夫が直腸がんのステージ4と知った時から4年目の今年2023年。
ことのほか暑かったこの夏に
夫は精一杯自分の人生を生ききって旅立って行きました。
76歳でした。
20歳で冤罪に巻き込まれ、身に覚えのない強盗殺人事件の犯人とされ、仮釈放で故郷に戻った時は49歳になっていました。
そして、裁判のやり直しを求める活動に専心し、
44年目にやっと再審で無罪判決を勝ち取りました。
ずっと背負わされてきた「強盗殺人罪・無期懲役囚」という重荷から解放されて、「真の自由」を手にできた時はすでに64歳になっていました。
その後、自分の体験から、
裁判で無罪判決が出ても、検察は「たまたま有罪立証が認められなかっただけ。あいつは今でも犯人だと思う」などと、
公然と口にし、冤罪を作った反省も無く平然としていられる司法のあり方を問いたい、と勝ち目がないといわれてきた国家賠償請求裁判に挑みました。
この裁判も8年以上の歳月がかかりましたが、夫が最初から訴えて来た警察や検察の取り調べの違法性、検察の再審妨害などが認められた判決でした。
「そうだよ。そうなんだよ。ずっと俺が言い続けてきたことが、やっと認めてもらえたよ」と、嬉しそうに夫は判決を聞いた後に言っていました。
この時、夫は74歳になっていました。
すでに癌とのたたかいも始まっていて、本当に壮絶な歳月でした。
えん罪が明らかになっても、何も改まらない、反省もしない、謝罪もない。
この国の刑事司法の現実を変えるには
冤罪被害者が直接声を上げて
「再審のためのルールを作ること」を求め続けることだと先頭に立って活動してきました。
夫は、「俺が生きているうちに実現は無理かもしれないが、もうその方向で確かに動き出している。これは必ず実現する」と言っていました
1998年、私が初めて夫と会ったときに、これほどの人生を歩む人とは全く想像がつきませんでした。
再審ですら全く実現するかどうかも期待できない状況でした。
それなのに、夫は優秀な弁護団の先生方、全国から応援してくださった日本国民救援会を中心とした支援者の皆様、また直接夫の人柄や熱意に共感、賛同して応援してくださった皆様に支えられ、
夫はその愛と信頼にこたえようと精一杯生き抜いてきたように思います。
詩人、歌手として、本も出版、CDもつくりました。
コンサートも何度も開かせていただきました。
ドキュメンタリー映画の主人公にもなりました。
還暦野球のメンバーにも入れていただきました。
講演も、授業の講師も、短い挨拶でもその一回の出会いでファンを増やして来ました。
そして
病床にあっても最後の最後まで希望を持ち続け、諦めない姿を私に見せながら旅立って行きました。
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「のんびり野菜作りでもしながら過ごすのもいいな」と言ってくれたのはいつだったかな・・・。
病気さえなかったら、そんな時間もこの先とれたはずなのに、と思います。
野菜作り、
1年目は、あれもこれもと植えては枯らし、おばあちゃんが笑ってみていたっけ・・・。
2年目は、いろんな野菜に挑戦してたくさん収穫できた。二度は失敗しない人だって、あの時に思ったよ。
今年はあなたも私も、まったく時間が取れずほとんど手をかけられなくって、だめにしちゃった…。
でも、先日、真面目に一緒にやって来なかった私が、一から始める気持ちで
あなたがやったように、玉ねぎを植えました。
気にしていたイチゴもちゃんと植え替えました。
さやえんどうも植えました。
これからも、できることはやって行こうと思っています。
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2006年から始めて、途中、何度も書き続けられなくなって休んだことの多かったこのブログですが、夫との二人三脚は夫がいない今、もうできなくなりました。(この2年間は、特に夫の闘病に触れざるを得ない日常で、私自身、そのことを綴ることは避けたく思い、完全に休みました。心中察していただけますなら幸いです)
本日をもってこのブログの更新を最後にします。
長い間本当にありがとうございました。
桜井 恵子