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ヒストリー各務野会  秋のバス旅行 治水神社、展望タワー、そして海津市歴史民俗資料館を訪ねる

2017年11月24日 23時26分35秒 | ヒストリー各務野会

ヒストリ-各務野会の秋季バス旅行に参加しました。これまでのバス旅行で、一昨年は湖北の鶏足寺と竹生島。昨年は比叡山の延暦寺を訪ねました。今年は海津市の宝暦治水の旧蹟を訪ねるものでして、中西達治先生に講師としてお越しいただきました。中西先生は宝暦治水史蹟保存会の会長を務めておられ、宝暦治水に造詣の深い方です。
現地で、先生と落合いバスに乗っていただきました。それぞれの旧蹟での説明は勿論ですが、バスの車内でも説明して貰えまして『走る歴史教室』と言った感じがしました。

各務原 → 治水神社 → 展望タワー → 宝暦治水之碑 → 和風レストラン海津 → 海津市歴史民俗資料館
 → 薩摩義士役館跡 → さぼう遊学館 → 木曽三川公園センター → 各務原

 
木曽三川河口部の地図。
一般財団法人海津市観光情報センター発行
水と生きる 宝暦治水と明治大改修より出典。





治水神社・千本松原散歩マップ
監修/宝暦治水史蹟保存会より出典


治水神社

中西先生と落合う所が治水神社となっていました。
私達が治水神社について、程なくして先生がお見えになりました。




島津家と平田家の家紋の説明です。
島津家は丸に十。
平田家は丸に上(ツ)り二つ両引です。
今は右側と左側の幕の紋が異なりますが、古い写真には左右とも島津の紋となっています。



境内に有った宝暦治水のボードです。
紙芝居のようにストーリーが進んで行きます。




大野徳三郎の漢詩碑で、先生が説明しています。
南面と北面に漢詩が刻まれています。
今は北面を説明しています。




宝暦治水工事犠歿者の碑を説明する先生です。





宝暦治水工事犠歿者の碑をズームしました。
幕府方の内藤十左衛門や竹中傳六の名も刻まれています。
当時、下人は姓を名乗る事が許されなかった事が判ります。




胸像があり、その横に説明が彫られて居ます。
先生が説明しているのは菱田尚一という人物で岐阜県会議員や治水神社建設委員長を努めた人です。
この場所の下流で揖斐川と長良川に伊勢大橋が架橋されています。
その橋に口を明けて堤防へ通じる道を設けさせた人だと説明が有りました。




こちらは内藤十左衛門の顕彰碑です。
内藤十左衛門の自害した地が弥富市の証玄寺です。十左衛門は薩摩藩の人ではありません。彼は美濃国在住の水行奉行高木家の家来で幕府方のの切腹者です。彼が工事をしていた二の手工事の庄屋との折り合いが悪く工事の不備を指摘され、高木家に責任が及ぶのをおそれ、自らの責任として宝暦4年4月22日宿所であった弥富町百姓彦八方で自害しました。鐙玄寺の石碑には 「宝暦治水美濃義士 内藤十左衛門自刃之地」とあります。




展望タワーへ

木曽三川公園センターの展望タワーに向かいます。




高さ65mの展望タワーから木曽三川の雄大な流れとの水郷の景観が360度展望できます。
中西先生から眺望の説明が有ります。





タワーから見えた南方です。




南方をズームしました。
長良川河口堰。ナガシマスパーランド。伊勢湾岸自動車道が見えます。





タワーから見える西の方面です。
先生が西方を説明しています。
その先には油島大橋が見えます。

展望室の資料

タワーの展望室に何枚もの資料が置いて有りました。
この資料は、今から1400年前は伊勢湾が内陸に深く食い込んでいたと言うモノです。
一面が海となっています。
津島や枇杷島が島の状態ですが、周りは海です。
私達の住む各務原は各務原台地で半島のような状態で、西側は海となっています。




治水工事は宝暦の治水工事だけでは有りません。
明治の時期にも色々の工事が取組まれています。




木曽三川治水工事のbeforeとafterです
江戸時代までは、洪水の度に川の姿を変えて細い川となっていましたが、工事で大きな川え姿を変えました。




宝暦治水の説明です。
幕府の命によって、お手伝い普請と言う形で始まりました。
地図に一之手から四之手まで、表示しています。




水と緑の館の中に森繁久弥の墨跡がありました。
この館の名誉館長を勤めていたのでした。
森繁は「湖愁の岸」で伊集院十蔵を演じました。
平田靭負の役だと思い込んでいました。
どんな芝居なのか見てみたいが、それは、もう無理です。





バスの車窓から。
バスで治水神社の南端に向かいます。
左側が長良川で右側に千本松原が続きます。



宝暦治水乃碑

近代治水百年記念碑です。





左が明治大改修のヨハネス・デ・レーケ。
右は宝暦治水の平田靭負を紹介しています。





こちらは宝暦治水之碑です。
この石碑の題字を書いたのが当時の総理大臣。山県有朋だそうです。
石碑の上部に「宝暦治水之碑」と刻まれています。
山県有朋の題字と言えば、琵琶湖と京都を結ぶ琵琶湖疏水のトンネルに扁額が掲げて有りましたが、その題字が山県の字に寄るものでした。
琵琶湖疏水の道を歩いた時に遍額を目にしました。そしてこの石碑。関連性が面白いです。





石碑の横の説明板です。
石碑の表側の解説は勿論で、裏には宝暦治水の犠牲者の名も書かれています。






治水神社の南端。
宝暦治水之碑の見学を終えてバスに戻ります。





バスの車窓から。
お昼の時間となりました。
昼食会場に向かっています。
広い畑。
今は枯れた状態ですが大豆畑だそうです。
遠くに養老山地が見えます。


和風レストラン海津

昼食の場所へ来ました。
和風れすとらん 海津と言う場所です。





ウナギの蒲焼。鯉のアライ。
川魚の定食です。



海津市歴史民俗資料館

海津市歴史民俗資料館のパンフです。




これから海津市歴史民俗資料館に入ります。






資料館の服部さんが説明してくれました。





服部さんの説明。
明治時代の輪中の様子です。



明治期に沢山の輪中がありました。
北の大垣輪中や加納輪中から南は長島輪中などと、多くの輪中が並んでいます。






三階は高須藩関係の資料が展示して有ります。
この写真は高須四兄弟。



金廻四間門樋

資料館から外へ出てきました。
外のテント式施設の中。
金廻四間門樋が復原して有ります。
木造の施設なのですが、マツやスギ。ヒノキを用いています。

日本人の木に対する造詣。
木の特質を良く知っていて、工事に使っています。



金廻四間門樋の説明です。





金廻四間門樋の全体図です。
この施設は左の一部を復原したものです。





巨大な金廻四間門樋が復原されています。
これだけの大きさが有っても、一部分です。




金廻四間門樋の中に入ってみました。




人の背と比べると門樋の扉の大きさが判ります。


輪中堤

バスの車窓から。
平田町と輪之内町との境界の輪中提です。
昭和51年9月。長良川の堤防が切れて大洪水が起きました。
その時、輪中堤を締め切ったので、南側に被害が及ばなかったのだそうです。
輪中提が明暗を分けました。



バスの車窓から。
大榑川の堤防ですが、桜が植えられて平田靭負の名が付いているようです。
今は葉が落ちた状態ですが、桜の時期。ソメイヨシノとサトザクラは開花時期が異なり、2度桜を楽しむことができます。



薩摩義士役館跡

バスの車窓から。
「大巻薩摩工事役館跡」には、平田靭負の銅像と「薩摩工事役館趾平田靱負翁終焉地」と刻まれた石碑が立っています。
バスの窓から見たので、シッカリは見えませんでした。


さぼう遊学館

さぼう遊学館に来ました。





表にはヨハネス・デ・レーケの胸像が有ります。





ヨハネス・デ・レーケの功績を紹介しています。




さぼう遊学館の館内です。
土砂災害に対する3DのDVDが流れていました。




さぼう遊学館の有る場所は羽根谷という谷です。
ここは羽根谷だんだん公園として整備されています。
後方は砂防堰堤です。




関連性の面白さ
治水神社に内藤十左衛門の顕彰碑が有りました。2016年4月に一宮友歩会で弥富市北部を歩きました。その時に寄った寺が証玄寺です。あの時に寄った寺に自刃之地の碑と今日、訪れた顕彰碑が結びつく関連性に面白さを感じます。
今年、5月に羽島市の竹鼻別院へ藤を見に行きました。その時、境内で目にしたのが竹中伝六の墓です。伝六も幕府方の役人です。あの墓と宝暦治水犠牲者の石碑に名を連ねています。関連付けて考察する事が出来ます。
また、宝暦治水乃碑が山県有朋の揮毫で彫られておりました。同じ時代に完成した琵琶湖疏水のトンネルの扁額も揮毫しています。同じ頃で、後世に残る場所に筆跡を無残しました。
2006年3月に大津市の鶏冠山に登りました。下山して来て、川に有るデ・レーケが指導して築造したオランダ堰堤を目にしました。その場所には胸像も有りました。そして、今日はさぼう遊学館でもデ・レーケの胸像を目にしました。改めてデ・レーケの功績が凄いと思いました。

感想
今回のバス旅行は中西先生に、現地で解説して貰えた生きた学習でした。単に話しを聞くのと、現地で話しを聞くのでは大きな違いが有ります。バスの中から輪中堤を教えて貰いました。今は無用の長物と云われがちな輪中提が役に立ったと言われ、ピンときました。
近代治水百年記念碑にヨハネス・デ・レーケと平田靭負を紹介していました。
宝暦治水と明治大改修は二人の功績です。改めて勉強する事が出来ました。


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