楽居庵

私の備忘録

渡辺喜三郎、守屋松亭と堀越宗円

2011-11-23 13:39:38 | 茶道具

副題:眞泉堂と「塗師・渡辺喜三郎展 -めぐる人々と」

渡辺喜三郎という名の塗師を記憶にとどめたのは、確か「女流茶人堀越宗円小伝」(竹内範男著)のグラビアに載っていた朱面壁棗と松棗の写真を見たときだったのかもしれない

 

そして確か皇居三の丸尚蔵館の宮中展示物にも喜三郎の名があったと記憶している

名工だったのでしょう

 

偶然にも先日の茶会で七代喜三郎の香合を手に取らせていただいた

それは、会も終わりになり片づけしていたところの床に、“月影”を詠った和歌(武者小路実陰筆)が掛けられていた席の香合が喜三郎の朱丸香合だったか

 

棗は朱長棗に歌が書かれていて、これも宗円が好んだ守屋松亭作だった

お席に入れば席主のお話も伺えたろうに、と友人と悔やみながらの一瞬の出合いであった

 

      台所に一輪山茶花を

展示に話をもどすと、喜三郎をめぐる一人として、喜三郎の棗に松亭が花のしを蒔絵した棗に目をひき付けられました

どうしてこのようなみやびのなかに静謐な美が生れるのか、

すでに売却済でしたが(勿論私には手が届かないものですが)、新しく所蔵者になられた方の席にどのように取り合わせられるのか、そのほうに想いがいくばかりでした

 

また、展示の中に朱面壁棗(七代喜三郎)もあり、小伝では宗円好みとありました

 

眞泉堂・五十嵐隆行店主によりますと、真塗棗を取り上げられ「喜三郎は木地を10年ほど乾燥させたのち、50個を挽かせ(挽師の挽いたものは光にかざしてみると透けるくらい薄作であったと製作工程の棗をみせてくださった)、その後半分ほど捨て、また半分、半分と最後には2個しか残らなかった」

 

また、注文して後20年後にお届けした時、注文主はすでにお亡くなりになられていました」というお話でそのくらい清作年数をかけたとのこと

 

明るい店内での名品は、また流転しながら、また愛蔵されながら時と場を得ていくのであろうか

時と場を得ずして、美味しいお抹茶とお菓子とカタログだけいただいてしまいました

 


濃霧と稲妻

2011-11-19 12:03:00 | その他

晩秋の日、濃霧で閉じ込められていたら何となく楽茶碗の銘・稲妻が思い出された

 

霧が一年中多い秋

晴れた夜空を鋭く駆けている稲妻

この二つに関連があるのは、ともに秋

 

茶友のH氏が先日教えてくださった話しを思い出しました

 

H氏の話より

稲妻(のんこう七種之内)についてです

「明治36年に東京・麹町二番町の川部宗無邸で表千家東京出張所が開設されましたが、

この時、宗無宗匠は近所の土手町三番町の三井邸をお借りして、

東京出張所開設披露茶事を開きました。

この時、当時の表千家お家元の碌々齋宗匠が御祝としてわざわざ京都から「稲妻」を持参なさり、宗無宗匠がこの茶碗で三井さんを始め、お客様一同にお濃茶を練ったことがあるそうです」

 

そのような貴重なエピソードをうかがいました

 

盆栽の菊がこのようになってしまいました

また、三重の茶友よりも101付の中日新聞に載った「茶碗 今を生きる」に関する表千家而妙斎のコメントも教えてくださいました

 

「樂さんに請われ長次郎の禿、常慶の天狗、ノンコウの稲妻を披露しております。

禿はとくに利休が好んだ茶碗で50年ごとの利休遠忌以外に蔵から出されることはほとんどありません。

稲妻は襲名披露に使う習いで、お目にかける機会の少ない茶碗でございます。

 お茶をいただく気分で茶碗が語りかけるものに耳を傾けてください」。

 


K.M.さん 雨の中ありがとうございました

2011-11-07 11:38:13 | 茶会

黒川松栄堂さんの「知音の集い」は私の最初の先生も昭和62年に持たれ、 

この時は根津美術館・弘仁亭だったことを古い他会記から見つけました

お馴染みの道具屋さんで、薄利多売をモットーにされている方です

 

まだ記憶の新しいうちに(昨日ですから当然ですが

掛物は伝衣老師筆の「萬里一条鐡」、大正14年淡々斎は伝衣老師について得度されていますので、

裏千家にとりまして格別な方ですね

 

花入は竹の太鼓胴吊りに白の野菊と山帰来の赤い実が微かに揺れて

鎖は釜師・長野烈作でトンボ玉が三つ付いたお洒落なものでした

 

香合は水辺に雁が飛来する時季をとらえて、御深井焼の水鳥が濃き釜敷きに、水鳥の首を深く羽にむけているのが愛らしい姿でした

 

さて、KM.さんが最初に目に付かれた莨入は琉球漆で、ご質問の中身は巻きタバコそのものを入れておりました

 

釜が良かったでしょう?

水を足すために釜を持ち上げた時の何と重たかったことか

東山御物写しの松霰地紋丸釜で蓋が古鏡のような松文様が鋳込まれ、当然胴にも大和絵風の松が堂々と描かれている

その釜鳴りも沸々として、大西清右衛門の技量に感銘することしきりの裏方でした

 

棚は利休好みの山里棚、天板が三角形、地板が長方形で砂摺りにしてある桐木地で利休が大阪城山里の席の仕付板から考えられたという

思案顔の利休、プロデュースする利休の顔がこの山里棚から想像されて楽しい(勝手な想像ですが…)

 

そこに虫明焼の手付きトジメ水指が置かれました

トジメが五つ程縦に景色として見えますが、本来何かをこの焼物に写されたのか、

先生もお客さまに疑問を投げかけます

 

そうそう、風炉先にどなたも関心がいかなかったように見受けられましたが、田中親美造の平家納経の紙を彷彿させるような雅なものでした(身びいきかもしれませんが…)

 

ご存知のように親美は多くの古画、古筆を復元模写した日本美術研究家ですから、私も間じかに見るのは初めてです

 

 

ここまでが茶道会館・六瓢の間の室礼でした

室礼は一瞬の間にお客さまの印象をとらえるようで、お客さまの第一声を聞き逃さないということも学びました

 

後はお客さまと席主とのお話し次第で座が生れてくるのではないかと、半可通ながら思います

 

さて、続きを書けますかどうか?

KM.さんは6席半も回られたとか、すごいですね!

他のお席もお話をお聞かせくださいね

六瓢の間の隣室が台目席で、偶然に茶友のM氏の先生がお席を持たれていたのにビックリ!

お互いに水屋つとめで手が離せず、交流がなかったのが残念でした


H.H.さまへ

2011-11-02 22:22:13 | その他

先日来PC 不調にてようやくつながりましたので遅くなりました

拙いブログをお読みくださり恐縮です

 

私はどちらかといいますと晴れ女なのですが、今秋は見事に外れました

 

Hさんも古瀬戸・銘横田をお好きなのですね

横田の仕覆が角倉金襴(花兎金襴)にて、この仕覆の写しを大帛紗にして引出物にいただきました

 

角倉金襴

 

徳川美術館所蔵の白天目茶碗の話ですが、実は1990年上野の東京国立博物館で特別展「茶の美術」に展覧されていたのではないかと、カタログを見ましたら、確かに載っていました

ですから見ているのですね

その後も東京で一度見ているのかもしれません

もう一碗同手の重要文化財の白天目茶碗がありますが、所蔵者は記載されていません

 

猿面茶席はボタンを押すと水屋の扉が開くようになっていました

確か織部の創意でしょうか

 

楽さんの演出構成は、実作者だけに楽さんの実力が遺憾なく発揮されていて、

時空をこえ余情残心を確かに感じました

 

私のブログのコメントに竹とんぼさんは、楽さんの印象を「とても穏やかで感受性の細やかな方」と書かれていましたが、私も同感です