ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

「りゅうきゅうねしあへの便り」から1

2011年02月12日 | Weblog
辰濃和男さんが沖縄タイムスに1997年を挟んで「りゅうきゅうねしあへの便り」というコラムに一ヶ月に一度の頻度でエッセイを書いていた。そのいくつかを要約して紹介する。なお、わかりやすくするために、自然編、歴文編、政治編に分けた。

【自然編】

○西表を世界遺産に~すべての基準クリア~:1997年2月1日

主張したいのは、西表島を「世界自然遺産」に推薦する運動を進めようということだ。あくまでも島に住む人たちの意思を最優先にすべきで、もし島の人がそれを望むならばという前提をつけたうえでの話だ。

一月初めの朝日新聞に「環境庁が、ヤンバルの森を世界遺産として推薦する方針を固めた」という記事があった。世界遺産に登録されれば、政府は、そこを開発から守ることに責任をもつ。

十年ほど前、ノグチゲラやヤンバルクイナが生きるヤンバルの森を訪ねた。ノグチゲラの雛がスダジイの幹の丸い穴で鳴くのを聞いたし、闇の沢から浮かび上がるホタルを見た。

ヤンバルが世界遺産に値する地域であることはいうまでもない。西表島とヤンバルは同列だ。環境庁に対して「西表を忘れるな」といいたい。

世界遺産に登録されれば本土からだけではなく、世界各国から人が来るようになる。訪問客がふえることは島の経済をうるおすことになるだろう。沖縄の基地を守るためではなく、自然遺産を守るためにこそ、国は大規模な財政援助を惜しまぬことだ。

世界の自然遺産に登録する基準は次の四点になる。

 (1)地球の歴史を考えた場合、ある時代を代表する場所であること
 (2)地球上のある種の生態系を代表する重要な地域であること
 (3)すぐれた自然美をもっていること
 (4)絶滅の恐れがある生きものをふくむ多様な野生生物が生きている地域であること

西表島は明らかに、この四項目の基準を満足させている。第一に、約千五百万年前に海中から隆起したこの島は独特の地層をもつ。第二に、西表のマングローブ林の規模は日本最大であり、サンゴ礁地帯も、日本最大のものだ。
第三に西表は、旅人のこころをとらえて離さない魅力に満ちた景観をそなえている。第四に、この島のイリオモテヤマネコやカンムリワシは国の特別天然記念物だし、セマルハコガメ、キシノウエトカゲ、仲間川の天然保護区域、古見のサキシマスオウ群落なども国の天然記念物だ。

西表が訪問客を受け入れるには、ビジターセンターを造り、島の自然歩道を整備する必要があるが、そう手を加えることはない。簡素な歩道と最低限の数の山小屋・キャンプ場を作ればいい。西表の生態系に詳しいガイドの養成、外国語の説明書の出版、伝統工芸・特産品の振興も大切だ。


○海を愛して海に死ぬ~乱開発を怒った吉嶺さん~:1997年11月1日

沖縄の地図をひろげ、国頭村の宜名真を探している。あ、ここかと指で押さえる。ここの海で吉嶺全二さんは亡くなったのか。

吉嶺さんは素潜りの名人だった。三十年、海中写真を撮り続けた人でもある。ものごとの本質を見極める目をもち、いつも、けれんみのない直球を投げ、沖縄の海は泣いていると訴え続けた。

ウエットスーツ姿であおむけに浮いているところを発見されたという。潜りの名人の身にいったい何が起こったのだろうか。

「沖縄の海はもう廃墟ですよ。九九%が死にました」

NTTの職員だった吉嶺さんに会った時、強い口調でそういった。

復帰前の沖縄の海の中のまばゆさを、私たちは語り合った。私も六〇年代後半の海を知っている。エダサンゴもエダミドリイシもテーブルサンゴもいきいきとした輝きを持ち、目を射る色の魚たちが群れていた。

「復帰後です。海がおかしくなったのは。こんなことってあるのか、と怒りにかられて潜りました。潜るたびにサンゴの墓場がふえていったのです」

元凶は、沖縄振興の名による開発事業だった。陸地の自然破壊がそのまま海に及んだ。陸地から吐き出される大量の表土、赤土、化学肥料、農薬のためにサンゴは死んでいった。オニヒトデの異常発生も土壌流出と無縁ではない、といわれている。「皮肉なことに、サンゴを失った沖縄の海はどんどん『本土なみ』に近づいているんですよ」

吉嶺さんはいう。沖縄には土を大切にする伝統的な思想があった。一枚の畑ごとに「イーフ」と呼ばれるため池をつくり、雨が降ると、表土がそこに流れこむようにした。たまった土はまた畑に戻す。こうすれば、土壌が海に流れこむのを防ぐことができる。復帰後の開発は、そういう伝統の知恵に学ぶことをせず、本土なみの開発を押しつけ、サンゴの墓場をふやした。

吉嶺さんの名著『海は泣いている』には、生きているサンゴの写真と、それが何年後かに残骸に化した写真とが何枚も何枚も、なまなましく並べられている。たやすくは撮れない写真だ。写真を見ていると、生涯、沖縄の海を愛した男の素潜り終えた時の荒い息遣いが聞こえてくる。


○似合わない風景~米軍だけ満足の海上へり基地 ~:1997年12月6日 

久しぶりで山原の森を歩いた。イタジイの原生林には、たくさんの生きものの命をはぐくむ力がみなぎっている。

十一年前に来た時は、特別天然記念物のノグチゲラを見て心がたかぶったことを思い出した。夜はカジカの声を聞き、蛍を見た。

あのときは、沖縄国際大の宮城邦治教授に案内していただいたが、今回も宮城教授と一緒だ。遠くからみるとイタジイの樹冠は実にやわらかな曲面を描いている。白っぽい幹が立ち並んで濃い緑を支えているのがみえる。前に来たときと、そう変わらない風景だ。
が、どこかおかしい。落ち着かない。

落ち着かない気分にさせているものの正体が真新しい舗装林道なのだということがわかってくる。原生林の「自然」と高速林道の「文明」とが、水と油の違和感を与えている。やわらかなほ乳動物のからだを何本もの鋭い鉄の針で貫くものがいれば、人はその残虐さを非難する。が、原生林にコンクリートの舗装道路を通すことも、ことの本質にそう変わりはない。太古の森には、高速林道は似合わない。

林道の計画者はさまざまな理由をあげるだろう。木材生産の効用をいうだろう。しかし国の為政者にこの森を守る強い意思があり、木材生産による収益をはるかに上回る補助金を「森林保護の推進」の名目で地元にだす知恵があれば、高速林道に巨費を費やすことをせずにすんだろう。原生林を守り抜けば、山原はエコ・ツーリズムのすばらしい拠点になり、全国から客がくる。これからはそういう時代なのだ。

突然、宮城さんが車を止めた。林道の側溝にリュウキュウヤマガメが落ちていて、じっとしている。沖縄にしかいない天然記念物で、絶滅希急種でもある。
「カメを助けたんだから、いいことがありますよ」。私たちは、そんな冗談を言いながらカメを山に放したが、このカメがまた側溝に落ちずにすむという保証はない。道路管理の責任者は、保護団体の抗議を受けて、側溝のあちこちに斜面をつけ、落ちたカメやイモリがはい上がれるよう修理をしているが、はたしてどれほどの効果があるか。

似合わない風景にはどこかムリがある。林道は山原の森をズタズタにしただけではなく、日々、森の命をおびやかしている。ノグチゲラもヤンバルクイナもヤンバルテナガコガネも、ますます追いつめられている。

似合わない風景といえば、辺野古沖に生まれそうな米軍ヘリポートもそうだ。
数千億円とも一兆円ともいう巨額の税金を投じて造られるものは、もっぱら米軍を満足させるだけで、辺野古の住民の暮らしを脅かすものになるだろう。環礁の内側のゆたかな命の海はたちまち、死の海になるだろう。ジュゴンもウミガメも姿を消すだろう。


○消えた?海へのにおい~希薄さは独自性失う~:1998年4月4日

Aさん。
このシリーズを書くようになってから、たびたび沖縄を訪れる機会がありました。

いずれも短い旅でしたので、断定的な言い方は避けたいのですが、心配になったことの一つは、沖縄の海のにおいが希薄になっているということでした。

ヤマトンチュの私が貴兄に向かっていうのもなんですが、沖縄が沖縄であるのは、透明な海のまばゆさであり、若草色の海の、魂を飛翔させる量感でしょう。太古の海を背景にしたゆたかな琉球文化こそが沖縄を沖縄たらしめています。その海の存在感がゆらいでいるという思いをどうも捨てきれません。
沖縄ー海=ただの県
ということになってしまうのではないか。

昔は、那覇空港に着く前のあの空から見るさんご礁の海に圧倒されたものでした。島内を歩き、海を見るたびに体内の野性がよみがえる思いがありました。本島北部の海岸で岩場にしゃがみこむと、小さな露草色の魚が群れていて、海の水の透明感をひきたてていたものでした。

いちばんの驚きは、三十三年前、初めて竹富島を訪れ、若草色の海を見たときです。その途端、私のからだが直観的に反応しました。この海こそがミクロネシアやポリネシアの海につらなっているのだと。その感慨が「りゅうきゅうねしあ」というネシア文化圏の発想につながりました。

今も沖縄の海は確かに輝いています。しかし、昔、あれほど私のこころを飛翔させた迫力がない。海は疲れているように見えます。
恐ろしい勢いで赤土が海に流れこむ光景を目撃しました。珊瑚の墓場もこの目で見ました。

海の変化は同時に、海への思いの変化につながっているのではないか。
海の果てにニライカナイを思う情念が健在であるならば、その海に海上ヘリポート基地を造ろうなどという愚挙は一笑にふされ、政治の場に持ち込まれることさえなかったと思えてなりません。

「これからの世紀では、ポリネシア的な文化が地球的な規模でひろまるだろう」
そういう意味のことを書いたのはステント博士です。卓越した分子生物学者であり、人類の未来は「ポリネシアへの道」の果てにあるとさえいっていた学者です。

ポリネシア的な文化とはなにか。一つにはそれは、近代文明を支えてきた進歩・力・科学技術などへの信仰を超えたところにあるものといえるでしょう。遊び・やわらかさ・神秘・野性などに支えられた文化です。

近代文明を中心にした世界地図はすでに色あせています。その地図をみずみずしいものによみがえらせるには、太平洋の島々を中心にすえた地図をつくることが必要です。琉球列島はその地図の北西に位置します。

ポリネシアの文化が人類の未来にある方向を示すとすれば、太平洋文化圏につらなる沖縄の文化もまた、日本の、いや人類の未来にとって貴重な財産になるのではないでしょうか。沖縄の海のにおいが希薄になればなるほど、沖縄の文化は独自性を失ってゆくという恐れを私は抱いています。



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