えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

夏の朝

2009-07-29 | 日記
 寝苦しい一夜が明け、疲れの取りきれない体が
携帯のアラーム音で「あ~、もう、朝だ~」と認識する。
寝ぼけ眼のまま起き出して、ベランダ側のサッシ戸を開け外の空気を入れる。
新鮮な空気をふ-っと感じながら、
「う~ん・・・。でも、まだ、ねむ~い!」とつい口に出てしまう。

でも、起きてしまえば「よし!」と、エンジン始動!
 
今朝は、ベランダの朝顔が二つ咲いていた。
今年初めての朝顔の開花。元気いっぱい咲いているその姿に、やっぱり私も
元気を貰ったような、そんな朝になった。

手紙

2009-07-27 | 日記
 このところ、クラス会の写真を送るために同級生と、意見広告募金に協力してくれた友人、何人かの人に手紙を書いた。
でも、手抜きをして「パソコンの手紙」。出すときに、「直筆でなくてごめん!」と、自分に言い訳するように心の中でつぶやきながら、それでも、ポストイン・・・。

 数日後・・・
何人かから返事が届いた。
はがきだったり、手紙だったり・・・。
でも、それは直筆の、それもとても心のこもったもので、嬉しいと思う気持ちと、
やっぱり直筆ってこんなふうに受け取る人に感じさせるものがあるんだよね、という反省の気持ちでいっぱいになった。

 今日も、また学生時代の友人から手紙が届いていた。
便箋に几帳面に綴られた文字は、彼女のやさしさと芯の強さと仲間への思いがいっぱい伝わってくるものだった。

 彼女は、私が今のような人生の選択をしたとき、大きなショックを抱きながらも「応援するよ」と言ってくれ、結婚を祝う会にも出席してくれた一人だった。

「もう10年になるんですね。祝う会のことを懐かしく思い出しています」と書かれてあった。
そう・・・
私たちが結婚して10年たったということは、彼女たちに見守られての10年だったこと、
決して忘れてはならないんだ、と直筆の友人の手紙を読みながら改めて思った。

リフレッシュの一日に

2009-07-26 | 日記
一週間ずっと頭から離れないことがあって、もやもやしていた。
かなり落ち込んでしまっていた。
その直前までかなりハイになっていたせいで、余計に堪えたのだと思う。
原因は「夫の寝言」。でも、寝言だけに責めてもどうなるものでもなく、ただ、私が「どう考え、どう消化するか」するか・・・ということだけ。頭では、分かってるのだけれど、私も生身の人間。傷もついた・・・。
夫は、否定も、肯定も、話題にもできずにいるので許すしかないのだけれど・・・。


「よし!今度の休みは絶対に自分のために時間を使おう!気分転換だ!」
そう考えての土曜の一日。
朝のうちに夫に宣言。
「今日は、一日、自分のために時間を使うことにしたから・・・」と。

 8月末に行われる「全国現地調査」の実行委員会が予定されていて、東京へ行く、という夫を水戸駅に送ったあと、
まず、何時も行く洋服屋さんへ。
体の小さい私は、およそデパートで売られているものはサイズが合わず、ほとんどがこのSサイズを多く置いていてくれるお店に世話になっているのだ。
 先日、最高裁要請の日。永田町駅から最高裁へ向かっている途中で電話が入り、「夏物のバーゲンやってますよ」のお誘い。
「布川」の署名も店中で取り組んでくれ、私にとっては「ほっとすぺーす」のひとつになっている。
「スカートが欲しいんですけど・・・」といったら
「いくつかお取り置きしておきます。ぜひ、いらしてください」・・・と。

 いつもパンツしか穿かない私が、「スカート」が穿きたくなったのだ。
これも自分への励ましのつもり。気分転換も目的にあった。
勧められたものは、結構気に入った。
長い付き合いになると、「おまかせ」で用意をしてくれるところが、私にはとても嬉しいのだ。センスのない私は、絶対自分ではこんなものを選ばないだろうな・・・そんなものを次々と出して見せてくれるのも楽しい。お金がないことも、はっきり言わせていただく。いくつか試着して「やっぱり、だめ。私には、合わない!」と断ることも・・・。

 洋服が決まると、どんなにお茶を勧められても「時間がないので」と、断ることが多いのだが、今回は、他にお客さんがいなかったので
「それでは・・・」と、勧められるままに、結構、「布川」の話もしておしゃべりタイム。楽しかった・・・。

 それから・・・数日前、夫と一緒に行った店で、その日と同じように簡単メニューのカレーライスを食べて、そして、近代美術館へ。

 常設展だけだったけど、改めて、100年以上も前の作品が、製作者の没後も色彩が変わることなく?残って、私の目の前にあることに不思議な感情を抱いた。
横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山、小川芋銭、中村彝・・・。
後世にいつまでも残るもの・・・。
私にとって、自分の「生きた証」ってなんだろうな・・・
そんなことを考えてしまった・・・。

 次は、美容院へ。
目立ち始めた「しろいもの」を染めて、ウェーブのなくなった髪にパーマをかけて・・・。あんまり短くするな、・・・と言われたわけではないが?ん?でも、そんなニュアンスで夫から聞いたような・・・。
だけど、やっぱり
いつもの「おまかせ」で、「あまり短くしないでください」って言わないでしまったせいか、
あらららら・・・?!
あっという間に、またこれまでよりも短くなってさっぱり!の髪型に。

 そんなこんなで一日中、自分のために時間を使い、夜になって自宅へ帰ったら夫からの留守電が。
「七時の電車に乗ったから・・・」と。

えー?!もうすぐ、水戸へ着いちゃう~!迎えに行かなくっちゃ!

 のんびり、ゆったり流れていたはずの時間が急回転を始め、また、いつもの生活パターンに戻ってしまった。

 でも、実行委員会に出てくださった皆さんには申し訳なかったけれど、
私は、久しぶりのフリータイムでリフレッシュさせていただきました。
元気も、戻ってきました。
わがままさせていただきありがとうございました!

気を引き締めて

2009-07-20 | 日記
「keikoさんは、法律のことも裁判のこともよく勉強したんですね」

そんなことが、学生さんの感想に書かれていた。
勉強?
そうじゃない・・・。特に勉強をしたという気は私の中にない。
私の話からそのように感じていただけたのなら、それは、夫の傍で見てきた10年間が否応なしに私に知識を与えてくれたものではないだろうか・・・。
再審、ただそれだけを求めて闘い続ける夫の前に、「日本の司法」の壁の厚さ、しかもそれはあまりに不条理であり、誰のための裁判か?!と大きな声で叫びたくなるような現実を私自身も体験してきたから、自ずと「真実はどこにあるか」「どうすれば『厚い壁』を動かし得るのか」ただそれだけを考え続けてきた結果に他ならないように思うのだ。

 10年・・・
やっぱり、この積み重ねはひとつの節となって私を成長させてくれたと思う。
少しずつ「見えてきたもの」に、「確信」が持てるからだ。

ただ、自分の変化がよい面と併せて、人として醜い面が同様に育っていないか、時に自分を厳しく省みながら、これから気を引き締めて歩んで進んで行こうと思う。

そんなことを考えるきっかけをくれた学生さんに、感謝の気持ちでいっぱいである。

異星人じゃないって・・・ありがとう!

2009-07-16 | 日記
 90分という時間を何とか終えました・・・。

真剣に私の話を聞いてくださる学生さんひとり、ひとりの眼差しが、今思い返しても身が引き締まる思いです。

 レジュメを用意して、予定時間を書き込み、時計を見ながら何とか伝えたいことの70%は話せたでしょうか・・・。
でも、「あ~、大事なこと、言い忘れた!」ということも。
それでも、何とか一通り話せたような安堵感でいっぱいでした。

 先生や、一緒に参加してくださった守る会の方から
「よかったよ」と言っていただいたけど、でも問題は学生さんがどんなふうに受け止めてくださったか?心配でなりませんでした。

 先生が感想文をコピーして渡してくださいました。
帰りの電車の中で、ドキドキしながらあけて見ると・・・、
みなさん、すごい!いいことばっかり書いてくださってる!
ちゃんと伝わっている!

嬉しくって、何だかウルウルしてきちゃいました・・・。

「布川事件を、違った視点からを考えることができました」

「sakuraiさんの話していたことの意味が、もっと深いところから考えるきっかけになりました」

「えん罪の恐ろしさを、奥さんの話を聞いてますます強く感じ、その理不尽さに怒りでいっぱいです」

「keikoさんが初めてsakuraiさんに会ったとき、輝いて見えたと言ってましたが、私もsakuraiさんを見て同じように感じました。今でも輝いて見えます」

「sakuraiさんとkeikoさんの関係って「大人の愛」なんですね」

こんなのもありました。

「話を聞いてる限りだと出来すぎて異星人みたいな印象だったが、ちゃんと(?)夫婦の危機もあったようで安心した」

(ですって。笑っちゃいました。でも、嬉しかったです)

など、など。私も少しは役に立つ話ができるようになったかなと、これらの感想にとても勇気付けられました」

 夫の傍で歩んできた10年という歳月は、「布川」を支援してくださる皆さんによって夫と一緒に、私も大きく成長させていただいた。今回の体験はそう実感できるそんな出来事でした。
こんな機会を与えてくださった工藤先生に感謝の気持ちでいっぱいです。

 そう、そう!
先日の「日弁連主催 布川事件シンポジウム」にそのときの学生さんが来てくれました。
すっごく嬉しかった!・・・・・です!

私にできるかな・・・!

2009-07-16 | 日記
13日(月)の午後、
私は、日大芸術学部の「ノンフィクション研究」という工藤隆雄先生のゼミの教室にいました。

20代前半の若い大勢の学生さんたちの前で、

「妻の立場から見た『布川事件』を語って欲しい」

との依頼を受けていたからです。

 工藤先生は、すでに「布川事件」の当事者である夫とSさん、弁護団の先生方をそれぞれ何回かに分けてゲスト講師として招き、布川事件を多面的に捉える授業をしてくださっていました。
どういうわけか、私にも声を掛けていただき、前期「最終講義」を務めることになっていたのです。

 
工藤先生からは
 なぜ結婚をしたのか
 結婚までの経緯
 日常の生活
 妻の立場から見た「布川事件」
 いま、伝えたいこと

などを、話して欲しい、というお話でした。
夫は、先に(6/1)出番を終えていました。
私は、夫自らはなかなか言いにくいだろうえん罪の本当の苦しみ、怖さ、理不尽さへの怒りなど、ぜひぜひ知って欲しいと思っていたことを話させていただこうと思いました。
先生は、「女子学生も多く出席しているので、女性の生き方、人生の選択などの視点からも関心を持っていると思いますので、その辺もお願いします」・・・と。

夫には
「時間に遅れるなよ」
と、言われていたのにやっぱり私の「駆け足、パスパスの人生」・・・
私が教室に到着したときは、みな整然と座り、私の登場を待っていてくださいました。

暑さと、焦りと、緊張で噴出した汗がまだひかないうちに、私は紹介を受けて皆さんの前に立ちました。



動き出したら

2009-07-08 | 日記
「動き出したら何かが変わる」

夫はそう言った。そして、

「問題があっても始まらなければ何も変わらない。問題を解決しながら進んでいく。裁判員は、候補になった人から意識が変わり始める。国民の意識が変われば、裁判官だって間違いなく変わっていく。やっていくなかでいい方向へ変わらざるを得ないはずだ」と。

 最近のマスコミの報道を見ても、実際の裁判も、事実、相変わらずというものもあるが、その側面で何かが変わりつつあることを予感させることがつづいている・・・。

いい方向へ何としても変えていかなければならない・・・
私自身の思いを強くすることから始まるのかもしれない・・・

記念日

2009-07-04 | 日記
1999年7月4日。
夫は仮釈放から3年目。
まだ、再審申し立ての見通しも立ってなかった。

そう遠くない時期に新たな闘いが始まるであろうそのときに
“二人で歩むことが、お互い、より豊かな人生を歩むことができる”そう信じて、たくさんの仲間や友人たちの前で決意を新たに、皆さんの祝福を受けて私たちは歩き出した。

 今日、本当に穏やかな気持ちでこの記念の日を迎えることができた、そのことで、私は夫に感謝の気持ちを伝えた・・・。

 だからといって、これまで決して楽しいことばかりではなかった。
裁判のことはおろか、東京は西も東も分からない。ましてや、夫を支援してくださる人たちが一気に私の目の前に現れ、私は、ただ、ただ夫や先輩方の周りをうろうろとついて歩くだけで精一杯だった。
夫の住む地元利根町の地域の皆さんとの交流、夫の兄弟、親類との付き合い、私の両親、兄弟、子供たちとの問題、そして、何より夫自身が背負い続けている冤罪という重荷の本当の姿を知ったときの衝撃、夫の気持ちが理解できず何度も、何度も怒らせてしまったときのあの悲しみ・・・
今、それらひとつひとつを冷静に振り返り、「それでも楽しかった」と思えるこの安堵感はいったいどこから来るのだろうか・・・

 夫も私も社会人として生きるには本当に未熟だった。でも、皆さんに支えられ、その温かさに励まされ、ここまで育てていただいた。
この10年、出会い、励まし、見守り続けてくださったたくさんの方たちに感謝の気持ちでいっぱいになる・・・。

 そして、夫が一番、喜びと生きる自信が持てるようになったのは、ひとつひとつ確実に勝ち進んだ再審のたたかいがあったことだと思う。
最後の勝利までもう少し。弁護団の先生方、ご支援くださる皆さんと勝利の喜びを分かち合えるその日を目標に
また、新しい一歩を踏み出します。

鬼の霍乱?

2009-07-01 | 日記
鬼の霍乱?
誰かのそんな声が聞こえそう・・・・

熱を出し、早く治したいと解熱剤を飲んだら、一気に34度台まで下がって、それからが大変!体温が全く通常に戻らず、どうにもこうにも下痢が止まらない状態が1週間続いた。
夫が傍で寝ていようが、食事をしていようが、それに気を遣っている余裕など全く持てずに、寝床とトイレをただ、ただ行ったり来たり。腹痛もあって、まさに部屋の中を這い蹲っての生活だった。

 さすがの夫も、「何もしてやれることなくてごめん」と言いながら、それでも、葛湯やおかゆを作ってくれた。
おいしく食べられたけど、食べてる途中で、「ごめん!トイレ!」・・・・の始末。
本当に申し訳なかった・・・。

最高裁要請も、そのほかの予定も、友人との約束も守れないそんな大変な一週間となってしまった。もちろん、職場にも迷惑を掛けてしまった。

7月に入って、やっとフツーに戻ったような気がする・・・
でも、あれはいったい何が原因だったのだ・・・?

Dr.は「ウィルスと解熱剤の効きすぎによるダブルショックだったのでは・・・」と言ったけれど、そう言われれば思い当たらないわけでもない。以前にも似たようなことがあったことを思い出した。

分かっていたのに、自己判断で解熱剤を使用したこと、ハ・ン・セ・イ しています・・・。