楽居庵

私の備忘録

真之茶事

2013-03-31 23:15:25 | 茶事

先日友人のお誘いで真之茶事へ。調べてみると6年ぶりの炉の茶事であった。

真之茶事の流れは主催する亭主により千差万別らしく、この度の流れは、

真の炭→一の膳(精進)→菓子→中立→ドラ→真之行→動座→薄茶→二の膳(精進落し)であった。

 冬に戻ったような花冷え、炉を囲み、自然光で亭主が所作する動きだけに集中し、釜を上げたときの炭の赤々とした一点に心を奪われる。このとき突如として脈絡なく川端康成がノーベル賞授賞式の講演で話された明恵上人の「あかあかやあかあかあかや…」の一節が心をよぎる。

 亭主は白鳥の羽箒を取り、ゆったり、ゆったりと掃かれる。如何にも白鳥が舞うかのように。所作の最後まで序破急で整えられる。自分まで亭主の呼吸に合せていたりする。

 次の一の膳は、人数の関係で四畳半の小間席から立礼の広間へ動座、朱で整えられた膳一式、ルツに梅、椿皿の向付は、当然「胡麻豆腐美味しいわね」と話していると、何と麻の実豆腐だった!

懐石料理を手がける連客の方も「初めてだわ」と驚かれる。確かに胡麻豆腐のようなねっとりした舌触りがなかったような…。椀物、預け鉢も美味しかったことは云うまでもない。

 さて七種の菓子が真之茶事の約束の数、既成の菓子だと縁高を占領してしまうが、亭主方で作った六種と水菓子が程よく納まっている。何といっても手作り、美味しくてまた七種とも食べたかったが、証拠の写真を撮りたいと持ち帰った菓子が写真の通り。

              残りの4つ     

中立ち後の銅鑼の響きが心にしみわたるような音色、大小大小中中大と打つ間の余韻こそ巧者ならではの見事な打ち方、(私の打つ銅鑼とは雲泥の差)、後入りの台子点前に神経を集中すべく加茂本阿弥椿とななかまどに迎えられて座につく。

  この写真は我が家の台子

利休所持の松の木盆に瓶子形の茶入、茶碗兎毫盞で練られた茶は坐忘斎好み(銘は失念)、五人分を丁寧に丁寧に、菓子の甘さがまだ舌に残っているうちの濃茶が美味しかった。最近菓子も甘さを控えているようだが、やはり濃茶の濃さと菓子の甘さが相まっているからこそ美味しいのではないかと一人菓子の甘さを歓迎する立場。

 亭主は道具の拝見を出された後、ゆっくり拝見する時間を与えてくださるのがうれしい。正客の依頼で詰が道具を返され戻った瞬間、亭主が襖を開けられたタイミングが絶妙。いつ返されても良いように呼吸を整えて控えられていたのだった。

 また動座した広間の室礼は立礼が取り払われ、釣の雲龍釜が掛かっている。床には一行墨蹟「佛法如水中月」江雪老師筆、庸軒の竹一重切の花入に月光椿、貝母、山吹の蕾の枝、真之行台子の白椿から薄茶席の赤い椿へと見事に変化した。

 ここでは半東が代点、亭主が語らいながら道具の説明を。踏青を思わせるような蕨と黄蝶の干菓子も手作り、了入火前印?黒茶碗、延宝年間頃の出雲焼茶碗、初代朝日焼茶碗など、「席主のところに自然に道具が集まってきますね」、と席の何処からか聞こえてきたりして。

お話しも一段落して二の膳で精進落し。煮物椀の蛤真蒸、八寸に野萱草の若芽と鯛を、真青な色にほのかな苦味がある。“野遊びや野萱草の芽青さ増す”

 結局茶事は亭主を主人公のドラマ、ドラマを如何に面白くするのは客次第?

        月光椿(卜伴椿とも)(椿の里hpより)

 

 


檜垣青子茶陶展&三斎流の添釜

2013-03-24 23:23:56 | 茶道具

先週日本橋三越で檜垣青子茶陶展が開催された。祖父は雲華焼土風炉師として知られた寄神崇白、如何にも京都の風土から生れた雲華焼の灰器を手に受けると掌にやさしく収まる。父は檜垣崇楽、その京都の洛西で茶陶を始めて40年にならんとしている檜垣青子氏の添釜に連日高名な茶人たちがお手伝いしている。

 

女性らしい感性にあふれた水指や花入、香合に菓子器など、どのような道具と取り合わせようかと楽しく話題性に富む作品の数々を作ってきた。しかし茶碗は一転して伝統の楽の技法を駆使しての結果、女性ならではの女性の手から生れた一点、一点が茶陶として生れたような気がする。

 作者も目録の中で「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」と述べているように、想いを心に秘めているようだ。以前入手した私の平水指もその想いにぴったり叶っている気がする。

あまたの作家たちの中から作品を選ぶとき、「手に触れて、離れがたい、いとおしくなるようなお道具を」という想いを語れる作家は少ないと思う。だから私は道具を購入する際の基準は、この一言が大事かと。機会を得て手に入れた人は、いとおしんでこそ道具が生き生きしてくるのではないかと…

 さて理屈はお仕舞い、個展の最終日を選んだのはこの日の添釜は「三斎流」で掛ると知って。三斎流は元首相細川護熙氏の先祖、細川三斎公を流祖とする。席主の梅村尚子氏は三斎流家元筋の方で檜垣青子氏と昵懇の間柄とのこと。

 

立礼の点茶盤ながら点前を拝見できるとあって座らせていただく。柄杓の構えは武士の所作、茶巾は大茶巾、席主は「利休流の茶道を最も忠実に伝えていて、三斎公以来変わらない点前です」と始終にこやかに説明される。

 

出された菓子は、次代を担う青子氏のご子息で良多氏の手作りとは! やはり茶陶をするには茶人としての修行も着々と、恐るべし、期待すべしの若き陶芸家である。この茶陶展にも肩をならべて出品している。

 

さざえ水指に赤楽茶碗、花入に菓子皿も青子作、茶杓は席主の父上で先代家元森山宗瑞、箱には奥出雲の実竹を以って作る、銘は八雲とある。この竹は出雲の山奥に自生している竹の根から採取したまれなる竹だそうで、宗瑞宗匠は分け入って分け入って探し出した形見とのことでした。三斎流の茶道を広められる席主の姿が印象的であった。

忘れていました、掛物は細川護熙筆、道元禅師のお歌「春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり」でした。書にも一家を成す達筆で、成さなかったのは首相の座だけ?

 


正午の茶事 春を楽しむ

2013-03-16 11:49:46 | 茶事

春うららの弥生桃月にお招きいただいた。花はNさまの内裏雛、私たちは五人官女と打ち揃っての席入り。

 掛物「花開蝶自来」のご披露となった。この掛物は先年、大徳寺芳春院での初釜にNさんが福引で引き当てた秋吉則州和尚の一筆、表装には私も一役かい「その季節になったら是非ご披露くださいね」とお願いして実現していたのが昨日の茶事のお招きとなった。

 

さて自然界は蝶の舞う季節、座の中では道具という蝶が数々飛びかう中に透木釜が掛かっている。Nさんは「実は、透木は伊勢神宮の宇治橋の古材で今年は式年遷宮の年なので使いたかったの」とその謂れを話される。汗ばむような陽気だったのでそのようになさったのかな、と思われていたので皆さん、納得。

 

そして、付け書院に恭しく飾ってあるのは、東大寺お水取りの松明に使われた焦げた杉を友人が2,3日前に届けて頂いたとのこと。春を告げる行事をこの焦げた杉で表すとは!

 

前後したが、待合は短冊「朝夕に心へだてぬ友だちと聞くは楽しき庵の松風 宗室」、Nさんは「今日亭主の初デビューですが、この短冊に出会ったとき、即求めました」と言われる。徐々に茶事が組立てられていく気持ちに座はともに和していく。

 

裏千家の古い教本に十四代淡々斎が如何にもおいしそうに茶を頂いている写真が載っている。私は淡々斎にお会いしたことがないが、この短冊にも淡々斎のお人柄があらわれているようで、Nさん、皆さまと一座建立できたかしら、と拝見し退出した。


大徳寺 利休忌&月釜

2013-03-07 08:38:48 | 茶会

四月の茶会の掛軸を拝借するため整理を兼ねて京都在住の姉宅へ、幸いこれはという掛物がありほっとした。「これもあれも待合に使えるわね」と呟いていたら、「我が家では使わないからあげるわ」ということになり後日また取りにいくことになった。

 翌日朝、大きな掛軸をホテルに預けて大徳寺へ。すでに利休忌の法要が始まっていたため、瑞峰院の塔頭へ回ったところ、受付でH氏が一席目を終えて出られたところであった。茶道に造詣が深い若い茶人である。ゆっくり朝食を済ませなければよかった!

  聚光院

さて、弥生は雛の月も明日からという28日瑞峰院へ、寄付掛物は尋牛斎(久田家12代)筆の雛の画にこの塔頭の前田昌道和尚(先代?)筆“雛まつる都はずれや桃の月“のうたの賛が、今日のぽかぽか陽気に和している。本席は、柳がそよとそよいでいる画は而妙斎宗匠、緑は宗員宗匠、花は尋牛斎宗匠、紅は昌道和尚という四方の合筆、何かお集まりの折「御酒による座興の筆ではないでしょうか」と席主が楽しそうに話された。素敵な一幅であった。有楽椿と万作が竹尺八花入に。

   

  瑞峰院

次に大慈院へ、有髪のお坊さん?と数寄者の男性が上座に座られ会が始まる。表千家の衣笠良子氏が席主。本席の掛物は、而妙斎の一行「橋上来陽春」、掛花入一重切にさんしゅゆと椿、染付荘子香合が付書院に。席主のお父さまは高名な茶人で今年13回忌に当たられ、席主も10年前にこの席で掛け釜をされたという。はんなりとした席主は京美人ながら三代続いた茶家を守っていられる。こちらでも紅梅きんとん(紫野源水製)と干菓子の下萌えで二服を頂く。

  大慈院

三席目は興臨院へ、大原・卯庵(裏千家)氏の掛け釜。待合は狩野山楽(永徳の子)の花鳥の掛物(入江波光旧蔵、是沢恭三箱)、本席は川喜多半泥子が娘の初節句に贈った雛の絵、うらやましい一幅である。香合はお雛さまにふさわしい貝合わせ、源氏物語の一節の梅が枝の絵付けであった。千歳盆による点前で如何にも雛祭りにふさわしいやさしき雰囲気のなか、和やかに。

やはり半泥子の粉引茶碗、青磁人形手、薄器は半泥子と仲間二人の合作、茶杓の銘がつつがなし、これまた半泥子で中節が上にあるのが彼の特徴であるとか、半泥子尽くしの席であった。                             興臨院

 さてまだ時間の余裕があったので、聚光院へ。方丈の襖絵障壁画をゆっくりと拝見したが、保存のためデジタル再製画に入れ替えられていたとは! 狩野松栄、永徳父子の国宝襖絵38面は、現代の最新鋭複製に置き換えられていた。

寄付には大心義統老師(273世、覚々斎、六閑斎の参禅の師)の指月布袋画賛、本席の閑隠席は利休画像と賛、利休300年遠忌により円能斎が利休像を描き、又妙斎が賛をされている。掛花入は鍍金の経筒を写し、亡くなった日に入れられていたということに因み、菜の花が利休居士を偲んでいた。

川端道喜のこぼれ梅は京都ならではのご馳走でした。そば席にておしのぎを頂き終わって、さてもう一席で終わりだからと思い玉林院へ。

   玉林院・南明庵

寄付で待つ間、本堂の脇にある南明庵で何やら話し声がする。春うららのぽかぽか陽気に誘われ本堂の外に出てみると、重文・南明庵のこけら葺きの屋根に足場を組んでいるようだ。席主側の方がこけら葺きの屋根、軒も雨漏りで傷み、屋根の葺き替えをするための工事を始めたとのこと。

  玉林院・板戸

席主の表千家・石渡正子氏は東京から、総勢30名で大挙京都へ。本床は玉舟老師の禅語「互換思量何云々…」と続く。「この床に掛けると何故かぴったり納まりますね」と満更でもない説明。

香合(手まり)、茶杓(銘・友白髪)、赤楽茶碗の箱書が惺斎。表さんの菓子器は食籠が使われ蓋を開けるまでどんな菓子が現われるか楽しみの一つでもある。銘・みちとせという嘯月製のきんとん。ご丁寧に二服をふるまわれる。全部で五席も回り、五つの主菓子と三種類の干菓子を頂いたが少しも重く感じなかったのは、伝統ある京老舗のなせる技?

 日永の春を楽しみながらの京都大徳寺の利休居士のお参りであった。