夢を求めて、女の一人旅物語

大好きなところはヨーロッパです。好きな言葉は夢です。ブログは私の心の窓です。

イタリア小さい村巡りの旅 ⑦

2012年05月31日 13時32分09秒 | 旅行記

今日のフライトは午後ですベニス空港からドバイ経由で帰国です!午前中にオプションツアーがありましたパドヴァ(Podova)はバッキリョーネ川の畔にあり、ヴェネツィアの40km西、ヴィチェンツァの29km南東に位置する。

かつてパドヴァ市内を流れていたブレンタ川は、今も市の北部地区をかすって流れていく。農業はヴェネツィア平野で行われている。

 

 

場所が分かるかな!?

パドヴァの南西には、マルクス・アンナエウス・ルカヌス、マルティアリス、ペトラルカ、ウーゴ・フォスコロ、パーシー・ビッシュ・シェリーらが讃えたエウガネイ丘陵が広がる。

 

 

 

 

高速道路から降りると、意外でした。想像したより大きい都市でした

パドヴァ(Padova)はイタリアヴェネト州の都市、パドヴァ県の県都で、経済・通信のハブ地であり、人口およそ160万人の規模となるパドヴァは、1222年創立のパドヴァ大学で古くから有名である。

ポローニヤ大学の次古く、パドヴァ大学は世界最古の植物園を持つ。治療用ハーブを育てるため大学の医学部付属にした。希少な植物の重要なコレクションを今も持つ。

広いコムーネ広場から通じる、アーケードのある通りの密集したネットワーク、そしてかつては古い城壁の周囲を堀のように囲んでいたバッキリョーネ川の多数の支流には、多くの橋がかけられている1232年に着工したサンタントニオ教会を見学!中庭から屋根8つのドームが連なる姿が見えます。

教会前の広場にある売店の蝋燭の形が変わっている。制覇のおじいさんたちをタクシーに乗せたら、私たちはウンベルト1世通りを早足に歩く

市内を走るトランスロールの道はぼろぼろ。何だか味わいがありそう

ラジオーネ宮は1218年建設、裁判所に使われていたが、現在は博物館となっています。パドヴァのシンボルとなっています。建物前の広場に衣料や果物など露天市場になっていて、市民や観光客で賑わうところです座り込んでじっと市場を見ていても面白い。一休みしながら、眺めているのもいいかもしれません少し果物を買いました。

町の建物に彫刻が填め込まれたというか!なかなか凝っているデザインだと思いました小さい広場で寛いでいる人もいました。

アルティナーテ門の前には昔社交場として使われていた喫茶店がありました。

豪華な装飾で、入口のところにミーティングコーナーがあり、無料で使用できるそうです市庁舎の建物の前でインタビューを受けた人がいました。たくさん学生?地元の方が多かったです。

バスを待っている間、座り込んだ私!慌ただしい観光でしたが、町全体が綺麗で、建物の外見の設計がとっても芸術的だと思いました

12~14世紀に自由都市になり、古い大学のお陰だと思います。あまり観光化されてない場所だから、晴天に恵まれて、来た甲斐があってよかったです観光が終わって、一回ホテルに戻って私たちの荷物をバスに詰め込むそうです。

今朝、ポーターさんが間に合わなかったため、添乗員と制覇のおじいさんたちだけのスーツケースをバスに入れたらしいなぜなのか?添乗員はいつもお二人を特別扱いしていたような気がしました制覇のおじいさんたちは特に悪くなかったですが、問題は添乗員です。うまくやりくりができれば問題ないのですが、自分の余裕が限界だったというか!私たちをお二人に合わさせようとするとこちらに不満が出ますだって!好きな写真を撮る時間がなくなってしまいました早く空港に着いたので、チェックインはまだ空かない!エミレーツはやることがだらだら幸いなのはビジネスクラスだから、一番になっています添乗員は「エミレーツはいつも並ぶ」と言っていたのに、この人気があるのが不思議です帽子のおじさんは花が水が足りなくなったような枯れた感じ、お喋りの声が聞こえなくなっていましたビジネスの看板に刺激をされたかしら旅行中に、カメラマンーの奥さんに「若い時に、いろいろなところへ行って、いいね、私たちは若いときには、そんなことは考えることも出来なかったです」と羨ましがれたそれぞれ人生があるから、この生活は神様が私に与えてくれた人生です誰にも関係がありません。感謝したくなるのは神様です。比較するものではない!年を取るって!自然法則ですだれだって!時間&日にちが経てば勝手に年齢の数字が上がるどうにもなりません。自分ができるのは年の取り方ですやっとチェックインカウンターを開けてくれたのですが、問題なのは隣に長いーーー列になっていた手荷物検査です現地のアシスタントに聞いたら、なぜこんなに並ぶの?しかも全然動きません。彼女は「向こうにもう一箇所あるけど、同じですよ、もっと並ぶと思いますよ」と言われました今回、初めてベネチア空港を使用するので,現地の状況がよく分からなくて、彼女の言う通りにしました途中でいろいろな出来事があって、おとなしく並ぶより、多分1時間近く早く通過することができました悪いロシア人のグループのお陰でした中に入ったら、もう一箇所セキュリティーがあって、受付が5箇所ぐらいありました現地のアシスタントと添乗員の情報不足でしたこのような苦労は二度と経験したくありません早く忘れたい!ラウンジで約1時間ぐらい休憩できて、写真データの整理をしたり、イタリアの赤のオレンジジュースを飲んでみたりしました。

無添加&搾り立てじゃないと口にしない私!美味しくなかったですアンケート用紙に記入したり、ゲートに向かおうともう一箇所の出国手続きのところでエコノミクラスのカメラマン夫婦に会いました。どうもセキリュティーが終わったばかりだって!私たちより全然後ろで並んでいたから、全員が悲惨な体験をされたと思う今回の旅行は出発の時から、いろいろありすぎて、旅行中にジェノバでデモと出くわしたり、ポローニヤで地震を体験したり、ベネチアの出国手荷物検査で、あのような地獄のような世界に呼吸が止まるんじゃないかと思いました定刻通りベネチアから離陸しましたが乗り継ぎのため、ドバイで3時間待ちのはずが、結局は出発が遅れ、しかも予告もなし、約1時間待たされました機内食は改善なし、こんなにワンパターンな味です。

私の腕がいくら上手くても、こんなにまずい料理を上手く撮れませんでした言わないと、マットを配ってくれませんでした乗務員の姿勢を見ると航空会社の管理の悪さが分かる。親友が「もう二度と乗りたくない」とマイナスだけではなく、食事がまずいからって!食べなければダイエットできると思うことにしました兎に角、今回の旅行は結論から言えば無事に帰国できました翌日、出社したら、会社のエントランスで社内を掃除するパートのおばさんが「あらま!あなたは大丈夫でしたか、イタリアに行っただって!心配したわよ」と挨拶をされましたおかしい!イタリアに行くことはしつこく聞かれた一人だけにしか言ってないのに全社に放送されたよう!まったく悪いことがあったときは、必ずいいことが来る。いいことばかりの時は、決していい時期とは言えないと親友に教わりました友達や友人に「あなたは本当に幸運&強運ですね。私もその強運にあやかりたいものです」と私の答えは「普段の行いがいいこと」・・・笑・・・事実を言っただけ!本当~フランスの隣のイタリアって!どうしてもフランスと比べてしまう今回は田舎町でした!「どこの大都市も同じで、田舎町が好きだ」と提唱した私って頭のどこかに偏見?があったのではないかと考え直したところですイタリアはローマ帝国の故郷だからヨーロッパのほかの町の歴史を理解するため、イタリアのよさをもっと分かるように勉強しなくちゃ実はイタリアも好きですけどね~

 


 


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