Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記170129  トランプ大統領100日行動計画を読むと今日の絵

2017-01-29 00:03:09 | 政治

朝日記170129  トランプ大統領100日行動計画を読むと今日の絵

 こんばんは。

敬愛する哲人・友人AIさんからトランプ大統領始動について、彼の勝負どころの100日行動計画と、メディアが暗に画策する修正254節の適用の可能性についてなど 意見を言えという宿題をいただきました。(AI氏→荒井 2017124 )

添付は、以下4つです;(ふたつのボトルとレモン)(女神の夢)と(トランプ大統領100日行動計画原文 1と2ページ)

 

 

(ふたつのボトルとレモン)

就任10日弱で、彼は次々とビッグな話題を提供しています。私の方は、ネットや大学の図書館に通ったりして、情報探索で結構楽しんでいます。メキシコ国境の壁、TPP離脱、特定イスラム国からの移住禁止など、矢次早やに大統領令を発行しています。また、議会にむけて、たとえばObama care(ACA;Affordable care act)に対して、対案立案せよと押し、‘Much talking, less action’と批判発言し、早く働けといった「恫喝」的色彩さえも発揮しているようにも見ています。

メディアは、政治的プロセスからはじき出され、大変な不満ですね。(John Pinch報道官はできますね。かれの記者さばきのあざやかさに、ちょっと感心しました。)

TVなどでは、プロテスト場面を執拗に放映して、左翼的といわれる大衆を煽っている感もあります。日本のメディアなど特にNHKなどはまったく視点を失っています。したがって、青木さんが話題にされた憲法修正25条で、第4節の大統領弾劾の可能性の話が、出てくるとおもいます。 100日行動計画とこの弾劾との力学的競合となっていますね。

おもしろいですね、ネット動画などをみているとかならず、ペリー副大統領が傍に立っていますね。 第4節で、副大統領は 主役の大統領がご乱心かんどうかをチェックするために立っているということをそれとなく知りました。辞任にはふたつ、ひとつは 副大統領が造反し、閣僚の過半数がこれにならうことが必要ですね。もうひとつは暗殺ということになります。 レーガンさんが、ふたつの事態経験しています。二期目就任のときに前任スタッフから怠慢で、気紛れだから狂気をチェックするよう引き継ぐ案件があったという話、それと現実に暗殺未遂事件がありましたね。ブッシュ(父)副大統領がビビったという話などを知りました。

 これらを含めて多々弁ずることがありますが、事態の方が、動きがはやいですね。

そこで、せっかくのご下問で、ただつらつらでは、申し訳ないので、今回は、Trump大統領の「ドナルドトランプのアメリカ選挙民との契約」(和訳)を添付いたします。

添付は 原文(英文)のコピーです。

これはドナルドトランプ大統領が、大統領選中に一般からのファンド募集用に発表された「100日行動計画」を見つけました。

https://assets.donaldjtrump.com/_landings/contract/O-TRU-102316-Contractv02.pdf

公約に相当するものと理解できます。

なお、この行動計画の根拠になったのはDONALD J. TRUMP’S VISION以下です。

Trade | Donald J Trump for President

 

 これらの中核になるのは

1.アメリカ第一で行く。(帝国を意識していくか。)

2.軍事・産業強国でいく。

3.中国を仮想敵国第一に置いている。

特に、中国を抑えることが彼の戦略の中核とみました。

(ちなみに、日本はレーガンのときの貿易戦争で名前が登場しているのみです。)

 

あとひきつづき、宿題に応えた「徒然こと」を朝日記に掲載していきます。

 (女神の夢)

 

~~~~~~

「徒然こと」ドナルドトランプのアメリカ選挙民との契約

以下は、Make America Great Againのための私の100日行動計画である。

これは私自身とアメリカの選挙民との間の契約であり、誠意と経過内容の透明性を保持するものであり、そしてワシントンに変化を齎すものである。

就任の第一日において、私の政権は速やかに以下を遂行するものである;

ワシントンDCでの汚職と特別な利益への共謀を一掃する六つの方策

第一 議会議員全員に関してその任期を導入することの憲法修正条項を提案する。

第二 連邦での雇用者すべてに新規採用を凍結し、自然減で連邦ワークフォースを節減する。

第三 新しく導入する連邦の規制一つに対して、現在ある規制二つを廃止することを要求する。

第四 ホワイトハウスと議会職員において、その政府任務の終了後5年間ロビー活動を禁止。

第五 ホワイトハウスの職員による外国政府を代表してロビー活動することを生涯禁止。

第六 アメリカの選挙のために外国ロビーイストが資金を起こすことを完全なる禁止。

 

アメリカの労働者を護る七つの施策

第一 私は、私の意志として2205条での条項内容に基づいてNAFTAの再交渉もしくは撤退をするあることを言明する。

第二 私は、我々が汎太平洋パートナーシップ(TPP)から撤退することを言明する。

第三 私は、中国を為替操作国と標識すべく財務長官に指示するであろう。

第四 私は 商務長官ならびに米国貿易代表に、すべての外国からの意図的な障壁を確認すべく指示を出すであろう。これは我が国の労働者に理不尽な圧迫をあたえるものであり、このような障壁を終了させるために我が国の法律においても、国際法においてもあらゆる手段を講ずることを指示するであろう。 

第五 私は シェール、石油、天然ガス、およびクリーン石炭を含むエネルギー有効資源から50兆ドル規模の生産をゆるし雇用を創出する。

第六 オバマ‐クリントンは封止したが、基盤パイプラインのような生きたエネルギーをインフラとして活用する道を開く。

第七 国連環境変動プログラムへの数十億ドルの支払いは中止するとともにアメリカの水および環境インフラを修復するために金を使う。

 

安全と憲法遵法を保つ五つの施策

第一 オバマ大統領によって発行された憲法解釈かり実施されるべき施策、記録および命令のすべてを無効とする。

第二 スカリア判事を交代すために、私のリストにある米国憲法を指示しかつ擁護する20名の判事の一人から選ぶプロセスを開始する。

第三 聖域都市への連邦資金を廃止する。( 不法移民などの生活を法的に保護することを認める都市(例 NYやLAなど)(荒井付記))

第四 2百万人以上の犯罪的な不法移民をこの国から排除を開始し、および 彼らの帰国を認めない外国に対してビザを廃止する。

第五 個人の信用確認が安全に履行できないテロ誘発地域からの移民は中止する。我が国に来るすべての人間の信用確認は”extreme vetting”として考慮されるであろう。

 

Donald J. Trump        あなたの署名

(署名付き)

   詳しくは、以下をみてください;

Danaldjtrump.com/contract

 

 

(つぎの原文ページに続く)

 

中間層の税軽減と単純化条項

経済計画として 年4%の成長と少なくとも25百万の新規雇用を創出する。これには大型の減税と手続き簡略化を行い、貿易改革、米国のエネルギーに関する規制と制限の軽減を行う。最大の税軽減は中間層に向けられる。二人の子弟を有する家族は35%の減税とし、累進課税の区別を現在の6から3に減らす。税制は単純化する。法人税は現在の35%から15%とし、アメリカ企業の海外での資産のうち数兆ドルが米国に帰るために10%の課税とする。

 

海外特権の終了条項

企業が他国に移動するために従業員をレイオフすることおよび彼らの製品を海外へ移動し、米国免税をすることを防止するための関税を確立する。

 

アメリカのエネルギーとインフラ条項

公‐民間パートナーシップおよび税法上の特典で民間投資を工夫すること、このために今後10年間にインフラ投資として1兆ドルを起動させる。

 

学校選択と教育機会の条項

教育資金についての重点を変える:親が子弟が、公立、私立、マグネット、宗教または自宅学校などいずれにも資金が向けられ、受ける権利が与えられる。Common Core制度は廃止し、ローカルコミュニティでの教育指導をおこなう。特技や職業訓練教育を拡大する。2年制と4年制カレッジの経営を支援する。

 

Obamacareの廃止と代替の条項

Obamacareはほとんどにおいて、新しいHealth Saving 会計に置き換える。州を越えて健康保険が購入できるようにする。州はMedicaid 基金を管理する。改革はFDAにも向けられ現在4千件以上の医薬が承認待ちにある。生命維持医療にこれの承認を加速する。

 

優しい子弟保護と老人保護の条項

子弟および老人の税金控除、雇用者への職場保育の奨励化策、幼少および老人向けの無税扶養貯蓄、特に低収入家族への斉合性確保。

 

不法移民終了条項

全資金をメキシコ国が米国に支払うことを完全に了承することで南の国境に壁を建設すること;(不法移民に対する罰則および送還など);滞在延期の罰則の維持およびアメリカ国民の雇用優先の確保のためのビザルールの改定。

 

コミュニティ安全を確保する条項

(省略)

 

国家安全保障を確保する条項

防衛特殊条項を廃止し我々の軍を再建するとともに軍への投資を拡大する;

VeteranのVA(Veteran Affairs)の取扱いや自分が好む医師の選択を可能にする。

サイバーアタックから生命線のインフラを保護する。我々の国民とその価値をサポートし、て人を受け入れることを確かにする選別手続きを確立する。

 

ワシントンにおいての汚職を一掃する条項

(省略)

118日において、アメリカ国身はこの100-day 計画が

われわれの経済の繁栄、コミュニティへの安全そして我々の政府への誠実さの

ために投票するであろう。

これが私のあなたへの約束である。

もし、我々がこれらのステップに従うならば、我々は再び、人民による、人民のための

政府を持つことになろう。

 (より詳しくは以下を見てください)

 Donaldjtrump.com/contract

 

 

荒井康全 2017/01/28

 

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朝日記1701127左脳と右脳から生ずる哲学~ 私の生きる価値についてと、今日の絵

2017-01-26 21:25:01 | 自然科学と工学

 

朝日記1701127左脳と右脳から生ずる哲学~ 私の生きる価値についてと、今日の絵

きょうは以下のことを徒然ことして考えます。

今日の絵は三つです;

(存在了解じゃ!)

(Assertive主張)

(トンネルがある景色)

(存在了解じゃ!)

 

 

 

徒然こと 私の社会的価値について考える

一人の人間の脳機能で左脳と右脳がある。仮説は人により機能の優位があるとする。

左脳支配か右脳の支配か。

これを評価判定するテストがある。これには、以下のひとつのメンタルな実験を採用

してみる。

http://jp.vonvon.me/quiz/r/1/2/v_12q3zieskgkzbnp59?utm_campaign=share&utm_source=facebook&share_ts=okdwyw&utm_medium=organic&_vv_from=n-r7l.jp.vonvon.me&method=share

(Assertive主張)

 

 

 

はたして、私は100%右脳支配人間であった。

ところで、左脳派と右脳派とはなにかを考えてみりう;

左脳派はepistemic 認識5論派 自由意志と客観概念~真理を知る権利→理念をもつ意志(理性)と検証(実験からの経験)→生きようとする意味を客観(経験)と理念の葛藤(ギャップ)からmindを起こそうとする→そういうmindを起こす脳(左脳)。

 右脳派はontologucal →身の回りの存在を素朴認める→ 存在了解~自分が外の対象にたいする観察から→現象の知覚~それを現に意識している自分(現存在)~その状態での現象としての存在(実存)*

(ここから二つのルートに分かれる);

(a)ルート; ~これに実存* ~アングロ・アメリカン的プラグマティズム(合目的了解形成)→問題の現実的解決を目指す(instrumentalism)~すぐ役に立つことよしとする→そういうmindを起こす脳(左脳)

 もう一つのルート 

(b)ルート 上のこれに実存*→Post 構造主義→脱価値→人間価値への追及 しかしながら その根拠としての共有するproductを生みだす苦悩(ひとはパンのみに生きるに非ず)→高貴にしても、生きる直接の役の模索→人間社会としては生きる意味を見出す困難に遭遇→文明の衰退の道→そういうmindをもった脳(右脳)。

 哲学的二つの地平となります。

 右脳と左脳の理念は、カップル(対)つまり二元論としてとらえることになる。西洋近代の思考モデルともいえる。対のうち、活動としてどちらかが強い。個人によって異なる。右脳支配とみれば認識論。左脳支配とみれば実存論となる。私はそう、理解します。

私は 右脳100%となった。(a)の現実派で効用(財)を求めるのは下手であるが、(b)の人間価値→文化→(不幸にして自分効用を生まない)→(幸いにしてすこし利他主義で働く)→社会に貢献する分がある。→社会的に右脳派として、社会的存在価値あり。もう一つのルート 
右脳と左脳の理念は、全体として二元論となる。 (トンネルがある景色)

 

 

 

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朝日記170123 Golem中のGolem と今日の絵「繡舞天女」

2017-01-23 12:15:24 | 政治

 

朝日記170123 Golem中のGolem と今日の絵「繡舞天女」

おはようございます。きょうもおだやかな冬陽が射す午前です。屋上テラスへ上りますと風が冷たく、うなずいて部屋におりてきました。

Trump政権の始動は、英国とカナダとの接触でしたね。その前に記者会見が、やはり面白いです。 みなさま、よろしくではなく、あんたら何をしてるんだ!で挑戦です。 彼のtoughnessにまず是非は別として、敬意をもちました。しかし あらためて、メディアについて考えます。きょうの徒然ことの話題です。絵は 「Good bye! Good luck!」と「繡舞天女」です。

「Good bye! Good luck!」

 

徒然こと Golem中のGolem

既存のメディアがGolem中のGolemになってしまって、その中のjournalistもだだ眺めている存在になっている。その彼らもrationalistのリーダーを自認しているが、ところでほんとにrationalなことを追い求めていると思っていたら、どうも怪しいと感じです。そんな懸念が、かなりながくそれが続いてきた。私が遅まきながら学んでいる社会制度(論)Social Institution Thoryも、それを考えるelite rationalistのmoralityの質が、これから再度問われると思います。アングロ系でのmoralityを調べていると、現代では、morality=rationalityとなります。ratinality →harmlessとなるようです。これはこれでなるほどとおもいますが、ただその次元でよいかも、そのままです。社会全体さらに国民社会といった次元で、ただのharmlessの次元でよいのかという問題につながります。その任はelite rationalityに帰している。なぜなら世の中は複雑なinstitutionsの塊ですから そういう人でないとわからない、就いていけない。 彼らは一般世間のrationlityの水準の低いつまりinnocentな層を代弁してまもる「護民官tribune」のような役割を自ら任じている。それが、そうではない。では、harmlessとはなにかと、問い続けるてきたかです。マイケル・サンダーの弁(日経2017/1/23朝刊)を引用すれば、労働者を基盤としてきた米民主党さえもWall Streetとrich celebrates金持ちからの資金を支持基盤としてしまっている。Mediaもこれに実情として、癒着しているとみることになります。社会的なmoralityの基盤を等閑視しているうちにGolemが人間の価値まで支配しているという見方になります。私のこの話のレベルはまだ通俗的ですが、トランプの出身がelite ratinalistではないからといって、甘くみることは本質を見誤ることになります。いま問われているのは、既存の制度(institution)の構造を見直すということであるとおもいます。Mediaは、単なるChaosとして、騒いでいるだけですね。みずから枠組みの視点を変えて、それまで等閑視されてきた項目とはなにかについて、丁寧な目をむけるべきあり、会の在り方を組みなおすrationalityが必要であると考えます。

 蛇足ですが、トランプは基本的に、アベノミックスをアメリカでやろうとしているかもしれません。同じことでも世界帝国がそれをやると違った意味がでてきます。これはnew Golemかですが、Prime facie(声を出していうひとりごと)としておきます。

 「繡舞天女」

 

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朝日記170119 センター試験国語は怪獣ゴレムでしたと今日の絵

2017-01-19 14:57:14 | 社会システム科学

朝日記170119 センター試験国語は怪獣ゴレムでしたと今日の絵

おはようございます。きょうは怪獣ゴレムです。絵はボトルとレモンの2題です。

(ボトルとレモン 1)

徒然こと センター入試 国語科目

ここ年々になるでしょうか。毎年、センター入試の問題と解答が発表になると駅のスタンドに買いにいきます。 購読している日本経済新聞でもよいのですが、活字が小さくて諦めます。それでもっと字の大きい一般紙を購めます。 私のお目当ては、国語科目です。どの科目でもよいのですが、問題を解くというのではなく、問題を「読み物」として楽しむことにあります。しかし、受験生、あの年代の若いひとたちの集中力というのは、猛烈で、むかし恩師が「神がかかっている」といわれていたことがなるほどと感嘆します。 

 国語科の今年の問題の題目は以下でした;

 1.現代文

 「科学コミュニティ」(小林伝司)

 2.小説「秋の一日」(野上弥生子)

  絵の展覧会の様子を女性らしい感性での文章でかたる

 3.古文:木草物語

  貴人がその仕えの家人の屋敷に立ち寄り、その庭園の木々、花草をめでる。間垣の向こうにある屋敷の若い尼に淡い思いをし歌をおくり、それとなく」振られる話。

 4.漢文:新井白石『白石先生遺文』

  江戸の都市として興隆・変化について正しく記録しておくことの意味を語っていますが、読み違いかましれません。

 現代文の「科学コミュニティ」に目が留まり、多少興味をもちましたので以下にご紹介します。

 

  徒然こと2 センター試験国語は怪獣ゴレム

 大学入試センターの国語設問 現代文「科学コミュニティ」からの問題に付き合ってしまっています。ちょっと面白そうであったので、調べると英国WalesのCardiff大学H. Collins とT.Pinchのthe New Science Wavesを材料にしていることをを知ります。科学技術を旧約聖書にでてくる巨大な怪獣Golemになぞらえています。人間が創った怪物。かれらは忠実に主人からのことはきくが、ときに凶暴になる。このGolemを如何に、誰が調教するかの話です。 Collinsは、これをするのは社会系と科学系に精通する科学社会学Science & Sociologyの専門家の登場に期待します;'Interactional Expertise' の必要性に言及していきます。同時に、彼を終始実地知識で支える協力専門家Cooperation Expertiseとの組みを想定します。Collinsは社会哲学者ですが、かれは実際に物理学の大課題である重力波の検証実験のグループに、人文系の研究者としてとして参加します。この過程で、この物理の知識素養と実験を経験し、研究の社会的意味と展開の在り方をその視点から予測研究をするというものです。このレベルの話で思い出すのは、日本の企業では主として、技術者の新人を三交代の現場勤務につかせていることをおもい出だしましす。これを、文系の新人にも経験させ、製造現場経験を徹底的に経験させようとするところまで拡張する。 最近の企業の状況について調査不足ですが、ここまで読んできて、Collinsの言っていることは、日本での習慣からいうとそう特異ではないようにおもいました。日本では結構伝統的にある現場第一の仕事モラルがいまも生きていている、否あれかしと思うものですが、怪しいですね。分業的な機能システム主義が戦後特に、怒涛のごとく米国から移入して極度に機能主義になっているのが現状かもしれません。(機械製図ができない機械技術者の時代です。)
英国では如何なのかと考えます。これを英国通の友人に訊きたいとおもいます。たとえば製造業では、どうなのか、目下、私は知識不足なので話がすこしピリッときませんね。 ただかなりはっきり言えることは、日本の社会の文化においては、いつのころからか、文系と理系という系譜が、なにか線を引いたように分かれているとおもいます。結局、本来、線を引いてはいけないのに、暗黙の前提で教育文化をそうしてしまっている。数学がきらいだから理科にいかないといった教育文化です。また、多くの場合、組織を動かすのは文系だと決めてかかっている。それはそれでよいのですが、モノやことのひとつひとつ論理的に科学的な思考、その知識やさらにその技術、それを扱う現場の状況について、別な表現をすれば、P計画-D実行-Cチェック-A修正などが、責任組織行動として信頼に値する筋が通ってなく、片側が他の側の専門に丸投げしてしまっている。現象や事態の意味するものを自分の頭脳回路を通さず、管理や規範ルールとしてのみ適合しているかどうかの形式的なものかで、判断して意志決定していく。理系は、経営のその意志ということで、忠実に従って、ただことに当たる。そういう構図です。それ以上考える必要もない。どんどんいけとなる。そうすると、気が付いたときには、目の前に巨大な怪獣「Golem」が存在している。そういう警鐘否、現実問題であろうとおもいました。 命令する側も実行する側も従事している仕事の対象自体について考える組織判断の機能を失ってしまったということになります。ことしのセンター試験国語の現代文の問題はそういう内容のものでした。
ところで、このようなおもしろい内容の材料でしたが、試験設問を読んでみてなんと、非啓蒙的なことよと落胆しました。これでは論理的な書を読むことを本能的に嫌いにさせること必定です。 設問が、単に構文的な理解になってしまって、用語上のちょっとして不注意が注意散漫で ×といったものになることを知ります。 ここでも受験判定を機械的にすすめることをもっぱらよしとする「Golem」が存在している。国語科が面白い、刺激的な学習であることに意を配って、一歩踏み込んで考えるひとがいないのだなと痛感しました。たぶん、この出題者も無力感を感じているのではないかとおもいました。

参考 文献

Interactional expertiseについては以下をご覧ください;

From Wikipedia, the free encyclopedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Interactional_expertise

 

コーリンの The Third Wave of Science Studiesについては以下をご覧ください:

Studies of Expertise and Experience

H.M. Collins and Robert Evans

http://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/0306312702032002003

 

コーリンの紹介は以下をご覧ください:

 Harry Collins

From Wikipedia, the free encyclopedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Collins

The Golem: What You Should Know About Science (1993).[2]

 怪物「golem」については以下をご覧くささい:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%A0

作った主人の命令だけを忠実に実行する召し使いかロボットのような存在。運用上の厳格な制約が数多くあり、それを守らないと狂暴化する。

 Collins怪物「Golem」の本についてアマゾンの広告です;

The Golem: What You Should Know About Science (Canto Classics) (ペーパーバック)

Harry M. Collins (著), Trevor Pinch (著)

https://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/1107604656/ref=tmm_pap_used_olp_0?ie=UTF8&condition=used&qid=1484554683&sr=1-1-catcorr

昨年の徒然ことは「キャラ化する/される子供たち」で以下をご覧ください;

朝日記160117 大学入試センター国語『キャラ化する/される子供たち』と今日の絵

(ボトルとレモン 2)

 以上

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朝日記 170117 東京都HP 知事への意見へ投稿と今日の絵

2017-01-17 18:35:24 | 政治

 

朝日記 170117 東京都HP 知事への意見へ投稿と今日の絵

(守一オマージュ)

提言こと: 

No.7620  2017/1/17 1830 東京都HP 知事への意見へ投稿

区分

知事への提言

タイトル

豊洲問題、東京都部局の技術力を信頼されたし。

コメント

化学工学技士 男子1938生まれ。東京都民です。
「豊洲、30カ所調査へ 地下水汚染 高濃度の検出地点」~これは日本経済新聞(朝刊2017117)です。
このなかで、今回の「9回目の試料を採取したのは16 1112月。昨年10月には 地下水をポンプでくみ上げて有害物質を浄化し、下水に流す地下水管理システムが稼働した。 A8回目の調査は稼働前に実施した。 Bポンプの影響で広範囲に混ざり、汚染物質の粒子が拡散した可能性があると専門家は指摘する。」( @ Bの番号、下線は筆者)
記事には図が付いており、ここでは、モニタリング用井戸の説明図で、この井戸からの地下水をポンプでくみ上げるが、この結果、地下水がかきまぜられ井戸に流入としているとしています。
A
で、8回目のみ、ポンプの稼働前に実施したとあるが、これは例の地下空間の存在に関する設計仕様の承認疑念の検証のために、強制的にポンプ稼働を停止していた期間でした。(TVニュースの場面で、東京都の部局から(汚染物除去の継続のため)ポンプ稼働の要請発言があり、これに対して専門委員の一人が、検証を妨げるということで拒否した映像を記憶しています)
今回の9回目の期間では、ポンプが稼働していたかどうか記事からは不明ですが、文脈から8回目が「稼働前に実施した」とあるので、そのあとでポンプを稼働したと読めます。このポンプのくみ上げ再開のあとである9回目の実施結果として、高濃度の汚染物質が検出されたとなります。
その原因として、ポンプの稼働が流れの様相を変えて、汚染物資が広範囲で混ざり、拡散したと説明している。
私は、これは、因果関係として逆であると考えます。もともと設計は、汚染源が事前に完全排除できず、地下層にあるレベルで局所偏在的に残存していることを前提としているとします。それを除去するためにポンプを設計設置し、駆動して、実運営のレベルへの「浄化」過程に入っていたと理解します。それを8回目の時期にポンプの稼働を止めたことにより、基本的に地下水空間に閉じ込められ留まっている水へ汚染源から汚染成分が溶出し、地下水空間に拡散した。その結果 汚染濃度を高めたとみるのが正しいのではないかと考えます。
そもそも、ポンプの存在は、常時地下水をくみ上げ浄化する設計であったとみるべきであると考えます。
これを今後どうするか。ポンプを動かすことです。目標の時点まで所定のレベルが確保できるか、やはり、東京都自らの組織の力に基づくべきです。
知事は、掌下の都の技術力とモラル性の資質の高さを信頼すべきです。
これは当然、設計段階で、さらに現運用段階でも、地下水の汚染物質の動的(時間経過)予測コンピュータ解析は行っているであろうし、また、これまでの実測によるデータの質の向上から解析による予測精度は、当然行っていると考えられます。また、それによって、汚染物質浄化制御に入る段取りを済ませているとも考えます。(そうであると信じます)
小池知事は、「生鮮食品を扱う市場は通常より高い安全性が必要」と指摘されているが、いつまでも、感性的なお題目の状態にとどまっておられ、残念ながら一向に事態に対するモノの理りをまったく理解しておられない。これが、冷静な判断、次の対策への指示ができない状態であるやとみます。 これまでの政治勢力やメディアへの恰好付やメンツのこだわりを速やかに捨て、まずは、貴下の優秀なる東京都部局を信頼し、彼らからの方策許可伺いに対して、速やかに、また落ち着いて指示を出されていくことを提言もうしあげるものであります。知事、がんばってください。

お名前

荒井康全

年齢

79

ご住所

 

電話番号

 

メールアドレス

 

 

 また、小池百合子facebookへも同文投稿をしました。2017/1/17 18:18

 https://www.facebook.com/yuriko.koike.96/?fref=ts

 

 

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朝日記160115  「トランプ次期米大統領に送った手紙」と今日の絵

2017-01-14 18:17:35 | 政治

朝日記160115  「トランプ次期米大統領に送った手紙」と今日の絵

 NPO法人HEARTの会の会報新年号に掲載された 論説随想 「徒然こと」 です。

題して、「トランプ次期米大統領に送った手紙 私の朝日記から」です。

絵は(飛翔)と(Anima)です。

(飛翔)

 

 

~~~~~~~~

―徒然こと― 

 

トランプ次期米大統領に送った手紙

私の朝日記から

会員 荒井康全

 

アメリカの大統領選挙は、国論が二分するという空前の緊張をもって行われ、その興奮の余韻が続きましたが、少しずつ落ち着きを見せてきたように思います。そして本年2017年の初頭にいよいよドナルド・トランプ大統領が正式に就任します。 トランプ氏は、組閣人事と現実路線への活発な政治的な地ならしに世界は固唾を飲む思いで見守っていると思います。世界秩序への大きなうねりの予感のまえに、すでに日本の安倍首相と例外的な迅速さでの会談などが話題をよびました。

筆者は、今回の大統領選挙に2015年の夏からすっかり、関心の虜になっていました。それは泡沫候補とみられていたトランプに本能的になにかを感じたからとおもいます。早いはなし「トランプ追っかけ」の記録を 筆者のブログ「朝日記」で公開してきました。そのまとめのようなものを、時代記録Chronicle Archiveとしておくべきと感じましたので、徒然こと3つとして以下 掲載いたします。なお、本稿は、あくまでも記録であり、本会への筆者の政治的主張を意味するものではないことを付記いたします。

徒然こと1 安倍首相のフェーズブックへの投稿

徒然こと 2 トランプ氏フェースブックへの投稿

徒然こと 3 世界で一番早かった(?)当選祝電

 

 

徒然こと1 安倍首相のフェーズブックへの投稿2016・11・11

Hereunder is a letter 2016・11・11 of facebook to Primer Abe Office on Mr.Trump's way.

~~~~~~~

荒井 康全

 安倍総理 ご政務に献身され敬意を表します。荒井康全(1938生、男子)です。 トランプ新大統領は、政権に向かって始動しましたね。 17日の首相との会談 がんばってください。

小生、市井からワシントンポストのオピニオンやトランプ氏のネットと交流してきました。以下、現時点でのトランプ氏に関する意見です。ご参考ください。

 ~~~

 基本は、産業構造革命で 製造業の復活をめざすための税制改革や関税障壁を高くする保護主義に転換するようにおもいます。

 保護主義は、ちょうど南北戦争当時の北部の産業立国途中で、先進英国と対立した政策とイメージが重なります。また、税制改革はインフラづくりを最優先する方向で、多分スティグリッツ教授の案が中心になるとおもます。(安部首相がこのスティグリッツ氏を顧問にしていることは見識のあることとおもいます)

 自由貿易原則はどうなるか、私のメモをまとめると、トランプは、立候補の当初より、以下を主張してきました;

①アメリカはアメリカの国益第一でうごく。 

②アメリカは、世界一の力のある国である。 (政治が失敗してきただけ)。 

③世界はこれまでのアメリカの支援に対して、見返り(Pay-back)をすべきである。

④世界が、アメリカの力を必要とするならば、応分の負担をすべきである。 

このコンテクストからみると、まずは最強安全保障、最強自由貿易、最強産業立国、最強科学技術革新、最強情報IoT技術を掲げると考えます。 これはかつてゴアAl Gore氏が掲げたInnovative America政策とおなじですが、同盟国からの見返り、負担をもとめているところが違います。

  TPPについては、安全保障の枠組みと明示的リンクの形で変更をもとめてくるとおもいます。WoPo紙のOp.ed一般討論のなかで、アメリカ版マーシャル計画の費用を日本に要求してくる発想さえあったことをおもいだしました。(わたくしは日本の国会でTPPの批准に入っていることは日本の将来のために需要な礎石となると考えます。)

 上を含めご参考に供したい記述もあります、以下をご覧ください。

 朝日記161111 資本主義と民主主義の相克とBill O'Reilyの選挙作戦と今日の絵

http://blog.goo.ne.jp/go…/e/543600e9051c598ad38fd1a2c1dcfc97

 (注:ネット検索で あらいやすまさ x 朝日記で、2016・11.11朝日記にてご覧になれます)

 

 

徒然こと 2 トランプ氏フェースブックへの投稿2016・11・16

(Hereunder is a letter 2016・11・16 of facebook to Mr.Trump.)

Hello, Mr.Trump. I am pleased that you have seeing Prime Minster Abe on 17th of this month. I am looking forward both of you will have a good union.
By the way, I am also pleased to send you a copy of my message to facebook of Prime minister office as a letter of 2011/11/11 for helping your meeting with goodwill.
God bless both of you, Mr.Trump and Mr.Abe. from Yasumasa Arai 2016/11/16
~~My letter to Mr. Abe
https://www.facebook.com/sourikantei/?fref=ts
(Translation from Japanese language below;)
 To Mr..Primer Shinzo Abe
 Hello, I am Yasumasa Arai(Japanese scientist, male, born in1938).
Mr. Donald Trump, as the President elect has now started very active workings for White House. At such a time I am very appreciating as a citizen of Japan, that you are quickly making a promise to see Mr.Trump on 17th of November. It is very grateful.
 I have got to make a focus to Mr Trump since the very beginning his campaign spring of last year. Though he is a person of strange, but I have got to know he is surely a guy of smart and kindly of honest. So. I have concerned with his personality and his what he said during the election campaign, I am summerizing my comments in followings. So, I am grateful , Mr.Abe to read them;

Basically, I think, Trump administration will introduce a new tax reform and trade tariff imposing policy to make US realizing the would-be new Industrial Structured Revolution.
 It reminds me of the Union side’s having taken industry promotion policy over days during the Civil War. It was for competence against the British Empire free trade policy.
 As for a tax reform, I take one hypothesis that US may take a promotion of employment infrastructure under encouragement to powerful capital owner’s active investments to industries and techno-innovation through some tax system  changes, for example, like as Professor Stiglitsz schemes,et al.
Regarding to free trade principles, I put to summarize the following items, which more or less, I guess, Mr Trump has continuously told the people of votes at the Presidential campaign.
 US will carry out to take its primal policies to make own benefit for the people of America . 
US should be continuously standing ‘great again’ as the nation of uni-super power in this globe. ( though Mr.Trump said US is powerful enough though it’s policies so far had unfortunately under from said fallible ideas)
US should take the appropriate and reasonable paybacks from the each of nations which need of security to be protected and supported by US.
Nations, other than US should take their quotas of laden as under appropriate and reasonable shares accordance to US commitment  under mutual contracts. 
According to this context, it means that US will persistently hold the following fives along under the international frame of resume at the end of the WWII
First, as the strongest power of security for peace,
Second, as the strongest power of free trade market,
Third, as the strongest power of industrial production,
Forth, as the strongest power of techno-science innovations,
Fifth, as the strongest power of IoT( innovative net-workings).
These policy is basically invariable and same as those of Al Gore’s Innovative America Policy, but only one point different is which is neccesitating ‘Pay-Backs’ from every alien nations.
As for TPP matter, US will newly take a proposition of modification to a new frame on taking the combination of security and peace with free market trade ,guaranteed with TPP governance installation sphere.
At ending ,one comment added, which I saw and was impressed that a person wrote at one of the this year Op.ed in WoPo, and he said US deserves a great economic fund like Marshal-like-Plan supported from foreign aliens in order to rebuild vital economic infrastructure again in America. It would mean ‘Pay Back’.
Thanks.

 

 

徒然こと 3 世界で一番早かった(?)当選祝電2016・11・9 

 開票の体制がほぼ決したか日本時間9日14:20でTが220とCが110あたりで覚悟をきめてお祝いをTrump氏のfacebookに送りました。もしかしたら、世界で一番はやい祝電になったかもしれません。

( I sent Mr Trump a message in follows to his page of facebook at 1415;)

 

 Viva America! Congratulation to victory the election, Mr.Trump.

 You are now the President of United States of America.

 You are our hope and peace both for your country and the whole of the world through your powerful and heartful leadership.

 From a Japanese old man, birth in 1938.

もう一度読み直そうと、かれのfacebookで自分の送ったメッセージをさがそうとしましたが、膨大なメッセージのなかに見失ってしまいました。

Unfortunately it is very hard to find this message among a gigantic numbers of massage.

 

徒然こと 4 アメリカ大統領選 関連「朝日記」

ご参考まで昨年からのトランプ氏関連のメモのコレクションは以下の筆者のブログにてトレースとしてご覧いただけます;

朝日記 161023  トランプはいかがなりや?ときょうの絵(161109追加)

http://blog.goo.ne.jp/gooararai/e/9c999f655fd1a8ac70e80bddf84d3a45

(注:ネット検索で あらいやすまさ x 朝日記で、2016・10・23でご覧になれます。  以上

(上席化学工学技士 元東京工業大学教授)

(Anima)

 

 

 

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朝日記170113 哲人の友人への手紙 「トランプ騒動」と今日の絵

2017-01-13 22:48:00 | 政治

朝日記170113 友人への手紙 「トランプ騒動」と今日の絵

哲人・友人 A.I.さんへの手紙

 トランプ次期大統領のはじめての記者会見は、メディアとの決定的背反を描きだしました。

世界には、extremely tough heartなひとがいるものだと関心します。 大統領になったから 品よく慣例にならってなど考えない。 そこがすごいところで、皮肉でもなくこういうtough mentalな人格を生む国は、創造的であり、人間のエネルギーや活力を獲得する国といっておきます。

でっかいエンターテイメント・ショーが、一昨年から続いていますね。 笑っているうちに世の中が消えたと心配するインテリもTVや新聞に沢山でています。

以下は、同業他社で、私のおなじような分野での先輩で、いまは国立研究所の生命科学の

所長顧問をしているひとです。彼の興味はなぜ荒井がトランプに着目したかに興味があるということ。そして、彼がなにをするかを語れということでした。

以下の私の発現は、あまり質の高かいものではありませんが、言えるときに言ったほうが

よいので書きます;

~~~~

 

YT様

 

 今日は冬の好日でおだやかでしたが、明日は大型寒波が接近とか。大学センター試験で、いつものこととは言え、恙なく試験が進行することを祈ります。

 トランプや安倍さんへの発信には、多分奇妙にお感じに

なられたことでしょう。朝日記や音楽絵画、そしてfacebookなどで自分の絵画の

収録や公開をしているうちに、お蔭さまで元気になり、また 橋爪先生の旧約を読むの講座聴講などで哲学志向を強めていきました。

(科学技術哲学について)

 科学技術哲学へのチャンスを与えてもらったと感謝しています。昨年は、総合知学会は共通テーマとして 原子力発電を設定して

アカデミックの場で 科学技術と社会科学の接点の問題を多角的に論議してきました。その意味では、具体的なことで考えるということの機会を与えてもらいました。

 結局 システム論Cybernetic, 目的論(価値論)objectivity,  道徳性morality というところに帰着します。西垣 徹さんの「集合知」などは 意味を共有します。この過程で、NeoCyberneticsというのは一つのパラダイムですね。

 先年亡くなられてた青木昌彦さんの文献を眺めているうちに彼が、California大学の社会哲学者John Sealeの存在論的主観論に強い関心を持ったことを知りました。

後者の「主観論」のところは、カントの認識論からの概念知で、前者の「存在論的」は

ハイデガーの存在その物への意識の問題で 現存在と実存です。面白いことに

両方とも 基本は「観念論」で 人間の自由の問題と主体的意識の組みあわせです。

カントとハイデガーは一見まったく別体系ですが、ハイデガーの哲学が生まれる

前提はカントの認識論が前提として意味して存在しているものとしています。 

 Searleはこのふたつをつなげます。

彼の弟子でドイツの社会哲学者Carten Herrmann-Pillathが、つぎの論文を書いています。

Carten Herrmann-Pillath, Entropy, Function and Evolution: Naturalizing Peircian Semiosis.

 Entropy 2010, 12,197-242; diu-10 3390/e1202197

(ネットで Pillath  Entropy, Function, Evolutionで検索でるとおもいます) 

 NeoCyberneticsの中の論文と考えます。 鍵語として、entropy, micro macro  sign  function  interpretantなどとくにentropyを持ち込んでいるところが 論理上の筋がよいと思っています。

 

 (モラリティについて)

多元価値問題については、根底としてMorality(道徳性)Social Institution(社会制度(論))問題として現れます。

この問題では、社会的なMoralityRationalityを規範としています。 基本的には、Minimum Harmful(逆の極がMaximum Happinessですね)です。

 これをだれが面倒みるかですが、ここからAgent and Institution 論が生まれます。 賢い人(Rational person)の存在と、institution 間でのrationalな追及によって minimum harmfulとして社会的moralityとして、答えを出していこうとします。

John Rawlsの最大格差補償論は、この哲学の流れです。Obama-careは、まさにRawlsの哲学からの成果と理解します。

 これに対して、真向から反対する力がでてきましたね。Brexit英国のEU離脱、そしてTrump-elect-Presidentです。これを文明論的にいかに考えるか、私は

まだ、頭のなかの整理ができていません。

 

 (貿易保護主義と南北戦争背景)

ベルリンの壁が落ちて、アメリカが一強のsuperpowerになった、全世界はその翼のもとで、国の障壁をなくして、Global経済として動いた。

ところが、9・11テロ、イラク戦争などシリア問題、ウクライナ問題、そして中国の台頭で、一強であるはずのアメリカの力が疲弊したように見えてきた。気が付くと、グローバル金融はアメリカが支配してはいるが、アメリカの力の基盤(fundamentals)が、ことごとく外国(アウトソーシング)にでていってしまった。そして、その実をかならずしもアメリカが掌握していない。

また、 BRICといわれるブラジル、ロシア、インド、そして中国、就中 中国の台頭です。

ドルの信用と軍事的優越性の暗黙の裏書があって、アメリカの世界支配は体制化(レジューム)しています。 ところが、国民は何で食っていくか、つまり雇用、それを吸収する産業が空洞化している。つまり、実体がない状態に見えてくる。 「裏書」がいつ紙屑になるか、だれもわからない。

しかし一番初めに気がつくべきは、アメリカ、アメリカ国民自身であろうとおもいます。 グローバル化の前提になっている経済の革命が、答えとなります。

 ところで、この問題は、私見ですが、アメリカの南北戦争の問題と酷似しているようにおもいます。 南部は綿花などの農産物をベースにした自由貿易を、北部は工業資本基盤形成のために保護主義貿易主義をとったのでした。 隷解放などの政治的アッピールもあって、世界(時代)は、北部に味方したと考えられます。 

北部は、保護主義をとりながら、大きな世界戦略をもっていました。大陸横断鉄道の建設によって、太平洋を支配し、英国に勝つことであったといえます。

(トランプ問題)

トランプ政権が、そういう大世界戦略を持ちうるかどうかに、懸っているとおもいます。

1.Trump政権は、結果的には「アメリカ合衆帝国」を宣言する。

つまり 国家社会主義的に、雇用創出インフラ建設の経済刺激政策になると予想していきます。

三つの帝国から学ぶことになる;

(ローマ帝国)

(ナポレオンのフランス帝国)

(ナチスドイツの第三帝国(制度の修正見直しがうまくいくか))

 

2.この政権は一旦、舵をおおきく高関税・雇用創出税制へと向かう。そのための巨大なインフラ投資をする。

3.これに協力する国とは二国間協定を優先し、Pax American Economic Sphereをつくる。

4.アメリカの力による安全保障を必要とする国には、金と兵隊の応分の負担をしてもらう。

5.アメリカの利益を害する国や組織は 敵として 徹底的に無力化する。

6.国際連合は、アメリカ主導の改革を行うが、場合によっては、新しい国連(Pax Amerikacna Union)を

つくる。 (アメリカ、ドイツ、日本、英国、イスラエルが主導する連合か)

7.この過程で、アメリカ国内は分裂するか。

8.空白の世界地図の再編のうごきが、早急に生まれるか。早晩、アメリカからの強い干渉。

 新勢力圏の登場。 (当面は、かぎりなき不安定を予想する。新しい思想のうごきがあるか)

 

 YTさんとの会話の続きに、こんな妄想がでてきましたが、

ひとつのframeです。 別なframeがあるとすれば、如何なものかです。

  上の論に未だ拘っていません。以下に興味があります。

*1どういう形が必然的に見えてくるか。

*2市民のmoralityからの要求は、どのように政治的現象として発現するか。

もちろん、我が国として、そして自由世界としてです。

 

~~~~~

  わが敬愛する友人A.I.さん、上がわたくしのdiscourseです。

 

荒井

 

 

 

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朝日記170112 習作自画像『酒神礼賛と私の夏の午後』と今日の絵

2017-01-12 22:41:52 | 自分史

朝日記170112 習作自画像『酒神礼賛と私の夏の午後』と今日の絵

(朝)

~~~~~~~~

習作自画像『酒神礼賛と私の夏の午後』

荒井康全 Yasumasa Arai  2017/1/12(版)

 

その1 

酒神礼賛と私の夏の午後

朝日記150422 酒神礼賛と私の夏の午後と、今日の音楽絵画と絵

 雑誌に掲載された わたくしの偶感です。アメリカ留学の思い出ことなどである。

 すこし古い話になってしまうが、夏に遠縁から吟醸酒「浦霞禅」という名前の米ワインが届く。 米寿をこの春に迎えられた家内の伯父からである。 このお祝いを迎えるころは、ようやく気軽に語るべき身内やお仲間もいつ しかひとり、ふたりと去られ、やはりおさびしいことであろうと勝手な思いをもつ。 それは、そう遠くないわが身のこととかさなってくるからでもあろう。 とあれば、歳めぐりでちょっと後の世代である我々が親の代のお付き合いを継承させていただく栄に浴することになる。 わが身は先年に声帯を痛めて、お会いしてもお話を聞く一方で、愛想のことばのひとつもないのであるが、お酒というのは ありがたいことで、酌み交わせば、けっこう心がつたわる。 ただ、にこにこ飲んでいればいいのである。 ところで、お酒の銘柄については、もともと無頓着な性質で、勉強もしてない筆者を先方が察してくださり、さり気なく、このお酒について、雑誌での品評記事が添えられていた。 1960年代おわりに、臨済の禅宗の坊さんがフランスはパリの仏教縁者に持ち込んだという。その企画が功を奏して、当地でのワインの地位をしっかり獲得しているようだ。     

この年代が目にはいると、もうそれで偶感をめぐらすスイッチがはいったようで、結構、酒の肴になってくれる。 しばしほろ苦き酩酊へ誘われ、自分がすごした時代の回想を味わうことになる。酒神に礼賛でもある。 以下は 書簡形式でのわたしの60年代へのホマージュである。

(目次)

. 米国ウイスコンシン大学留学のこと

. コースワークの思い出で

. 「数学芸者」といわれた部員たち

. 思いは巡ること、酒神礼賛・・・

(景色)

の2
話題 「習作自画像」

2008年の夏に 埼玉は浦和の学習塾「はなまる学習塾」の若い先生方に語ったシリーズの内、荒井の部分を掲載します。[1]

(目次)
1.わたくしの略歴
~ふるさと
~戦時体験
~終戦をむかえる、闇市と「はぶゆー・あ・ちょこれっと?」
~父親のこと、知的な刺激をうける
~キリスト教教育のこと、明治学院に学ぶ
~横浜山手の丘から、はるか客船ウイルソン号を望む
~ルネッサンス的人間像への憧れ、”よし きらいなことに挑戦しよう”
~ニュージーランドへの遠洋航海、自分探しの青春であった商船大学
~原子力船の乗り組みに志願しよう、東京大学に行こう
~機械工学大学院で熱工学を専攻する、「七輪の火も、原子炉の火も熱反応で同じ、反応現象な
ら化学産業だ
~化学を熱現象として見てみる。コピュータの技術応用に夢を馳せる
~コンピュータに化学技術の夢を乗せる、アメリカに行こう
~およその職歴

2.ちょっと語っておきたいこと(1)
宇宙飛行士になりそこなったキリギリス

3.ちょっと語っておきたいこと(2)
「お稽古事のまとめ~`わたしの羊よ`、声楽レッスンの10年に思うことごと」
i
声楽レッスンの動機 ii 素朴な期待感 iii 具体的にやってみたこと
iv
レッスンの記録 レッスンによる効用 viii わたしのよろこび
翻訳詩を数編

4.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(1)
「参考になりそうな考え方、あるいは態度について」

5.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(2)
「歌曲、いわしの歌、ってありますか」
ゲーテの‘ミッシイグ・リング’ すみれ、鱒、野ばら、そして?

6.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(3)

私の65歳

~そのころの自分についての捉えかた ~セカンドの職について
~セカンドで、特技を生かすということ ~なにに苦しんだか、どう考えたか。
~「これは、仕事なのだ」 ~自分の専門を大切にする
~「 哲学がなくては、 飯が食いつづけられない」 「食うために生きる」こと
~「生きるために食う」こと

7.おわりに ~自画像とはなにか、なぜ自画像を描くか

 

その3 私のあのころのことを 

朝日記181008 病にある友へのお見舞い~あのころのこと と今日の絵

2016-10-07 20:11:17 | 自分史

 

(崖のある風景)

 

 

その4

わたしの日々の過ごし方 絵のこと、音楽絵画、哲学研究など

朝日記160408 「朝日記」とわたくしの日々の過ごし方について と今日の絵

 

 


[1] 初稿:

 先進エイジフリー社会を目指して ~自画像からの提案~

【経験豊かな高齢者も活動力豊かな若者も共に協力し合って、 自然と共生しながら生活していく活力ある社会】 20035 ワーキンググループWG 人間環境活性化研究会

検索鍵語: 先進エイジフリー社会 自画像 人間環境活性化研究会

http://www.heart-no-kai.com/kankoubutu/wg3report-manuscript-binder.pdf#search=%27%E5%85%88%E7%AB%AF%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%A4%BE%E4%BC%9A%27 )

(チョコレートの模様)

~~~~~~

付録 技術者としての徒然こと

朝日記170112 技術者としての徒然こと と今日の絵

 技術者としての徒然こと

 職業として化学技術にたずさわった自分のプロフィルをここで書いておきたい。化学工学会が管掌している技士資格制度で「上席化学工学技士」を平成19年に受験したときのものに「業務経験に関する記述書」というのがあり、これに目をつけ以下に掲載する。

この記述書は、自身の「技術分野」に関する業務の中で、自分が中心になって実施し、成果を挙げたと考える業績を1件程度選び、以下の項目にしたがって述べることを要請している。

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朝日記170112 技術者としての徒然こと と今日の絵

2017-01-12 21:25:32 | 自分史

朝日記170112 技術者としての徒然こと と今日の絵

 技術者としての徒然こと

 職業として化学技術にたずさわった自分のプロフィルをここで書いておきたい。化学工学会が管掌している技士資格制度で「上席化学工学技士」を平成19年に受験したときのものに「業務経験に関する記述書」というのがあり、これに目をつけ以下に掲載する。

この記述書は、自身の「技術分野」に関する業務の中で、自分が中心になって実施し、成果を挙げたと考える業績を1件程度選び、以下の項目にしたがって述べることを要請している。

 

~~~~~ 上席化学工学技士「業務経験に関する記述書」

                       平成19年7月25

                       受付 108-21

受験者 荒井 康全 

(1)   業績名 

業務・研究履歴項目

「化学産業技術及び研究の広範な分野で工学的数学モデリングの適用開発と技術機能としての組織化」

(2)   実施の時期と期間 1964年~1999年

(3)   技術的内容および成果

ここでは以下の3つで述べてみたい。ひとつは、モデリングが化学産業技術として地位を獲得するためには、どういう環境があって、そのために何をなしたのか。

つぎに、モデリングが 筆者の技術及び研究のなかでどのように展開され、実績となったのか。 三つめに、モデリングの技術は、いまどのような状態にあり、なにが問題でありそのために なにが必要であるかを考えてみたい。

 

1)工学的モデリング(モデリング)とはなにか、なぜモデリングが化学産業での中で

必要であったのか。

筆者が社会にでた1964年は‘大きいことはいいことだ’の歌にある 「スクラップ・アンド・ビルド時代」で わが国は 造船、鉄鋼、化学など産業界の規模を急速に拡大し、今日の世界有数の経済大国として、繁栄の経済基盤を築いた時代であった。

すみやかなスケールアップの要求に応える設計技術としてふたつの役者が登場した。

ハードウエアとしての‘高速計算する’コンピュータ。

ソフトウエアとしてのFORTRAN等の言語。

しかし、このふたつは個別に登場したのではなく、ウィーナーやノイマン等の「システム」(「サイバーネット」)の情報理論による 科学技術上の一大パラダイム転換の産物であったといえよう。 「システム」の概念は、考える対象を 数学的に抽象化した記述(モデル)にあらわし、これに入力と出力の関係でその関係を捉えることである。このことから、対象の個別性をこえた取り扱いの可能性の大きさを感じ取ることは極自然な理解であったと思う。

2)モデリングが 筆者の技術及び研究のなかでどのように展開され、実績となったのか。

 2-1 スクラップ・アンド・ビルド時代

単位操作とプロセス設計への展開として、以下三つをあげる;

①蒸留塔や熱交換器などの単位操作で繰り返し計算のある設計計算

②単位操作を繋げたプラント全体の物質・エネルギー収支計算と最適化設計

③安全にして安定な運転をする自動制御の設計と最適化運転

入社間もない筆者は この技術の革命性に感動し、エピクロールヒドリンの建設部隊の現場経験を経て FORTRAN言語による「多成分系蒸気凝縮器の設計プログラムの開発」を行い 実用に供している。

2-2 省エネルギーの時代へ

現象モデリングで省エネルギーや品質の問題の解析

 1973年に始まる第1次石油危機は、我が国の産業全体の存亡の危機に追い込んだ。

産業の課題は、如何にしてエネルギーを少なく使用し、製品コストを抑えるかの戦いであった。 また、この過程で、化学産業は従来の大量汎用型の製品への省資源・省エネルギーに対して、一方で 少量機能型の製品への‘いばらの道’の挑戦がはじまった。

プラントのなかでなにがおきているのか、つまり解析技術の時代に入る。筆者は 従来の集中定数系の常微分方程式から分布定数系の偏微分方程式の転換の必要性を感じ取っていた。これは アポロ計画の技術的成果の一般産業普及の流れではあったが、筆者が 米国ウィスコンシン大学で、リチャード・ヒューズ教授のもとでのプロセスシステム研究で、特に変分原理による多体連成体のエネルギー最小問題に刺激を受けたこと、このヒントから化学産業への応用につよい関心を抱き、そのながれのなかで帰国後、 偏微分方程式の数値解析展開として有限要素法の適用開発を開始することになった。また、この活動が品質管理の部門で技術の展開することになったことはその後を特徴づけるものであった。当時としては奇異な組み合わせではあったが、とりあえずデータ解析で製造問題の改善をする間、モデリング開発の時間を生むという点で技術メニューの品揃えができたこと、またさらに進んでモデルとパラメータ同定という技術が結合し、非線形代数解の実務への適用と実績を獲得したことは解析部隊が今日まで続くための幸運でもあったといえる。

ここでの事例としては 以下の三つをあげる;

①アルミナの還元炉などの炉内均一焼成を目的とする非定常非均一系熱化学反応の解析。

有限軸長の円筒問題での熱化学反応モデルで 解析解を使って焼成問題を解いていった。 この技術は基本的に物理現象を理解する効果が評価され、「工学解析コース」という名の社内技術教育の発祥となった。

②アルミ精錬炉やフェロクロム精錬炉などの高温電気炉でのエネルギー分布などの熱分布の解析。 炉の寿命の判定はむずかしい。高熱部分の熱流束をはかり侵食による炉壁の有効厚さを推定する。 熱応答解析によって寿命予測をした。

③高圧法ポリエチレン重合の製品品質改良を目指し、重合反応解析と多変量統計解析を連携した解析と製品設計。

(4)   その技術の将来性に関するあなたの考え

   モデリングの技術は、いまどのような状態にあり、なにが問題でありそのために なにが必要であるかを考えてみたい。

1)検証手段としてのモデリング技術の必要性

検証する道具が必要であるかもしれない。

実態から離れているから間違いかもしれないが、乱流拡散内での燃焼シミュレーション、あるいは地球の気象シミュレーションなどが超高速コンピュータで行われているが、シミュレーションが正しい結果を与えているかを だれがどのように判断し、評価するかという問題がある。 これまでは 経験にもとづいて、現象の特徴を捉えている専門家がいて、 極端にいえば、たまたまシミュレーションに縁がなく、あるいは忌避の気持ちを持っていること側からの目がその問題を投げかけ、答えていたとみることもできる。 シミュレーションの精度が上がれば上がるほど、異なる検証手段が必要になるパラドックスがある。

昨年 FLUENT 社の計算流体力学シミュレーションの演習で初歩から、図形入力、メッシュ作成、乱流モデルの選択、物性モデルの選択、乱流境界条件の設定法、など

発展分化した応用ソフトのトレーニングを述べ6ヶ月に渡って受ける機会を得た。このときに素朴ながら、検証手段が必要なことを感じ取ったのである。あるいは検証のためのシミュレーション技術もきちんと位置づけられるべきであると感じた。

2)検証手段としては、やはり問題を単純化して考える解析力を基礎にしたモデリングの能力ではなかろうか。 さきに 有限長の円筒での熱反応拡散問題のようなものは現在の計算シミュレータでは容易な計算であるが、物性や場の条件の変化の感度によって現象全体がどうなるかという洞察がないと、やみくもに計算を繰り返し、実は方向が見えてないことにもなる。 もうひとつは、測定手段についての検証も必要であろう。ここでは

 触れない。

3) マルチスケール問題としてのモデリング技術の必要性

筆者が立ち上げに関与したNEDO「土井プロジェクト(OCTA)」は ナノ系とマクロ系をメゾ系でつなぐマルチスケール問題のシミュレータの開発であったとおもう。 極端に言えば、マクロの移動現象論のモデルと分子動力学のモデルとの連成問題であり、これらは工学的にも緻密にモデル化が進むであろう。さらに、光半導体機能材開発や分子生物科学系のなかで顕著に現れる電子や正孔などのキャリア移動のような粒子の移動現象のモデルなども活発に研究されており、ここでもパラメータ感度について先見的に方向をみるモデリングが現象検証の手段を与えると見ている。

 4)モデリングをおこなうための素養としての工業数学の再評価が必要性

わたくしは数学の履修については苦い経験をもっているものである。教養課程での数学から啓蒙を受ける感性が欠乏していたことによることも大きいが、後年 米国の化学工学科での学生生活を送って たとえば バイロン・バードの移動現象論のための数学コースは モデリングの思考言語としての数学の表現力の魅力に圧倒された記憶がある。また、ヒルデブランドの応用解析、カルナーハン等の応用数値解析などすぐれたテキストの存在にも、長くたすけられた感謝の念がある。2年ほどまえに化学工学での数学教育について米国と英国のカリキュラムを調査したが、「不磨の大典」として依然として大切にしている姿を見出している。 当時でさえ、彼我の数学素養の差が顕著な感を禁じざるを得なかったが 現今は如何にあるか気がかりでもある。

  

  5)わたくしのこれからの抱負

   これまで 統合学としてのシステム技術に焦点を置きこれをまとめることになんらかの関与をしてきたが、今回 本応募するに当たってあらためて 自分の持てるものとそれを 後に伝えることについて、つらつら考える機会を与えてもらったことを感謝している。その中で はっきり意識したのは やはりモデリングについて現状をいかに捉え、問題があるとすれば、若いひとの素養をどう発掘していくのかという命題であった。 職業定年で 結局 こちらは活動の場が離れ、したがってそれまでの培ってきた知識をすべて終わらせてしまう無念ではある。 趣味もよろしいが、やはり自分の専門分野の場にて役立つことが、人生の充実かなと自覚し、今回の応募をした次第である。

  以上

 

 

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朝日記170111 若い世代と語る HEART きみたちへのメッセージ[081031 版]と今日の絵

2017-01-11 17:58:38 | 自分史

朝日記170111 若い世代と語る HEART きみたちへのメッセージ[081031 版]

おはようございます。2008年の夏に 埼玉は浦和の学習塾「はなまる学習塾」の若い先生方に語ったシリーズの内、荒井の部分を掲載します。

徒然こと  若い世代と語る HEART きみたちへのメッセージ[081031 版]


話題 「習作自画像」
HEARTの会  荒井康全


1.わたくしの略歴
~ふるさと
~戦時体験
~終戦をむかえる、闇市と「はぶゆー・あ・ちょこれっと?」
~父親のこと、知的な刺激をうける
~キリスト教教育のこと、明治学院に学ぶ
~横浜山手の丘から、はるか客船ウイルソン号を望む
~ルネッサンス的人間像への憧れ、”よし きらいなことに挑戦しよう”
~ニュージーランドへの遠洋航海、自分探しの青春であった商船大学
~原子力船の乗り組みに志願しよう、東京大学に行こう
~機械工学大学院で熱工学を専攻する、「七輪の火も、原子炉の火も熱反応で同じ、反応現象な
ら化学産業だ
~化学を熱現象として見てみる。コピュータの技術応用に夢を馳せる
~コンピュータに化学技術の夢を乗せる、アメリカに行こう
~およその職歴
2.ちょっと語っておきたいこと(1)
宇宙飛行士になりそこなったキリギリス
3.ちょっと語っておきたいこと(2)
「お稽古事のまとめ~`わたしの羊よ`、声楽レッスンの10年に思うことごと」
i 声楽レッスンの動機 ii 素朴な期待感 iii 具体的にやってみたこと
iv レッスンの記録 v レッスンによる効用 viii わたしのよろこび
翻訳詩を数編
4.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(1)
「参考になりそうな考え方、あるいは態度について」
5.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(2)
「歌曲、いわしの歌、ってありますか」
ゲーテの‘ミッシイグ・リング’ すみれ、鱒、野ばら、そして?
6.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(3)

私の65歳

~そのころの自分についての捉えかた ~セカンドの職について
~セカンドで、特技を生かすということ ~なにに苦しんだか、どう考えたか。
~「これは、仕事なのだ」 ~自分の専門を大切にする
~「 哲学がなくては、 飯が食いつづけられない」 ~ 「食うために生きる」こと
~「生きるために食う」こと
7.おわりに ~自画像とはなにか、なぜ自画像を描くか
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(本文)
若い世代と語る HEART きみたちへのメッセージ
「習作自画像」
HEARTの会
荒井康全
1.わたくしの略歴
~ふるさと
多摩川の下流は六郷川と古くからよばれていたが、多分、砂が堆積してできた中州を指して
いるのであろう。東海道、川崎の宿はそのひとつの郷にあったと想像する。わたしの生家はその周辺の農家のひとつであった。
家は江戸のしかるべき時期に摂津の方から来たらしいが、まだルーツをただしていない。な
るほど尼崎と川崎かと地勢的類似性を思う。いずれにしても開拓団移民であったのであろう、
地誌を散見するに、江戸時代至って、盛んに干拓が行われたようだ、地名に池上新田、田辺新田、小島新田などが残っている。「荒井新田」というのがあったという、横浜の歴史博物館での展示でそれを知った。鶴見区史をみると、確かに荒井という一族が親子二代にわたって干拓をおこなっている、結局 風水に流されたということらしい。それ以上のことは、これから調べておきたいが、その直系なのか、その下男のながれなのかわからないが、今回には間に合わない。自分の先天性について語るためには過去としては短かすぎるし、自分自身の後天性について語るには長すぎるのである。
38年神奈川県川崎市川崎区小田にうまれる。
父健蔵、母うらの長男として生まれる。後に二人の弟が加わるが、この時点では、2歳違い
の姉に私を加え4人の家族であるが、当時は父の両親と、まだ娘時代の3人の叔母たち、そして徴兵で外地にいる叔父で構成される十人に及ぶ大家族であった。 生後三ヶ月でリンパ腺炎での手術を行っており、「腺病質」ということばがいまも耳になじんでいる。また、小児麻痺の初期であったのであろうか、ある日突然に片足が棒のようになり歩けなくなってしまった。親は医者を探すこと、神仏に頼めることなどすべてをやってくれたようだ。 占いの神託では、端午の節句の折の鯉幟を立てるための穴の位置が、地神の癇に障ったという。寡黙で強面の祖父が、大きく育ったら親孝行をせよと幼い私に言い聞かせたという。幸いなるかな、なにかのきっかけで、回復すると、こんどは近所の餓鬼なかまに入って真っ黒になってトンボとりやフナとりに走る、やんちゃな男の子への軌道に乗っていった。京浜地区工業化の中にも、ま各処に田園が残っていた。

~戦時体験
44年川崎市立前沼国民学校に入学。出征軍人を送る歌を祖父の背中で聞き、そして自分も
その行列で旗を振っている。戦時色が日に日に強くなり、大人の会話から、ただならぬ変化が起こることを感じ取っていた。 夕食後の家族の団欒、ラジオから流れる広沢虎蔵の「旅行けば」ではじまる浪曲、ひょっとした弾みで、満州の話、そして「おい、満州に行こう、連れて
ってあげよう、明日の朝」で、戦況や銃後の話に華が咲く。いつ満州に行くのか心待ちにして、それなりにわたしは傷ついていたが、この家族にとっては、いっときの平和な時期でもあったであろう。
やがて、防空演習、国防服、もんぺ、頭巾、地下足袋、ズックの肩掛けなど、そして初めて
の空襲警報。夜間空襲で聞く空気の鋭いうなり、そして体を吹き飛ばすような炸裂音。囲炉裏の灰が天井に舞い上がった。爆明で見えたのだとおもう。百メートルもない距離の中学校の校庭とそれに続く住宅、田んぼにいくつもの爆弾が落ち、だれだれさんの一家が全滅したという。いくつもの爆弾池がその威力を残していた。

~「大師様があるから家は焼けやしねえ」
祖父はよくそう言っていた。川崎には、厄除けで有名な川崎大師がある。一方、父は近くの
電機会社の工場で潜水艦の主機モータ組み立ての現場主任をしていた、あるとき父がその機械とそこに立つ人間を私に、そおっと鉛筆で描いて見せた、山のように巨大なものらしい。そしてこれは秘密だといって塗りつぶした。ともかくも父が立派に思えた。家族は、川崎からは離れる様子がなかったが、火災の延焼を防ぐための家屋の取り壊しがはじまると、さすがに 母は姉(8歳)とわたし(6歳)をつれた疎開することになった。 が、行き先がない。母の遠縁を頼って茨城県の鹿島の近く、利根川沿いの徳島という地へと疎開するが、それもつかの間三浦三崎の漁港の町へと転々とする。徳島では、父が訪ねてきてお腹をこわししばらく寝込んで、帰っていったこと。 あるとき 私は家の無花果の木にのぼって実を食べているうちに、バランスを失して、あっと思う間もなく下の堀切の水のうえに転落したことなどを思い出す。
三崎には祖父と叔母のひとりが、ときどき来てくれた。 祖父のためにバス停で吸殻のたばこ
を拾って感激させたりした。
そのようなある夜に 川崎に大空襲があった。 それで家をことごとく焼失した。父は家財
を守るか、自分の書籍にするか迷ったらしい、彼の決断は両方とも火の中におき去った、がただひとつ 伝来の阿弥陀如来の木像を、井戸のなかに投げ入れ、数キロメートル先の家族たちのもとに走った。 途中、そして燃え盛り 阿鼻叫喚のひとを救けたりして、ようやくにして
祖母や叔母たちのもとに、たどりついたという。
この事態で、わたくしの母は、自分の夫と生死をともにすべき時と決し、三浦三崎を引き払
い、いそぎ川崎に向かった。途中、京浜急行の追浜駅に爆弾の直撃があったが、われわれ母子は、ひとつ手前の駅にあって救われた。ほうほうの手で川崎の父のもとに帰り、焼け野原のバラックに親子がおさまった。

~終戦をむかえる、闇市と「はぶゆー・あ・ちょこれっと?」
天皇陛下の声を初めてラジオで聞いた、尊いひとは、高い声なのかなあと思った。近所のひ
とたちと一緒に聞いていた、炒り大豆を食べながらだったと思う。近所のおじさんや 動員で
働いていた朝鮮の青年もいた。これからどうなるのかと元無産党だというとなりのおじさんと
動員青年との口論がはじまったが、それ以上の争う勢いとならなかった、不安ななかにも、ど
こかほっとしたあかるさがあった。もう空襲がないことがうれしかったようにおもう。 まも
なく、駐留軍のジープが、トラックが、長蛇となって、近くの第一京浜国道を東京へと向かっ
ていく光景を見る、母親はサツマイモをサッカリンで甘味を作った代用今川焼きを焼いては、
闇市で商った。
地回りがきても気丈夫に渡り合っていた。わたしは、焼け跡の工場から歯車を4つ失敬して
台車をつくり、うなる音をジープに見立てたり、ときに、国道に出ては「はぶゆーあ・ちょこ
れっと」とジープに声をかけ、チューインガムを投げてもらった。いちどおおきな缶詰を投げ
てもらった、何の缶詰であったろうか、わすれたころに、それがどんぐりか なにかの粉に変
わっていたことを知った。
さてこの間、ずい分学校に行っていなかったように思う。 もとの前沼小学校の校舎は焼失
していた、焼け残った市立新町小学校に間借りし、やがて、その小学校に糾合された。蓋のない机、二つの椅子に板を置いて三人がけにして座る。授業時間中鉛筆を無心で削っている子がいた、油紙で塞いだガラス窓等々、冬の時雨のときは、足のつま先が痛かった記憶がある。とにかく家に帰りたかった、家もトタンで雨露をしのぐ陋屋(バラックといった)であったが、
それでも家がよかった。勉強ははるか遠くにあるような気がしていたと思う。

~父親のこと、知的な刺激をうける
「お前はできる、かならず川中に入れ」、まだ学校に入る前だったとおもう。川中とは、神奈
川県立川崎中学校(現在の県立川崎高等学校)のことで、当時、国民学校からは級長の子でなければ入れない学校だったという。 そこの中学生たちの 何か後光の射した通学姿にあこがれをもって眺めていたようにおもう。 銭湯帰りに、中天の夜の星にねがいを賭けようとも思
った。一瞬の光芒の消滅はなにか願いの無謀さを告げているようであったが。
戦後まもなく、父は会社の労働組合の創設に係わり、そのリーダーに推された。初期の労働
運動であったから夜も遅かった、若い組合の人たちが、よく深夜 バラックの我が家に立ち寄
り、私が寝ている傍で、大議論をやる。 新しい時代がきた、すぐにでも社会主義革命が起こ
るのではないか、訳わからず、なにかすごいことになりそうだと思った。 議論に一段落した
合間などに、ときおり ちょっと挟むかれらの学生時代のことなどの会話が交わされ、カント
やデカルトなど 製図や力学など森羅万象に話が及ぶ。 そういう会話のなかで 自分のまだ
知らない、はるかに向こうの世界を感じとった。 その多くが機械や電気や法律など、さまざ
まな学問を大学で学んだひとたちであるということも知った。 また大学を出ていないひとの
なかにも、勉強を積んだりっぱなひとがいることも知った。 どこか知的な興奮が漂っていた。
勉強すれば、あのようなひとたちになれる、それにもしかしたら、あの運動会の予行演習でみ
た気位の高そうなマドンナに対してだって、一定の尊敬を受けることが出来るかもしれないと
思った。 生涯の友達であるM君が転校してきたのは、小学校4年の2学期であったとおもう、
勉強ができて、気風がいいライバルが現われた。
私の父親は、組合に推されて 川崎の市議会議員に立候補し、当選を果たしていた。わたし
の「川中」はまだ遠くにあった。

~キリスト教教育のこと、明治学院に学ぶ
昼休みに友達とじゃれついて、子犬のようにどちらかが追っかけて遊んでいた、わたしが逃げ
るばんであった、息せき切って、校舎の屋根裏へ逃げた、そこはもう袋小路だ、どうしようか。
薄暗がりに ひとがいる。 よくみると集会をしている、みんながお祈りしている、そうだと
思ってそおっと 仲間にまぎれ隠れた。 追い手が、迫る。 そして あれっときょろきょろ
していたが、やがて そお状況に気づいて、 彼もそこに入って座ってしまった。 キリスト
教の学校のクラブであった。ふたりとも「宗教部」に入ってしまったのだ。
私はキリスト教の学校である明治学院中学校を受験させられた。島崎藤村が出たというハイ
カラな雰囲気の漂う学校であった。 面接の試験に失敗して、補欠で入れてもらうために父親
は、たいへん奔走した、「あれを落したのはあなた方が間違いだ、一学期だけためしてくれ、それでだめならいつでも引き取る」と頑張ったらしい。 組合でのキャリアーが、押しをつよく
させていたのか、ともかくそれで入れてもらった。 ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」、あの主
人公の少年ハンス・ギーベンラートの名前をいまでも覚えている、NHK のラジオ 加藤道子さ
んの「わたしの本棚」の朗読であった。憂鬱であったが、 ハンス少年のように夢中で頑張っ
た。英語のリーダの一冊丸暗記を敢行した。'th'の発音で猛烈なヒステリーをおこすオルトマ
ス女史の英会話の授業も快調に飛ばした。すべての学科の予習と復習を試みた。そして、いよいよ夏休みがはじまったある午後、M 君と一緒に京浜急行の花月園にあるプールの水泳から帰ってくると 母親が学校の父兄会から帰ってきた。 まず「おまえ、よかったねえ」と誇らし
げに、ほめてくれた。 その夜 みんなで川崎の繁華街に出て食事したとおもう、そして御祝
いにテニスのラケットを買ってもらった。明治学院の学校生活は軌道に乗っていったとおもう。
父は、宗教に思いを持っていたひとであった。戦前から教団「生長の家」の誌友会であった。
この宗教は、スピノザ的な汎神論のながれにある思想であったろうが、基幹は皇国思想であ
ったと思う。戦後、自ら選んだ社会民主主義との間の思想的葛藤に悩んでいたようである。
あるとき組合機関紙が、父の寸描記事を乗せた。そのなかで、時代の過激なながれのなかで、ものごとに対して批判的、懐疑的な思索の傾向を示しはじめた息子に触れ、敬虔な内面性の経験を涵養していくことの必要を感じているという感想を述べていた。 息子について そ
のような関心を示してくれていたことに感動をおぼえたことを記憶している。 かつて祖父
の事業の失敗で、神奈川県立第二中学校(現在の翠嵐高等学校)の試験に受かりながらも、
一家の生計ために断念しなければならなかった、そのなにかが、多分わたしの上に投影して
いたようにおもう。

~横浜山手の丘から、はるか客船ウイルソン号を望む。
夏の陽光の下、きらきら光る紺青の海、メリケン桟橋に客船が入らんとする。巨大なライト
グレーの、華麗な船体、白いブリッジとそれに続く白い居住のエリア、その上に鷲の飛翔のフ
ァンネル(煙突)、米国の客船プレジデントウイルソン号だ。白い半袖の士官服のチーフオフィ
サーが船首にあってきびきびと指示している、あでやかな原色っぽいいでたちの人影が動く、
そんな光景である。 いつのまにか、桟橋近くに自分を立たせている、いくつかの記憶が重な
っているらしいが、そのとき、誓うものがあったとおもう、船にのってアメリカに行こう。
また、ハリウッド映画「二人でお茶を」を鑑た。中学校のときの夏休みで、これもM 君とい
っしょだった。ヒロインのドリス・デイのタップダンス、プールつきの広大な邸宅、足のすら
っとした若者たちが歌い、抱擁する、この世の中にこんな国がある、こんなに陽気で、眩しさ
に満ちた社会がある、そして一方に 貧しく、しょぼくれたわが日本がある。「あこがれのハワ
イ航路」は不滅のカラオケ定番であるとおもうが、当時ははるか遠い現実のように思われた。
なんとしても現実を引き寄せようという思いがわたしに起きていた。船にのってアメリカに行
こう。

~ルネッサンス的人間像への憧れ、”よし きらいなことに挑戦しよう”
都立一橋高等学校に入る。 熱病に罹ったように都立日比谷高等学校を受験したが、見事に
落ちた。私の高等学校は、浅草橋にあって、もともと女学校が母体であった。男女共学で、男
子は全体の二十パーセント程度で少数派であるから、いきおいクラスの結束はよかったと思う。
あとで考えれば、ここに残っていても何の問題もないのであるが、日比谷落選組みが 転校を
密かに模索していた、なんとなく落ち着かなかった。
夏が終わると 熱っぽく語っていた友人は残り、私が転校して、神奈川県立湘南高等学校に
移ることになった。このときの友人とはいまも続いている。湘南校は、当時有名な受験校でも
あり、鎌倉、鵠沼、茅ヶ崎などこの地方独特ののんびりした空気があり、また自由な気風があ
ったようだ。科目のスタートの取り遅れた分は気合で生きる決意をした。
アメリカ帰りで気負い気味のM先生に授業中に食いつき、目に留められ、彼の英語の時間に、公開質問時間「荒井タイム」をもらう。必死になって文法書を調べ先生の解釈に異を唱え、対抗するという筋書きでまわりの秀才たちに、一種のエンターテイメントを提供したようなものであった。 コーラス部に入る、生徒会委員になる。生涯の友となったH 君等とは、ここからはじまる。この学校は、二年間でコースが終わる方式で、数学は、解析と幾何が2科目平行、理科は物理、化学、生物の3科目並行で、特に出遅れた数学と物理の調整に手間取った。これが、以降の私の生き方に陰に陽に影響し、いまに至っていると思う。つまり数学と物理コンプレックスである。 英語や世界史は快調であった。一度はこのような世界に進むことを考えたが、不得意なもの(嫌いなものがあるということを認めようとしない)をそのまま残すことに拘った。 そのままでは、残念とおもった、たまたま出会いがわるかっただけであり、自分の
向き不向きにかかわりないと考えた。
たしか国立大学一期校は八科目であったから嫌いなままでは済まされないという切迫した事
情があったかもしれない。 あるいは、最後に理系コースである商船大学に焦点を置いたとき
のこじつけであったかも知れないが ともかくそう考えることにした。 世界史が得意科目で
あったから、古今東西から、いろいろな人間像を曳き出し、自由に思いを馳せる、理想的人間
像をルネッサンス世界に求める。 ダ・ビンチでよし、聖フランシスコでよしであった。
これらの全人格的なものに現代人は達することができるか、分科した時代では、ただ考えることだけでおわりであろうかとも思った。しかし、とりあえず、つぎのようにその道筋を想定し
てみることにする。
ひとつ、好きなことは出来たとする。
二つ、いま苦手とおもうものに賭けてみる。
三つ、きらいなものが好きになったときに 全人的な接近がおこなわれたとする。

~ニュージーランドへの遠洋航海、自分探しの青春であった商船大学
眉目秀麗であることということが入試要綱に入っていると聞いたことがあるがほんとか、と
訊いたひとがいる、わたくしの顔をチラッと見たようだった。 裸眼で視力1.0 とか、綱
に片手でぶら下がって10秒以上とか、あるいは、性病検査とか海洋日本の伝統的な独特の体力試験があった。「紅顔可憐の美少年」で知られる寮歌が、事実を虚飾するのかもしれないが、わかいときはだれも、それなりに、意気がいい。
商船大学は 当時東京と神戸にあった学校が戦時統合され静岡県清水市にあった。伝説羽衣で知られる三保の松原の砂浜のなかにあった。満月の夜は、駿河湾の海がきらきら光り、遠く伊豆の対岸や達磨山の灯が見えて、切なくもうつくしい。 「完全就職、陸の倍の給与、たばこも酒も免税で、しかも外国が見られる」、たしか雑誌蛍雪時代での紹介であった。
そして、1956 年(昭和31年)目出度く機関科に入学する。そして 低空飛行で1960 年(昭
和35年)秋に5年半の過程で東京越中島の地にて卒業。 卒業実習は6ヶ月、最初の3ヶ月
は三菱日本重工横浜造船所 いまの‘みなとみらい’の場所である。 あとの6ヶ月は運輸省
航海訓練所の生徒になり航海実習にでる。 練習船大成丸という3千トンクラスで日本列島を
周航して、瀬戸内海で特訓を受けると、ニュージーランドへの遠洋航海にでる。 長駆赤道を
越え、熱帯スコールに身を洗い、ブーゲンビルの夕日を望見し、いくつか南十字星を仰ぐとや
がてクック海峡に投錨する。 折りしも雨雲が切れて陽が射す、波洗う崖の海岸線に鮮やかな
みどりの丘陵が目の当たりに現出する。 赤い屋根のバーンやサイロがある、たくさんの羊の
群れがある。首都ウエリントンに着いたのだ。 ときに、”六十年安保” 東京はデモの渦で騒然
としいたときに出航したが、国際放送は、池田勇人内閣の発足を報ずる。
いま思うと、自分の生きるべき道筋と現実の学問・教科にしっくりしないものがあったのだ
と思う。 それを認めたくないから困ったものであった。 この辺のところは、いずれ、もう
一度整理しておこうと思うが、物理にも数学も その他もあまりこころ踊るものではなかった。
それ以上に基本的には、外国を無料で行きたいというところにあったから、相対的に手段とし
ての位置づけになる学業が軽くなってしまったのかもしれない。 初めて家を離れたという開
放感とみずからの責任で方向を定めるという自意識との葛藤があり、思索は旺盛であるが、意欲に敏でなく、なんとなく身を浮き漂わせていたように思う。 石原慎太郎の芥川賞作品である「太陽の季節」に障子を破る下りがあったが、持てるエネルギーが向かうべき何か、当たるべき壁の喪失感のあった時代だったように思う。 思えば日本が経済大国として離陸しようとして必死にもがいている時代でもあった。 成績のよいクラスメートに対する競争心はあまり
おきなかったし、むしろ冷ややかにみていたと思う。
蒸気タービンの実験の時間に、側の十メートルほどの水槽を、往復して帰ってくる賭けを引
き受け、実際に実行して担当教官を烈火のごとく怒らせたことがあった。この教官には、後に
就職した会社からの米国派遣の件につき、大変助けてもらうことになったが、当時はそのよう
な状況であった。

~原子力船の乗り組みに志願しよう、東京大学に行こう
「あなた、あれほど勉強しないのにこれから東京大学に行くって?」、母は意外に思ったらし
い。 惰眠を貪ってきたが、卒業航海が近づくにつれて、それまでの自分を振り返ってみる。
すくなくも受験の頃の直向きさにもう一度帰ることの必要を感じた。 船体は揺れて傾いても
また復元をして姿勢を保つのであるが 自分の復元性をためすのも ひとつの挑戦だろうと思
った。 それ以前に文系の大学に入りなおすことも考えたが、これからひとり立ちして食って
いくたねは、やはり技術におこう、逃げるべきでない、それをようやく納得しかかっていた。
それにしては、いまのこの状態はお粗末であること、やるならその世界で一線に立つべきであるというところまではきた。
飛躍するがとりあえず聴講生で、東大にいってみよう、あとはそれから考えることにした。
これには ヒントがなかったわけではない。卒業研究は、例の水泳事件のD 教官に師事したが、テーマは航路による海水温度とエンジン効率の関係であった。
当時 丸の内のレンガ建てビルにあった飯野海運本社の工務部に通い 機関航海日誌から丹
念に海水温度とエンジン効率算出諸元のデータを集めた。 船会社の機関部門がどのような状態で動いているかが伺えて興味があった。あるときここのN 課長が、帰りにビヤホールに誘ってくれた。 「君、会社に入って陸でやるんだったら、なにか特別な武器をもたなければいけないよ」といって、部下の一等機関士であるK さんの話をしてくれた。会社から東大に留学派遣されているという。 そして その人に会いに機械工学科を訪ねたことがありこれが下地に
なっていた。もっとも、このひとは、船の大学を首席で卒業している点が、私と大いに違って
いたが。
さて、ターゲットは原子力工学としよう、親には将来、原子力船の乗り組み第一号になるた
めに、機関をつくることをやるのだといってしばしの猶予をもらうことになった。 ときは、
1960 年(昭和35年)9月、甲種一等機関士の面接試験を終えて、力学の再履修のために東京大学の駒場の教室に走った。
~機械工学大学院で熱工学を専攻する、「七輪の火も、原子炉の火も熱反応で同じ、反応現象なら化学産業だ制度もそうであろうが、ものごとが始まるときは変なことがおきる、とにかく、一年がむしらに勉強して、親の手前 大学院を受験しなければならなかったから受けることにした。夏に大阪大学、京都大学そして最後に東京大学と大学院受験行脚をした。勝率は2勝1敗であった。
1962 年(昭和47年)春東京大学大学院数物系研究科機械工学入学となる。
さて、これ以降は、やや話はかたくなるが以下に概略を記す。
~化学を熱現象として見てみる。コピュータの技術応用に夢を馳せる
~コンピュータに化学技術の夢を乗せる、アメリカに行こう
~およその職歴:
64年 東京大学大学院機械工学で熱工学終了。昭和電工入社。
プラント建設設計部門に配属(装置設計担当)。
`東京オリンピックの年。
69年 米国ウィスコンシン大学大学院化学工学。プロセスシステム工学の研究。
74年~98年 現象・プロセス・品質の解析技術の研究所を作り、育てる
;技術計算、管理技術、そして数理技術分野
`第1次石油危機。技術の中心は省エネルギーと軽薄短小へ向かう。
計算機支援現象・プロセス解析(CAE)、計算機分子化学(CC)などによる材料開発、装
置設計、運転品質管理領域への支援と普及推進。
83年 宇宙飛行士に応募、書類審査で落選。
90年~98年 (社)新化学発展協会にてCCの調査研究活動とプロジェクト化推進。 め
でたく、平成10年度大学連携型プロジェクト「高機能材料設計プラットフォームの開発」採
択。
98年 昭和電工退職。
ふたたび、忽然として?? 時代の変わり目にある大学と付き合うこと。
98年~現在 武蔵工業大学事務局(国際交流、産官学交流事業企画と推進)
1998年 武蔵工業大学国際交流と産学協同の推進
2002年 東京工業大学資源化学研究所特任教授
2007年 桜美林大学非常勤講師

2007年 人間環境活性化研究会常務理事
家庭:
1967 年(昭和42年)結婚、妻 敏子、一女一男。
1973 年(昭和48年)から1年間休職 幼稚園経営

 

2.ちょっと語っておきたいこと(1)
宇宙飛行士になりそこなったキリギリス 2003.03.07
今回は、宇宙飛行士落選のさわりのお話とします。
題して「高度の命題への帰属」
ある朝 食卓に着いてから家人に聞く、「さっきのニュースで 俺のことを言ってなかった?
理科系、協調性、忍耐力とかって言っていたようだが」
宇宙開発事業団 搭乗科学技術者募集の公示、昭和58年の初冬であった。
幸い、事業団は勤め先の近くだ、気もそぞろに募集要項を貰い受け、さらにすっかりハイに
なって 早晩のわが家の玄関に立って、挙礼する。
「ただいま宇宙飛行士候補帰還せり!」
なにかの参考として、このときの募集要領を紹介しておこう。
1.採用人員 搭乗科学技術者(以下「PS」と略す」 3名程度
2.応募資格 日本国籍、短大(自然科学系)卒業相当以上、過去5年以内自然科学系部門の業務2年以上経験、5年以上の実務経験(大学院期間は考慮)、所属機関の推薦。心身ともに健康であって、無重力環境のスペースシャトル内で生活し活動することに適した以下の身体的、心理的特性を有すること。
身体的特性 身長(152cm~193cm)、血圧、視力、色神、聴力、その他PS業務に支
障のない身体的特性。
心理的特性として、協調性、適応性、情緒安定性、意志力、その他PS業務に支障のない心理的特性を有すること。

~朝のニュースで聞こえてきたのは、この辺りだ。
材料実験を円滑に遂行するため、自然科学系の基礎知識を有し、かつ、材料実験又はライフサイエンス実験についての専門的知識・技能を有すること。
分子分析(赤外分光など10種)、材料製造実験(等温電気炉など8種)、物性測定(中性子回
折など8種)、内部構造研究(透過型X線、走査型電顕など7種)、物理測定(比熱計など4種)、化学分析(液体クロマトなど7種)、生理学実験(心電計など9種)、生物学実験(インクベータなど6種)、生化学実験(電気泳動装置など8種)~ああ、化学実験をもっとやっておけばよかった。
ざあっと六十を越える測定経験が対象である。わたしが丸つけられるのは比重計くらいか。
搭乗員としての訓練活動、宇宙飛行活動等を円滑に実施することのできる教養を有すること。
~これは主観の問題だ。
所定の期間PSとして、訓練・業務に支障なく従事できること。
~問題は 推薦状とともに会社のO.K.をどうとるかだ。「本人の希望に基づいて」という
主旨の推薦状も獲得した。
3.選抜方法は 第一次で書類、二次で試験、第四次ではNASAで試験。
第三、四次では 回転椅子、直線加速負荷装置などを用いて宇宙酔いに対する適性を検査するなどであった。
~体力強化プログラムを作ってくれた娘はまだ中学生だったろうか、下の息子を加えて、一緒に遊園地のジェットコースターを乗りにいく。たちどころにして`しまった`ことに気付く。
正月早々、提出した応募調査書の動機欄には以下のことを書いた。
「舶用機関士~機械工学~化学工学~数理工学へと自らの知的好奇心と会社の理解も幸いしてひとつの経路をたどってきましたが、現在もっとも関心を持ち手がけ始めたのは「化学におけるCAD」です。コンピュータを利用して分子設計の分野を実用化したいということです。分子軌道法とコンピュータグラフィックスがその技術の中核をなすと考えられます。ここに及んで、一度 新しい素材開発の立場からきわめて純化された(無重力、恒温、真空)での実験プロジェクトに参画しておくことは本能的に意義あることと感じています。それは多分「高度の命題への帰属」による発想の転換をねらうものということかもしれません。」
「このたびは、当事業団の搭乗科学者の募集に対して御応募いただきまして誠にありがとうございました。
さて、今般の第一次選抜の結果、貴殿につきましては誠に遺憾ながら選に漏れましたことを
ここにお知らせ致します」
3カ月後 花の季節の頃のたよりであった。
蛇足ながら身体的状況変化は以下の通り;
昭和59年(1984)(当時46才) 身長 160.7cm、体重63.0Kg、 内科等診
察 異常なし。
平成9年(1997)身長 161.3cm、体重 68.5Kg、
検査判定区分 要経過観察(肥満、脂質)。
ちなみに、応募者数は540数名、 先にカナダでは2000人規模であったという。本プロ
ジェクトのその後の状況は、皆様ご存知の通りであります。ややあってから、高等学校時代の友人がさりげなく言った。
「そうかあ、もう猿の乗る時代は終わったんだね」
終わり。

3.ちょっと語っておきたいこと(2)
「お稽古事のまとめ~`わたしの羊よ`、声楽レッスンの10年に思うことごと」
キリギリスだった、なれば、習わばパバロッティ、コールウーブンゲン覚えてますか?
平成12年3月
i 声楽レッスンの動機
*50歳に近づくと、仕事のほうもほぼ先がみえてくる。
なにか、あたらしいことをやっておきたいと思った。
*ひとが誘ってくれないことをやってみたい。
*ニッカウヰスキーのテレビコマーシャル`空気が動く`
キャサリンバトルの透明感のあるオンブラマイフー。
*神の恵みの雨は、ほぼ万人のもとに降っている。
*自分を試験体として、見る。つまり 科学的に練習の経過が見られないか。
*もしかしたら、普通の人間の声も、訓練によっては楽器になるかもしれないと思う。
ii 素朴な期待感
*何回くらいレッスンに通うと、声楽らしい発声になるのか。
歌うのが上手というのは、どういうことなのか。
*ドイツ語の詩やイタリア語の詩は、何回読むと暗唱できるか。
(50歳代であるとどういう困難があるか)
暗唱したあと、どのくらいの期間でわすれるか。
暗唱回復は、何回くらいでもどるか。
これらは、個人差、年齢差でどのようにちがうか。
*中高年からの声楽という本を書きましょうか。
iii 具体的にやってみたこと
1)レッスンの回数をカウントする。
着替えの場所に日付入りのノートを開いておく。
2)レッスンのレコーディングをする。
(携帯テープレコーダ 5代目。200本のカセットは結構ボリュームがある。写真を撮影し
て処分した)
内容をなるべくノートにも記録する。(最初の5年は、よく記録したが、活用のしかたが見え
ないのでやめた)
3)レッスンのレコーディングをよく聞く。
4)コールウーブンゲン、コンコーネ50のカラオケがある。(これは、問題であった。活用の
仕方によるのであろうが、習いはじめのころは、背に腹は替えられない思いで利用したが、
先生にバレた)
5)曲目のCDを買いあさる。(課題が与えられたときになるべく聞いてイメージを知るように
した)
iv レッスンの記録
第1回レッスンは 1990年3月31日(土)、第200回レッスンは
1999年10月2日(土)
レッスン回数 200回(10年;20回/年)
習った曲目数 49曲(10年;4.9曲/年)
イタリア語の歌曲 19曲
ドイツ語の歌曲 25曲
日本歌曲 4曲
その他 1曲
v レッスンによる効果
1)声楽の声が、でるようになったと先生に言われたこと(2000年1月)
2)その他
vi わたしの固有の問題
1)発声がこもる、あかるい「ア」の音がむずかしい。
2)からだがかたくなる傾向がある。
vii 声楽による生活上の因果循環関係について
1)5年前に、積年の課題であった蓄膿症の手術をする決心をあたえた。
治療の結果はありがたし、成功であった。

結果として空気の通りがよくなることが発声によき影響をする。
2)治療がたばこを止めることを決定づけたが、発声上の好影響の期待が勇気づけてくれた。
3)入院生活の朝型をその後に適用した。(残業と夜遊びはやめた)
4)テープでの自分の声聞きながら眠りに入る。
仕事やその他の心配事をいったん遮断できる。
どんな状態でも、自分の声は良い声だと念ずる。曲が仕上がりに入る頃はよく眠れる。
5)結果として、身体の養生を成し遂げることになる。
上記1)と2)の結果、多分肺からの酸素吸収がよくなってきたことから身体全体の活性が上
がったようだ。
6)食欲の急激な増大と、体重の増加をおこす。
7)食生活を変える方向の努力がはじまる。
8)運動として、1日1万歩をこころがける。
使い走りを厭わないようにこころがける。体重は増加傾向であるが、ぎりぎりのところで抑え
てくれている。
9)通勤満員電車は、詩の黙読の場となる。特に帰りの疲れているときなどは、リフレッシュ
のためによい。
10)週末、早朝決まったコースをあるく。口にマスクを当て、秘かに発声練習をする。練習
時間が獲得できる。(なるべく音が他に聞こえないよう気を配っているが、 はたして?)
viii わたしのよろこび
1)コールブンゲンが、ともかく最後までいった(1998年12月)
2)グローバーのこどもの楽典が最後までいった(1999年10月)
3)娘が、ときに伴奏してくれたこと (1994年5月)
4 ) 孫娘と同じ先生になって、親子3 代が、レッスンを受けることになったこと
(1999年6月)
viii 先生のキーワード集をつくりたい。これは断わられた.
x その他
翻訳詩を数編
シューベルト 要約詩「冬の旅」 (1993年1月)
シューベルト 「魔王」 (1997年4月)
メンデルスゾーン(「郷愁」(`わたしの羊よ`)(1999年10月)

 

4.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(1)
「参考になりそうな考え方、あるいは態度について」 2007. 10.22
新しく遭遇した語は 一度声に出して読んでみる。
繰り返しでてくる語は 全部読まずに 略号化して読む。
数式は ひとつのまとまった文節としてとらえる。まず全体の形を概観するが、たのし
み気持で丁寧に目で追う。紙のうえに一度書くくらいの丁寧さが必要である。 意味が
理解できたかみずから問う。
目次をながめる。新聞などの記事であれば 見出しが目次に相当するからこれを目で追
う。
こころが動くか注意する。眠いときはこの資料から離れる。できればページをひらいた
ままがよい。
目次を目の動きをながれとして意識して、ながめていて 目が留まろうとした字句を意
識する。
この目次の前後、および本文の前後に目を通す。
ここで意味がわかれば 進めるところまで読み進む。
前後の関係の章節に目を通し、さらに読み進める。
適当なところで目次にかえり、その章節全体を読む。または、さらに目に留まった字句
の章節に飛ぶ。 この時点で 意識がこのマテリアル(本)への入り具合がわかる。
自分の意識に浮かんできたイメージが なんであったかを言葉で言い換えてみる。これ
をイメージ項目といっておこう。いくつかことなるイメージ項目がこのマテリアルから
どうして発生したかを意識してみる。
イメージ項目を紙の上に置いて見る。これは多分にKJ 法に近い。 項目同士の関連を
主観的に線でつなげてもいい。これをイメージ関連図といっておこう。
この時点での自分としての印象、所見めいたものがでてくるが これを順序を気にせず
に、一行程度を項目として書く。 この過程で 発想力がはたらくであろうから、出て
きたものを 遠慮せずに置いてみる。
ここまできたら このイメージ関連図をながめながら自分がこのマテリアルから得ら
れるものはなにかを考え、言葉として表現する。 その目的上にあるなら、さらにマテ
リアルをよみ進める。
このマテリアルの参考文献名をメモしておく。
イメージ関連図をながめながら 自分の課題として考えをめぐらしてみる。
そのための自分の材料として どの部分が使えそうかを考える。
使えそうならデータとして 自分のファイルに残すことを実施する。
自分の課題までに 至っていない場合でも 自分の意識が動いたという事実を重視す
る。
課題が見えていないだけか。
この場合、このマテリアルが直接、自分になげかけているものを 一応の課題として
まとめておくことを考える。 どういうまとめ方がるか。 そのまとめ方がつぎの自分
の興味にどうつながるかまでかんがえられると最上であるが。
まとめをつくる。
話したい相手を想定してみる。自分の友人のだれに このまとめを伝えたいか。
単に つぎの思考のための単なる準備としてのまとめなのか。
それにしても 一応 語る場とそこにいるひとたちを想定できると都合がよい。
会社や 大学ならイメージがわきやすい。
いずれにしても まとめは わかりやすく相手を疲れさせないように工夫する必要が
ある。(その点では 友人への手紙が、最初のブリーフィングかもしれない。)

一応 A4 一枚 1500字程度でこれをまとめてみる。
いまの瞬間に脳裏にあることから ことばにしていくのでいいとおもう。これが意識を
喚起すことになる。それを 相手に説明することを考えて 事実を 材料を使って載せ
ていく。
事実と意見を分けて扱うのがよい。
科学的態度からすれば 結論がどうなるかを 材料から考察することになる。その意味
では、材料をながめているときが考察の段階に入っていることになる。 分かりかけて
こと、さらに何を調べなければならいか、どこまでが自分としての「射程」とするか、
その射程で意味があるかなど 気軽に目盛っておく。
―――――
獲得した情報の量の多さをもって判断の準備ができたと主張することはしない。この段
階では すこし控え目なのがよいかな。
(出典 ノートNo.16 071023 資源循環論 J0407 arai)

 

5.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(2)
「歌曲、いわしの歌、ってありますか」
ゲーテの‘ミッシイング・リング’ 鱒、野ばら、すみれ、そして?
ゲーテの詩になる三つの歌曲の話です。
だいぶ前になるが、青山にあるドイツ文化協会 別名 ゲーテ・インシティテュートに、ド
イツ歌曲についてのコースがあると、近所の夫人から教えられ、通ったことがある。“雨、嵐そ
して稲妻、わたしは樹の下へ走る”、シューベルトの「羊飼いの嘆きの歌」の一節が、そのコー
スのキャッチになっていた。毎週水曜日の昼の時間にあって歌曲の伴奏者として高名なカーリン三上女史の会である。銀髪で、聡明な目を輝かせての語り口とよく用意された教材話からあふれる話のながれに、女史の深い洞察があり、おおいに魅せられたものであった。いまは大変人気のあるコースとなっているという。
ここに取り上げたのは、そのころのものであるが、考えかたのヒントとして本質的であると
おもえるので、ちょっと紹介しておきたい。
女史は ゲーテの詩になる「すみれ」、「鱒」、そして「のばら」の三つの歌曲をとりあげた。
それは つよい者とよわい者との関係における、それぞれへの意識のありかたとしての投掛けであった。
はじめは 「すみれ」 これは、モーツアルトの歌曲でつとに知られている。
「一輪のすみれが草原に咲いていた
そこへ若い娘の羊飼いがやってきた。
すみれはひそかに思う、
ほんのつかの間でもいいから、
あのうつくしい娘さんがわたしをつみとって
その胸に抱きしめてもらえたら

すみれの気持ちを知らずか、娘はやって来てすみれを踏みしだいた。
それは可憐なすみれだった」
この場合、強い側は娘さんで、弱い側はすみれ、娘さんはすみれに対して無意識で、すみれは恋焦がれているから娘さんに意識をもつと説明する。
つぎは、シューベルトの曲になった「鱒」である。
「釣竿を携えた一人の釣人が
川岸に立ち、冷ややかな面持ちで、
魚が身をひるがえすのを見ていた。
水が澄んでいる限り、
釣人は鱒をその釣竿で捕らえられない、と
わたしは思った」
この場合、強い側は釣人で、弱い側は鱒、釣人はひとつ仕留めようと相手に対して強い意識をもつ。鱒も 自分の存在を結構アッピールしている点では意識しているという。
むかし、高等学校の音楽の教師がこの詩は、権力への風刺であるといっていたことを思い出
す。
そして、今度は、世界中のこどもがうたう「野ばら」とつづく
「少年は一輪の可愛いい薔薇に目を留めた、
少年がお前を折るよ!と言った、
薔薇は わたしをいつまでも忘れないように
あなたを刺すわ、わたしは折られるのは嫌よと答えた」
この場合、強い側は少年で、弱い側は野ばらであるが、ここはいささかややこしい。単純に
は.少年は花を見つけたという点では意識、見つけられた
ばらはいい迷惑で、もともと少年に対して無意識である。ばらがチクリと少年を刺すところ
から、双方が意識して、「鱒」のカテゴリーに近づくだろうか、あるいは、ばらが まもなく少
年に捨てられるということになれば やはり強者の無意識、弱者の意識でおさまるか、仕込ま
れた文学的なモチーフにひとは引き込まれていく。

 さて、この歌曲の三点はまとめると以下の形になる;
わたしは、この構図に すっかり参っていた。そして このマトリックスを見て、当然なが
ら気づくのは 強い側も弱い側もお互いを意識しない。(xxxx)の升目に入る曲はなにかと
いうことが気になってくる。 ここまでくれば、もうくどくどとご説明することもないが、う
っかり ゲーテの作品になにがあるかはまだ調べに当たっていない。あの頃、飲んでいるとき
にドイツからの若い客にそおっと(xxxx)はなにかと聞いた。彼はしばらく目を膝に当て
弱い側から
強い側から
相手を意識する 相手を意識しない
相手を意識する 鱒 野ばら
相手を意識しない すみれ xxxx
て、やおら「それは 鰯ですよ」とこたえた。で? そのこころは? 食う人間の方も鰯がか
わそうとかありがたいとかの意識はないし、食われる方も多分食われていやだろうが、人間を
意識していないだろうと決め込んできた。
ここまできて、もうひとつの意識に気がつく。それはこのマトリックスを眺めている目と言
えようか。(xxxx)を意識することが問題発見であることになろう。
さらにその結果として他の升目に行くべきかどうかを考えるということへ発展するのであろう
か。
ゲーテの隠したミッシングリングだったのであろうか。
ところで いわしの歌という歌曲はどこかにあったであろうか。

 

6.参考になりそうな考え方、あるいは態度について(3)
私の65歳
2002・10
定年一年まえに思ったこと、「瓢箪から駒が出る」
「おもしろいことをやってみたい、これまでの専門にこだわらない」と言ってしまった。セカ
ンドのことのはじまりであった。
~そのころの自分についての捉えかた
「哲学では 飯がくえない」、 工学研究者として やることを期待していたことは事実。やる
べき 課題もいくつか考えてきたように思う。
学位を持たないことが 不利であること。 これについては、結果的に これまでの準備が遅れ
たことを自覚していた。その意味で 大学での教員になる準備はできていなかったといえる。
一方、それまでの企業で、シニアとしての地位とその自分の足元をみるに、きわめて 危う
いものを感じた。 「なにをやっても食える」という、自覚と行動が希薄のようである。 パソ
コンネット、インターネットなど企業の新人ならやる基本的なことごとがすでに人まかせにな
って、ただ、その上に乗っているように思えた。 素朴にこれでは「飯がくえない」と思った。
自分がひとりになって、自分の体をうごかし、仕事をすることを考えた。
ただ人の上に乗っていてはやがて立ち行かなくなろう。しかしながら 独立して事業をする
ことは、 断念することとした。
なぜか、「年金生活者に近くなっている人間は、金銭的に冒険しては いけない、再挑戦が効
かないからです」 以前、英国人の若い部下から、かれの投資企画の相談を受けた。こちらの
心が動いたその折に、彼が察して だめですよと丁重に断られたことを覚えている。そして以降、事業独立は思考のそとに置くことにした。

~セカンドの職について
通産省(当時)のコンピュータケミストリー・プロジェクトの研究調査と企画を 昭和63年
より、八年越で 行ってきた。平成10年に 経済産業省産学連携プロジェクトの第一号「機能
性材料設計のプラットフォーム」(現OCTA システム)として立ち上がったが、まとめ役でもあ
ったことから、ごく自然に以降のプロジェクトへの移行が予定されていたが結果的には話は流
れた。 この話が'みずもの'であることも一方では想定してはいた。私立大学の教授である高校以来の友人と、あるときに飲んだ。「きみのところに、おもしろいことはないかね、これまでの専門にこだわらないが」と言った。これが 実は、現在に繋がるのであるが、これまでの仕事にひと区切りつけようという気持ちもあったと思う。
~セカンドで、特技を生かすということ
特技といえるか、自分の手の中を上げるとひそかに上げてみた。
語学とくに英語になじんでいる。
自分の特徴は、混沌としたことを 丁寧に筋道を立て形にしていくことが得意。
相手のはなしをよく聞く姿勢をもつ。
健康に当分自信が持てる。
けんかは不得手。夜遊びは当面しない習慣を着けた。
これまでの専門に拘らないで仕事ができる覚悟がある。
が本当に好きなのは、xx工学やxxシステム工学である。
その結果生まれた現在の仕事の成果をあげると、産官学交流などあたらしいことの立ち上げなど結構やっている。
~なにに苦しんだか、どう考えたか。
'はじめの1年は、じいっとみているというが 定石であるが、実際はそうであったろうか。
意識はすごい葛藤であった。 新しい仕事を覚えるということからくるストレスがあった。事
務局と教員との役割についてだいぶ苦しんだと思う。 窓口業務と企画業務である。当初、助
手もいないから、窓口を経験する機会となった。これはやや苦渋に満ちたものであったと思
う。家で明け方 ふと目がさめたりし、業務の手順を考えたりした。 一方企画業務は、自発
的にやるという形になっていたので精神的には 楽しいものであった。 総務部のS 次長と部
屋に何日もこもって 企画案の絵を描いた。それがけっこう実現に至っていった。
~「これは、仕事なのだ」
大学は、私鉄の駅を降りると、木々の繁みの多い高級住宅街の坂を下り、河原に降りた外れ
にある。白壁にはみ出した季節の花々が、いい。 このあたりは、カラスも多い。野生化した
インコ の集落でもしられている。 高い樹木にとまるさまざまの鳥を、途中で見上げること
が慣いとなった。特に冬の空を細かく網目で覆うケヤキがいい。 そのひとつが特に気に入っ
て、それを見上げて ひとりつぶやく、「これは、仕事なのだ」のだと。 そういう割切り方を
し、立ち振る舞いを正すといったところであった。
~自分の専門を大切にする
自分を生かしめているのはなにかと考えることがある。そこまでいかなくても、なにをす
るときにもっとも こころを満たすのであろうかと考えることがある。 そんなことをどうし
て思うのかというと「これは、仕事なのだ」のだということとの表裏の関係なのであろう。 企
業にいたときもそうであった。数学や物理のような本質的なものに触れているときが充実し
ているようだ。本質的な知に触れ、その思考のなかにいることがたのしい。これは研究者の
世界でもある。事実これが企業で 数学を使って技術開発をする部門をつくる力になったこと
を思う。 これからも、いつかチャンスが 必ずくると思うが、先々のことはわからない。 こ
れでお終いという考えもあるが、そんなことよりも、こういうことは、人間としてのあるべ
き、否 あってほしい本質的な知的活動ともおもう。 この世界の職業として遠くなったと思
った瞬間に、手放したものがいかに大切なものであったかを知るということか。 このような
気持ちが、ずうっと尾を引いてきたことを告白する。
すっかり朝型に変身した。早朝1時間くらいを取って、継続的な読書に入った。分析化学
の入門からはじまり 、朝永さんの量子力学(みすず書房)、量子化学(掌華房)、サイモンの
物理化学(東京化学同人)、分子細胞生物学(東京化学同人)と紐解いた。読んだ章節に日付を刻した。そういう日々がいまも続いていることがうれしくまたありがたいと思っている。

~「 哲学がなくては、 飯が食いつづけられない」
さて、いまの仕事は、5年間の約束で 1年更新の嘱託である。よく5年ももったものと思
う。まわりがよかったともいえる。 アメリカで 化学工学を学び、そのなかでプロセスシス
テム工学で卒業試験を終えた。 日本に帰ってきて、結構 なまいきだといわれて悩んだ日が
つづいたが、不器用だったから結局 化学数理技術という研究部門を作った。(この部門は幸
か不幸か、いまも続いている。) この学問をやっていると 不思議に対象に拘らなくなる、つ
まりシステムなのである。方法論の工学だからといえようか。 したがって、いまの仕事を実
際にうけるときに 基本的には 自分は技術者であるということを、自身のうちで決意して臨
んだのであった。 自分が貢献できるとすれば、なににあるかと考えた。 大学の事務の部門
が抱える問題を エンジニアリングとして課題化することであろう。 これに 誇りを持つべき
であるということである。 つまり「哲学がなくては、飯が食い続けられない」ということで
あろうか。
~ 「食うために生きる」こと
先日、かつての会社のライバル会社にいる後輩が、大学にたずねてきた。不器用な荒井が、
勤めているとはどういうことかということであるという。 さて、彼の問題、56歳を迎えて、
リストラの対象になったという。 優れて専門技術分野をやってきたために、あらためて仕事
を探すことの困難さを経験している。業界首位の会社も、まことに懐が浅くなったようであ
る。 日本の現実である。それで すこし歩いてみたという。 墓石の販売の営業部長に向いて
いるといわれたこと、それでもなにかあるということは、救いであると苦笑していた。 墓石
とは 想像外であるが 新しい分野というのは 残念ながらそういう形であらわれるようだ。
まず 「食うために生きる」という現実が われわれのまえに立ちはだかることになる。
~「生きるために食う」こと
新約聖書のなかのきわめつきの部分である。 逆説的であるが、終戦直後の灰じんのなかで
の世相は、まさに「食う」ことであった。年寄りから、こどもまで いつも ひもじいおもい
の毎日であったが、いま振り返ると不思議に明るさが残る。 戦争からの開放、そして 手慣
れない自由が、将来に希望を与えたといえようか。 必死になって「生きるために食う」こと
に向かったと思い返す。ひるがえっていま、世の中全体が ぴりっとしないように思えるのは
なぜだろうか。 目標が見えない。 感覚的には 金があれば手に入る、たいしてがんばらなく
ても 遣っていける世相である。
さて、このなかで 「生きるために食う」ことをやっていこうというわけである。 荒井君 準
備はできているかね。

7.おわりに ~自画像とはなにか、なぜ自画像を描くか
自画像とはなにか、なぜ自画像を描くか
17世紀のオランダの画家であるレンブラントは自画像でも有名である。
彼は 生涯描き続けたらしい。 美丈夫な壮年、やがて死が訪れる晩年まで
ゴッホの自画像も気になる。なぜ自画像を描いたか。
わたくしのの場合は 顔のしわと対面して 1分も耐えられるかだろうか。
あるいは、おい、おまえの人生は成功だったか失敗であったか、秘かな問いが脳裏を
かすめるであろうか。
ある友人はこたえて言う。 成功とは思はないが、失敗とも思はない。
星霜を経た自分とこれからの自分の生き方に 納得し、度胸を据えている部分がある。
わたくしの場合、年金が目減りしてくると ちょっと待てよと思わぬでもないが、
私もその友人に近い納得があるし、 午の陽が傾いてはきたがそれで終わりとも
おもっていない。
ある哲人は 人生の終末から自分の生き方を考えよとはいうが、なかなかそこまで
肚を括ってはいない、丈夫であり、節度ある生活であれば健全だというエピキュリアンなの
である。
あとで出てくるキリギリスとアリが混在している。
ちょっと間であるが、天からの恵みかもしれないと感謝しよう。
それでも 無意識のうちにうごくものがある。イタリア語でアニマ(精神のうごき)
というものかもしれない。
なにか ひとの役に立ちそうなことに、素直に動こうとするあれである。
知識の素養と経験の蓄積からくる所有している‘なにか’をもっているという
幻想がある。 それを 若い世代のひとに伝えたいと思っている。
そして まず、伝え準備として自分のことをまとめたいと思った。
私が所属する任意団体である人間環境活性化研究会[HEART の会]でのワーキンググループ(WG3 とよぶ)で そんな作業を試みた。
その中心がことばによる「自画像」とした。 (そこでレンブラントが出てくる
人間としてのどこまで 正直(honest)になれるか、本当は思っていることをどこまで
ことばという絵筆で表現にしうるかであった。 そして作業の結果を‘私たちの間での
メッセージ’としてとしてまとめられた。 そして しばらくのときが経過した。
そして 今回 さるご聡明な方からのご提案で「きみたちへのメッセージ」の
予備実験の機会がうまれようとしている。
さて、如何に、であるか。 われわれの年齢に有り勝ちの頑迷にならず、謙虚で つまり
正直な(honest)であるならば もしかしたら、なにかが生まれるかもしれない。
そして、なにかの点で 価値を共有することになるかもしれない。あるいは 残念して そ
うならないかもしれないがそれは それで 双方に価値があるであろう。 なぜなら、具体
的な会話の場からうまれるものへの信頼を確信するからである。 顔の歪んだ「自画像」な
るであろうか。(2008.10.26)

付録
荒井康全の読書の記憶として(08/10/26)
雑誌 少年クラブ
旧約聖書
新約聖書
ゲーテ 「ファウスト」
ヘッセ 「車輪の下」
内村鑑三著作集など
夏目漱石 「こころ」 「虞美人草」など
ローレンス 「チャタレイ夫人の恋人」
パスカル 「パンセ」
ルソー 「エミール」
モーパッサン 「ベラミ」
ペリー提督 「日本遠征記」
オールコック 「大君の都」
ディッケンズ 「デビッド・コパーフィールド」
モーパッサン 「短編集」
立原正秋の小説いろいろ
阿刀田高の短編いろいろ
ロアルド・ダールの短編集(期待せざるお話集)と童話
ギボン 「ローマ帝国の興隆と衰亡」
(モンテスキュー、マッキャベリなどのローマ・・・・)
シュヴェーグラー 「西洋哲学史」
最近読んでるもの
「世界の歴史」と「日本の歴史」(中央公論文庫)
マオール(伊理訳)「ピタゴラスの定理」(岩波)
梅津時比古「冬の旅 24の象徴の森へ」 東京書籍
いつも傍においてあるもの
英和辞典
広辞苑
理化学辞典
大英百科事典
哲学思想事典(岩波)

徒然ことおわり

(初稿:

 先進エイジフリー社会を目指して ~自画像からの提案~

【経験豊かな高齢者も活動力豊かな若者も共に協力し合って、 自然と共生しながら生活していく活力ある社会】 20035 ワーキンググループWG 人間環境活性化研究会

検索鍵語: 先進エイジフリー社会 自画像 人間環境活性化研究会

http://www.heart-no-kai.com/kankoubutu/wg3report-manuscript-binder.pdf#search=%27%E5%85%88%E7%AB%AF%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E7%A4%BE%E4%BC%9A%27 )

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