カトリック情報

katorikku jyohou

素直な心に

2021-04-03 | プロテスタント
<カトリックに対して持っていた印象>

1.カトリックはマリアを拝んだり、聖人を拝んだりしているのではないか。
2.迷信が多いのではないか。
3.聖書に付け加えをしているらしい。(煉獄とかプロの聖書にないことを言っている)
4.歴史上さまざまな罪を犯している。
5.教皇制って理解できない。
6.神父が信徒と神の間に入っているらしい。(罪の告白をなぜ神父に?)
等々・・・。

立派なアンチ・カトリックですね。

そんな私に、知人の、「カトリックは聖母崇拝してるわけじゃないらしいよ」という発言は驚きでした。

<間違っていた・・・>

カトリックが聖母崇拝していないのなら、今まで思ってきたことは全くの誤解ということになります。

それから、教会史、元修道女の書いた本、ビデオ、護教論・・・、そんなものを読み始めました。すると、今まで思い込んでいたことが、誤解であることがわかってきました。

マリアについては、彼女の信仰、彼女を通してイエスがこの世に来たことを深く覚え、親しんでいるのだということ。マリアは信仰の対象ではないということ。ロザリオの祈りは、イエスの生涯を黙想する祈りだということ・・・。

聖人は信仰の先輩。プロテスタントで言う「兄弟姉妹」の枠が広いのだということ。絵や像は、リマインダーであること。等等・・・

一番大きなショックは、聖書の、いわゆる「続編」といわれている部分のことで、実は、宗教改革者が削除していたというのが本当だった事です。(これは、どの原本から取ったかということがからんできて、一言でかたずけられない問題ですが、「聖書のみ、信仰のみ」を柱とする改革者がそれを取らなかったということに驚きました。「カトリックが付け足している」というのは、全くの誤解だったのです。)

「・・・だから、カトリックは違うのでは?」と思っていたことごとくが、崩れていきました。

<誤解の出所>

後でわかったことですが、私がもっていたような偏見の出所は、大きな誤りを含みながらも1962年の出版以来版を重ねている「Roman Catholicism」(Loraine Boettner著 1962)がもとだとのこと。それ以後の本に多く引用され、プロテスタント側からのカトリックのとらえ方に、不幸にも大きな影響を与えてしまったのだとか。

https://plaza.rakuten.co.jp/zazenneko/7001/

ローレン・ベットナー - Wikipedia

http://www.tracts.ukgo.com/loraine_boettner.htm


1 コメント

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Unknown (使徒ヨハネ)
2021-04-06 01:00:41
>4.歴史上さまざまな罪を犯している。

教会は、その活動目的や目標設定において間違いを犯した事は過去に一度たりともありませんが、それを実現する為の方法論的錯誤からは必ずしも自由ではありませんでした。
贖宥状売買や、魔女狩りや、剣による改宗の強制や、奴隷貿易を宣教事業の中に組み込んだ事は、いくらその目的が聖なるもの、正しいものであっても、方法論的誤謬としての教会の罪科ですから。
もちろん何でもかんでも教会の罪科と安易に決めつけてはなりませんが、離教や迫害等の悪しき実りによって、それが教会の罪科か否か判断することは出来ます。
最近だと、アッシジの諸宗教集会でキリスト像を覆い隠して祭壇に仏像を安置したのも(たとえそれが数時間の出来事であったとしても)教会の罪科と判断できます。
何故ならこれによってルフェーブル派の離教という悪しき実りがあったからです。
さて、カトリックの護教家たちが主張するとおり、キリストの神秘体としての教会が本来的行為として罪を犯すことは有り得ませんが、これは教会の非本来的行為としての罪科を否定するものでは有りません。
教会が本来的行為として罪を犯さないという事は、教会には内在的原理として如何なる悪意も邪念も教義的誤謬もないということです。
教会は、自分の外から内に入り込んだ方法論的な誤謬としての罪科を、不可逆的な仕方で外へと追い出すことで、本来的な無原罪性を回復することが出来ますが、教会の非本来的行為としての罪の結果はいつまでも残ります。

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