副題:眞泉堂と「塗師・渡辺喜三郎展 -めぐる人々と」
渡辺喜三郎という名の塗師を記憶にとどめたのは、確か「女流茶人堀越宗円小伝」(竹内範男著)のグラビアに載っていた朱面壁棗と松棗の写真を見たときだったのかもしれない
そして確か皇居三の丸尚蔵館の宮中展示物にも喜三郎の名があったと記憶している
名工だったのでしょう
偶然にも先日の茶会で七代喜三郎の香合を手に取らせていただいた
それは、会も終わりになり片づけしていたところの床に、“月影”を詠った和歌(武者小路実陰筆)が掛けられていた席の香合が喜三郎の朱丸香合だったか
棗は朱長棗に歌が書かれていて、これも宗円が好んだ守屋松亭作だった
お席に入れば席主のお話も伺えたろうに、と友人と悔やみながらの一瞬の出合いであった
台所に一輪山茶花を
展示に話をもどすと、喜三郎をめぐる一人として、喜三郎の棗に松亭が花のしを蒔絵した棗に目をひき付けられました
どうしてこのようなみやびのなかに静謐な美が生れるのか、
すでに売却済でしたが(勿論私には手が届かないものですが)、新しく所蔵者になられた方の席にどのように取り合わせられるのか、そのほうに想いがいくばかりでした
また、展示の中に朱面壁棗(七代喜三郎)もあり、小伝では宗円好みとありました
眞泉堂・五十嵐隆行店主によりますと、真塗棗を取り上げられ「喜三郎は木地を10年ほど乾燥させたのち、50個を挽かせ(挽師の挽いたものは光にかざしてみると透けるくらい薄作であったと製作工程の棗をみせてくださった)、その後半分ほど捨て、また半分、半分と最後には2個しか残らなかった」
また、注文して後20年後にお届けした時、注文主はすでにお亡くなりになられていました」というお話でそのくらい清作年数をかけたとのこと
明るい店内での名品は、また流転しながら、また愛蔵されながら時と場を得ていくのであろうか
時と場を得ずして、美味しいお抹茶とお菓子とカタログだけいただいてしまいました