この日も冷たい雨の中、心は期待で一杯のお席に急ぐ。迎えられた主は三つ紋の紋付で出迎えられ、肩身せまく立礼の待合へ。六畳の床には「○楽」の短冊、十三代円能斎の花押、円相の丸に草字の楽が、私の好きな出合いに途端にうれしくなってしまう。
炭道具が飾られている、唐物の炭斗は等しく底まで丹念に繊細に組まれている、かんは松竹梅象嵌の相生かん、火箸は四角桑枝の先が鋭く、多分相当使い込んで消耗しているよう、灰匙も火箸同様四角の面取りで同時代の古さかと思う。脇の灰器は南方のカメの蓋で相当ゆがんでいるが、身辺にあるものを見立てたひょうげた一品である。また釜敷は古色を帯びているので竹かと想像したら、これもやはり藤で編んだという。同行の方が「編んでみようかしら」と熱心に数えている。
最初からにぎやかにしている内に、大振りな汲み出しでのどをうるほす、呂山人という。そして炉開きの季節にて一献をすすめられ友人もびっくり! 鯛の向付は弘入隠居判の菊形の赤、六客揃組という。
さてこれからの本席は如何ばかりかと、雨のためつくばい、にじり口からの入席は省略して三畳台目席、深く一礼し床前に進む。春屋宗園筆「僧門 其門如何是卆啄之機門云響……」と続く、「碧厳録」。花入はひと目みて園城寺花入とおぼしき大きさ、世に園城寺と同じ手は3つあるという中の一つとのこと、某流家元の箱書に「蜂 阿」とある、秀吉に仕えた阿波蜂須賀小六に違いない、後にかすがいが打ってある。花は白椿と土佐水木が堂々と、そして十一代玄々斎手ひねりの一葉香合。
久以の炉縁に尾垂あられ釜、獅子頭のかん付が上に付けられた堂々の釜は客遅しと待ちわびている風情、持出された茶碗は大井戸、繕いも景色の一部に収まるかのような銘・時雨、五名でたっぷりいただく贅沢に雨音も遠のく。主は強い雨に気遣いをされるが茶室の中は時雨もなんのその。
掬い出された茶器は黒の小棗、町棗のようである。宗旦が見出しとのこと、甲に菊が描かれているので後の細工のような気がした。宝尽くしと牡丹唐草の仕服は、またほつれが気になる位古い金襴の裂地、扱いの心配りが大事な宝を手に取らせて下さる主に感謝!
茶杓が少庵の蟻腰の華奢で優美、主はかい先のしっかりとたわめられている茶杓でたっぷりと掬われていた。道具にまつわる話しも果てしなく…、一旦ここで中立。
そうそう水指を忘れていました。私の坐していた正面の水指は南蛮、存在感がある。
さて、改めて席入りすると炉縁が替わっている。「本来このようなことはしないのですけれど、襖をあけて広間にしましょう」と云われる。、座が改まったようで炉縁に目を凝らすと、遠州好みの拭き漆の七宝繋ぎ、薄茶らしい華やぎの席に。
菓子盆がすごい!まだ確かに残っている、朱四方盆の裏に利休のケラ判が! 表の家元が利休判茶入盆と箱書きしている。唐物茶入の盆として添っていたものに違いない。一対といえば細川家の永青文庫の所蔵品には必ず盆と唐物が一対になって展示している。その400年以上前の菓子盆には富ヶ谷の岬製の銘・瑞鹿が、きび糖を使ってあるので黒糖の風味、銘菓である。
ここでご主人さまにも登場していただき高砂の如く、相生の如くの息のあったおもてなしにはなが咲く。先に出されたこおり蓋のような煙草盆は何とご主人さまの手作りとのこと、赤松の一枚板で2年程の製作期間の大作、古い道具の名品の数々と初々しさが感じられる煙草盆の取り合わせに脱帽!
二碗の薄茶茶碗は、織部沓形と明瓔珞赤玉文様、野武士のような荒々しさとしなやかな赤玉茶碗を交替していただく至福の時間はまたたく間にすぎてゆく…、前席で吊り棚にある気になっていた薄器は三島、元は香炉という。薄器の蓋は牙蓋で裏に布地が張ってあるという。私はそれを見逃してしまったが…。薄茶では黒柿の替蓋になっていた。所蔵家(平瀬家?)の番号が打ってある。茶杓は平戸初代藩主にして松浦鎮信流の祖である松浦鎮信作、この茶杓も優美にして華奢、美杓である。
退出してみれば、寄付の床には田山方南の和歌「あかねさすにわのもみじをながむればけふのひとひはくれすともよし」、が掛けかえられていて、まさにそのような思いであった。
居心地のよい茶室、ご夫妻に再会を約束して雨脚の衰えない中、帰途についた。