楽居庵

私の備忘録

“「日曜美術館」狂気と礼節のコレクター 安宅英一” に関連して

2011-05-30 23:42:01 | 展覧会

 

大阪市立東洋陶磁館に安宅コレクションが収蔵されている。

1977年、安宅産業の経営破綻により安宅コレクションは大阪市立東洋陶磁館に寄贈された。

 

寄贈される前、京都国立博物館と日本経済新聞社主催による

「安宅コレクション 東洋陶磁展」が京都で開催された。

197815日から219日までの短い期間だった。

 

茶道を始めてかれこれ10年、中国陶磁、高麗李朝陶磁に関心を持ち出した頃だったので、

何とか都合をつけて京都に駆けつけたのが211日、手元の図録にそう記述してある。

 

昨夜TV「日曜美術館」をみて久しぶりにその図録を広げてみた。

懐かしかった。

このときの安宅英一の眼でコレクションした中国陶磁、高麗李朝陶磁の名品が

今の私の陶磁の原点にあるような気がする。

 

それから2年、1980年春、茶道具を初めて入手したのが花入であった。

それは、ある道具屋の奥に春蘭を一輪入れた花入で店主は李朝末期ではないかという。

形は日本風に云えば、舟とっくりのように下膨れをしている。

楚々とした瓶の名品にはほど遠いが、春蘭を入れた風情がやわらかく今でもその風姿が眼に浮かぶ。

それ以来、この花入には春蘭と思っているがその機会がないまま…

 

          「季節の花300」より 春蘭

 

今回、日曜美術館で安宅コレクションを語る林屋晴三氏の話を伺いながら、

安宅英一、園城寺次郎、立原正秋、若狭小浜酒井家伯爵忠道、鴻池家、そして元館長伊藤郁太郎…

と流転の名品が収蔵されている大阪市立東洋陶磁館を再び訪れたくなった。

 

安宅英一の愛した青磁の鑑賞方法は、

“秋の日の障子一枚隔てた光でみるのがふさわしい、おのれの青に染まるから”という。

そのような部屋での青磁を見るには秋を待たねばならない。

 

 


畠山記念館にて 茶会 無径会席 その2

2011-05-15 13:54:44 | 茶会

台子について

修二会中、「別火坊」で連行衆が過ごす間、台子内に茶道具が用意され、

夜にも用いられるため台子の脚に灯明具が付けられている。

今回はその台子の摸が写されていたが、常に用いる真台子(裏流)より少し高さがあるような思えた。

 

そして、結界は道善長老の自画賛「黄山流雲 流水鶺鴒」、

雲水の姿を髣髴するような見事な結界である。

 

道善長老ご夫妻に黒赤楽一双(旦入作)、

そして連客には「東大寺」「法華寺」両寺が所蔵の天目形茶碗である。

この茶碗は、両寺で毎朝の供茶に用いられるとか、

長年使用のため損傷などあり、この度無径会より奉納されたとのこと、

由緒あるお茶碗でいただくことが出来、さらに思いを深くした。

 

また、「大の字茶碗、東丸茶碗、東(ひむがし)ノ茶碗」も

それぞれ東大寺に縁のある茶碗で貴重な拝見をさせて頂いた。

 

茶杓は「柳杖」

内陣での行法が滞りなく済み、下堂する折に牛玉札(床の掛物の厄除けの護符)を入れた

牛玉箱を挟む柳を茶杓にされている。

 

さて、「春到来」の菓子に霰が添えられていた。

はて何故かしらと問うままに、修二会でご本尊の須弥壇にお供えする

「壇供」餅を霰にされて振舞われたもので、うれしい下賜品を有難く頂戴した。

 

        「壇供」(約3合の餅米)

 

それは本行中、ご本尊に2回にわたり千面ずつお供えする餅で、昔ながらに臼と杵で搗くという。

「その1」の写真、松明の花入の横に置かれたのがその一面であった。

 

奇しくも畠山記念館は、畠山即翁が平城京の鬼門鎮護寺でもある「般若寺」客殿を移設した地であった。


畠山記念館にて 茶会 無径会席 その1

2011-05-13 22:49:15 | 茶会

知合いの方から東大寺上野道善長老が茶会にお出ましとのことをうかがい、

先日に続いて記念館へ

 

その沙那庵は、隣接していた般若苑を手がけていた時の関係者の休憩場所とのこと、

土間に四畳位の畳敷きのあるごく侘びた作りにて、

畠山一清翁もここで休憩したということを仄聞している。

 

さてこの席の掛物は、1260年もの長きにわたり続いている東大寺修二会の今年の満行下賜札である。

このように今日に至るまで摺りだされている護符が、

万民の厄除けとして祈りがこめられていたとは!

 

東大寺大仏の建立の一因が当時見舞われた大地震であるとの説もある、

と道善長老のお言葉であった。

                              

花入は修二会の松明をもって作られた「二月堂」、

3月1日から14日まで、上堂する連行衆の足元を照らす大松明は、今この時私たちを照らしている。

 

この花入には、二月堂の須弥壇厳花の和紙造花椿が生々しくも松明にあぶられ

焦げもついている貴重な花である。

二月堂の裏庭に椿銘「のりこぼし」が咲いていて、その姿を写したものと長老のご説明。

 

そして二月堂鉄鉢に東大寺梵鐘を写した大仏釜に心が吸い込まれていく。

鋳込みが素晴しい、惚れ惚れするような組み合わせである。

 

人間に例えれば、TVで映し出された震災に遭遇して船も網も、港も失ってしまったが、「私には海しかない、海でしか生きられない」と海に向かって呟いた漁師の姿と

重なってみえた。

 

修二会に使用してきた鉄鉢、梵鐘もそしてこの漁師の方も風雪に耐え、今を生きていることにかわりがない、と思ったから。

 

その道具組に添っていたのが高田焼の皆具で、実に楚々として仏具を

荘厳している感があった。

 

写真は無径会席主の方のご許可を得て掲載が出来ましたこと、深く感謝いたします。

 

                          続く

 

 


菓子茶事を催す その3

2011-05-07 14:21:24 | 茶事

持ち時間が残り少なくなってきた

都合にて続き薄茶で、菖蒲と水の干菓子を妙喜庵古材杉盆に

藤棚の下に菖蒲が咲き乱れ、水に映る風情を感じていただけたであろうか

 

菓子盆は妙喜庵書院(重文)の平成大修理古材である

道具を並べてみて、私はよくよく古材が好きで集めてきたんだと思った

 

面取桐蒔絵棗に安南絞手蜻蛉茶碗を持ち出す

桃山子という号を持つ加藤偉三作

個展を拝見したときに一目惚れした

 

陶々庵黒田領治は本『原色現代茶陶のすべて』の中で、

「(前略)南方の焼物に詳しく、特に安南系は比肩するものはいまい」と語っている

 

安南茶碗の約束をおよそ兼ねそなえている

高台が高く大きく、染付の線が高台に描かれ、高台内は渋釉の鉄分の多い土を塗っている

また見込みが蛇の目、胎土は不純物で淡い鼠色を帯びている

戦前東南アジア諸国に陶技指導してきた技が結集している

何にもまして蜻蛉のぎょろぎょろ目が可愛らしい

 

最後に五節句の季節でもあり、何かと思いついたのが薄茶銘「松柏」

ご正客の自服でという厚意に甘え相伴させていただいたが、

封切りたての爽やかな味が釜の煮えの落ちた湯に唱和した

 

さてさて、茶事も終わりに近づきお客さまに飽きられないようにするのも

おもてなしの心、でも数奇雑談なら良いかなと思っているのは亭主の一人勝手?

 

 

  八寸 水指


菓子茶事を催す その2

2011-05-07 14:13:23 | 茶事

中立ののち、銅鑼を打つ

以前は後座に入ると着物など着替え改まったが、今はそのようなことも少なくなった

ただ51日茶事に招かれたときの亭主は、

白かさねで更衣されたときの涼やかな姿が印象的であった

そのことを後日書きたいと思っている

 

私はせめて帛紗を改める

さて後座は、煤竹尺八もどきに姫空木を入れると、卯の花が匂うような初夏を感じる

 

  

 

赤膚焼の奈良絵手付水指に、薩摩焼茶入に小山園の喜雲を入れる

時代がわからないが、牙蓋は欠け仕服はかなり痛んでいるので、

友人に持参の風通の古帛紗でお願いした

 

茶道具はお習いした先生の好みに似てくるのであろうか、“きれい寂び”が私の好みになった

茶事の亭主は、ある意味で自己満足の世界でもある

それを如何に楽しんでいただくかが亭主の腕の見せ所でもあるが、

なかなか一座建立とは行かないところが未熟さゆえの現状かな

 

ところで、湯相は今ひとつであったが、やさしき正客さまはおいしいという一言に救われる

ここでまたお断りして、濃茶のお仲間に入れていただく

萩茶碗は使ってこそ味わいが出てくるもの、

偶然だったが、香合と同じ年に求め普段でもこの茶碗を良く使っていた

座右の銘ではないが、座右の茶碗ともいう萩茶碗

 

茶杓は、馬場松堂作の鐘声という銘、東大寺の鐘の音が聞こえて来れば幸いであるが…

四百年位前の古民家の天井裏から出た竹で縄目のある自慢の美杓である

 

蓋置は平城(ひら)山の古竹を以って川崎鳳嶽が作る

 

                              その3に続く


菓子茶事を催す その1

2011-05-07 14:01:09 | 茶事

ここのところ茶事にお招きに預ることが増えたので、

私も気分が高揚し急に茶事をすることになった

初風炉で正午の茶事にすれば改まるが、何分自宅で一人でするには、

菓子茶事(又は飯後の茶事)が相応のよう

 

ある道具商の番頭さんが、あるときこのように言われた

「お茶事に招かれっぱなしは、乞食茶人ですよ」と

 

昨年は平城京遷都1300年祭の年に当たり、貸茶席で記念茶会を持ったので、

今回はポスト平城京というテーマで組んでみたが、

色々の趣向を入れて自分も楽しもうと試みの茶事でもある

 

待合には、東大寺長老の上野道善老師の短冊「大道透長安」

力強い染筆である

明日は道善老師も奈良からお出ましの茶会に行く予定で楽しみである

 

初座の掛物は、次客さまの母上が新茶を大亀老師に贈られた時のお返しの手紙を下さり、

表装したもの

「古歌 藤浪の花のさかりとなりに希りし奈良の都を思わづや君 五月十三日 大亀」

浅黄色の中廻しで初夏らしい趣がある

母上様の介護をなさっていらっしゃるので、大変喜んでくださった

 

         

 

懐石の準備もある事ゆえ、香盆をお出しして遠州お好みの白檀を聞いていただく

 

風炉になると懐石から、膳に吸物、向付、それに飯後とはいえ道中もあることにて

焼鯖鮨を添える

八寸はいわしの素焼きと空豆、千鳥の杯をしたかったが何分嗜まない方々ばかりにて

梅酒と今流行のカシスとグレープフルーツ酢を用意するが、やはり飲めるほうが楽しいな

 

風炉は唐銅、釜は芦鷺文鶴首真形 一圭造

今回香合を初使いという名目で盆香合を

東大寺という焼印のある天平古材割香合、杉村和の作

30年近く前に求めたので当時から奈良への傾斜が始まった頃なのかもしれない

 

さて今回の名目、菓子の登場である

デパートの菓子売場を見て回ったが、5月上旬の金団は押し並べて岩根つつじが多い

菓子椀は濃朱色、この椀に映えて藤をイメージする菓子がほしい

ようやく藤の宴という銘の藤が垂れている饅頭を選ぶ

茶事をするものは、菓子司に出向き茶事に適う菓子を試行錯誤しながら決めたという

                                                 その2に続く

 


菖蒲を葺く

2011-05-05 22:44:11 | 花、木

畠山記念館の春季展(~619日)は、

今年畠山即翁生誕130年没後40年記念展が開催中

 

国宝離洛帖と蝶螺鈿蒔絵手箱が今期の目玉であるが、

訪れた4日は残念ながら展示日ではなかったが、

浄楽亭でお抹茶一服いただける日で、

床に室町末の画僧雪村筆の「仙人と鯉」の掛軸が

八畳の茶室を圧倒するばかりに見下ろしていた

 

高浜虚子の句に「満目の緑に座る主かな」がある

この日の主は、雪村画くところの仙人かも知れない

 

4,5日は浄楽亭の屋根の上に邪気を払う “菖蒲を葺く” 菖蒲と蓬が

軒先を被っていた

館では、一年に一度だけの菖蒲と蓬の邪気払い

 

 浄楽亭の屋根を葺いた菖蒲と蓬

 

6日は、急にすることになった我が家での菓子茶事の日

邪気を払ってきたので、きっと無事に終わるのではないかと願っている

 

ところで、もうかなり前になるが、

畠山記念館の前に般若苑の庭園が広がっていたが、

いつの間にかマンション計画が持ち上がり記念館の庭園に仕切りが出来てしまった

 

昭和初年、畠山翁がこの一帯を取得、

この私邸に奈良旧般若寺の客殿を移築、

またその後、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、

私邸「般若苑」を造営し、のち人手に渡り高級料亭「般若苑」となった

 

私が訪れていた頃は、多分料亭の般若苑だったのだろうか。

一度だけ庭園の芝生を散策し、建物の中に入ったことがある

 

由緒のある庭園、建物がなくなり、ちょっと息苦しくなった畠山記念館である