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南武線205系引退

2016年02月21日 01時33分56秒 | 南武線
既に1ヶ月以上が経ってしまいましたが、先月1月9日に唯一残っていた先頭改造のナハH46がありがとう運転と題して川崎~登戸間の臨時下り快速列車が運行され、約27年間の205系の長い歴史に終止符が打たれました。この列車は川崎→登戸を快速で走るだけということで、撮影か乗車するかのどちらかを選ばなければならず、私は撮影することにしました。
前日8日、ツイッターなどで調べてみるとある程度知られている撮影地には置きゲバと言われる自分の三脚を予めその撮影場所にセットしておいて、自宅やホテルに戻り、翌日そのセットした場所に戻るという非道徳的な行為の人間が居たようで、本来であれば公道上にそのような障害物を置く場合は警察署に道路使用許可を取得する必要があるかと思いますが、そのうちこういう連中には神様から厳しい裁きがあるものと信じています。
まあ、そのようなことはどうでも良いのですが、1月9日の当日朝もどこで撮影しようかと決断もできないまま、川崎駅近くの柳町踏切に行ってみることにしました。ここを選んだ理由は武蔵中原から川崎に回送される列車でも行先表示は下り方面の行先に変更されているということもあり、「快速登戸」を撮影できることと、後続の列車が時変がかかっていても、場内信号で停止し、E233との並びが撮影できる可能性が大きいということで、ここに来てみました。
柳町踏切に到着したのは8時前でしたが、先客は3人程度と少なく、撮影場所は無難に確保できたため、このまま待ち続けると少しずつギャラリーが増えていきました。冬に3時間近くを外で待ち続けるのは大変なものがありますが、この日の朝はそれほど思ったよりも冷え込みが厳しくなく、川崎への送り込みまでの時間がそれほど長く感じませんでした。


送り込みの列車は定刻どおり通過し、行先表示も既に快速登戸になっていましたので満足であはありますが、メインは川崎→登戸間を行く列車を撮影するほうで、後続で来る上り列車とこの205系がどのように並ぶかですが、予想では後続列車はもう少し手前の位置に停止もしくは徐行するかと思いきや、結構、ギリギリまで進んでしまいました。


その後、登戸駅はほぼパニック状態のようであり撮影は難しいのではないかと予測し、おとなしく武蔵中原で到着を待っていましたが、ホーム上にロープで囲ってくれたおかげか、問題なく何枚も撮影できました。冬の時期だからどうしても側面が影ってしまいますが仕方ありません。
立川寄りのホームでは入庫する際にH39の最後の入庫と同じように「ありがとう」などの叫び声が聞こえてきました。


ここまでは1月9日の「ありがとう運転」の話題でしたが、この205系最後の「ありがとう運転」には乗車できないであろうと予測しておりましたので、通常の営業運転で乗車を締めくくるということで、最後の日と予測される12月24日朝早く武蔵中原へ行って、ナハH46が出庫されるところを待っていましたが、短い運用の29Fに充当され、乗車と撮影を楽しませていただきました。


翌25日はナハH46が茅ヶ崎に疎開され、代わりに南武線では最後の配備となるE233系N35が中原区に到着するということで、この日の昼間にちょっと出かけてみました。
ナハH46を武蔵中原で撮影し、すぐに鹿島田に来てみたのですが、ギャラリーの姿は見られずゆったりと撮影できました。


続いて、武蔵中原駅に戻り、最終編成となるN35が到着し、これにてE233系の配備が完了したわけですが、残る209系H53の1本が現在も使用されており、今後、3月のダイヤ改正以降も使用されるのかどうか注目されていますが、今のところ運用本数削減というような情報もありませんので、今後もしばらくは使用されるものと推測しております。


最後に約27年間活躍した205系の労いと感謝をこめて、1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正にデビューした当時の写真をお見せしたいと思いますが、第1弾投入のTc86~88の3本が川崎重工で製造され、国鉄・JR時代では初めて新車が投入されたのですが、同時にダイヤ改正を機に最高速度を95km/hにスピードアップし、川崎~立川間で約3分縮めることが実施されました。この3本の新車は編成番号27~29が使用されましたが、第2陣のTc100~103の4本投入後に編成番号が変更され、10~12が使用されました。
下の写真は中原区に到着したばかりのTc86~の編成で、2月14日に検修の方にお願いさせていただき、撮影させていただきました。


3月11日にダイヤ改正が実施され、205系3本が一斉に運用に入りました。全て終日運用で、ナハ27が13デ、ナハ28が21デ、ナハ29が15デ運用に充当され、それぞれ各々のヘッドマークが取り付けられていました。


その後、第2弾はその年の9月~10月にかけて4本、第3弾は翌年90年の8月~10月に9本が配置され、合計31本のうち約半数の計16本が205系、残り半分は103系となりました。91年は205系16本を投入し、残りの103系全部を取り替える予定で、本来であれば横浜線のように南武線も全て205系化する予定でしたが、計画が途中で大きく変更されてしまい、私が検修の方にお伝えし願いが通じたのかどうかわかりませんが、結果的には残り半分の103系はそのまま2004年まで長い間残ることになり(より新しい103系によって取り替えられましたが)、103系好きな私としても嬉しい結果となりました。


これで南武線本線上からは205系が撤退しましたが、ジャカルタをはじめ武蔵野線や仙石線で南武線で活躍した車両が活躍し続けていますので、今後もこれらの車両を追いかけるとともに、懐かしい南武線の205系の話題も述べていきたいと思います。

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