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katorikku jyohou

カルバンの予定説 これは最悪の神学説である。

2015-12-06 | プロテスタント
こういった、罪の問題とは救いに直接関ります。
この罪の問題に思い悩んでいた私が、そのとき不幸にも
触れてしまったのが、カルヴァン主義の「二重予定説」です。
カルヴァン主義の「二重予定説」とは、
死んで救われる者と、死んで地獄に行く者とが、
当人が生まれる前から、神によってあらかじめ決められている、
というものです。
どういう割合で決まっているとか、そういうことまで
言っていませんが、カルヴァン主義が聖書から
導き出した救済論がこの予定説なわけです。
この「予定説」はカルヴァン独自のものではありません。
教派を問わずすべての教会が模範としている古代教父の
一人である、ヒッポのアウグスティヌスという人も、
彼の予定論を展開させています。
カルヴァン主義は、それをさらに特化させて、
救いに定められている人は、神の恩寵を受け、たとえば善い
行いを通してますます自分の魂を聖化していき、
神の救いの予定から外れた者は、その定められたところの
悪い行いを積み重ねて、自分の地獄行きをますます確固にするのです。
乱暴に言えば、そういう説です。

私は、最終的にはこの説を拒否しました。
でもこの説が正しいとか、誤りだとかは、誰にも言えないんです。
死んでからでないとわかりません。
私がこの説を初めて知ったときの衝撃と言ったら、
まぁ、成人洗礼特有の熱心さと敏感さからかもしれませんが、
本当にある期間深刻な気持になったものです。

でも、この「二重予定説」をはっきりと、「異端」と
断定した教会がありました。
「異端」とは、キリストの使徒たちに繋がる教えではない教説のことです。
その教会が、カトリック教会だったのです。
この忌まわしい教説に対して、はっきりと、教会全体で
Noと言ったのが、カトリック教会だったというわけです。
私は、このことをも知って、あぁ救われたと安堵したわけでは
なかったですが、カトリック教会に対するある親近感と信頼感を
持つようになったのです。と同時に、プロテスタントに対する、
ある種の不信感と嫌悪感も持つようになっていました。
私の、カトリシズムに対する接点は、こんなことがきっかけでした。
http://blog.livedoor.jp/dick82/archives/51926008.html

1 コメント

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Unknown (OM)
2019-06-20 14:07:22
予定説ですが、ダビデの日記というヤフーブログの選ばれた人々という書庫をご覧になってください。

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