくれたのがこの子です。
まさかね、ここでお会いできるなんて・・・
【ママコノシリヌグイ・継子の尻拭い】タデ科
どれだけこの花に出会いたかったは、goro's Diary に長く付き合って下さってるかたは、ご存知ですよね。
昨年は、イシミカワの蔓をママコノシリヌグイだと勘違いし、完全なる一人相撲をとってしまい、イシミカワの青い実との出会いにも、つれない態度をとってしまいました。
そのくらい大人気ない態度をとらせたのも、ママコノシリヌグイに会いたい一心からです。
故郷の野辺で出会って以来ですから、40年は有に過ぎての再会、ひょっとしたら50年振りに近いかもしれません。
出会った瞬間、この子だってすぐわかりました。
脳裏に焼き付いたお姿を、見逃すはずはございません。
離れ離れに暮らしていた愛しい我が子に、実母が出会ったような気持ちでしょうか?
紅涙を振り絞っての再会です。
心臓バクバク、息も途切れ途切れで、感動に打ちひしがれてしまいました。
というのは、嘘です。
自分でも信じられないくらいすんなりと、平常心で再会の時を迎えました。
出会う前に予想してたのとは違う感動でしたね。
上記のようなオーバーアクションになるだろうなと思っていたのに、意外にも、静かな時間の中で、ママコノシリヌグイに対峙しました。
どうしてそうなったのか、思い当たる節はありますが、その件に関してはここでは問題にはしないことにします。
ただただ、ママコノシリヌグイに出会えたこと、そのことに感謝あるのみです。
少々小振りではありますが、金平糖のように見えませんか?
花姿、花色とも、なかなか可愛いでしょう?
なのに、どうしてこの子に、ママコノシリヌグイ・継子の尻拭いという残酷な名前が付けられてしまったんでしょう。
すべては、こちらのせいです。
茎に、下向きの棘がビッシリ生えているのです。
側にある植物に、棘を引っ掛けながら蔓を伸ばしていく上では、下向きに生えた鋭い棘は、機能的には大変優れています。
鋭い棘ですからね、触っただけでもかなり痛いですよ。
子供時代に、引っ掻き傷で血だらけになったことがあります。
取り扱い注意マーク、付けておきたいくらいです。
この棘を見て、どこのどなたが継子の尻でも拭いてやろうと思ったんでしょうかね。
尻を血だらけにして痛がる継子を見て、喜んだヤツがいたんでしょうか。
いい子振る気はさらさらありませんが、私はこの花の名前がママコノシリヌグイだとわかったとき、なんて素敵な人格者の継母だと思ったんですよ。
継子がやった悪さに対して、継母が必死になって「尻拭い」をする。
ことほど左様に、縁があって親子になった人間には、深い情があるんだって、そんな意味のある名前だと思ったんですけどね。
鋭い棘は、外部の圧力から我が子を守るため、時に鬼にもなる慈母を象徴したものだと、そう思ったんだけどな。
真逆したね。
実際にこの蔓で、継子の尻を拭いたとは思えませんから、あくまで象徴としての話でしょうが、それにしてもこの発想、命名は、なんたることでしょう。
人間の想像力には、限界は無いのでしょうか。
インパクトでいえば、これ以上のものはありませんが、悲し過ぎる名前です。
Wikipediaの記述には、韓国では「嫁の尻拭き草」と呼ばれる、なんてのもありました。
継子といい嫁といい、いじめなければ気が済まなかったのでしょうかね。
業のなせる技です。
トゲソバという別名もありますが、ママコノシリヌグイというインパクトのある名前の前では、霞んじゃいますね。
今回の出会いで心残りなのは、このママコノシリヌグイの花たち、固く閉ざして、ほとんど開いていなかったことです。
開花してる姿を是非拝見したいと思っていますので、近々に再訪してみたいと思ってます。
開花してる写真が撮れたら、ご披露いたしますね。
近々って、いつのこと?
なんてことにならないよう、肝に命じます。
吉広にはかなりのしをきかせてます。
それがね、つい先日、私の師匠の退職校長センセやシイタケ農家の人たちとの宴会で
「ままこのしりぬぐい」の語源でもりあがったのでした。センセイたちいわく
「●●さん、気をつけるんでぇ。
これが生えてるところで青空トイレでもしたら、
はぁー、いたかろう!」
たしかに、気をつけねば!?
50年振りとしたら半世紀振りってことになりますね。
長い長いときを経ての再会は、意外と静かなものでしたか。
多分、会えないでいる間も、悟郎さんの胸のうちでは毎年秋になると
この子達がちゃんと咲き続けていたのだと思います。
だから、現実には会っていなくてもイメージ的には毎年ちゃんと
お会いになっていて… 目に見える形で再会されても続きのように、
ふっと微笑を浮かべて「ここにいたんだね」と。
それとも、咲いた花に会われたら息も絶え絶えの反応になられるのかしら?
すみません、勝手にあれこれ想像してしまいました(^^;)
継子や嫁は虐めなきゃいけない対象のようになっているのが
私にも解せません。何かというとグループで固まりたがる
人間の業のひとつの表れなんでしょうかねぇ…。
で、ごろーさん、これは関西以西に多い草花なのだろうか? だって、宇和島と国東は近い!で、野辺にはばをきかせてるってことは!?
僕も悲願でした!
ほんとに良かったですね!!
僕は実は、あれからぼ毎週撮っています。
同様な疑問からです。
いつ開くのか?って。
午前中が、比較的開いていることが多いです。
午後1時ぐらいまでのようです。
あくまで僕の観察ですが。
出会いたいと思っていたんですよ、ママコノシリヌグイには。
何十年振りの再会です。
西日本に多いということでもなく、日本各地に自生しているようですよ。
ただ東京は、ましてや都心では、自生しているものには出会えないでしょうね。
フフフ・・・ そりゃね、青空トイレでしゃがみこんだところにママコがいたら、笑い事ではないでしょうね。
この手の話題は、よく出る話です、田舎では。
あとマムシの話もね。
お気をつけてください(笑)。
★ポージィさん
ありがとうございます、ようやっと出会いました。
ほぼ50年と言っていいと思います。半世紀ですよ。
感慨深いなぁ~~
意外なぐらいあっさりと受け入れちゃいました。
もし出会えたら、狂喜乱舞するに違いないと想像していたのですが、現実は違いました。
思いが募り過ぎて、何周かくるくる回っていたのかな。
会えないことを前提にしてましたので、目の前に現れたときに、オブラートで包まれたような、冷静な状況を作ってしまったのかな?
わかりません。
「ここにいたんだね」という思いは、ほんとそんな感じでした。
>咲いた花に会われたら息も絶え絶えの反応になられるのかしら?
さてどうでしょう?
この分だと、大丈夫なような気はしますが(笑)。
来週辺り、チェックしてくる予定です。
家父長制度、儒教社会のなかでは、嫁はあくまで他人だという発想ですかね。
「秋茄子を食わすな」なんかもそうですものね。
腹を冷やさないために、秋茄子は食べないほうがいい、優しさから出た言葉だって、とってつけたようなことをいいますが、美味しいものは食べさせたくないという、姑の根性丸出しが正解でしょう。
ましてや継子になど、もってのほかですかね。
他者を排除するのも人間の本能のひとつではありますし、本能は生まれ持った業に通じるってことなんでしょうか。
★noodlesさん
やっとです、やっと出会えました。
この日がくるのを、待ち望んでおりましたのでね。
実は簡単に出会える場所は知ってたんです。ある植物園なんですがね。
そこで半世紀になんなんとする再会の日を迎えるのは、嫌だったんですよ。
たまたま、通りがかりにとか、探し続けた結果、ようやっとという再会を求めていたんです。
まあ、くだらないこだわりではありますがね(笑)。
開花してる時間、午前中ですか?
かなり高いハードルです、私には。
出来る限り条件を充たして、チャレンジしてみます。
駄目でもいいんです。
noodlesさんがアップしてた花で、是非見てみたいと思ってた花を、そこで見つけちゃったので(咲き出したばかりだったので、再撮に行こうと思ってます)、そちらと出会うことも大きな目標になってますから(笑)。