ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「鉄道トンネル」

2017年09月26日 | 旅の豆知識
 旅行先では、鉄道に乗って、トンネルを潜ることが結構あると思いますが、車窓からの眺めはないものの、通過した後に新しい景色が展開すると感動したりしませんか?
 川端康成の名著『雪国』冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた...」の情景は、上越線の列車で清水トンネルを群馬県側から新潟県側へ抜けた時に、雪景色が展開した時のものだと言われ、名文章として知られています。
 このように、トンネルの暗闇から明所に出た時の光景は、とても心に残るものとなると思われます。最近は、鉄道ファンならずとも、トンネルに興味を持つ人が少なくないのでは....。トンネルの中にある地下駅が注目されたり、通過音に興味を持つ人がいたりします。
 それと共に、トンネルにまつわる悲劇も忘れてはならないと思います。東海道本線の丹那トンネル(静岡県)の開削は難工事で、15年余りの歳月と67名の犠牲者を出していますし、北陸本線の北陸トンネル(福井県)内で起きた列車火災では、30名の死者を出すという大惨事も起きました。
 旅をするときには、便利なトンネルではありますが、こういった歴史も考えながら列車で通過すると、また違った感じもするのではないでしょうか.....。

〇「鉄道トンネル」とは?
 鉄道を通すために、山腹や地下などを掘り貫いた通路のことで、隧道(ずいどう)とも呼ばれています。日本の鉄道トンネルの第1号は、東海道本線の大阪~神戸間に、明治時代前期の1871年(明治4)に完成した石屋川トンネル(延長61m)で、イギリスからのお雇い外国人の設計によるものでした。1880年(明治13)には、東海道本線の大津市内にあった逢坂山トンネル(延長665m)を日本人の独力により建設したのです。
その後、1884年(明治17)には、北陸本線の滋賀県と福井県の県境に柳ヶ瀬トンネル(延長1,320m)を完成させました。地形が急峻で、火山の多い国土で、軟弱地盤のある中で、トンネル技術の改良研究が発達していき、1903年(明治36)には、笹子トンネル(延長4,656m)、1931年(昭和6)には、清水トンネル(延長9,702m)、1934年(昭和9)には、丹那トンネル(延長7,804m)、1944年(昭和19)には、関門トンネル(延長3,614m)などが続々と掘削されました。
 また、太平洋戦争後になると、1962年(昭和37)に、北陸本線の北陸トンネル(延長13,870m)、1972年(昭和47)に、山陽新幹線の六甲トンネル(延長16,250m)、1980年(昭和55)に、上越新幹線の大清水トンネル(延長22,221m)などの長大トンネルが次々と建設されていきます。
 その頂点に立つのが1988年(昭和63)に開通した青函トンネル(延長53,850m)で、このトンネルは、鉄道トンネルとして世界第2位の長さ、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保っています。

☆日本の「鉄道トンネル」が実感できる所のお勧め

(1)青函トンネル(青森県・北海道)
 昭和時代後期の1988年(昭和63)3月13日に、JR北海道の海峡線の津軽今別駅 - 木古内駅間(青森県東津軽郡今別町~北海道上磯郡木古内町)に開通したトンネルです。総延長は53,850mあり、当時は、鉄道トンネルとして世界第1位の長さを持っていましたが、2016年(平成28)6月1日にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通しして、第2位となりました。しかし、海底トンネルとしては、世界一の長さと深さを保っています。1954年(昭和29)9月26日に、青函連絡船洞爺丸事故が発生し、青函トンネル建設計画が本格的に浮上、1961年(昭和36)に調査線に昇格、ボーリング、物理探査、深海観測などの調査が重ねられ、ました。掘削は1964年(昭和39)に北海道側で始まり、2年後には本州側も掘削を開始、1971年(昭和46年)に本工事に着手し、1985年(昭和60)に本坑が全貫通、1987年(昭和62)11月には、トンネルとして完成、翌年3月13日に海峡線として開通します。そして、2016年(平成28)3月26日に、北海道新幹線の新青森駅~新函館北斗駅間開業に伴い、北海道新幹線との共用が開始されました。また、「道の駅みんまや」(青森県東津軽郡外ヶ浜町)に、「青函トンネル記念館」(冬季休業)があり、青函トンネル竜飛斜坑線のケーブルカーで、海面下140mの「体験坑道駅」まで下りることができ、青函トンネルを体験できる貴重な施設となっています。尚、北海道側には、「福島町青函トンネル記念館」があって、青函トンネルに関する資料が展示され、トンネルミュージアムなどもあって、見学できます。

(2)新清水トンネル(新潟県)
 昭和時代後期の1967年(昭和42)9月29日に、国鉄(現在はJR東日本管理)の上越線湯檜曽駅 - 土樽駅間(群馬県利根郡みなかみ町~新潟県南魚沼郡湯沢町)に開通した下り線専用のトンネルです。総延長は、13,490mあり、1963年(昭和38)の着工から、3年ほどで完成し、トンネル内に湯檜曽駅・土合駅下りホームが設けられました。これにより、1931年(昭和6)9月1日に開通していた清水トンネル(単線)は、上り線専用となりましたが、川端康成著の『雪国』冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた...」の情景は、清水トンネルを群馬県側から新潟県側へ抜けた時のものだと言われ、新清水トンネルの方でないとその景色は見られなくなったのです。新清水トンネル中に土合駅(下りホーム)が設けられましたが、駅舎から24段の階段を上り、143mの連絡通路を歩き、462段の階段(長さ338m)を下らないと地下ホームへたどり着けなくなりました。しかし、トンネルの中の地下ホームを体験できる数少ない場所となっています。

(3)赤倉トンネル(新潟県)
 平成時代の1997年(平成9)に、北越急行ほくほく線のしんざ駅 - 魚沼丘陵駅間(新潟県十日町市~南魚沼市)に開通したトンネルです。笠置山を貫くトンネルで、総延長は10,472mあり、トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅が設けられました。美佐島駅のホームは、地上の駅舎から階段を下った、赤倉トンネル内の地下10.1mの位置に作られていて、トンネル内部の様子を体感できます。ただし、ホームと地下通路を隔てる扉は普段施錠されているため、駅利用者は快速列車等の通過時にホームに立ち入ることはできず、普通列車到着時しかホームに入れないものの、地下待合室で待機することは可能です。

(4)頸城トンネル(新潟県)
 昭和時代後期の1969年(昭和44)9月29日に、国鉄(現在はえちごトキめき鉄道日本海ひすいライン)の北陸本線能生駅 - 名立駅間(新潟県糸魚川市~上越市)に開通したトンネルです。総延長は、11,353m あり、2015年(平成27)の当該区間経営分離により、JRグループ以外の鉄道トンネルで日本最長となりました。この地域は、フォッサマグナの西縁部にあたり、非常に複雑な地質条件を有するため、地すべり災害の発生しやすいところで、北陸本線も度々被害に遭ってきたのです。そこで、線路を山側に移して、トンネル化することが計画され、その電化複線工事と相まって、1966年(昭和41)3月に着工されました。そして、3年余の工期を経て完成したのですが、途中の筒石駅は頚城トンネル内に作られたのです。現在でも、筒石駅は使われていて、改札から下りホームまでは290段(176m)、同じく上りホームまでは280段(212m)下りなければなりませんが、トンネル内の駅を体感することができました。

(5)北陸トンネル(福井県)
 昭和時代中期の1962年(昭和37)6月10日に、国鉄(現在はJR西日本管理)の北陸本線敦賀駅 - 南今庄駅間(福井県敦賀市~南条郡南越前町)に開通したトンネルです。総延長は13,870mあり、当時としては、上越線の清水トンネル(総延長9,702m)を抜いて、日本一の長さのトンネル(地下鉄を除く)でした。その後、1972年(昭和47)に山陽新幹線の六甲トンネル(総延長16,250m)が完成するまで日本一のトンネルでしたが、現在でも新幹線を除く在来線狭軌の鉄道トンネルとしては、日本一の長さ(地下鉄を除く)です。このトンネルは、当時の国鉄によって1952年(昭和27)頃から検討がはじめられ、1957年(昭和32)に着工しました。その後、5年ほどの工期を経て、開通にこぎつけたもので、その日には記念切手も出されました。また、このトンネルの掘削中に温泉が湧出し、敦賀トンネル温泉(北陸トンネル温泉)として利用されています。尚、1972年(昭和47)11月6日に、このトンネルを通過中であった急行「きたぐに」の食堂車で火災が発生し、30名の死者を出すという大惨事があり、その後、トンネル内の空調や安全対策の強化が図られることになりました。この事故については、北陸トンネル敦賀側坑口の左に慰霊碑が作られています。

(6)丹那トンネル(静岡県)
 昭和時代前期の1934年(昭和9年)12月1日に、国鉄(現在はJR東日本管理)の東海道本線の熱海駅 - 函南駅間(静岡県熱海市~田方郡函南町)に開通したトンネルです。総延長は、7,804mあり、当時としては、清水トンネル(単線)に次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長でした。当時の東海道本線は御殿場経由で、急勾配区間(1000分の25)があって輸送が大変だったので、その勾配を緩和(1000分の10)した短縮路として計画され、1918年(大正7)3月21日に工事に着工したのです。しかし、多量の高圧湧水、温泉余土、断層などのために難渋し、1920年(大正9)4月1日に熱海口工事現場で崩落事故が発生し、42名が巻き込まれて16名が死亡、また、1923年(大正12)2月10日には三島口で崩落事故が発生し16名が巻き込まれ全員が死亡、1930年(昭和5年)11月26日に発生した北伊豆地震でも崩壊事故があり5名が遭難、3名が犠牲になりました。それでも、15年余りの歳月をかけて、1933年(昭和8)6月19日にトンネルが完成、翌年12月1日に開通したのです。丹那トンネル工事の犠牲者全67名の殉職碑が、鉄道省によって熱海側の坑門の真上に建立されましたし、丹那神社としても祀られました。

☆日本の鉄道トンネルの長さベスト20(地下鉄線・未成線・実験線は除く)

1.青函トンネル(青森県・北海道)JR北海道新幹線[奥津軽いまべつ駅~湯の里知内(信)] 延長53,850m 1988年開通
2.八甲田トンネル(青森県)JR東北新幹線[七戸十和田駅~新青森駅] 延長26,455m 2010年開通
3.岩手一戸トンネル(岩手県)JR東北新幹線[いわて沼宮内駅~ 二戸駅] 延長25,808m 2002年開通
4.飯山トンネル(長野県・新潟県)JR北陸新幹線[飯山駅~上越妙高駅] 延長22,225m 2014年開通
5.大清水トンネル(群馬県・新潟県)JR上越新幹線[上毛高原駅~越後湯沢駅] 延長22,221m 1982年開通
6.新関門トンネル(山口県・福岡県)JR山陽新幹線[新下関駅~小倉駅] 延長18,7135m 1975年開通
7.六甲トンネル(兵庫県)JR山陽新幹線[新大阪駅~新神戸駅] 延長16,250m 1972年開通
8.榛名トンネル(群馬県)JR上越新幹線[高崎駅~上毛高原駅] 延長15,350m 1982年開通
9.五里ヶ峯トンネル(長野県)JR北陸新幹線[上田駅~長野駅] 延長15,175m 1997年開通
10.中山トンネル(群馬県)JR上越新幹線[高崎駅~上毛高原駅] 延長14,857m 1982年開通
11.北陸トンネル(福井県)JR北陸本線[敦賀駅~南今庄駅] 延長13,870m 1962年開通
12.新清水トンネル(新潟県)JR上越線(下り線)[水上駅~土樽駅] 延長13,490m 1967年開通
13.安芸トンネル(広島県)JR山陽新幹線[東広島駅~広島駅] 延長13,030m 1975年開通
14.筑紫トンネル(福岡県・佐賀県)JR九州新幹線[博多駅~新鳥栖駅] 延長11,935m 2011年開通
15.北九州トンネル(福岡県)JR山陽新幹線[小倉駅~博多駅] 延長11,717m 1975年開通
16.福島トンネル(福島県)JR東北新幹線[郡山駅~福島駅] 延長11,705m 1982年開通
17.頸城トンネル(新潟県)えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン[能生駅~名立駅] 延長11,353m 1969年開通
18.塩沢トンネル(新潟県)JR上越新幹線[越後湯沢駅~浦佐駅] 延長11,2175m 1982年開通
19.蔵王トンネル(福島県・宮城県)JR東北新幹線[福島駅~白石蔵王駅] 延長11,215m 1982年開通
20.赤倉トンネル(新潟県)北越急行ほくほく線[しんざ駅~魚沼丘陵駅] 延長10,472m 1997年開通


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