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20年前のサバ州鉄道

2016年02月20日 00時49分11秒 | マレーシア
マレーシアのボルネオ島にあるサバ州鉄道(Sembulan~Tenom間旅客営業)に名鉄、会津鉄道で活躍していたキハ8500が譲渡されたということで、私もビックリしておりますが、キハ8500が譲渡されたということで非常に行ってみたい気持ちになりつつある状況で、次回のマニラ帰国にあわせてそのまま足を延ばしサバ州の州都コタ・キナバルへ行き、その後、元南武線の205系や103系を求めて、エアアジアでジャカルタへと考えているところです。
それはさておき、サバ州鉄道で譲渡されたキハ8500に乗車してみたい気持ちが募る中、約20年前にこのサバ州鉄道に乗車した時の想い出を少々振り返ってみることにしました。94年10月に私が4年間勤めた会社をあっさり辞め、約7ヶ月間のフィリピン全土、サバ州+ブルネイ放浪の旅を行っていた時に、この鉄道を利用したことがあったのですが、その懐かしい写真が何枚かありますので、乗車記とともに話しを進めていきたいと思います。
当時、フィリピン全土を旅してみたいということで、スルー諸島の最も西端でボルネオ島に近いSitangkaiというイスラム勢力の小さな島に来て、このあたりには海漂民族で船の上で暮らすバジャウ族が多く、違法ながらもそのSitangkaiからボルネオ島マレーシア領のSempornaという都市まで頻繁にスピードボートが発着していましたが、そのボートに乗ってボルネオ島に足を踏み込むという勇気まではありませんでした。
数ヶ月してから、やはり行ってみたいという気持ちが湧き出し、フィリピン、ミンダナオ島最西端のZamboangaから船が1週間に1便、山崎朋子の小説でも知られているSandakanまで行く船があるということで、正規にその船に乗船しSandakanに到着するとサバ州の地図を購入しました。サバ州鉄道の存在については地図を購入する前まではその存在を全く知らなかったのですが、その地図に書き込まれた鉄道を見て、これは是非見てみたいということで、バスでKota Kinbaluを目指しました。

私がこのサバ州鉄道を利用したのは、当時の日記によりますと1995年4月23日で、この日は日曜日ということで、終点のTenomまで行く直通列車は平日であれば2本あったのですが、日曜日は1本のみでTanjung Aru発は11:20でした。Kota Kinabaluの宿を10:15にチェックアウトし、黄色と赤のツートンカラーのミニバスで駅に到着すると約50人の客が列車を待っていました。とりあえずTenomまでの切符を購入し、車庫へ向かうと車庫の手前にはその日にお世話になる列車が停まっており、前からDL1両+貨車(トラのような貨車?)5両+客車3両の編成でした。日本ではこのような混合列車は北海道を中心に走っていましたが、現在の日本ではこのような列車もなく、海外の先進国ではこのような混合列車はあまりないのかもしれません。
下の写真は別の列車でありますが、このような客車と貨車の混合列車が主体だったかもしれません。


また、車庫には1台の蒸気機関車と1975年に川崎重工で製作された客車とどこかの国で作製された気動車が居ました。蒸気機関車は1955年にイギリスで製造されたものらしく、かつては使用されていたようなのですが、この当時は残念ながら使用されておらず、ただ留置されているだけのようでした。



列車は11時前に駅に入線し、私は最も後ろの車両に乗り込むと乗車率は40%程度でした。定刻11:20に出発したのですが、突然、列車は急停車し、乗り遅れた人を待っていました。その後は何のトラブルもなく、のんびりと畑の中や海岸沿いを走り、乗車率も全員が楽々座れる40%程度と変わりなく、この路線の中間駅では最も大きいBeaufortに約10分遅れの14:10に到着しました。
Beaufort駅ではTenomに行くための大勢の乗客が乗り込んできたのですが、大半がヨーロッパやアメリカ大陸などの白人系バックパッカーばかりで、私の周りの席は彼らによって占領されました。また、列車はTenom方面からの列車の到着を待っていたため、定刻には発車できず少々遅れて発車したようですが、このBeaufortから山間部のTenomまではPadas川に沿って走り、渓谷美と雄大な自然が見事だったものの雨が途中から降りだし、路盤が軟弱なのか列車は今までの快調なスピードで走行できずゆっくり走り、Tenomにはおよそ1時間遅れの17:30頃に到着しました。この日はそのままTenomのホテルに泊りましたが、山の中にあるせいが夜はかなり寂しかったかと思います。

朝一番のTenom~Beaufort間の列車は、どうも豆粒のような車両が運行されているということを知り、翌日朝早くTenom駅に行ってその列車に乗車すべく切符を購入しようとしたのですが、なんとそれは予約制であり、事前に予約していた人から切符が販売され、最後の最後に残った1席は運の良いことに予約をしていなかった私がゲットできました。


この車両はレールカーと呼ばれているようで、Beaufortまでの運賃は通常であれば2.75リンギットですが、このレールカーですと8.35リンギットと約3倍もかかります。
列車は定刻の6:40に発車したものの昨日からの雨のせいか、途中、枝や岩などが線路上に落ちており、2回程、それらを除去するため停車し、Beaufortには少々遅れて到着しました。
その後、私はKota Kinabaluに戻らず、再びTenom行きの列車に乗車したようですが、前日のように白人軍団に車内は占拠されることがわかっていましたので、1人で貨車に乗車し、大自然を堪能していました。


以上、簡単でありますが20年前の乗車記で、現在の状況と比べると変わっているところもあるものと思われますが、譲渡されたキハ8500もしばらくは活躍するものと思われますし、この譲渡が良いきっかけになれば今後も日本の中古気動車を譲渡するということにもなり、ミャンマーやジャカルタのように日本から多くの鉄道ファンがこれらの車両を追い求めて来るのかもしれません。


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