ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

今年のプロ野球

2006年09月29日 | Weblog
セリーグは、9月28日現在、ドラゴンズが14試合を残してマジック9でトップである。今日からの阪神との3連戦が最終決勝戦である。3ゲーム差あるから3連敗しなければ、ほぼ優勝は確実となろう。
ドラゴンズが優勝すれば、MVPはどの選手だろうか。川上(16勝5敗 防御率2.46)かウッズ(打率.302 本塁打41 打点125)。川上がもう2勝すれば取るだろう。ウッズは本塁打と打点の二冠王を取れそうだが。
福留(打率.359 本塁打29 打点96)と岩瀬(1勝2敗 セーブ38 防御率1.43)の成績もすばらしい。1・2番コンビの荒木と井端も活躍した。
ジャイアンツは交流戦でこけてしまった。連敗が多くて最後まで立ち直れなかった。2年連続Bクラスだ。選手の負傷が重なったのも原因だが、選手の層が薄かったことを暴露した。上原を筆頭にピッチャーが駄目だった。打者で良かったのは李スンヨプぐらいだが、このところホームランが少なくなったので来シーズンのメージャーリーグ入りは難しいかもしれない。ジャイアンツに留まるかもしれない。

パリーグのリーグ戦はほぼ終わり、三つ巴だったが日本ハムの1位が決定し、日本ハム、西武、ソフトバンクのプレーオフで優勝が争われる。
去年の覇者ロッテは、交流戦までは絶好調だったが、その後の凋落が酷かった。逆に日本ハムは交流戦直後は4位だったが、よく勝った。ヒルマン監督がやる気充分を見せていた。ルーキー投手のダルビッシュ(12勝5敗 防御率2.89)と八木(12勝8敗 防御率2.48)がよく働いた。押さえのマイケル(5勝1敗 セーブ39 防御率2.19)も良かった。打者で好成績なのは小笠原(打率.313 本塁打32 打点100)と稲葉(打率.312 本塁打26 打点75)である。
西武の松坂も好成績だった。来年はメジャーリーグでの活躍が期待される。

今年の日本シリーズは順当に行けばドラゴンズVS日本ハムとなるだろう。

読書録「追放の高麗人」

2006年09月15日 | Weblog
姜信子著の「追放の高麗人『天然の美』と百年の記憶」(石風社、2002年)を読む。
高麗人(コリョサラム)とは、19世紀中ごろより朝鮮半島から沿海州(ロシア極東)へ流出した朝鮮民族である。朝鮮北部を襲った飢饉や日本進出による植民地化で生き難くなった人々であった。彼らは1937年にスターリンにより沿海州から中央アジアへ強制移住させられた。国境地帯に日本人と見分けにがつかない人々を置いておくことが危険に感じたという理由で。その数、10数万人だった。

著者は、中央アジアのウズベキスタンやカザフスタンで高麗人たちが「故国山川」という歌を歌い継いできているのを知り、高麗人を訪ねる旅に出る。その歌は、日本の「天然の美」という曲のメロディと同じであった。ジンタとかサーカスの歌とも呼ばれるメロディ。「故国山川」は望郷の想いを歌ったものだ。「故国山川」のルーツとともに高麗人の百年の記憶をよみがえらせる。

「天然の美」は1902年に佐世保でつくられた。軍楽隊長の田中穂積が女学校の教材用につくったという。作詞は武島羽衣。佐世保の女生徒にふさわしいリズムとメロディということでワルツ曲だった。その女学校では校歌ができるまで校歌がわりに歌われていた。その歌が中央アジアまで旅して歌詞は異なるが歌い継がれてきたのだ。

(ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル氏の作品)

「天然の美」は植民地時代の韓国で唱歌としてよく歌われた。1916年にソウルで発行された「通俗唱歌集」にも収められている。植民地の民は「天然の美」のメロディに詩をつけて様々に歌った。それほどその美しく悲しいメロディは愛された。流浪の朝鮮の人々が沿海州へも持っていった。
著者は、ウズベキスタンの写真家アン・ビクトルに案内されて多くの高麗人に会って「故国山川」を歌ってもらう。高麗人の存在が内外に知られるようになったのはペレストロイカ以降だという。追放の記憶を語るのはタブーだった。朝鮮の言葉を封じられ、ロシア語を話し、ロシア人化してきた。しかしながら、ソ連崩壊後、中央アジアの国は独立し、ウズベキスタンやカザフスタンの民族語が公用語になると、高麗人たちは居づらくなった。今度は、ウラジオストクのあるロシア極東へ戻っていく民族移動が始まったのである。そこには、戦後、サハリンから追放された韓人、北朝鮮からの出稼ぎ朝鮮人、中国東北部から交易にやってくる朝鮮民族がいる。

著者は、八重山石垣島出身の島唄歌手大工哲弘が「天然の美」を歌っていることを知る。大工哲弘は、大日本帝国で生まれた大衆歌謡である「カチーシャの唄」「ゴンドラの唄」「ラッパ節」「満州娘」「籠の鳥」なども歌っている(OKINAWA JINTA というCDアルバム)。それで石垣島へ旅に出てナミイおばあに偶然出会うことになったようだ。
ひとつの歌のメロディを追うことで追放された高麗人の近現代史を描くという優れたノンフィクション作品である。

読書録「ナミイ!―八重山のおばあの歌物語」

2006年09月08日 | Weblog
沖縄の出版社の掲示板で「最近の面白い沖縄映画ありませんか」という問いに「ナミイと唄えば」という映画情報を頂いた。その映画、今月23日に当地で上映されるので観る予定にしている。その前に原作の本がないかと探したら姜 (きょう)信子著の「ナミイ!―八重山のおばあの歌物語」(岩波書店、2006年)が出ていたので読むことにした。この本がなかなか楽しいのである。

著者は朝鮮語で歌われる「天然の美」など、"旅する歌"を追ってロシア極東、南ロシア、サハリンと旅して日本列島の南の果ての石垣島に辿り着いたそうだ。そこで、ばったりナミイおばあに出会うのだ。ナミイおばあの本名は、新城浪、年齢は82歳だった。娘夫婦と暮らす団地の一室で一日中、歌三線をかき鳴らしていた。朝目覚めると、まず死んだ連れ合いにおはようと声をかけ、床の間の神様に挨拶をする。それからベランダの植木鉢に水をやりながら草木の声に耳を傾け、話しかける。そうやってから歌三線が始まるのだ。ナミイの願いはヒャクハタチ(120歳)まで歌い続けることだ。

ナミイは、9歳で石垣から那覇の辻町に売られて歌三線を仕込まれた。15歳で叔父に買い戻され、サイパンに渡る。21歳で台湾の温泉地で仲居として働く。終戦で石垣島に引き揚げて、料亭で三線をかき鳴らして親を養い、子を産み育てた。

この著作、ナミイの半生をえがくとともに、ナミイの東京、川崎、沖縄各地、台湾への歌の旅を記録するドキュメントである。旅をしながらドキュメント映画も撮っているのだ。

ナミイは、明治・大正・昭和の流行歌を多く知っている。石垣では明治以来の日本の流行歌が多く歌い続けられている。著者が八重山の歌と歴史に詳しい水牛老師に戦前の皇民化政策の影響かと問うと老師は「君は、歌というものが教育や命令で歌われたり、歌われなくなったりすると思っているの?」とたしなめられる。
酋長の娘、サヨンの鐘、ラッパ節、チンライ節、十九の春、桑港のチャイナタウン、ストトン節・・・。ナミイは八重山の宴の最後を盛り上げる早弾きの六調も得意だ。御嶽でカミサマに歌の奉納もする。デンサー節の調べに乗せて自己紹介をしてから、酒は涙か溜息か、籠の鳥・・・と。

著者の文体にはリズムがあり、調子よく読み進めることができる。さすが"旅する歌"を追ってきただけある。
沖縄には、ナミイのように劇的な人生をおくってきた人は珍しくないのではないかと思う。著者がナミイに偶然出会わなければ、この著作も映画もなかった。ナミイの人生も埋もれていったことだろう。
映画を観るのが楽しみだ。

オーマイニュース

2006年09月04日 | Weblog
先月28日に市民記者のニュースサイトであるオーマイニュースが立ち上がった。
オーマイニュースは韓国で成功して、その代表が日本で始めたので、いわば日本版オーマイニュースといってよいだろう。ソフトバンクの孫正義氏が出資して、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏が編集長となっているので、話題性がありマスコミも取り上げている。特徴としては、市民記者に原稿料(300~2000円)が払われることだ。

市民記者のニュースサイトは昨年あたり、元ライブドアのホリエモンがしきりに事業として行いたいと発言していたが実現しなかった。でも数年前からジャンジャンというサイトが定着しており、地方でも小規模だが始まっている。これらは原稿料がない。

今のところオーマイニュースは質の面では満足はできない。プロのジャーナリストや編集員の記事もあるが、市民記者の記事は「身辺雑記やオピニオン」ばかりである。身辺雑記としては、蝶のアサギマダラに35年ぶりに出会ったとか、デイサービスの老人を海に連れていったなど、オピニオンとしては反改憲論、高校球児取材の問題性、歌舞伎役者海老蔵のことなど。各地の新規のネタを自らの足で取材したものがないのだ。ひとつ面白い記事があったのだが、1週間前の新聞記事をネタに取材して少し詳しく書いたものであることがわかった。一定の仕事を持った人が取材のために充分な時間や経費を使うのは難しいともいえるが。市民記者の記事に対してはコメントが投稿できるので、一般の人の考えもわかって面白い。
今後、市民記者も増えて、レベルが上がってすごいスクープ記事が出てくることを期待している。

ついでにひとつ。オーマイニュース編集委員に辰濃哲郎というかたがいる。あの天声人語を書いていた辰濃和男に関係ある人ではないかと思っていたが、やはりご子息だった。彼も朝日新聞の新聞記者だったのだが、インタビューにおいて無断で録音したことの責任をとって辞職したという。医療問題に強く、記事を書かれている。