奈良・田原本は冷たい雨が降っています。朝8時の庭の温度計は5度を指しています。皆さん、お変わりありませんか。先日の雪には驚きましたが、また降るのでしょうか。寒いのも、雪も、雨も程々であって欲しいものです。
9日昼、庭の隅の梅に積もった雪と、降り続く中を走る近鉄・田原本線の電車です。
この日(土曜日)は、ご覧のような降雪で大阪市内でも積雪のあった日です。
尼崎に住むY君から「同窓生のE君が名古屋から来阪するので来ないか」と誘われ、何十年ぶりかで電車で大阪へ行くことになったのでした。
隣の奈良県でおりながら大阪の街は、上を走る自動車専用道を通過するのみ、大阪の繁華街へ行く用など全く無いノブトは、逢えるのは嬉しいものの都会へ出るのは余り嬉しいものでは無いのです。(これでも昭和36年から39年まで住んでいたのですが・・・)
※利用した近鉄特急はこのような電車です。(You Tubeの動画お借りしました)
電車に乗ることなど滅多に無く、自宅の最寄り駅、近鉄橿原線「田原本駅」を発ち「大和八木駅」で近鉄特急に乗換えたのでした。座席指定の席を見ると、向かい合って座るように先客がしたまま下車しており、座席は進行方向とは逆向きになっていたのです。ノブトの知ってる近鉄特急は、背もたれを前に押すと座席のロックが解除され、二人掛けの座席が回転し向きを変えることが出来たのです。そう信じ込んでいたのが災いしたのか、座席の向きを変えようと、背もたれを押しても引いても座席は回転してくれません。
腕を載せるところや座席の下にレバーなど無いかと探していたところ、斜め後から足が伸びてきて通路側に出ている小さなペタルを踏んでくれたのです。気付きませんでした。こんなところに有るとは・・・・。
無言でペタルを踏んでくれたことに驚き振り向くと、ノブトと同年輩の男性で、その男性の横に座っている奥さんと思しき女性もニコニコ笑っていたのでした。親切な御夫婦は「何処の山奥から来た人だろう」と思っているのだろうと考えると恥ずかしくもあり、「操作方法を分かりやすい場所に書いてんか」と言いたい気持にもなったのでした。
この方も難波で下車されましたが、改めてお礼を言ったところ「イエイエ、お気をつけて」と言葉を下さり別れましたが、難波に着いた時刻は降雪のため少し遅れて午後4時でした。
さて、待ち合わせ時刻は午後5時、場所は「難波の総合案内所前」と聞いていたため、近鉄難波駅の駅員に聞くも、また、南海電鉄の駅員に聞くも総合案内所などは無いとのこと、「タカシマヤデパートに有るかも」と教えられ、やっとのことで合流出来たのですが、迷路のような地下街を40分も歩き回っていたのでした。
携帯電話は退職後、掛ける事も掛かってくる事も無くなったため、ノブトは解約し今は妻のみが持っています。「持って行った方が良いかも・・・」と持たされはしたものの、友に番号を伝えていなかったため何度電話するも出てくれません。後で聞くと「見覚えの無い番号であったためイタズラ電話と思い削除した」とのこと・・・。
スムースに事が運ばなかったでのですが、十何年振りかに逢うことができ楽しいひと時を送ることが出来ました。「終わり良ければ全て良し」というところでしょうか。因みに、帰りは天王寺から区間快速で王寺駅、近鉄新王寺駅から西田原駅へと、午後10時過ぎ無事帰ってきました。(笑)
何度かブログで紹介しましたが、ノブトは徳島・剣山(1955㍍)の麓の木屋平村(今は美馬市木屋平)の出身で、まるで兄弟のように過ごした同級生は、幼・小・中学校を27名でした。卒業と同時にそれぞれ別の道へと別れましたが、現在では既に亡くなった友は5名、連れ添いを亡くした者4名・音信不通2名であるのを知ると、なんとも言いようの無い寂しい気持になりました。
よく考えてみるに、勉強がよく出来た順に旅立っているように思え、ノブトは「まだまだ先や」と変に安心したりしましたが、別れ際Y君が「逝った友の墓参りを兼ねた同窓会を毎年やろうか」と、冗談交じりで話した言葉に自然に賛同しているノブトでした。
9日昼、庭の隅の梅に積もった雪と、降り続く中を走る近鉄・田原本線の電車です。
この日(土曜日)は、ご覧のような降雪で大阪市内でも積雪のあった日です。
尼崎に住むY君から「同窓生のE君が名古屋から来阪するので来ないか」と誘われ、何十年ぶりかで電車で大阪へ行くことになったのでした。
隣の奈良県でおりながら大阪の街は、上を走る自動車専用道を通過するのみ、大阪の繁華街へ行く用など全く無いノブトは、逢えるのは嬉しいものの都会へ出るのは余り嬉しいものでは無いのです。(これでも昭和36年から39年まで住んでいたのですが・・・)
※利用した近鉄特急はこのような電車です。(You Tubeの動画お借りしました)
電車に乗ることなど滅多に無く、自宅の最寄り駅、近鉄橿原線「田原本駅」を発ち「大和八木駅」で近鉄特急に乗換えたのでした。座席指定の席を見ると、向かい合って座るように先客がしたまま下車しており、座席は進行方向とは逆向きになっていたのです。ノブトの知ってる近鉄特急は、背もたれを前に押すと座席のロックが解除され、二人掛けの座席が回転し向きを変えることが出来たのです。そう信じ込んでいたのが災いしたのか、座席の向きを変えようと、背もたれを押しても引いても座席は回転してくれません。
腕を載せるところや座席の下にレバーなど無いかと探していたところ、斜め後から足が伸びてきて通路側に出ている小さなペタルを踏んでくれたのです。気付きませんでした。こんなところに有るとは・・・・。
無言でペタルを踏んでくれたことに驚き振り向くと、ノブトと同年輩の男性で、その男性の横に座っている奥さんと思しき女性もニコニコ笑っていたのでした。親切な御夫婦は「何処の山奥から来た人だろう」と思っているのだろうと考えると恥ずかしくもあり、「操作方法を分かりやすい場所に書いてんか」と言いたい気持にもなったのでした。
この方も難波で下車されましたが、改めてお礼を言ったところ「イエイエ、お気をつけて」と言葉を下さり別れましたが、難波に着いた時刻は降雪のため少し遅れて午後4時でした。
さて、待ち合わせ時刻は午後5時、場所は「難波の総合案内所前」と聞いていたため、近鉄難波駅の駅員に聞くも、また、南海電鉄の駅員に聞くも総合案内所などは無いとのこと、「タカシマヤデパートに有るかも」と教えられ、やっとのことで合流出来たのですが、迷路のような地下街を40分も歩き回っていたのでした。
携帯電話は退職後、掛ける事も掛かってくる事も無くなったため、ノブトは解約し今は妻のみが持っています。「持って行った方が良いかも・・・」と持たされはしたものの、友に番号を伝えていなかったため何度電話するも出てくれません。後で聞くと「見覚えの無い番号であったためイタズラ電話と思い削除した」とのこと・・・。
スムースに事が運ばなかったでのですが、十何年振りかに逢うことができ楽しいひと時を送ることが出来ました。「終わり良ければ全て良し」というところでしょうか。因みに、帰りは天王寺から区間快速で王寺駅、近鉄新王寺駅から西田原駅へと、午後10時過ぎ無事帰ってきました。(笑)
何度かブログで紹介しましたが、ノブトは徳島・剣山(1955㍍)の麓の木屋平村(今は美馬市木屋平)の出身で、まるで兄弟のように過ごした同級生は、幼・小・中学校を27名でした。卒業と同時にそれぞれ別の道へと別れましたが、現在では既に亡くなった友は5名、連れ添いを亡くした者4名・音信不通2名であるのを知ると、なんとも言いようの無い寂しい気持になりました。
よく考えてみるに、勉強がよく出来た順に旅立っているように思え、ノブトは「まだまだ先や」と変に安心したりしましたが、別れ際Y君が「逝った友の墓参りを兼ねた同窓会を毎年やろうか」と、冗談交じりで話した言葉に自然に賛同しているノブトでした。