朝日記161222 「総合知学会」と わたくし と今日の絵
おはようございます。 きょう12・21 おだやかな快晴です。
前回は 朝日記161221 東京都知事に送った意見書と今日の絵 でした。
きょうは、EM氏へのつぎの手紙を以下に掲載します。
絵は、「かろみっこ 挿絵モジュール」から3っつです。
「かろみっこ 挿絵モジュール」 」から、(午後)、(まなざし)、(静謐)、(たしかめ)の4点です。
「かろみっこ 挿絵モジュール(午後)」
徒然こと 1 「総合知学会」と わたくし
ところで、 「総合知学会」というのがあります。(会長は東工大OBの 小松昭英氏です )
いま私が所属している小さな学会でです。
ここで、私は、目下「システム思考における目的論理の構造と社会倫理」というテーマで
研究し、論文も4編ほど 発表してきました。
一方、学会は、本年度から共通テーマとして原子力発電を取り上げています。
科学技術と社会科学の接点からこれを取り上げていくというものですが
さて、学会(Academic Institution)として統一提言となると なかなか難しいです。
「かろみっこ 挿絵モジュール(まなざし)」
いまおもうと、HEARTの会は、EMさん達のご采配のもとで、あの時期によくぞ東日本大災害復興提案をまとめられました。注1)
2011年災害のあった数か月後に9項目分科研究をし、翌2012年3月には報告書をまとめていました。 こういうのは相撲ではありませんが、まず攻め身がはやいのがいいです。あらためて敬意を表します。
注1)「東日本大災害復興支援活動報告」 NPO法人・人間環境活性化研究会[HEARTの会 ] 20周年記念号, 2014年4月 ISSN 2186 4454
徒然こと 2 ’未完成の知(bounded rationality)’とPDCAについて
総合知学会の方ですが、最近、私は、その議論の過程で、たまたま「構造災」という視点に着目します。
科学技術も19世紀来の実証主義(positivisme)は、現在も世界の主流ですが、原子力発電のように、社会と科学技術との深刻な境界問題があること。
その科学技術は社会が受け入れるには、全体を’未完成の知(bounded rationality)’として みる。ところが、その両方にまたがる知(合理性)がこれまでのアカデミズムでは、だれも一元的に提供できない状況にある。それに現代の社会科学者も認め、かれらは自信を喪失しています。
一方、化学や鉄鋼から、自動車や鉄道にいたる製造業、そして交通物流インフラにいたるまで、これまで資本主義社会は 基本的には自由経済市場のもとで この境界問題に挑戦してきたとも言えます。
最近は、製造業から始まる統計的品質管理から、すでに、世界的次元でのISO9000から14000シリーズとして組織システムの品質保証までを覆い、先進国での産業界は、この未完成の知(bounded rationality)からの境界問題に着実に解決の実績を上げているとも考えられます。
この基本は、社会全体のPDCA 注2)を回すという発想になりますが、その革新的な意味が一般からは、地味で、当たり前のようにみえて、特に社会系の知者に理解が至っていないようです。まだ、社会系の理論が未発達の所以でもあります。
彼らのために代弁するなら、唯一、一昨年、他界された日本を代表しる社会経済学者の青木昌彦さんが、その「比較制度論」で、世界的に認知されていますが日本の社会科学を代表する文系知識陣は、その意味に疎いことが最近わかりました。
上を要約しますと、社会が挑戦する‘未完成の知(bounded rationality’)と それに挑戦する‘PDCA-社会システム品質保証’ではないかと、いうことであります。(小池知事が、とてもそういう哲学をお持ちであるか疑問です。耳学問とみます。)
注2) PDCA; Pはプラン、DはDo,Cはチェック、Aはアクションで行動をサイクルにまわしていく行動原理。
「かろみっこ 挿絵モジュール(静謐)」
徒然こと 3 「構造災」について
「構造災」については 最近の私的メモNo.7530
を以下転載もうしあげます。因みに、これは総合知学会で発表したものです。
~~~~~~
No.7530
構造災ということ
荒井康全2016/12/1 No.7520
数か月前に買った本にちょっと目がとまりました。
原発問題を焦点にして 「構造災」として捉えているところが、われわれにとってタイムリーな資料であるとおもいましたので、ご紹介します。
(本の題名と目次の紹介)
構造災 科学技術社会に潜む危機、松本三和夫 岩波新書 2012
第1章 構造災とは何かー社会科学の視点から
1 見逃される構造災
2 対症療法の増加―「カンブリアの羊」騒動より
3 連鎖する秘密主義
4 「どかん」型と「じわり型」
第2章 構造災のメカニズム
1 過去の踏襲が不合理を生む
2 問題の解決が公益に合致しない
3 自己運動する制度
第3章 構造災の系譜
1 くりかえす構造災
2 高度防衛国家と高度成長国家
3 原子力法案のつくられ方
第4章 いま生まれつつある構造災
1 いま政策を支える社会観
2 ポイント・オブ・ノーリターン
3 構造災と無限責任
4 無限責任の有限化―社会的な責任配分へ
終章 構造災をのりこえる提言
(要点のまとめ)
この本は、原発問題などを社会と科学技術との境界でおおきな不確実性問題があるとみたときに、社会科学的な視点で、これを構造的な災害として論じます。 第2章で過去の踏襲がおきる、その背景が、秘密主義で、責任が不明であることで、いつも固定したメンバーが事に当たるとみる。
考えがLock-inされている。したがって過去の踏襲となる。 解決の方向の視野がせまく、公益に合致しないもどかしさがあらわれる。 第2章3で自己運動する制度の項が怖いところです、責任を本来とるべき同じ人間が、結果的に自己正当化してのこる。つまりself consistency seekingとなるそういう組織力学になる、制度の力学という指摘です。 したがって制度もしくは 機関組織自体の品質保証的欠陥となって、災害はくり返す構造であると説明します。
第4章で無限責任の有限責任化と配分については、基本的な考えかたを紹介している。
(結局どうしたらよいか)
国民からの信頼感を回復する道筋を絞り出すことが必要であるが、終章 構造災をのりこえる提言では、社会科学者としての言としては、すこしかったるいが、この学問の現状のレベルとみるなら 精一杯の提言とみた。
構造災の解決のための制度設計ができない。制度作っても設計とおりに働かない。
それは、この「境界」での不確実性問題は解決できるかというと 唯一解をだれも提供できるものはいないからである。その前に何が正解かわからない。(bounded rationality問題(荒井)
なぜなら、科学技術と社会との境界の問題としての複雑性 相互依存性 社会的意志多様性の三体問題でそれを解く知が全く不足しているいう。とくに社会側の内訳は一様ではない。 官・産・学・軍・民の各センターが異質のふるまいをする。
したがて、この状態で公開場に投げ込まれると問題への対応が収束するとは考えにくい。極端な場合対応が著しく分岐する。
著者はインタープリターの存在をもとめる。
この問題を解決するためには、インタープリターが必要であること。
これは、科学技術と社会、および社会と社会をつなぐ専門家集団である。
イメージとしては 病院での、難病患者への手術ペーレーションチームであろう。
これは、複数のチャレンジチームの競合、共同となる。
(cf. Instrumantal Rationality(荒井))
インタープリターの用件とはつぎの3つであろう。
取り組みの立脚点の明示
インタープリターとしての問題の捉え方と前提となる条件設定の明示
例:問題設定の動機となる楽観的な見通し、慎重な見通しなど価値(期待)態度などの動機(価値)の明示
思考過程の明示 あとでトレースバックができること。
思考プロセスでの判断選択肢点と選択項目決定の明示。
過程全体の検討記録を他者がトレースできるように残す。
これに、筆者は次を加えたい;
「境界」にかかわる対象機関・組織・セクター自体とそれを統合する体での品質保証の設計の提案(荒井)
PDCAの原理の堅持と責任配分の設計法の提案
特に社会との境界の保証設計法の提案
価値の多様に対する倫理性の追求とそれを位置づける合理的な機関と制度
(cf. Value Rationality )
所見:
総合知(者)は インタープリターであったのだ!!
総合知学は、社会と人間のビヘービアと科学的実証主義(positivisme)を包括する論理思考の内、システム思考する学問的領域(パラダイム)としての存在として位置づける。
総合知学会でのオペレーション
立場明示があれば、複数のインタープリターの作業があるのは当然である。作業前提を変えていくつもの思考実験が意味をもってこよう。 それらを提示(disposition)して 社会に刺激を与えることも意味あります。
そういう意味で、研究発表は個人でもグループでも いくつあってもよい。
Kさんの言う ヘテロ”エージェントシステムアプローチが総合知的独創性と考えてよいとおもいます。
以上
「かろみっこ 挿絵モジュール(たしかめ)」