Kオジサンの気の向くまま

日々のあれこれ・・・・・思いつくまま

今朝の新聞広告

2017年05月31日 23時26分29秒 | 日記

今朝の新聞広告に踏切りを通過する電車が載っていました。
名鉄電車の全面広告です。
一目見て、何処の場所か、判りました。


各務原市鵜沼のにんじん畑の横を通過する電車です。
グーグルが示す位置です。
https://www.google.co.jp/maps/@35.4001916,136.9281953,18z?hl=ja


自分の町が新聞広告で取上げられた事。
それに、一目見て、何処の場所か判る事が凄いと思いました。

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家族はつらいよ 2

2017年05月29日 23時22分42秒 | 映画

家族はつらいよ2を見てきました。
周造が高齢となり、事故を起こしては大変と、運転免許し様を返納する・・・・・・。そんな事のゴタゴタ模様。
タマタマ、車を運転していて、出会ったのがガードマンをやっている丸田吟平。吟平は周造の高校の時の友人。その吟平を自宅に泊まらせたところ、朝、吟平が起きて来ない。
さてさて、・・・・ストーリが進んで行きます。



今日り午後、見に行こうかと、突然に言いだしカミさんと行って来ました。
そして、夜にBSにチャンネルを合わせたら「家族はつらいよ」をやっていました。見ようと思ってチャンネルを合わせたのでなく、タマタマ、チャンネルを合わせたらやっていました。
こちらの作品は富子が離婚したいと言い出した時のものでした。ドタバタな内容でしたが、終りまで見入ってしまいました。昼間、映画館で家族はつらいよ 2を観て来て、夜はテレビで家族はつらいよを見たのでした。
家族はつらいよの前に、東京家族を見た事が有ります。瀬戸内海の島が舞台でした。何だか、印象がゴチャゴチャになっています。
この作品。山田洋次が監督です。この作品は2作目ですが、「男はつらいよ」みたいに長く続いて行くのでしょうか。

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Kオジサンの家庭菜園日記  初物の収穫

2017年05月28日 23時17分28秒 | 家庭菜園日記

今シーズン、初めてのナスを収穫する事が出来ました。
2本。収穫できました。


ナスの苗に付いた状態です。



2本収穫できました。
カメラでなく、携帯で撮りました。それで、下が切れた状態でした。

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歴史街道を歩く会 5月例会  姫街道の気賀宿  その後は見付宿へ

2017年05月27日 23時28分11秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の5月例会に参加しました。今月はバスで出掛けて行くものでした。昨年11月例会で姫街道の嵩山(スセ)宿場跡から三ケ日宿にかけてたどりました。今回はその続きとなります。気賀宿を訪ねる前に気賀関所へ寄りました。おんな城主直虎の大河ドラマが放映中であり、大河ドラマ館に訪れる人が多く賑わっていました。
この後、姫街道の松並木を歩き、そして見付宿を訪ねました。
今日、辿ったコースです。
天浜線気賀駅 ― 気賀関所 ― 気賀宿 ― 細江神社 ― 細江公園展望台 ― 姫街道松並木
 ― 遠江国分寺跡 ― 見付宿 ― みつけ屋 ― 旧見付学校


天龍浜名湖線 気賀駅

バスの車窓から。
バスが気賀駅に着きました。
大河ドラマの影響で、飾り立てて有ります。




駅舎の中を通れます。無人駅です。
木製の改札口。
大河ドラマの影響でケバケバしく飾り立てて有りますが、コレがなかったら映画の撮影に使えそうな場所です。




気賀関所に向かって歩いて行きます。
ここの右手。
大河ドラマ館が有ります。


おんな城主直虎 大河ドラマ館

おんな城主直虎 大河ドラマ館です。

入館のチケットが600円でした。
続々と団体が来ていました。
私たちは、ここが目的ではないので、通過します。
誰かが言っていました。大河ドラマ館と言っても、テレビで使った衣裳とか、撮影シーンの写真が大半なのだそうです。歴史的な事の解説は、ほとんど無いと言っていました。
一時のことです。潮が満ちてくるようにワッと寄せ、潮が引くようにサッと引いていくのでしょう。
それにしても、500円なら・・・・。600円なら。100円の差と言うか。高い気もします。









バスのボディも直虎モードとなっています。
山の上の施設。
国民宿舎、奥浜名湖です。
後で、あの方向へ向かいます。

細江町は浜松市に合併して浜松市となりました。直虎も家康も浜松の中です。でも、直虎の舞台のところに家康が出てくる。商魂たくましいと言うか・・・・、家康が出てくるのは便乗ではないのと言う気がします。

大河ドラマで取上げて欲しい。そんな人物の街。大量に署名を集めてNHKへ持って行くのだそうです。そして、歴史上の人物の街。大々的に商業行為に走るのです。
もう、そんな時代は終わりにすべきでは無いかと思うのですが・・・・。


気賀関所

気賀関所へ来ました。
タマタマ、2人だけのシーンが撮れました。
この時以外は、何人も人が居まして、このような場面は撮れませんでした。




マネキン人形が有ります。
関所を通る人を吟味するシーンです。




横の建物。
姫様館。(ヒメサマヤカタ)浜松市気賀関所史料館に入りました。資料の字でなく史料の字が使って有ります。
この写真。
姫様道中の時のものです。母親が姫様役を努め、その娘も姫様役を行うと言う歴史の有る祭りとなっています。



こちらは錦絵です。
旅の資料として、壁に貼ってありました。
大井川でしょうか。川越えの図です。
姫様は籠ごと蓮台の上ですが、腰元は1人で川越人足に担がれて居ます。




田空直虎ショップから『出世法師直虎ちゃん』と家康くんが出てきました。
家康くんはもともと有ったキャラクターです。直虎に便乗しています。





関所の前で記念撮影に応じていました。


気賀関所は、通常時は有料なのです。でも、直虎の時だけは無料でした。この辺りにも商魂を感じます。



気賀宿へ

気賀宿に向かって歩きます。



気賀宿

獄門畷の石碑と説明板です。
戦(イクサ)だから仕方無いかもしれませんが、700人もの首を晒した。惨いことをしたのです。
家康の若かりし頃の所業です。こう言う陰の部分も知っておく必要があると思います。




本陣前公園に来ました。




知事選挙が有るのでして、選挙ポスターの掲示場となっています。




本陣前公園の表示の裏側です。
気賀宿の町並みが描かれています。


細江神社

細江神社まで歩いてきました。




境内には大楠が何本も有ります。
この細江神社。
2度の津波を乗り越えた奇蹟のご神体が祀られている、地震厄除けの神社だそうです。


細江公園 展望台

細江神社の後、民俗資料館へ向かいましたが、館内修理のため長期休館となっていました。
細江公園にバスで上がって着ました。
細江公園の展望台て゛す。
ここで昼食を取りました。
展望の良い場所で細江町、そして引佐細江が見下ろせました。



展望台から下界が見下ろせます。
下から列車の走る音が聞こえて来ました。
ガッタン、ガッタンと言う連続音です。
天浜線の列車が1両で走っていました。
線路が堤防のようになっていて、列車が良く見えました。



浜名湖方面の眺望です。
東名高速の浜名湖橋が見えます。
先程の堀川城跡はこの方角です。




展望台。
一番右の男性は地元の人です。
案内ボランティアをやっているとかで、色々と解説していました。
おんな城主直虎に関連して、案内をしていると話しているのが聞こえました。


姫街道 松並木

バスの車窓から。
松並木が見えてきました。




松並木の姫街道を歩きます。
この松並木。
姫街道の松並木と言われて居ます。
〇〇の松並木とかの松並木とは呼ばれていません。
この辺りの北に三方原が有ります。古戦場と成った場所です。ですから三方原の松並木と言う呼び方をすれば良いのにと思います。
もともとは、街道の両側に植えてあったそうですが、道路拡幅で片側だけになったのだそうです。





松並木と言っても、古そうな松に見えません。
古くても江戸末期。
そうでなかったら、明治期の松だと思います。




東大山一里塚。
バス停があり、女性がバスを待っていました。
説明文の中に旅行者と書かれています。歩いて旅をする人のための一里塚です。
旅行者よりも旅人と言う言葉の方が似合うと思うのですが、・・・・。
笠を被り、草鞋で旅をした時代でした。
役所の人が机上で捉える。アホな説明部分です。




姫街道の松並木。
説明プレートが下がっていました。


追分一里塚

バスの車窓から。
追分一里塚。
こちらの一里塚は、松が植えてあり、一里塚らしさの残る一里塚です。


遠江国分寺跡

磐田市役所の北側。
遠江国分寺跡へ来ました。




国分寺の説明看板です。





国分寺跡。
広い敷地です。
管理が大変ですが昨日、芝刈りをやったみたいです。


見付宿跡

見付宿の西木戸です。
宿場の反対側には東木戸が有るようです。





見付宿の中。
〇〇小路と言う、小路が何箇所か有ります。




宿場のポケットパーク的な場所。
宿場の見取り図有ります。




見取り図をアップで。
東の木戸。西の木戸。それぞれに十王堂跡が有ります。




見付宿の中を歩きます。
宿場を歩いていて、ここの様子が越後の塩沢宿に似ていると思いました。
ただ、塩沢宿には雁木が有りましたが、こちらは雪が降らないので、雁木は有りません。
宿場はどちらも同じような雰囲気になるのでしょうか。


みつけ屋

宿場の中。
旧見付学校に向かっていて、大判焼の店を見かけました。




ズラーと並んだ大判焼。




店の中に入りました。
カレーやキーマカレーが並んでいます。
私の住むところでは見かけないものです。




カレーの大判焼を注文しました。
おカミさんが袋に入れてくれます。
ソフトクリームが240円。カップ入りソフトは260円です。今日、ソフトクリームの値段は300円くらいになって来ている時代です。ですから、この値段は安いと思います。
この時は慌てての買物でした。後から思うのは豚塩やキーマも買ってくれば良かったと思います。
慌てていて、店内を見る余裕が無かったですが、夏にはカキ氷を売るのではないかと思えるような店でした。


旧見付学校

旧見付学校に来ました。





旧見付学校の入口です。





旧見付学校の内部です。

歴史街道を歩く会で、この場所に来ていたようです。
時間も迫っていて、館内を見学しませんでした。


感想
この歴史街道を歩く会で、昨年11月に豊橋の和田辻から三ケ日に掛けて、姫街道を歩きました。その後、龍潭寺にも寄りました。大河ドラマが始まる前の事です。
年が変わって大河ドラマが始まりました。井伊谷を舞台にした直虎を主人公にしています。それに家康が加わりましたが、便乗と言うか、商魂たくましいと言うか。コレを機会に一機に儲けなくてはと言うガメツさを感じました。
姫街道の松並木を少しだけ歩き、旅人気分に浸れました。見落としたのかも知れませんが、松並木を紹介する説明看板が有りませんでした。看板を設けPRして行けば好いのにと思います。




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歴史勉強会 ヒストリー各務野会  各務原と尾張藩 七代藩主徳川宗春を中心として

2017年05月26日 23時58分30秒 | ヒストリー各務野会

今日は尾張徳川家と各務原(徳川宗春)と言うタイトルとなっていました。変更して「各務原と尾張藩 七代藩主徳川宗春を中心として」となりました。
講師は各務原北洞町。高家寺住職の北川宥智さんです。




お話が始まったところです。
この会場となっている緑苑コミ二センター。鵜沼地区なのですが、鵜沼は尾張藩の領地でした。
と言うところから、鵜沼と尾張藩の関係です。
特に、鵜沼の南側。犬山が影響がありました。



講師が用意された今日の資料です。




通説では宗春が遊び人で派手好きのように描かれて居ますが・・・・・。
実は思慮深く、領民思いの殿様だったと話されました。





尾張藩の七代目です。
時代的に吉宗と同じ頃です。





おしまいに、ご自分の著作。
徳川宗春の本があると話されました。




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第12回 皐月展

2017年05月25日 23時35分43秒 | 絵画展・写真展等、各種展覧会

絵を教えて貰っています。その先生。仲間で展覧会が開かれています。一宮市浅井町。「もりのギャラリー」と言う場所です。もりのギャラリーと言う名なのですが、森さんと言う方がやっているギャラリーみたいです。
この辺り、森と言う苗字が多いようです。


案内ハガキの裏表です。




もりのギャラリー。
表側ですが、お2人。何か美術談義を話していました。
車庫を兼ねたところ。
美術展のポスターが一杯貼って有ります。
行った事のあるような展覧会のも有りました。




こちらはギャラリーの内部です。



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一宮友歩会 第69回例会 ウオーキングコースの下見

2017年05月20日 23時47分57秒 | 一宮友歩会下見

一宮友歩会の7月例会の下見に行って来ました。名鉄栄生駅から近鉄烏森駅までを歩きました。これは名古屋市の中村区を歩くと言うもので、7月1日が本番です。一宮友歩会の例会は偶数月に実施していますので、8月の開催となるのですが、8月は暑い時期でして7月の開催となっています。
中村区は秀吉や清正に縁の有る場所が点在します。そのような土地柄のところを下見してきました。


集合場所の名鉄栄生駅。
本番の時はここから少し、離れた栄生公園で出発式を行います。




新幹線のガードの下を歩いています。




寺社の指示標識が有ります。




白山神社。
散策コースの地図も付いています。




大円寺に来ました。




大円寺の境内に日々津城主の墓が有ります。




こちらは住居表示です。
今、居る場所がどの辺りか判ります。





下が水路と思えるコースを歩いています。




豊国神社へ来ました。




中村公園文化プラザです。
館内には秀吉清正記念館が有ります。




薬師堂まで歩いてきました。




前方から団体が歩いてきます。




中村区内を見学して歩いている団体でした。




旗に中村まち歩きマイスターと書いてあります・
中村区の案内人の人たちが案内しているのでした。




会長は、中村区の案内人でしたら、私たちもお世話になりたいと話し、連絡を貰うようにしました。
中村まち歩きマイスターの会。
http://www.nagoya-info.jp/view/volunteer/nakamura.html
下見をしていた、パッタリと出合いました。
偶然の事なのですが、こんな出会いが面白いです。



八幡神社へきました。




中村区の中ノ古い町並みを歩いています。

この後、近鉄烏森駅まで歩きました。

感想。
今回、7月1日の本番に備えての下見でした。
下見をしていて、本番には無いハプニングが有ります。
今回は、中村まち歩きマイスターの会の人達と、偶然出合いました。
今後、コースなどに着いて詰めていく事となると思います。
偶然の出会いから話が進んでいく。その事が面白いです。




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さわやか初夏のウオーキング

2017年05月16日 23時28分22秒 | 各種講座

各務原市教育委員会西ライフデザインセンターの講座で「さわやか初夏のウオーキング」と言うのが有りました。単発講座で1回限りのモノです。講師はNPO法人 ふれあいの森自然学校と言う団体でした。
さわやか初夏のウオーキングと名付けられていますが、その名のとおり、歩きながらの自然観察会でした。会場が、かさだ公園となっていました。講師はなかさんと言う人でしたでしたが、ラジオに出ていた事の有る人でした。会場に来て、初めて知ったのです。
自然観察会でしたが、古い渡し場跡への道が残っている事も知りました。私的には思わぬ発見でした。





さわやか初夏のウオーキングのパンフです。
さわやかウオーキングと言うと、JR東海が主催するイベントです。商標登録しているかも知れません。初夏のと言う言葉が入っていますので、大丈夫でしょう。
初夏の自然観察ウオーキングなどが良いのかも知れません。



開始前です。
幟旗を立てて、参加者の来場を待ちます。




NPO法人 ふれあいの森自然学校。
森の案内人、中山さん。なかさんです。
なかさんと言う名を聞いて、アレッと思いました。なかさんはラジオに出ていた人なのです。ラジオの番組の中で、パーソナリティーから自然に関する電話インタビューを受けていました。放送を聴いていて各務原の人だという認識は持っていました。
こうして、ご本人にお会いできました。
あの時、(何回か、耳にした事が有ります)ラジオに出演していた人で、アレアレと言う感じです。ラジオに出ていたなかさんから話が聞ける。光栄な事だと思いました。




渡されたされた資料です。
笠田広場をスタートして逆時計回りに歩き、戻ってきます。



今日の参加者です。
全部で13名が参加しました。ご夫婦アリ、親子アリです。
講師陣は上に記したなかさん。それになかさんに付いたアシスタント。おおのさんと宮部さんです。
なかさんが始めに話したのは、この辺りにキツネが生息しているという事です。資料で配られた地図には鬱蒼とした森が載っています。その場所にキツネが居ると言うのは自然が豊かだと思えました。




かさだ公園をスタートしました。




最初の説明です。
植物にアワが付いています。アワフキムシだと説明がありました。その時に袖に付いた虫。セミの仲間だそうです。





こちらはセンダンです。
丁度、花の時期を迎えていました。
各務原市の瞑想の森にセンダンの木が有ります。
センダンの花がこのような花とは知りませんでした。




空からヒバリが着地しました。
強引に引き伸ばしたのでボケて居ますが、ヒバリは判ります。
天高く空を飛ぶヒバリ。
ヒバリは太陽に金を貸して、ヒーイチブ、ヒーイチブと請求するのだそうです。





こちらはスイカズラの説明です。




スイカズラの花。
一日しか持たない花で、翌日にはクリーム色になってしまいます。





犬山の小島醸造で買って来た忍冬酒。空けずに棚に飾って有りました。
犬山へ見学で行った時に買って来たモノです。
忍冬がスイカズラだとは知りませんでした。1つ勉強になりました。



こちらはハゼの説明です。右がハゼの花です。
ハゼが蠟の原料だとは知っていましたが、この花が実となり、実から油を搾って蠟となるのを知りました。
このハゼは河川敷の荒れた場所にある木です。蠟の原料とするなら、ハゼの畑で栽培したのだと推測します。
飛騨古川に和蠟燭の店が有ります。
原料の調達はどうやっているのだろうと思ってしまいます。




東に向かって歩いています。
歩車分離で歩行者と自転車を区分しています。




ヒサウチソウ。
今日は名前を聞く事が出来ました。1つ勉強になりました。
ネットで調べると外来種の花で、久内清孝氏に記念して名付けられたとあります。

実は、この花。先日岐阜市柳津町の境川河川敷で見かけました。その時は外来の花だろう位の気持ちでした。境川で見た時、群生をし始めていました。恐らく、この花も何年かすると群生になってしまうのでしょう。




ウオーキングして来た道から森の中に入り、北へ向かいます。
両側が竹林となった道を歩きます。
密集した竹。なかさんはこの竹林を整備すれば、京都の竹林まで見に行く必要が無いと言っていました。
この道は愛知県道151号・岐阜県道114号一宮各務原線https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E9%81%93151%E5%8F%B7%E3%83%BB%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E9%81%93114%E5%8F%B7%E4%B8%80%E5%AE%AE%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E7%B7%9A#.E9.80.94.E4.B8.AD.E6.96.AD.E7.B5.B6.E5.8C.BA.E9.96.93で、松倉と下中屋の間の途中途絶区間でもあります。一宮各務原線と言うのは現在の呼び方です。各務原市が発足する前から有った道路です。以前は、県道一宮那加線と呼んでいたのでしょう。
子供の頃に見た道です。下中屋から木曽川に向かっている道と言う認識は有りました。
その道が消えてしまっていると思っていたのです。
今日、その道を歩きました。
チャンと道として残っていると思いました。



那加街道か三井街道と呼ぶべきか。
鬱蒼とした森の中から出てきました。
森の中から外へ出て来たので、この道が判りますが、この道が街道であった旨の表示が欲しいです。
ウオーキング道から北に折れたのですが、アノ場所から南に向かえば、木曽川に当たり、そして、渡船場跡です。



*松倉の渡し。

川島町の松倉側にはこのような説明板が設置されていました。
2015年11月5日に下記のイベントが開かれました。晩秋の川島を川風と共に歩こう    各務原市川島地区の旧跡めぐりに参加しました。
その時、この説明板を目にしました。木曽川の南側にこのような説明板が有るのですから、北側にも案内表示や説明板の設置を望みたいものです。
標識を設けるなど、保護していかないと、ここが渡船場だった事が埋もれてしまいます。対岸に渡跡が有るのでこちら側にも有ると良いと思います。

私見ですが、明治、大正の時代には那加方面の急速な発展に伴い・・・・。と書かれています。
高山線の那加駅が開業したのは大正9年です。それこそ駅前に何も無かった時代で、最初にできたのが餅屋と運送屋です。その後に八百屋や金物屋などと続いていきました。続々と那加駅前に商店が開業していきました。ですから本格的に那加駅前が形成したのは大正末期から昭和初期だと思います。
かつて、稲羽地区の人は「那加駅へ行って来る」と言いました。決して駅へ行って来るという意味でなく那加地区の商店街へ行って来るという意味でした。那加駅へ来れば布団屋も有り電気屋も有りました。それに映画館も。稲羽の人から見れば那加駅は繁華街に見えたのでしょう。
明治や大正期に発展したのでしょうが、加速度的に発展して行ったのが前述の大正から昭和だと思います。

松倉の渡しの地図。

16年12月3日に埋蔵文化センターが主催した、各務原市歴史セミナーに参加しました。その時のテーマは「川の向こうから眺めてみれば」でして、古墳を見学したりしました。この地図は、その時に資料として配布して貰ったものです。
明治24年で、2万分の1の縮尺です。
まだ、境川放水路が出来ていない時代です。竹ヤブの中を通って木曽川の渡船場へ出ていますが、今より西側を通っています。それに湾曲した道です。
明治の時代ですが、現在河跡湖公園となっているところを川が流れています。



こちらもその時に配布された資料ですが、時代は昭和7年で、江南市の市域地図です。
16000分の1.縮尺です。
渡し場への道がハッキリと描かれています。現在の形に近いものとなりました。
それに境川放水路が完成しています。


2枚の地図で時代の相違が有りますが、渡し場の跡を想像できます。公共交通機関が整備されてきましたが橋が無く、歩くのが唯一の交通手段の時代です。このような時代が川島大橋が出来るまで、続いたのでしょう。
このような状況からも文化財としての位置づけし、後世に伝えていく必要があると思います。






ムクの木の下へ来て、ムクの木の説明を受けています。
ムクの木の実を食べに来る鳥で、ムクドリと呼ばれるようになったそうです。




コレはヨナクサフジです。
宮部さんに教えて貰いました。




ほぼ、周回してきました。
この場所で座り込んで、なかさんの話を聞きました。




かさだ公園の駐車場へ戻って来ました。
コーンで囲った区画が有りました。
パッと見。何があるのか判りませんでした。





良く見ると判りました。
コチドリの卵です。
中央に卵が4個有ります。
私たちが卵を眺めている時、親鳥が近くに居ました。
こう言う時。親が自分の方に注意を引くためケガをしているように装う事が有るのだそうです。擬態と言っていました。
こんな場所に卵が有る。もし、観察に訪れるのでしたら、周囲にカラスが居ないかどうか、気に掛けて近づかなければと言われました。カラスに注意を払う事も必要ですが、ヘビに狙われないかと思いました。




コチドリの卵をカメラに収める人。
真ん中に卵が有ります。
鳥が成長するようにと思います。




感想
募集のパンフにはなかさんの名が出ていなかったので、なかさんの話が聞けるとは思っていませんでした。忍冬とスイカズラが結びつく。ハゼの花がこんなものだ等々。色々と知る事ができて面白かったです。
15年11月に松倉渡船場跡を見ました。その反対側。下中屋側にも何か、手を差し伸べてもらえたらと思いました。

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町内の側溝清掃。

2017年05月14日 23時34分37秒 | 町内会・地域の行事

私の町内では毎年、5月に側溝の清掃をする事になっています。
側溝の蓋をあげて、消防ホースで放水し、溝の泥をさらえます。
今日がその日でした。
町内、総出で取り組みます。普段、顔を合わせない人とも顔を合わせたりするというメリットも有ります。


蓋を開けて側溝にホースを入れています。




町内の中。
ホースを長くつないで行います。




こんなに沢山の汚泥が出ました。
この後、業者が回収していってくれました。


町内の恒例行事が1つ済みました。


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岳友 タンネの会 5月例会

2017年05月12日 23時19分10秒 | アウトドア

夜、岳友タンネの会。5月例会がありました。
山行報告会です。



金勝アルプスに行って来た報告です。



金勝アルプスに行った時の画像です。


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