楽居庵

私の備忘録

あるお数奇者の茶会へ

2012-11-29 21:05:06 | 茶会

この日も冷たい雨の中、心は期待で一杯のお席に急ぐ。迎えられた主は三つ紋の紋付で出迎えられ、肩身せまく立礼の待合へ。六畳の床には「楽」の短冊、十三代円能斎の花押、円相の丸に草字の楽が、私の好きな出合いに途端にうれしくなってしまう。

炭道具が飾られている、唐物の炭斗は等しく底まで丹念に繊細に組まれている、かんは松竹梅象嵌の相生かん、火箸は四角桑枝の先が鋭く、多分相当使い込んで消耗しているよう、灰匙も火箸同様四角の面取りで同時代の古さかと思う。脇の灰器は南方のカメの蓋で相当ゆがんでいるが、身辺にあるものを見立てたひょうげた一品である。また釜敷は古色を帯びているので竹かと想像したら、これもやはり藤で編んだという。同行の方が「編んでみようかしら」と熱心に数えている。

          

最初からにぎやかにしている内に、大振りな汲み出しでのどをうるほす、呂山人という。そして炉開きの季節にて一献をすすめられ友人もびっくり! 鯛の向付は弘入隠居判の菊形の赤、六客揃組という。

さてこれからの本席は如何ばかりかと、雨のためつくばい、にじり口からの入席は省略して三畳台目席、深く一礼し床前に進む。春屋宗園筆「僧門 其門如何是卆啄之機門云響……」と続く、「碧厳録」。花入はひと目みて園城寺花入とおぼしき大きさ、世に園城寺と同じ手は3つあるという中の一つとのこと、某流家元の箱書に「蜂 阿」とある、秀吉に仕えた阿波蜂須賀小六に違いない、後にかすがいが打ってある。花は白椿と土佐水木が堂々と、そして十一代玄々斎手ひねりの一葉香合。

                  

久以の炉縁に尾垂あられ釜、獅子頭のかん付が上に付けられた堂々の釜は客遅しと待ちわびている風情、持出された茶碗は大井戸、繕いも景色の一部に収まるかのような銘・時雨、五名でたっぷりいただく贅沢に雨音も遠のく。主は強い雨に気遣いをされるが茶室の中は時雨もなんのその。

掬い出された茶器は黒の小棗、町棗のようである。宗旦が見出しとのこと、甲に菊が描かれているので後の細工のような気がした。宝尽くしと牡丹唐草の仕服は、またほつれが気になる位古い金襴の裂地、扱いの心配りが大事な宝を手に取らせて下さる主に感謝!

茶杓が少庵の蟻腰の華奢で優美、主はかい先のしっかりとたわめられている茶杓でたっぷりと掬われていた。道具にまつわる話しも果てしなく…、一旦ここで中立。

   

そうそう水指を忘れていました。私の坐していた正面の水指は南蛮、存在感がある。

さて、改めて席入りすると炉縁が替わっている。「本来このようなことはしないのですけれど、襖をあけて広間にしましょう」と云われる。、座が改まったようで炉縁に目を凝らすと、遠州好みの拭き漆の七宝繋ぎ、薄茶らしい華やぎの席に。

菓子盆がすごい!まだ確かに残っている、朱四方盆の裏に利休のケラ判が! 表の家元が利休判茶入盆と箱書きしている。唐物茶入の盆として添っていたものに違いない。一対といえば細川家の永青文庫の所蔵品には必ず盆と唐物が一対になって展示している。その400年以上前の菓子盆には富ヶ谷の岬製の銘・瑞鹿が、きび糖を使ってあるので黒糖の風味、銘菓である。

  

ここでご主人さまにも登場していただき高砂の如く、相生の如くの息のあったおもてなしにはなが咲く。先に出されたこおり蓋のような煙草盆は何とご主人さまの手作りとのこと、赤松の一枚板で2年程の製作期間の大作、古い道具の名品の数々と初々しさが感じられる煙草盆の取り合わせに脱帽!

        

二碗の薄茶茶碗は、織部沓形と明瓔珞赤玉文様、野武士のような荒々しさとしなやかな赤玉茶碗を交替していただく至福の時間はまたたく間にすぎてゆく…、前席で吊り棚にある気になっていた薄器は三島、元は香炉という。薄器の蓋は牙蓋で裏に布地が張ってあるという。私はそれを見逃してしまったが…。薄茶では黒柿の替蓋になっていた。所蔵家(平瀬家?)の番号が打ってある。茶杓は平戸初代藩主にして松浦鎮信流の祖である松浦鎮信作、この茶杓も優美にして華奢、美杓である。

退出してみれば、寄付の床には田山方南の和歌「あかねさすにわのもみじをながむればけふのひとひはくれすともよし」、が掛けかえられていて、まさにそのような思いであった。

居心地のよい茶室、ご夫妻に再会を約束して雨脚の衰えない中、帰途についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


松月茶会

2012-11-28 09:31:58 | 茶会

先日冬の雨の中、Tさんのお誘いで大磯は松月茶会へ。寄付に十五代鵬雲斎の筆による雀と稲穂の掛物、旧暦で云えば新嘗祭にあたるこの日、五穀豊穣を感謝するよき日であった。

露地より沙鴎庵(四畳半台目)に入席、正面に居山二文字の横物、八十二翁鈍庵の筆、前に白玉椿と夏椿の照り葉が覚々斎造の竹一重切花入に、うすく色づいている照り葉がやさしい。

席主は漆芸家村瀬治兵衛氏、うずくまる釜(寒雉極め)の前でお話しを進めながら、現代作家の道具を扱われる。土の塊を高火度で焼いたような面白い形をした備前焼(名前を失念)の水指。

茶碗に小川待子造の信楽風の主茶碗、プリミティなものの印象があるこの作家にして茶碗として機能している(?)。現代作家の展覧会から遠ざかっているので新鮮な手取りであった。

次茶碗、鯉江良二氏は岐阜恵那の出身、席主はこれまでこの茶碗が主茶碗の座を占めていた、と話される。4名の方がこの瀬戸茶碗で頂く。

三碗目は辻清明造の茶碗は奥高麗と話されていたよう(最近段々記憶が怪しくなって…)、信楽土による自然釉を中心に作陶していた陶芸家と記憶していたが、席主は普段から愛用して水や湯をくぐらせているのでしょうか、茶の映りが良い。席主はあちこちから茶道具が集まってきますと話されていたが、この茶碗もこれから治兵衛氏の席に登場することでしょう。

家業である道具は、金峯山蔵王堂修復の際の古材を用いた三代目席主の炉縁である。「初代の頃の古材が残り少なくなって、この古材に3ミリの厚さに漆を塗ったのでかなり重いですよ」と話される。国宝蔵王堂の古材がこのように現代に活かされているということに日本の伝統の奥深さを思う。

そして、中次も初代時代の古材を使用して、材自体が枯れているようで軽い。初代を尊敬して止まない三代目の心意気を感じる。

さて薄茶席に移る。十二畳付書院の広間の席主は福厳寺新美昌道師、道元禅師の教えを掛物に、南京はぜの実と西王母椿。同行のTさんが、「昔は実の皮から”ろうそく”用のろうを採ったのよ」と、茶花の修練をしているTさんならではの博学に教えられる。

  

大好きな松華堂のお菓子が大皿の備前皿に運ばれ、赤楽(了入)、黒楽(覚入)の両椀、300年前の古信楽茶碗を手に取らせていただき、一服を味わった。

待ちに待った松月の点心は、金沢の板さんの振舞い、温かく美味しく頂戴した。

 

 

 


秋 彩り

2012-11-22 11:29:24 | 花、木

東京も身近なところで紅葉を追っかけてみた

立川・昭和記念公園には閉園30分前に着いたので、陽が沈む前の一瞬

風もなく紅葉が水面に映る

童謡「秋の夕日に照るやま紅葉濃いも薄いも数ある中の松も彩り、楓や蔦は…」と自然にはもる。枯蓮が来年の準備をしている

根津美術館では「柴田是真ZESHINN」展

あなたは、本当の是真を知っていますか? というパンフレットに惹かれて

手入れの行き届いた庭園は、秋の風情も捨てがたい

    

ランチは近くのヨックモックへ、ソバのガレット:豚肉と彩り野菜のトマトソースはおもいの外美味しかった                                                                                              

我が家のホトトギスは、今頃になって満開


枕木山華蔵寺茶会 その2

2012-11-09 10:06:27 | 茶会

ところが正客は金沢へ帰る時間が迫っているとのことで先に帰られ、私が正客になってしまった、さてどうしましょう! 度胸は歳とともにいささか付いてきたものの(要するにずうずうしくなっただけ?)、有馬頼底管長の前では話が違うではないか、と焦ることしきり、もう高位の禅僧のおん前では虚心坦懐と濃茶席のお成りの間に進む。

 床は      一絲文守墨蹟 開炉七絶
        甎爐(せんろ)を修整すれども、いまだ功終わらず
        檐(のき)を排(つら)ねる拱木、山風に嘯く
        灰は寒し、百有餘歳
        爭奈、今朝吹けども紅ならざることを
          寛永癸未之作
          山居沙門一絲

 開炉にふさわしき墨蹟だが、浅学の身にはわからず持ち帰ってみたがどのように解すればよいか?どなたか教えてください。それでも墨蹟の主、一糸文守と後水尾天皇の第一皇女梅宮との恋物語を確か新聞連載で読んだことがあり、生意気にも有馬老師にその話を持ち出してしまったのだ。老師はさらりと話を受け、一糸文守はその後近江永源寺の開山になられたこと、美男子だったが「私よりはね」とか座をにぎやかにされ私もほっとする。でも本当は「何を云っているのだ、馬鹿もん!」と警策で打たれる仕儀だったかも。

 この墨蹟は寛文癸未、寛文20年(1643年)の年に当たる。私も癸未生まれなのでより親しみがわいてきた。漢文だがやわらかい文字であった。

 さてさて急がねば、花入がまた見事!飛青磁不遊環、大阪市立東洋陶磁美術館の国宝とまではいかないが、相国寺承天閣美術館蔵の飛青磁も見応えがある、照葉と白玉椿?も負けそう。

釜は寺常住の筋釜で共蓋、鳴りがものすごく老師が坐し点前するにつれ唸るが如く、炉縁も常住で一尺5寸か6寸の1尺4寸より少し大きい中炉。風炉先は頼底好み、銀閣寺古材に老師が山並みを墨で描き、碧層々の文字、言わずと知れた「遠山無限碧層々」、まさにここ枕木山華蔵寺は雲の合間から見える遠くの山々の碧は、幾層にも重なり今日は大山(だいせん)も初冠雪で雪を頂き、眼下に中海が広がり、たとえようのない風光地であります。

 水指は古備前火襷一重口、肌がきめ細かく火襷を一層きわだたせる白さの優品、書付に出雲で求むとあり里帰りしたのかもしれません。

 そのような道具との出合いを味わううちに、老師が大井戸茶碗を持ち出されてどっしりと座られる。蓋置に柄杓を引く、カツーン! お成りの間に響きわたる心地よい点前の始まり。そして「点前は皆さんの方が上手で…」と、何とかと話されながらの点前は融通無碍なるかな、今でも老師のなさる点前を思い浮かべてなつかしく思う。それ以上言葉が見つからない… その蓋置は竹に山水を彫った明時代の古色、枯れに枯れた音の響きでしょうか。

 茶入は、膳所焼の広口、一筋の景色があり、不昧公の箱書。そして銘「巌」の大井戸茶碗は松江藩家老職である有沢いつ通が旧蔵したという、銘「巌」とあるように胴部が巌のように立ち上がっているような印象を受けた。高台も低くてそれ程大きくない。その茶碗で有難く感謝して頂く、熱くまろやかな中にも苦さもある頼底好み「萬年の翠」、美味しかった。菓子はやはり三英堂の置上菊のような練り切り。

 お成りの間の一角に小間席があり、そこが寄付になっている。床には鳥居引拙消息、古市播磨守宛、不昧公箱、消息は、引拙が瀬戸茶入が幾つかあるが一つ送ります、とか何とかでしょうか。炭道具は千鳥が一羽描かれた織部、時代のさざえ籠、青らんの羽箒、古越州耳付の灰器は漢時代の越州窯、持ってみるとかなりどっしりとしている、東山時代の蒔絵冊屑箱を煙草盆に、かつて宮廷人は書損じの和歌を入れた箱が冊屑箱ときいている。どれも由緒のある炭道具。

会の主催者の方のブログをお読みいただければ会記も書かれていますので参考まで

http://blogs.yahoo.co.jp/omk72000/folder/1806115.html

 その後、会の青年の案内で中海を展望できる場所へ、先に記した風景が飛び込んできたのです。去りがたく日の沈むまで佇んでいたかったのですが、松江の一会を大事に帰途に着きました。

 

   

前後ながら、前日米子空港、米子駅経由で足立美術館へ、百聞は一見にしかず!庭園は宗教法人MOA美術館と双璧をなす見事さ、ただただカメラを向ける始末(ここで電池を消耗したのでした)。印象に残ったのはこの季節に展覧する横山大観の紅葉の屏風でした、技巧的でありながら技巧的でない構図と素朴さでした。

       中海の夕日  

 


枕木山華蔵寺茶会 その1

2012-11-08 22:52:24 | 茶会

11月4日松江より車で約30分、枕木山華蔵寺で開山700年記念茶会が開かれ参列した。

松平不昧公により再建された本堂、お成りの間、客殿、書院、はじめ全山を会場として、相国寺派有馬頼底管長自ら濃茶を練られるという幸運を頂いた。

 薄茶席の席主、堀江恭子氏よりお誘いを受けて三十数年ぶりに松江を訪れた。晩秋のおだやかな一日、主催者が用意されたタクシーで標高456mの枕木山へ向かう。道すがらたわわに実った本庄柿の柿園、石蕗の群生は真っ青な空と相まってカラフルな色彩感覚、そしてつづら折を上がっていくと樹間より中海がチラチラと、少しずつ気持ちが浄化されていく。

 

沈流会取締りの福田誠一郎氏の出迎えを受け、山門をくぐり、薄茶席の本堂書院に入席、正客は堀江氏と昵懇の金沢の茶人、そして恐れ多くも私が遠方よりということで次客を仰せつかった。

 

床は、本阿弥光悦筆和歌巻切「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声きく時そ秋は悲しき 猿丸大夫」、何とこの枕木山の実景にふさわしき掛物、この寺の伽藍は明治の廃仏毀釈とその後でかなりの荒廃、この度の茶会も堀江氏と有馬頼底管長のお力添えなしに出来なかったと思われる。

 

それはさておいて、掛物の前に高麗初期、草葉紋の花入が何とも控えめでいて奥山に分け入らんとする趣き、ドウダンの紅葉と初嵐椿が色を添える。遠州流席主の堀江氏は、遠州好みの風炉先、時代寄木棚、その棚に緑玉の水指が異彩を放つ。後ほど水を空けて持ち出され、「道具は手に取らないとわからないのよ」と惜しげもなく存分に見せてくださる。緑玉は時代を感じさせず用の美に収まっているように感じた。

 薄器は籠目文様の大平棗で江戸時代の作、茶碗はまがき菊文様の御本で遠州好、次は割合小さな堅手、私はこの茶碗で頂く。また茶杓は不昧公の歌銘がある「白鷺」、“葦の間に淋しく立てる白鷺の肩より時雨る村雨の音”、虫喰いを見立てたのであろうか、如何にも白鷺が葦の間に立つているよう。蓋置は金森宗和、竹が割れてその間に別の竹を鎹で止めてあり宗和らしい。先に出された七宝瓜実形の菓子器に三英堂の山河(さんが)と季子ごよみ、山河は不昧公が寛政8年10月茶事で召し上がった菓子、季子ごよみは淡雪生地に麦粉を入れ二色の琥珀と栗を散らした秋の素朴な味、両方とも不昧公お膝元らしい名菓だった。

 

点心席は客殿で華蔵寺和尚の案内、講話ののち大徳寺弁当を立礼で。椎茸、こんにゃく、人参、銀杏、里芋、むかご、そして胡麻豆腐の椀は絶品であった、手を抜かずに練った心づくしの精進を頂いて、いざ濃茶席へ。

(残念なことにここでデジカメの電池がなくなり、写真は断念!)