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教皇レオ13世 ローマでの背教を予言する「聖ミカエルへの祈り」は削除されていた  

2011-11-13 | 教皇
 教皇レオ13世の聖ミカエルへの祈りー未来のローマ背教の予言

 教皇レオ13世の聖ミカエルへの祈りは予言的である。100年以上も前に作られ、そして、削除された。教皇レオ13世の「聖ミカエルへの祈り」の原版は現代のカトリック教会の状況に関連して大変興味深く物議を醸すものである。
 1888年10月13日、朝のミサ後にレオ13世は衝撃を受けたようにして倒れた。ミサの参列者は教皇が死んだのだと思った。意識が戻ってから、教皇は聖櫃の近くから聞こえてきた恐るべき会話のことを語った。その会話は二つの声によるものであった。教皇はそれがイエズス・キリストと悪魔であるとはっきりとわかった。
 悪魔は教会を壊すことができると自慢し、もしも、75年間(または他の計算によると100年間)を与えてくれればそれを実行に移せると言った。また悪魔は「わが業に自らを捧げし者へのより大きな影響力」をもつ許可を願った。悪魔の願いに主は答えられた。「お前には時間と力が与えられよう。」
 聞いたことに深くうち震えた教皇レオ13世は、地獄からの攻撃に対する教会の保護のために、(予言でもある)「聖ミカエルへの祈り」を作成した。そして、それを読唱ミサの後で必ず唱えるように指示した。
 この祈りはThe Raccolta,1930,Benzinger Bros.,pp.314-315からの引用である。The Raccoltaはカトリック教会の認可を受けた公式の祈りと贖宥(免償)の祈祷集である。

 このいと狡猾な敵供は、罪の汚れなき子羊の浄配なる教会を憎悪と怨恨で満たして泥酔させ、教会のいと聖なる財産に不敬な手をかけん。牧者が打たれ羊が散らされるとき、聖なるペトロの聖座にして世の光のための真理の座が据えられし、まさにその聖なる場そのものより、彼らは邪悪な策略もて忌むべき不遜な王座を起こさん。

 この太字の箇所を見ると、教皇レオ13世が大背教を予見し予言していることがわかる。さらに、教皇はその背教がローマの導きであることを明確に指摘している。「聖なるペトロの聖座にして世への光のための真理の座であるまさにその聖なる場所」というのはローマしかない。最初の教皇聖ペトロにより据えられてきたペトロの座であるその場所(ローマのバチカン市国)がサタンの忌むべき不遜の座となってしまうことを教皇は予見した。「その牧者(真の教皇)が打たれ、羊(カトリック信者)が散らされる邪悪な策略」。これは教皇レオ13世の言葉である。
 ところが、1934年に何の説明もなく最初のレオ13世の傑出した祈りは変えられた。ローマの背教に言及した重要な語句(「聖なるペトロの聖座にして世への光のための真理の座であるまさにその聖なる場所」)は取り除かれた。同時に、この教皇レオ13世の長い「聖ミカエルへの祈り」は、現在よく知られている以下の短い「聖ミカエルへの祈り」と取り替えられた。

 「大天使聖ミカエル、戦いにおいてわれらを護り、悪魔の兇悪なる謀計に勝たしめ給え。天主の彼に命を下し給わんことを伏して願い奉る。ああ天軍の総帥、霊魂を損なわんとてこの世を徘徊するサタン及びその他の悪魔を、天主の御力によりて地獄に閉じ込め給え。アーメン。」

 この短い聖ミカエルへの祈りは何も問題はないし、実際、良くて有効なものではある。しかしながら、それは教皇レオ13世が作った長い聖ミカエルへの祈りではないということが肝要である。短い祈りは長い祈りの代わりとして広められたものである。それゆえ、信徒は長い祈りの驚くべき内容に気づかないのだ。
 もしも、この聖ミカエルへの長い祈りが1934年に除かれずに読唱ミサの終りに唱えられていたならば、どれほど多くの信徒が第二バチカン公会議後の新たな宗教の企みに出会ったときに抵抗に身を投じることができたであろうか。どれほど多くの者が第二バチカン公会議後に伝統的カトリック信仰が組織的に解体されるのを見破ることができたことであろう。
 聖ミカエルへの教皇レオ13世の長い祈りは、1846年のラサレットの聖母の有名な出現の予言に完璧に符合している。「ローマは信仰を失い、反キリストの座となり、・・・教会は失墜するでしょう。」 教皇レオ13世の言葉はローマの聖座に立てられる反キリスト自身、もしくは、少なくとも反キリストの力を示している。「ペトロの座が世の光となっている聖なる場所そのものより、彼らは邪悪な策略をもて憎むべき不遜な王座を起こす。」

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