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生きること:過去と未来とエスペラントと

多言語のヨーロッパ

2005-04-26 09:10:10 | Weblog
 エスペラントを知らない人が多い世の中で、ヴォラピュークという言葉を知っている人は少ないでしょう。ヴォラピュークは1879年ドイツのシュレヤーという人が共通言語にしようと発表した言葉です。同じく共通言語の必要性を感じていたザメンホフは当初喜んだと本人が書いています。しかし、学習書を取り寄せ検討し、その不備の多さに驚きました。共通言語を熱望し参集した人々がこの不備に気付き、共通言語に失望しないうちにとザメンホフは自分の作っていたエスペラントの完成を急いだといいます。ですから、初期のエスペラント運動を支えた人にはエスペラントに転向した多くのヴォラピュキィスト達がいました。 

 19世紀は科学や技術の発展した時代です。一般の人々の交流も小さな地方単位から国境を越えたものへと広まりつつありました。国際語の思想やその発達に興味のある方には下記の本をお薦めします。

   二木 紘三著 『国際語の歴史と思想』毎日新聞社

 1998年モンペリエでのエスペラント大会の時です。大会上の喧騒を離れ、会場に続く並木道の木の下置かれたベンチに座って、私は休んでいました。ひとりの40代と思える男性がやって来て話し掛けてきました。
 初対面の良くある会話です。エスペランティストかとか、どこから来たかとか云々。
 私が驚いたのはその人のエスペラントの訛りでした。聞き分ける事はできましたが、とにかくひどいのです。
 私も質問しましいた。どこに住んでいるのですか?エスペラント歴何年ですか?
 彼の答えは:
 私はモンペリエの大学で教えています。私のエスペラントが通じるかどうか試すために今日始めてエスペラントを話しました。私はヴォラピュキィストです。

 驚く私にありがとうと言って彼は去って行きました。後で仕入れた知識ですが現在でもスイス、フランスにはヴォラピュキィスト数100名いて自分達の言葉を広めようとしているそうです。

 この大会のコンサートにオクツィターナと言う地方言語のロックグループが参加しました。オクツィターナは南フランスの言葉ですが、彼らに言わせると、アイルランド人がアイルランド語を英語というのと同じように立派なフランス語なのです。

 その後、エーテボリで多言語について考える会合にに参加しました。200人は超えると思える人々が集まり、8グループに分かれて討論しました。フランス、スペイン、ポルトガルなどまさに人種のるつぼでした。かれらは今は地方言語へと押しやられた民族の言葉の権利を取り戻そうと秘策を練っていました。それぞれの経験を話し合い、今後の自分達の運動に生かそうとする真剣な会合でした。エスペラントが彼らの連帯を支えているのです。
         
     
 

フランス政府がエスペラントに反対する理由もこんな所にあるかも知れません。

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