楽居庵

私の備忘録

但馬路、近江八幡へ

2014-06-07 22:45:36 | 

スマートフォンに買い替えのキャンペーンで抽選に当たったのが天空の城・竹田城への旅となった。

城崎温泉へ  

京都から福知山経由の城崎は、結構遠かったが車窓から“実るほど穂を垂れよ”という格言を思いつくように日矢を受けた穂は黄金色に耀く麦秋であった。

 城崎温泉は外湯、外湯は城崎温泉とうたい文句にあったので、宿に着くと早速カランコロンと下駄の音高く露天風呂へと。滝の流れを眼の前に若葉も影を映すようなそんな中で湯につかるのは極楽かな。夕食後もまた外湯巡りを、柳風を受けながら湯から湯へそぞろ歩く湯の客の一人になる。

翌朝宿の辺りを散歩すると燕が忙しく飛び回っている。“つばくらめ湯宿飛び交ふ朝かな”

二日目は乗合タクシーで一路但馬路の竹田城へ。麓から約1キロにある天空の城は、400年を経た穴太積みの石垣で山城の遺構である。北千畳から三の丸、二の丸、本丸、南二の丸、南千畳と南北400mを平行移動しながら天空の城への第一歩を踏む。

   

354mの山頂に立つとに遠嶺に遠嶺を重ねた山容が広がる。この竹田城が広く知られるようになったのは、秋から冬にかけてよく晴れた早朝に朝霧が発生し、雲海に包まれた城が如何にも天空に浮かぶ城を思わせるそうだ。今城は万緑の只中にある季節、夢か幻か確かに燕が頂上の砦を掠めて飛び去っていった。“天空の城に飛燕や雲ながる”

 

この城は2006年高倉健主演による映画「単騎千里を走る」の舞台になったそうだ。その城は“山城の石塁崩れ夏あざみ”がただ風に揺れているのみ。5月とはいえ30℃を越す暑さも穴太積みの石垣の美しさに汗も引いてしまう。

 

下山後は福知山経由にて宇治平等院へ。平等院鳳凰堂は一年半ぶりに修理を終え池に丹塗りの姿を映し出された。藤原道長の別荘を寺院に改め創建された平等院は、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂である。風雪にさらされた寂びた趣の方が私は好きではあるが…。

近江八幡 水郷巡り 

さてフリータイムの最終日は近江八幡の水郷巡りを計画、時は水無月の一日、水郷の葦が青々と茂り緑の壁を作るころ、葦の秀(穂とも)に葦切(行々子)がギョギョシギョギョシと鳴く声がそれはにぎやかに水郷中をひびくかに。五人乗りの乗合の手こぎ舟は葦原をゆっくりと進む。鳰(かいつぶり)も葦の間に巣を作るので鳰の浮き巣ということも話し上手の船頭さんの語り口で知ったりして楽しい一時間であった。

“手こぎ舟葉末に留む行々子”

 

葦の葉に行々子を見つける(真中辺りに)

その後日牟禮八幡宮拝礼、そしてロープウエーで八幡山へ。豊臣秀次築城の八幡城は荒れはて、あわれ秀次の末期と重ねる。この八幡山から見下ろす鳰の海(琵琶湖)は、この2,3日の気温の上昇で靄でかすんでおぼろであるが豊臣一族の悲劇が靄の中にあいまいにみえるのもよいかもしれない。

 

近江八幡はきっと美味しい食べ物があるに違いないと、昼食に選んだのが八幡堀の「やまとく」、自家製の鮒寿司を家人は「あの独特のにおいはダメ!作家の篠崎某氏はそれを日本のカーマンベールと喩えていたよと」と。それでうな重を食したが、これがまた関東人の家人にはベストといえなかったかもしれない。というのは、こちらのうなぎは蒸さないでカチッと焼いて鰻に包丁の切れ目を入れてという料理法らしい。鰻大好きな家人の講釈である。

 

安土城へ

また近江八幡の駅に戻り、琵琶湖線で一駅先の安土駅へ。一度信長築城の安土城を一目見てみたかったが、結果的に竹田城よりも安土城の方が強烈な印象を受けた。予備知識ないままに天主跡に続く大手道の石段をひたすら上る。その石段の何箇所かに石仏を使っているのは短期間に築城したために周辺の寺の石仏を運ばせたそうだ。

 石段は当然足で踏まれるもの、そこに石仏を使っているのは信長の神仏への恐れを知らぬ行為がそうさせたのか、そのこと一つをとっても現場でみたことは驚きであった。そして天主跡は礎石が整然と並ぶだけではあるが、信長の世界を制覇する野心がこの場所だったのだということが時空をこえて迫ってきた。

 

帰路は三重塔、仁王門を通る。信長が甲賀から移建した三重塔(1454年建立)と仁王門(1571年建立)が緑濃き林から忽然と現われた。万緑の中に立つ三重塔はあくまでも美しい、冬の近江の安土城にも訪れてみたいと思いながら急ぎの旅を終えた。“駅頭や青水無月のあふみ去ぬ”


壬生狂言と炭屋

2012-02-05 15:50:19 | 

23日、京都の壬生狂言で有名な壬生寺へ

節分のこの日は午後から狂言の演目“節分”が奉納されると聞き、昼過ぎの新幹線で出かけたが、

この季節は案の定、関が原付近で雪のため徐行運転で40分ほど遅れる

 

 

壬生寺の参道でかわらけに“奉納 名前 年齢 性別”を書き、お寺さんへ奉納してから

狂言を演じる舞台まえのベンチに座る

 

 

かね、太鼓、笛の囃子に合わせ、演者が仮面をつけて登場

演目“節分”は節分の鬼を豆によって退治する、というお馴染みの話を一切のせりふなしで無言で演じられた

 

 

この狂言は、解説によると「鬼 (病気、災厄や貧困などさまざまな不幸)を招く甘い誘惑に負けずに、マメ(まじめに、こつこつ)に働くことによってこそ、福徳は得られるものである」ことを教え、後家が鬼を追っ払った後は、鬼の小槌や着物も消え失せ、後家はそれが危険な誘惑であったと悟るのである

 

面をつけた後家が出てきて、誘惑にかられる身ぶり手ぶりの仕草、鬼に酒を飲ませ退治する仕草にまめまめしさこそ大切?

最後に、鬼を祓いながらの「福は内、鬼は外」で終わり

 

壬生寺節分詣りの「福豆」を遅まきながら買ったが、豆といえば、

お祓いを行なった炒り豆を使用するのは、節分は旧年の災厄をおって祓い捨てられるものであるため、撒いた豆から芽が出ては不都合であった、ということらしい

 

春の公開(4/21~29)には二月の節分で奉納した焙烙がこの舞台から落とし割られる

割られると願いごとが成就するといわれる

 

壬生寺焙烙割り 稲垣稔次郎(京都の型絵染作家)版画

 

夕食は、京都の老舗旅館の「炭屋」へ

淡交誌「淡交」に長い間エッセイを書かれていた炭屋主人、玉兎庵故堀部公允老分の旅館である

敷居が高く近づけなかったが、夕食だけでもという友人との話で敷居をまたいだ

 

男衆の出迎え、女主人の部屋でのご挨拶は老舗旅館らしいおもてなし

こちらもいささかシニア真最中なので、厚顔も板についてきた

 

「このお部屋で夜咄の茶事をするのですよ」と通されたお部屋の床には、

橋本関雪画伯の、まさしく今日しか掛けられない「鬼」の掛物!

「鬼は内」が床から出迎えてくれていた、まいった! 降参!

 

 

 

おもてなしの懐石は初春の京野菜、日本海の魚をさばいて、先付、向付、煮物椀、焼物、炊き合せ、

深向付、和え物、節分立春に因んだ焙烙に「運」が付く色とりどりの盛り合わせ、

“ぎんなん、きんかん、なんきん、れんこん、にんじん、かんてん、”と六種までわかったが後の二種が出てこない

 

 

 

私も大分御酒が回ってきたよう

友人の分まで頂いたのが悪かったか?

最後にイワシも信心まで、ということでしょうか、イワシで茶漬け

お抹茶をいただき、名残を惜しみながら炭屋の玄関を後にした

 

やはり、女主人がお見送りを…

 

追筆

:今日5日、古い友人からメール:

数十年前の学生時代、金持ちの同級生と炭屋旅館に一泊したところ何が原因かわからなかったが、

お腹を悪くして、結果的に三泊してしまったとのこと、「きっと食べ過ぎてしまったのかしら」と当時のことを懐かしくメールしてきた

私は、数十年後にようやく夕食で敷居をまたいだのでした


穂高・涸沢へ

2011-10-13 17:51:26 | 

八月に谷川岳西黒尾根を下り、もう山には行かない!と弱音を吐いて舌の根も乾かない内に、 

紅葉シーズンに入り、俄然上高地は涸沢の紅葉を見たくなった

 

過去の3回は、夏2回、5月の雪山に1回歩いた

今回、「涸沢の紅葉を見ないで涸沢を語るな」と何かのキャッチフレーズ

で読んだことがあるだけに、茶の稽古を休んで車で出かけた

 

上高地は通年自家用車の進入禁止のため、沢渡でタクシーに乗換え、バスターミナルへ

明神~徳沢~横尾へ3時間半、午後2時の到着

河童橋から真正面に岳沢、前穂高、明神から明神岳の五峰、徳沢から横尾まで前穂東壁を眺めながら歩く、

横尾に近づくにつれ、かの有名な屏風岩が眼前に飛び込んでくる

黄葉が真っ青な空に映える

 

  屏風岩東壁

                           

横尾テント場から前穂東壁をみる

 

横尾でテントを張る

8,9,10日の三連休は、どこも人、人、人とごった返ししたと、タクシーの運転手は解説付きだったが、

11日は、人もそこそこ、テント場はガラガラ、好きなところに張り、まずはコーヒーを沸かす

数年前に5月の蝶ケ岳の時は、テント場周辺の福寿草を集め、帰宅後天ぷらにしたこともあった

 

ビスケット、コーヒーを飲みながら、ただボーっとして屏風岩を眺める

と、夫が青春を語りだす

穂高山群屏風岩東稜ルート、屏風岩東壁を若かりし頃クライミングしたことを

 

夕食は、レトルトご飯とカレー、ニシンの昆布巻き、キュウリに辛みそ、山のメニューには結構苦心する

それも終わると山に夕陽が当たり、徐々に夕闇が迫ってきた

が、11日は十五夜、11時頃寒さに震えながらテントから顔を出すと、天高く月が煌々と冴えわたる

感激の良夜であった

月光あまねき夜であるが、美しくすぎて句は詠めないものである

 

12日も抜けるような青空、今日は涸沢往復の予定で朝6時にスタート、

コースタイム通り3時間で涸沢圏谷(カール)へ到着、テラスで一息する

例年、山道は紅葉、黄葉で錦織り成す景色のはずが、今年は30数年ぶりの外れの年だったとか、

でも、3000m級の北穂高岳、前穂高岳、奥穂高岳が眼前に、はるか向うには大天井岳が霞の中に見えるという風景を楽しむ

 

涸沢カール(涸沢槍、涸沢

                                  岳、北穂高岳)

                                                 

今の時期は雪が一番少ないので「池の平」という池も探さないと分らない位、

これから冬に向かっての穂高を想像すると、身が引き締まる

岩の上で日向ぼっこしている人がいるが、風は冷たい

雪渓に近づいて眺めていると、北穂高小屋(3106)付近で突然落石、雪渓に落ちてくるが大事に至らなかった

 

さて、下りは2時間と少しで横尾まで下りてくる

行き交う登山者の山ガールの多かったこと!

流行のショートパンツにカラフルなスパッツ、同じようなスタイルの山ボーイとすれ違うと、

ここは原宿?と見違えてしまうくらい華やか、それで上高地も今年はもみじの色も遠慮しているのかな?

そもそも上高地の地名は、「神垣内」といって神が降り立つ所だったとか(これも運転手さんの説明)

 

 遠くに常念岳が見える

 

ところで、涸沢の休憩で話はまとまり、下山してテントを撤収し本日中に帰宅することになった

スケジュールでは、下山してもう一日テント泊だったが、前日のテントで寒くてあまり寝られず、

帰りたくなってしまったのが本音のところ

 

同じ経路で、上高地バスターミナルでタクシーの相乗り、相乗りはバスよりも安いので利用価値あり

沢渡~松本IC~諏訪SAで休憩、ここのSAは温泉入浴できるのだ

二日間着のみ着のままだったので、595円で汗を流せるので最高!

高速からの十六夜の月は、周辺の灯りで黄色く見えた

 

というわけで、今年の紅葉狩は消化不良だったので、京都まで足を伸ばそうかな?

 


イタリア モニターツアー 2 

2010-10-20 12:58:19 | 
イタリアより戻ってきてから早くも12日、
記憶も段々薄れていく中、イタリアからもらってきた咳を伴う風邪がまとわり付いている

10月4日~8日 帰国まで
ドロミテ山塊の壮大なスケールを見上げた後の日程は、1200mのコルティナダンペッツオから峠を下るスリルを味わう

ガルダ湖から一路コモ湖へ向う
コモ湖には3泊の連泊
コモ湖はイタリア有数の高級リゾート地と聞いていたが、
宿泊のホテルは湖より少し離れたシティーホテルのようでその気分は味わえなかった

結局コモを基点として、チェルビーノ、クールマイヨールへ観光した
チェルビーノはイタリア側からマッターホルンが見える場所であり、
クールマイヨールはモンテ・ビアンコ(モンブラン)が見える場所である

朝8時にコモのホテルを出発したので、午前中マッターホルンの頂上付近が
顔を出していて眺めることができたのは幸いであった

その後、アオスタ渓谷をドライブし、アルプスのリゾート地クールマイヨールに入ったのが
午後でかなり遅かった
晴れた日のモンテビアンコは雄大なパノラマを楽しめるとのことだったが、          (写真:モンテビアンコ)
 
生憎雲の合間からちらほらとその存在を確かめただけ

山好人の夫は、私に古い無数のピッケルで柵を作っている教会を見せたかったのだが、
これもまた生憎時間がとれず次の機会ということになった


彼の青春の地を38年ぶりに訪れたことであった

      マッジョレー湖マードレ島の孔雀

最終日はコモ湖畔散策とオプションのマッジョレー湖三島巡り
どの島か忘れたが、椿の群生で園路が続いていて、
咲く時期にはそれは見事であろうと想像した






ドロミテ街道&イタリア湖水地方2大アルプスをめぐるモニターツアー 1

2010-10-10 11:08:40 | 
9/29 成田よりミュンヘン経由でミラノへ

9/30 ジェノバ10/1 パルマ10/2 トレビソと3日間は北イタリアの観光地巡り

10/2 ドロミテ街道よりポルドイ峠を経由してコルチナダンペッツォへ
ドロミテ街道は山好人と称している家人の希望で参加。

北イタリアに広がるドロミテ街道はボルツアーノより朝8時のバスでスタート、
大型観光バスを運転するアントニオさんは、急で細い道を自由自在にハンドルを操りながら2時間でポルドイ峠に着いた。

数日前の雪が少し残って高山の気候の変化を感じる。
温度はかなり低く羽毛のベスト、コートを着込む。
展望台はガスがかかりBARでトイレを借り1€払いカプチーノを飲む。

最高峰のマルモラーダ(3343m)が雲の間から顔を出す。
周辺には2,000m級の山々が山塊となり右へ左へと変化して、そのたびに車中ではカメラのシャッターが押される。
天気は徐々に回復してパラグライダーも飛ぶ爽やかな空を眺めながら2つほどの峠を越してコルチナダンペッツォ(1224m)に着いた。

ドロミテの景観や山岳都市の風情を味わえるこの地は、今は観光シーズンも終わり
閑散としていた。私たちはそのお陰か(?)ホテル・ベルビューというベットルーム2、20畳位の居間、浴室1、シャワールーム1、キッチンというホテルで2連泊という待遇(3階の向って右のベランダ2つの角部屋が当たりました)

夕食のレストランもホテルアンコーラのお洒落な雰囲気で頂くが、味の方はまあまあ、というところが本音(!)



10/3 トレ・チーメ・ディ・ラヴァレードへ
山好人の夫は何十年も前から憧れていたそうで、今回の旅は下見だそうだ。
来年はできたら友人を同行して再度来たいと、だから今日の彼はワクワクしているようだ。
まだ山は完全に霧に覆われているが、彼の時計の気圧計はどんどん上昇している、晴れを確信しながら最初のスポットのドッピアーコ湖へ。

瑠璃色の湖はあくまでも深く蒼く水に映り、黄葉が華を添える。
ツアー中いくつかの湖を眺めたが、この湖が一番印象に残った。

青さが濃くなった空を満喫しつつラヴァレードの北壁があるトレ・チーメのバス駐車場へ到着。
ハイキング日和のなか、2344mのラヴァレード小屋まで周辺の山塊を眺めながら
贅沢なハイク、彼はここから北壁の展望台になるポイントまでトレッキングしながら登っていった。

後で聞くと、そこでドイツの人が北壁をロッククライミングしている人を双眼鏡で覗いていて見せてくれたそうだ。彼も時々クライミングするのできっと羨ましかったのではなかろうか。
チマグランデ、チマオベスト、チマピッコラ三つの壁は500mの垂壁で、勿論世界遺産に恥じない山であった。
                              次回へ
写真:ドッピアーコ湖

野辺山の山荘でバーベキュー100731

2010-08-11 08:11:37 | 
野辺山は海ノ口に山荘を持っている友人宅に仲間5人で訪問
ご主人がこの地が大好きで、夏の涼しいときは勿論、厳しい冬でもなるべく
居住したいという

というところで、続きを消してしまった


そこで思い直して、山荘の女主人に出したお礼状を代りにとすることにした

       残暑お見舞い申上げます
       先日はお言葉に甘えて涼しい
       野辺山に遊ばせていただきありがとうございました
       お心づくしのご馳走、ご主人さまの
       名酒「十四代」のおもてなし、そして
       楽しい散策などあっという間の
       二日間でした
       帰宅後の家包のお赤飯もマラソン帰りの
       夫の胃袋にやさしく入りました
       こちらは猛暑と戦っております
       ご主人さまにくれぐれもよろしくと
       お伝えくださいませ
       涼しさにて体調をくずされませんように
                    かしこ
                     楽居庵
          八月立秋

 できるだけ毛筆で出すことにしているので、手紙は短く…  

北海道旅行

2010-06-13 21:41:54 | 
札幌に住む兄夫婦を訪ねて妹2人、弟1人、計4人で3泊4日の旅のスタートは
上野4時20分発の寝台列車カシオペア

青函トンネルに入るのは翌日の朝方3時25分頃、起きたり寝たりの中
ピーツと汽笛が鳴らされ、もやもやの頭にひびいてくる
28分後にトンネルを抜け北海道に渡る

札幌はよさこいソーラン祭の初日、初夏を告げる祭は盛り上がるにつれ、
雨が降ってきて少し残念

翌日爽やかな朝、人気の高い旭山動物園へ
話の種ではあるが数十年ぶりの動物園は、オラウータン親子の仕草、子を見守る
母親のしつけに人間社会もまねをすれば、なんて思ったりした

この日の宿泊は、旭川郊外の東神楽町の「森のゆ 花神楽」ホテル
オートキャンプ場あり、パータゴルフ場あり、乗馬あり、サイクリングありの
町営総合レジャーランド

写真は玄関前の白のライラック
ふさふさという表現がぴったりの香り高いライラックは、北の大地に根を下ろして
開拓した祖父に切なくも重なる

明治28年、北海道庁から開拓のため開墾地を貸与し、開拓した地で第一歩を踏んだ
曽祖父一家の末席に連なる自分の故郷は、やはりここ北海道だと今回もその思いを
確認した

でした




十文字峠 ベニバナイチヤクソウ群落

2010-05-31 09:45:30 | 
東京も肌寒い月末、友人の清里の高校の山荘に集まった
建築家の吉村順三が建てた清里の学校寮にある山荘で、創立50周年になる

そこに集まった仲間たちと十文字峠登山口の毛木平周辺の自然観察が今回の目的
十文字峠はこの時期石楠花が満開で、登山も目的であったが残念ながら
今年は1週間位早いので自然観察を主にした

またベニバナイチヤクソウの群落も見事な所でもあるが、やはり2,3日早く
写真のような状態であったが、十分にその見事さを感じることができた


幸い散策した日中は程よい寒さで若葉風を受け、体一杯森林浴を楽しんだ

ところでこの十文字峠といえば、8年前カモシカ山岳マラソンで家人が走ったことのある地点

6月の中旬、秩父の三峰神社口スタート~栃本~十文字峠~梓山~小川村~小諸ゴールの
117㌔を24時間の制限時間で走るコースで大変厳しいレースであったが、
何とか21時間台で完走できた、という舞台

その十文字峠でみた石楠花群落の話を聞いていたので登ってみたかったが、
又の機会に譲ることにした