えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

年賀状

2009-12-31 | 日記
年賀状の宛名を一通り、印刷し終えて
「今年もやったぞー!」
と、ひとり叫びたくなる。
どういうわけか、そのときに夫は傍にいないのだから、ちょっと悔しい・・・。
(だけど、傍にいたら仕事はやりにくいか・・・。時間が自由にならないから。やっぱり、いなくていいかも・・?)

 年々、夫の活動範囲が広がり、枚数が増えてきていてこの数年、
「お願いですから、○○○枚で止めて」
と、不謹慎と思いつつ言い続けてきた。
全国各地、たくさんの団体をご紹介いただいて、お世話になった方に、できる限り
年賀のご挨拶をしたいという夫の思いに、もちろん私も賛同するのだが・・・。
夫は、1枚1枚にどうしても「ひとこと、自筆で書き加えたい」と、限られた時間の中で必死で年賀状に向かってきたのがそれまでの
我が家の年末年始の風景だった。
私の宛名印刷が遅れれば、それだけ時間に迫られ、夫の身体的負担が増す状況で、「自筆で」ということには限界があったからだ。


 でも、今回は、
夫の喜びと、感謝と、決意を一人でも多くの方にお伝えしたかった。
だから、夫の必要とする数は準備するつもりだった。
「ひとこと」はなくても、解っていただけるだろうと思いながら・・・。

それでも、漏れている方も多数いる。本当に申し訳なく思う。
いただいた方から、順次お返事を書きながら、住所録に加えていきたいと思っている。

「来年は、○○○○枚だな」と夫が言った。

「年賀状だけはひとりではできないでしょう?私がいて、助かるでしょう?」と、
誇らしげに私は返した。

 来年、「再審無罪!」が出ているだろうか?
今年より、もっと嬉しい年賀状を出せることを楽しみに、数の多さは覚悟を決めておこうと思う。



「今年、届いていないぞ!」って思っている方がいましたら、本当に申し訳ありません。
お許しください。

嬉しくって・・・

2009-12-20 | 日記
携帯に登録されている電話帳から、順番に電話をかけ続けた。
「ありがとうございました!お陰さまで、最高裁で嬉しい決定が出ました。『再審』が確定しました!」
ただ、それだけを伝えたくって。
次々とかけ続けた。
受話器の向こうで、泣いて喜んでくれている人がいて、私も一緒に泣いた。
「電話をしたかったけど、忙しいと思って遠慮していたの。
 わざわざかけてくれてありがとう」
そう言って、夫たちの『再審確定』を我が事のように喜んでくれている友人たちに、私のほうが感謝の気持ちでいっぱいになった。

はがきも出した。
「ありがとうございました!お陰さまで・・・」と。
何人に書いたろう?
住所録を引っ張り出して、私が歩んできたこの10年のずっと初期のころに知り合って、今は少し遠くなってしまっていた友人にも・・・。


布川事件は、決して夫たちだけの問題ではない。
私は、一度でも「えん罪・布川事件」の話を聞いたり、署名にたった一度でも応えてくれた人たちが、それぞれの立場で、
きっと、全国各地で私たちと同じように喜んでいてくれるのだろうと思うと、本当に嬉しくってならなかった。
駅頭で、署名に応えてくれた高校生たちにも声をかけていたことを思い出した。
「必ず、今年中に『最高裁のいい決定』をもらうからね。そのために、この署名を無駄にすることなく、すぐに
最高裁へ届けます。いい決定が出たら『あの時、署名したものが役に立った』と思って、一緒によろこんでね。」と。

狭山事件にも

2009-12-18 | 日記
嬉しかった!

車中でのニュースで

「狭山事件」再審の可否を審理中の東京高裁(門野博裁判長)が、検察に対して
捜査書類の「証拠開示」を勧告した、と流れたのだ。

布川事件が勝てば、必ずほかの事件でえん罪を闘っている仲間への大きな影響力を持つことを確信して、夫は精力的に頑張ってきた。
それが、まさしくそう動いたのだ。

 何だか嬉しくてハンドルを握りながら涙が出てきてしまいました。
「狭山事件」の石川さんにも一日も早く再審が決まるように、と願っています。

そして、もっと、もっと布川勝利の影響が、他の事件関係者を励ますことになることも・・・。

順々と

2009-12-18 | 日記
直接、生の声でお礼を言いたい・・・

だから、順々と電話をかけ続けている。
日頃のご無沙汰をわびながら決定の報告をするのだが、とりいそぎ5分から10分のつもりで話し始めると、どうしても30分、1時間となってしまう。

「今度ゆっくり会ってお話しましょう」そう言って、切る。

一緒に喜んでくださる人との話題は尽きない。

順々と明日もかけ続けます。
遅くなってしまう方、ゴメンナサイ

いつの間に? こんなに・・・

2009-12-16 | 日記
布川事件「再審確定」の喜びにまだまだ浸っている私です。

思いがけない人から

「おめでとうございます。よかったですね」と

まずは、出勤時の駐車場で他部署の職員から声をかけていただいた。
「知ってたんですか?」
「知ってたよ。本当に良かったね」と。
更衣室に入って、
「おはよう!よかったね~!」

エレベーターの中で、横にいたUさんから、そっと小声で「おめでとうございます」と言われ、
「えっ!?どうして・・・」
「だって署名したんですよ」とにこにこしている。そういえば、彼女の職場には守る会会員のNさんがいたのだ。

上司には、15日、突然早退させていただいたことのお礼と、決定の内容やこれからの見通しなどを報告した。

挨拶を聞いていた後輩たちが、
「えっ?なにかあったんですか?」というので、説明するとびっくりしてたが、
今日になったら
「新聞読みました。もう少しですね。頑張って下さい」と目を赤くしながら声をかけてくれた。

守る会の会員になってくれていた人たちは
満面の笑みで
「やったね!!」と勤務の最中なのに合図してきた。

外来に家族の付き添いできていた元同僚は、私の姿を見るなり、駆け寄ってきて
「よかったね~!本当に良く頑張ったね。もう少しだね。体壊さないように、桜井さんにも言ってね」と一緒に喜んでくれた。

新聞記事を持ってきて
「keikoさんの記事があったから、持ってきてあげたよ」・・・と。

「患者さんがね、keikoさんのこと、誉めていたよ。病室で新聞を読んでいて、keikoさんだって気がついたみたい。偉いな~って言ってた。早く解決するよう応援してるからって」と、昼休みにわざわざ私の部屋までKさんが報告に来てくれた。

外来のSさん。
にこにこして特別に嬉しそうなかおで
「良かったですね。おめでとうございます」と言ってくれた。
「あれ?知ってたの?」
「だって、Suさんに聞いてましたから」と笑っている。
 あっ!あの時・・・のことだ、と私はすぐに思い出した。

お世話になっている、事務局のSuさん。実は酔って救急外来にかかる羽目になり、その時酔った勢いで
「布川事件を知らないのか!?ほら、ここに桜井さんとkeikoさんが写っているだろう。これは、袋田宣伝のときに撮った写真だ!」とか何とか言ったらしく
しっかりと、救急担当のSさんたちにまで宣伝してくれたことを聞いていたのだ。

声をかけてくださる人には、本当に「ありがとうございます」と言えるが、
知ってはしまったが、どう声をかけていいかわからない、というような人も何人か感じられた。どちらかといえば、後者の方が圧倒的に多いのだが・・・。

とにもかくにも、想像以上の職場の反応に、私自身おおきな戸惑いを感じている。少し恥ずかしいけど、ちょっと開き直って、背筋をシャンと伸ばして胸張って院内を歩こうと思った。

少なくとも、連日の報道によって、一人でも多くの人が「布川事件」に関心を持って、最後まで見守っていただきたいと思うから・・・。





嬉しい!!最高裁決定!

2009-12-15 | 日記
とうとう出ました!
43年目にして、やっと、本当に、やっと、夫と杉山さんの「裁判のやり直し」が最高裁の決定によって「確定」しました。

本当にありがとうございました!


最高裁第2小法廷の4人の裁判官全員一致(1名補足意見がついた)の意見だったとの、決定文を見たとき、さらに嬉しさが倍増しました。

 文句なしの、晴れやかな勝利決定でした!

 
私は、今日、勤務先にいて夫からの直接の電話で、今日の決定を知らされました。
受話器の向こうから、夫の喜びが十分伝わってくる電話で、
「おめでとう!よかったね!」と、いうだけで精一杯でした。

 すぐに早退させていただき、私の両親、夫の親族、そしてお世話になったみなさんに携帯で連絡を入れました。「おめでとう!良かったね」と皆さんが喜んでくださいました。私がかける前に、お電話を下さった人もいました。

そして、
決定が出たら、「守る会」「日本国民救援会」のみなさんと集まることになっていた水戸はばたき合同法律事務所へ行きました。
事務所の職員の方の祝福を受け、それから・・・マスコミの方の取材を受け・・・
集まってきてくださった皆さんと祝杯をあげました。

 夫は東京。
記者会見、東京の皆さんと祝杯!!今夜は、東京泊。
そして、
あす、水戸に帰ってきます・・・。
改めて二人で乾杯!!です。

弁護団の先生方、ご支援くださった皆さん、
本当にありがとうございました!



 2009年12月15日
夫の「記念日」がまたひとつ増えました。

最高裁勝利決定・「再審確定」の日です。



年賀状は・・・

2009-12-14 | 日記
年賀状の準備が全くできていません。
何故なら、最高裁の決定がどうなるか決まらないなかでは、どうにも文面が決まらないのです。
夫は、年末まで待ってから文は考える、と言っています。
新年になってからゆっくり考えて、出そう、と。

ここまで来たら、そうするしかないのですが、
あ~・・・
私は、正月3日から仕事なのです・・・

夫に頑張ってもらうしかありません・・・






落ち着かない日々・・・

2009-12-14 | 日記
 最高裁決定はいつ出るのだろうか
本当に年内に出るのだろうか
 
 昨夜、利根町で夫と会話したことの一言が、家に帰ってからも、
今日、仕事に出てからもずっと気になって落ち着かなかった。

 今年も残された日数はもうわずか。
第2小法廷は月曜日と金曜日に開かれると聞いた。

今日は月曜日!

考えただけでも胸が痛くなってきて
仕事が手につかない。

勝手な推測だけが私の頭の中を騒々しく駆け巡る。

「ドキドキして胸が苦しくなってきちゃって、仕事に集中できなかった・・・」と言ったら、夫は受話器の向こうで笑ってた。

「気にはなるけど、ドキドキなんて俺はしてないよ!」・・・と。

でも、落ち着かない日々はもういい。
早く「いい決定」が夫の下に届きますように・・・。

地域の皆さんと

2009-12-13 | 日記
 今日は、利根町中田切の稲荷祭り。
男衆の集まりとは別に、「奥さんたちの集まり(お食事会)」があった。
夫と結婚はしたものの、ほとんど水戸での生活が主となってしまっている私は、地域の皆さんとなかなか交流の場がない。
そんな私でも、皆さんが「仲間」として誘ってくださる。それが私にとっては、本当に嬉しい。
 
 私がこんなふうに参加できるのも、実は夫と結婚すると決めたその年、11年前のことだが、やはり12月の第2日曜日、当時は夫婦揃って参加し、男衆はおまつりの儀式、奥さんたちはみんなで煮炊きをして料理を作り、そのあと「宿」となった家に集まってお酒を飲んで親睦を図るというのが慣わしだったが、まだ正式に夫婦になったわけではなかった私たちは、夫だけが参加し、私は家で待っていたのだった。
 そこへ、夫から電話があり
「みんなが来いって言ってる。出てこられるか?」とのこと。
いきなりのことで、行っていいのか迷っていたら、家まで迎えに来てくれた人がいて、ついていくことになってしまった。
皆さん、もうだいぶお酒が入っていて、とてもにぎやかだった。何人ぐらいいただろうか?ぞろっと並んだ顔、顔、顔。。。
それから先は、私たち二人のことでお酒の席がさらに盛り上がってしまったことが思い返される。
あの時の温かな歓迎ぶりが、私を一気に中田切の皆さんの仲間入りを決意させてくれたような気がする。
 夫も、仮釈放で地元に帰って、まだ3度目の冬だった。 地域のみなさんにとっては、29年も刑務所にいたという夫を、いくら無実を訴え、えん罪だと言っても半信半疑で見ていた人もいただろう。
当時、夫はこんなことを言っていた。
「○○の奥さんは、俺が刑務所にいる間に来た人だから、俺のことは知らない。
『帰って来たって聞いたけど、どんな人だろうと思ってたが、明るくて楽しい人だね』って言われたよ」と。

 夫が中田切に帰って13年が過ぎ、私も地域の皆さんと交流が始まって11年が過ぎた。翌年からの稲荷祭りには、私も皆さんの仲間入りして、先輩の皆さんに聞きながら大勢の料理作りをさせていただいた。地域でお悔やみがあると夫婦揃ってお手伝いに出た。夫も私も、地域でのつながりを大事にしたいと考えたからだ。
今は、稲荷祭りのやり方も変わり、葬儀も自宅ではなく葬儀場を使うことが多くなって、当時のような深い付き合いはなくなった。それだけに、「年1回でも集まりましょう」と決まって行われた今日の集まり。これからも、出来る限り参加したいと考えている。
 

 再来年は、夫も地域の役員が回ってくる。同じように、私たち女衆の幹事は私になることが今日確認された。
それまでに、裁判は終わっているだろうか・・・。
終わって、今よりは少しでも落ち着いた生活が出来ているだろうか・・・。

 

布川・茨城の会

2009-12-12 | 日記
布川事件再審を求める運動で
東京、千葉、愛知、北海道などの守る会の皆さんを中心とした活動に大きな力をいただいているが、私たちの直接お世話になっている「茨城の会」の存在も本当に心強く、無くてはならないものとなっている。(取手市には支援コンサートをきっかけに作られた「ゆらゆら春の会」の皆さんの活動もある)
夫も私も本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

 毎月の定例の
水戸駅宣伝、最高裁要請、土浦駅宣伝の他に、
春の「水戸偕楽園宣伝」、
夏の「千波湖花火宣伝」、
秋の「袋田の滝」宣伝、
それに今年は、新聞全国紙への意見広告運動や、県内では茨城有識者アピール運動など、布川事件への理解と支援を求めるためにいろんな趣向を凝らして数多く取り組んでいただき、最高裁への署名もその活動ごとに実績が積み上げられてきた。
 
 「何としても、年内に最高裁の決定を!」

という思いは、この年末を迎え、11月末に足利事件の菅家利和さんを迎えての袋田宣伝に続き(菅家さんの支援協力により、1時間半で196筆の署名が集まった)、
12月第1土曜の5日、
今度は、水戸駅でサンタクロースの衣装や赤い帽子をかぶって3時間のクリスマス・ロングラン宣伝を行ってくださった。
曇り空で冷たい風の吹き付ける中、雨の降り出す直前までみなさんがチラシ、風船、ティッシュを配り、署名を訴えてくださった。
ここでも145筆という嬉しい数が報告された。

 袋田宣伝は、宣伝に集中できるようにと、毎年、水戸映画サークルの会員さんが美味しい芋煮汁や手料理を作って、お昼の心配をしなくて良いように後方支援をしてくださり、宣伝隊が合流してからは夜まで楽しい交流会が続く。今年も、日が暮れてからは、バンガローに入って、大阪毎日放送が製作した布川事件、足利事件を取り上げた「逃げる司法」という番組をみんなで見る機会を作ってくださった。
 
 水戸駅宣伝では、当日は参加できないというHさんが、宣伝用のグッズ(ティッシュ用の宣伝紙、雨にぬれてもよいようにと防水テープを貼った襷も用意してくれた。

袋田にも、水戸駅どちらの宣伝にも幼い子どもさんが、お母さん、お父さんと参加してくれ、もちろん長く運動を支えてくださってきた大先輩も一緒に、袋田は26名、交流会は40名に、水戸駅も17名といういろんな方の思いが、いろんな形で力となってくれた。

「布川」を知って、一度参加すると足が抜けなくなっちゃうのよね~。

明るく、そんなふうに言って頂ける「布川の運動」は、参加される皆さんをも元気にしてくれているように思える。茨城の会の取り組みの素晴らしさはここにあるのかな・・・。

 寒空の中、眠ってしまったお子さんを抱っこして、宣伝用の風船を膨らまし、準備してくれていたUさん。ティッシュや風船、チラシを配り続けてくれた小さな支援者のみんなに、本当に感謝!!
これらの署名もすぐに最高裁へ届けられる。
足をとめて署名をしてくれた皆さんの思いが、最高裁の裁判官の前にさらに積み上げられるのだ。
最高裁「勝利決定!」、まずはそこを信じたい。その喜びを、運動に関わってくださった方々、署名に応えてくださった全ての皆さんと共有できる日がもうすぐ来るものと信じたい。

 そのときは、この子たちとも「おいしいジュース」で乾杯したいな・・・。

※写真は、当日配ったティッシュペーパーです。
 約630人の手に渡っていきました。冷たい風の中で飛ばされないようにと、握り締めてしまい、その痕跡も伝わってしまいました