Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記 240404 敬愛する友人KMさんへの手紙映画「Oppenheimer」をわたくしも初日に

2024-04-04 17:08:11 | 自分史

朝日記 240404 敬愛する友人KMさんへの手紙映画「Oppenheimer」をわたくしも初日に

敬愛する友人KMさんへの手紙

 

「この度、この作品がアカデミー賞を総なめしたのも、核兵器問題を

80年間、”晒し”てきたからでしょう。

晒し効果を改めて体験しました。」

                 KMより

 

 

KMさん、映画Oppenheimerをわたくしも初日にみてきました。

KMさんが、ひとことでよくぞ言い切ってくださり、なるほどそう来たかと唸っています。

 

長さを持て余さないすごい映画でした。

Max Born, Niels Bohr, Heisenberg, Einstein, Kurt Goedel, 等々、かれらの言も耳かたむけましたが、さっとながれていきました。数学は音楽とおなじだと楽譜としての数学表現はみごと言い切ったなあとあれは、Bornだったか。

Protagorus(先知恵)がZeusのところから火を盗んだ、弟のEpitagorus(後知恵)へ神の娘パンドラが送られ結婚する。パンドラの箱をたずさえて。

知というのは一度獲得するとそれをもとへ返却できない譬えですね。

不可逆過程です。人類はみごとに熱力学のアナロジーを抑えています。

Oppenheimerを先頭に新形態の火を地上にもってきてしまった。

 

そして、気がついたら無辜の民が殺戮された。

戦争終結の名義のもとで正統化された。

 

かつてアメリカの大学に留学してそこでたしかトルーマンの逝去が報じられた。

アメリカ人のルームメイトとのその夜のやり取りのなかで、彼はヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の合法性を主張し、戦争終結をするためにやむを得ないこととう言に

はるばる遠くまできたものよと価値の立つ位置の違いで斯くも違う結論となることに

ショックを受けた。それは後を引いています。

 

ところが、ドミトリでは多くの国から留学生がきていますから、ときにたとえばトルコの学生、エジプトの学生などがあの原爆投下は人民を無差別に殺害するgenocideであるという主張する場面をとおくでしているのをよく遭遇しました。 第一次大戦のほうがよっぽど人の数を殺しているという反論などもみみにしました。

 

後年、縁があって、英国Leeds大学から新卒のPhDの採用にうごいたことがあります。

ときにその部下を広島に一緒したことがありましたが、偶然にアメリカ人の新婚夫妻もいて、その会話のなかでかれらのなかのある種の傷を感じ取ったとみました。

そのずうっと後年にBarak Obama大統領が広島に来る。

あれはかれだからこそ、為しえたこととであったとおもっています。謝りはしなかったが人類が負った罪として格上げしたが、やはりかの国の国民が負った深い意識であったと思っています。それがときとともに、拘りとなってつながっていくものとみました。

 

Oppenheimerの後半でヒロシマ、ナガサキ原爆投下で、民衆が歓喜の沸き立つ場面はそのとおりであったであろうとおもいます。はじめたのしき、おわりかなしき、そう鵜飼でしたね。

 

コロナパンデミックの2020年ですが、前年の11月に孫娘の旅行に便乗してポーランドに旅をしたことがあります。ワルシャワから高速列車で2時間クラコフという日本でいえば京都のようなところまでいきました。行く直前に東京のかの国の大使館での学習会にでました。そこでアウシュビッツの行先の近くにあることを知り、当地にてひとりツアーバスにのってかの地を訪問しました。こちらが黙っていても、バスの席でポルトガルなどのひとなどとの会話で自然にヒロシマが共通話題領域にあることを知ります。

朝日記191206 これからポーランドへの旅、つれづれ思うこと (2) アウシュヴィッツを訪ねること

朝日記191113 これからポーランドへの旅、つれづれ思うこと

そして今回の東京空襲の話ですが、ヒロシマ、ナガサキとは別に、九百万の市民が被災し、ここで十万単位の無辜の民が死んだこと、これは今も重くとらえているようです。

終戦でアメリカの記者がはじめて東京に来る、いったいどういうことをしてしまったのかという思いが重くかぶさっていたようです。

朝日記240404   「もし、日本ができないとすると‥」メモ三つ、 今日の絵はembarrasments

 

ドレスデンの空襲のことをとりあげた英国人の歴史家がアウシュビッツのgenocideは本当かということでユダヤ系の運動家とロンドンで裁判があった。それを扱った映画のことを、とくに裁判に負けた英国人のことがピエロ的に扱われますが、勇気あるひとだなあとひそかにしたべたりしていました。

朝日記220910「否定と肯定」 アウシュビッツ関連の朝日記

 

そうして「Oppenheimer」です。David NoranのNHKインタービューで彼がひとつことを考えてとりくみ、全部解決しないからむなしいのではない。つぎのappropriateなquestionが生まれることは前進なのだということを言っていました。

それは考えないことよりはるかに人間としての共有価値をもつこととして希望の光を感じました。 KMさんが意味じくもおっしゃる「晒し」なのだとおもいました。

それで意を決して映画館にいきました。ポップコーンを仕込んで鑑賞しました。

 

縷々おもい、めぐらせさくらの季節をむかえました。

ひとます、ご返事とします。

 

~~~~~===読者からのコメント~~~~

親愛なる神出さんからの返事 (あらいやすまさ)2024-04-10 21:12:46

映画「オッペンハイマー」をNHKニュースが採り上げ、核兵器廃絶への
応援歌だという論調ですね。
まさに晒し効果です。

             神出瑞穗2024/4/10


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記240404   「もし、日... | トップ | 朝日記240421 「日本のよわ... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親愛なる神出さんからの返事 (あらいやすまさ)
2024-04-10 21:12:46
映画「オッペンハイマー」をNHKニュースが採り上げ、核兵器廃絶への
応援歌だという論調ですね。
まさに晒し効果です。

             神出瑞穗2024/4/10

コメントを投稿

自分史」カテゴリの最新記事