えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

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安全のために…

2016-08-04 | 日記
 車購入して、二度目のリコール・・・。
修理予約のために、販売店さんへ。
顔なじみとなった営業の担当の方が、「たびたび申し訳ありません。」と・・・。

 でも、正直に公開して、「無料で修理してくれる」のだからよしとするしかないだろう。

それより、私のもう一つの用事は、
購入時にオプションで付けてもらったドライブレコーダーが、
「SDメモリーがいっぱいです」というメッセージが出て、記録されなくなってしまったので、これも解決してもらわなければならなかった。
夫が、
「そういう時に限って事故を起こすんだから・・・(早く解決しておけ…)」との、厳しいお言葉・・・。
そもそもが
「あんたはよく事故を起こすから、ちゃんとドライブレコーダーをつけときなさい」 ということで付けたものだった。
(そんなふうに言われると、余計に緊張して事故っちゃうのに・・・。)

 ・・・で、修理担当のお兄さん曰く。
「ふつうは、いっぱいになると古い順から消されていくんですけどね。僕もわからなくて、メーカーと連絡取りあって、解決しました!」とのこと。

「じゃ、また、2,3年経って同じようになったらここに相談に来ればいいんですね。」と、単純な反応を返している自分に笑ってしまった。
要は、説明書もついてないし、夫に聞いても「俺は分からない」というし、そのために「アフターサービス」があるのだから・・・と思ってしまったのだ。

 つい最近、ドライブレコーダーの記録が残っていたことで、ふたりの中国人の冤罪が晴れたニュースが話題になって、夫も
「この記録が重要な証拠になったんだ。だから、記録が残っていることが役に立つんだよ」と本気で私に「早く直しておくように」と言ったのだった・・・。
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お別れ

2016-07-20 | 日記
 大変お世話になった方の告別式に参列した。
祭壇に飾られた遺影が、あまりに自然で、お元気だったころのHさんそのもので、少し高い位置にはいるけれど、すぐにでも降りてきて、私の隣の机のパソコンに向かって仕事を始めるのではないかと思ったくらいで・・・。

 告別式だというのに、まったくHさんがいなくなってしまった実感がわかなかった。

Hさんがされていた仕事の一部を引き受けた私は、なかなか仕事を覚えられず、何度「すみません。パソコン、また私がどうにかしちゃったみたいなんです・・・」と泣きついたことか・・・。そのたびに、にこにこしながら「俺のやり方でやって来たけれど、使いづらかったら自分でやり直していいんだよ」と言いながら、「これでいいと思うんだ」と、長い時間かかって修正してくれて・・・。
Hさんが、病気療養に入ったこの半年、「あ~、Hさん、来ないかな?SOSだよ~」と思っていると、ひょっこりいつもの柔和なお顔で、
「病院の帰りなんだ…」と現れてくれた。
「やっぱり!今日は、来てくれそうな気がしていたんです!」
そんなタイミングで、いつもいつも私はHさんに頼り切って仕事をしてきた。

 4月中旬に顔を見せてくれて…。

そして、今日は「お別れの日」となってしまった。

 余計なことは決して語ろうとしない。しかし、肝心なことはしっかりと言って、軌道修正のきっかけをちゃんと出してくれる。
不必要な無駄を出さないよう慎重で丁寧で、きっちりと仕事をするその姿勢は、人に強制するわけでもなく、それが逆に私には大きな学びにもなった・・・。

公私混同もない。
でも、私の興味に対する質問にはプライベートのことでも、意外と何でも答えてくれた。
私の愚痴には、
「しょうがないなぁ~」と言いながら賛同の意を表して付き合ってもくれた・・・。

 
 夫たちの裁判も初期の段階から支援してくださったと聞いている。私が関わるようになってからも、現地調査、街頭宣伝、裁判所要請、定例の会議などなど、いつも、私たちのすぐそばにいてくださった。
救援会の言う『惻隠の情』を、まさに生きる姿勢で教えていただいたように思う。

 命が有限であることを思えば、お別れは悲しいが、Hさんの仕事を引き継いだ私は、きっとこの先もしばらくは「Hさんだったらどうするだろう」と思いながらやっていくことだろう・・・。

 人生の素敵な先輩でした。
ありがとうございました・・・。合掌。
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タイミング

2016-07-16 | 日記
 やっと初めてのキュウリの収穫を得た。

朝、「そろそろいいかな?」と思いながら、採らずに出かけたら、その日の夕方、猛烈な雷雨で収穫できず、翌朝見たらさらに大きくなっていて・・・。
「昨日採っておけばよかった…」とつぶやきながら、今年の初キュウリをキッチンへ。

 そのあと、何気に見た園芸番組「野菜の時間」。

「キュウリは、最初の2,3本は10センチくらいの小さめで収穫しましょう。あとからのキュウリが順調に収穫できるように。最初に栄養を取らせちゃうと、あとの生育に影響が出ちゃいますので・・・」だって。

 「早く言ってよ~!」

と、テレビに向かって言ってしまいました
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夏です!!

2016-07-14 | 日記
東京高裁前で、ミンミンゼミの声を聞いた。暑い日差しのなかでの宣伝を応援してくれているように思えた。
帰り、日比谷公園のなかでも聞いた。
「おつかれさま~」と言ってくれてるのかな?
そんなはずないか…(((^^;)
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霞ヶ関駅へ

2016-07-14 | 日記
何度、「霞ヶ関駅」に向かう日々を重ねて来たろう。
今日も、裁判所前宣伝と東京高裁要請だ。ずいぶんと電車の乗り換えにも慣れた。
夫達の再審裁判は5年前の2011年の3月。あの東日本大震災のあったちょうどその月に「無罪判決」が言い渡されることになっていた。しかし、水戸地裁土浦支部の庁舎も大きな被害を受け、5月に判決日が延期。そして、確かな「無罪判決」を得て、6月7日24時をもって、晴れて夫と杉山さんは「普通のおじさん」に戻ることができた。そこに至るまで、実に44年の歳月を要した…。

今、東京地裁で国賠をたたかう夫の審理は、一部が東京高裁に掛かっており、今日は、東京高裁要請だ。

夫のたたかいは、個人の国家賠償を認めさせるだけでない、冤罪の原因と責任の所在を明らかにする大切なたたかいと位置付けて、たくさんの方々の支援が続いている。

先日の三者協議で、審理に動きがあったと聞いている。今日は、これからその東京高裁要請だ。

常磐線北千住駅で千代田線に乗り換えた。霞ヶ関駅で降りる予定です…。
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肺炎球菌の予防接種

2015-05-30 | 日記
 母89歳。
肺炎球菌の予防接種の通知を受けて、自分で問診票を書いて、受けてきた。
7000円のところ、町から2000円の補助があって自己負担5000円とのこと。
経済的な個人負担は決して軽くない。
それでも看護師さんが
「補助が出るようになったからね。これまでは、全額自己負担だったんですよ。5年毎なので、○○さんは94歳まではもうやらなくていいですからね」と笑顔で優しく言葉をかけてくれた。
そしたら、母が、
「そんなにまで生きていませんよ」と笑いながら答えた。

母の頭には、あとどれくらい生きられるか、ということが常にあるようだ。

日常でも、言葉の端々にそのことを感じる母との会話が続いている・・・。

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幼馴染の友の病気

2015-05-30 | 日記
 幼馴染の「ひさちゃん」が、定年を機に母一人で住んでいる実家に帰って来るようになって2年は過ぎただろうか。と言っても、時々「仕事で・・・」と関西にあるという会社に行っていたようだった。

 ひさちゃんは、私より一つ年上。
小学校へ上がる前までは、毎日朝から晩まで一緒に遊んだ男の子だった。
でも、そのあとはあまり一緒に過ごした記憶がない。
一年先輩であること、男の子だったこともあり、中学生になってから、まして高校生になってからひさちゃんは学生寮に入り、私は一人自炊生活しながらの高校生活だったので全く接点がなかったように思う。

 そんなひさちゃんが定年で実家に帰って来て、お母さんと一緒に暮らし始めた。
聞くと、生涯独身だったという。
大きな会社の「役職」についていたようだが、女性との縁が薄かったのか・・・。

「おおきくなったら、ひさちゃんのお嫁さんになる」と言っていた私は、ちゃっかりとバツ一、再婚と二度も結婚をしていることに、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

久しぶりに再会し、
「いいじゃん、これからいい人見つけて結婚したら?」なんて言ったけど、
それも叶わないうちに、昨年の暮れに、
「ひさちゃん、がんで入院したんだわ」と母から聞いた。

 退院後、しばらく部落(町内)の寄合など役員を務めていたし、病気も大丈夫なのだろうと思っていたが、今日、母が、
「入院してたんだけど、先週、帰って来たんだわ」と言うではないか。

 気になりつつも、「大丈夫なんだろう」という楽観した気持ちが私の中にあってしばらく顔を合わせて話すこともなかったが、再入院となると穏やかではない。
気になって、すぐに会いに行った。

 パジャマ姿で出てきた彼から経過を聞いた。
半年前、大腸がんを宣告され、人工肛門を付けなくてもいい選択をし、放射線治療をしていたが効果なく、転移が膀胱と肺に見つかったこと、今度ばかりは手術を拒否できず、人工肛門とウロバッグをつけての退院だった、と。

 もっと早くちゃんと聞いておくべきだったと深い後悔が走った。
私には、父を大腸がんで看取った経験、母の大腸がん、腎臓がんの看病の経験があったのだ。
父の闘病の厳しさや亡くなってしまった寂しさは語るのもつらいが、母は見事に完治し、術後3年の今も健在だ。
それなのに、やっぱり少し遠慮もあってこんな後悔を繰り返すことになってしまった・・・。

 ひさちゃんは、ありのままの姿で、経過を話してくれ、今、傷跡の痛みで難儀していることを私に伝えてくれた。私は、家に飛んで帰って「円座」を持って、母に
「これ、ひさちゃんに貸していいよね。あげてもいいよね」と言って、さっそく届けた。

「あ~、これ、ちょうどいい。借りるわ」との返事が返って来た。


 80歳を越えたお母さんと60代の病身の息子の生活がどれほど大変か・・・。
できるだけ関わっていこうと思った。

 夫も、前々から「陶板浴を絶対進めるべきだよ」と言っていたが、私は強く勧めることまではできないでいた。でも、今日の話を聞いて、やっぱり後悔した。
本人にとっては「死」と向き合っての一日、一日。

「わかった。じゃ、世話になるかな」と陶板浴入浴の気持ちになってくれた。
父の肺がんが消えたように、ひさちゃんにも効果が出てくれることを願いながら月曜日に会う約束をして帰って来た。

 ちゃんと陶板浴の勉強もしなくては!と、曖昧にしていた6月の講演会にも行く心づもりができた。

 
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半年休んでしまいました・・・

2015-05-30 | 日記
 Facebookを始めたことで、つい、簡単なUPに慣れてしまい、ブログを怠けていました。

「ブログ、楽しみにしています」と言ってくれていた友人のことは、ずっと気になっていたのですが・・・。

 ごめんなさい。

 Facebookでは表現できないことを、やっぱりここで綴っていこうと思います。

 
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夫は「シンガーソングライター」

2015-01-13 | 日記
 夫がFM西東京のゲスト出演。
それも、
「シンガーソングライター」としての・・・。
なんだか、いつも接している夫のこと。
ここで、こんな表現している自分も少し気恥ずかしい、のが正直な気持ち。

 でも、そう言いながらも、夫はまたも獄中で思い描いていた夢を実現してしまったことに、感動もしている。
本当に不思議な人である。
今月には、68歳の誕生日を迎える。
それなのに、まだまだ闘いの最中でありながら、夢を語り、その実現のための努力を惜しまない。

 私は初めて彼に出会ったとき、
「この人の、これから先の人生を近くで見ていきたい!」と思った。
そう思わせる人だった。
周りの心配や反対が強くあったが、なぜかその進むべき道の選択に迷いを感じさせなかった。
多くの仲間に祝福されて結婚。
2000年の元日に入籍して、丸15年になった私たち。
もちろん、夫の置かれていた環境は、世間知らずの私に理解できるものはなく、お互いボロボロに傷つけあうこともあった。
でも、その積み重ねが必要だった。
今なら、そう言える・・・。

 振り返るのはまだ早いけど、15年の歳月は、夫ばかりでなく、私にとってもすべてが財産となった。

夫はまだまだ「進化」の途中。
FMラジオの向こうから、夫の歌が流れてくるなんて、それも夫の声で。
なんと興味深い時間を私に与え続けてくれているのか。

 まずは、一人でも多くの人に、夫の作詞作曲した歌を聴いていただきたい・・・。


 FM西東京 パーソナリティ なつし聡さん(シンガーソングライター)の

 「ユメミノ音泉村」へどうぞ! ⇒ http://onsenmura.seesaa.net/
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奥西勝さんの命あるうちに・・・

2015-01-11 | 日記
 冤罪、名張毒ぶどう酒事件奥西勝さんの再審請求がまたしても棄却されました。

奥西さんの命の灯はもうそんなに残っていないというのに、89歳を迎える誕生日の5日前の非常な決定でした。

人生50年以上も死刑執行と毎日向き合わされ、頭が変になってしまうだろう状況の中、一貫して無実を訴え、裁判のやり直しを叫び続けている。

 裁判所は、なぜこのことに真正面から答えようとしないのか。一審では無罪判決だった。しかし二審で逆転有罪、そして死刑の宣告。

 再審も、一度「開始決定」が出た。
しかし、検察が抵抗し、また開いた扉を閉じてしまった。
今回も、当時の捜査資料など全証拠の開示を求めていたにもかかわらず、検察が拒否し、裁判所も「開示をさせる」姿勢には立たなかった。

 奥西さんは、裁判官の判断だけにすがるしかないのである。
無実の人の50年余にわたる叫びに耳をふさぎ、真実がどこにあるのか究明しようとしない、死刑の判決が間違っていないのかどうか、裁判所の責任で明らかにするべきなのに、全く人道上も許されることではない。

 私たちに何ができるのだろうか、と暗澹たる思いですが、夫たちの44年の闘いは見事に「再審無罪!」の勝利を勝ち取らせていただいたのだから、どこかに希望につながるものがあるはず・・・。(そう、布川国賠弁護団長のY先生から助言いただいた)

 それを見つけていけるよう支援を強めることしかないのだろう。

 1月14日は、奥西さんの89歳の誕生日です。
 茨城でも、怒りを込めて市民に広く訴えます。

  水戸駅:南口 17:00~18:30

ご協力いただける方、水戸駅にお集まりください。
そして、関心のある方はぜひ水戸駅で私たちの訴えを聞いてください。
チラシを手に取って、関心をもち、ご支援ください。
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