ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旧東海道の旅(1)

2006年12月30日 | 旅行
正月に愛知県の実家に帰省する折りに、旧東海道をたどって松尾芭蕉の足跡を訪ね、途中どこかの温泉に泊まっていこうと思い立った。そこで、帰省ラッシュを避けるために早朝5時に自宅を出て、戸田橋を越え、環八に出て、東名高速を目指した。早立ちしてのが幸いして、全く渋滞もなく、6時前には東名高速に乗れて、ホッとした。
 その後も、どんどん西へ向かって走っていったんだけど、ほとんど車の混雑もなく、静岡県へと入っていった。途中、富士山がとてもきれいで、駒門パーキングまで来たときには、朝日が当たって、紅富士状態になっていたので、車を駐めて、撮影したんだけど、とてもすばらしい光景だった。
 
 東名高速駒門パーキングエリアから見た紅富士

 その後、どこから下道に下りて、旧東海道をたどろうかと思案したんだけど、とりあえず、静岡市までは、高速を走ることにした。
 清水インターで下りてからは、静清バイパスを西に向かい、丸子まで行って、旧東海道をたどることにしたんだけど、「今昔東海道独案内」と「完全東海道五十三次ガイド」を携えては来ているものの、うまくたどれるかどうか...。
 まず、旧丸子宿に入っていくと、橋のたもとに、かやぶき屋根を見つけた。これが有名なとろろ汁の「丁字屋」で、安藤広重描くところの『東海道五十三次』丸子宿の図そのままの構図となっている。その前に、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にちなんだ碑と松尾芭蕉の句碑「梅わかな 丸子の宿の とろろ汁」がある。松尾芭蕉と言えば、『奥の細道』の旅があまりにも有名だが、生涯旅に明け暮れ、東海道も何度か通っていて、足跡を残しているのだ。
 しばし、弥次喜多と芭蕉の気分に浸ってから、旧東海道を西へ向かっていった。この辺りは、国道1号線と合わさっったり、離れたりしていて、走りにくい。宇津ノ谷峠を旧道で越え、岡部の宿へと入っていった。さらに西進を続け、藤枝宿を通過して、島田市街へと至った。
 ここに芭蕉は、1691年(元禄4)と1694年(元禄7)の2回立ち寄ったことがあるそうだが、それ以外にも『野ざらし紀行』の旅で、1684年(貞亨元)8月に通過している。そんなわけで、市内数カ所に芭蕉の句碑が建てられていて、それらを巡ると共に、国指定史跡になっている川越遺跡も見学した。
 その後、大井川橋を越えて、金谷宿へと入り、石畳道が復元されている金谷坂へたどり着いた。駐車場に車を駐めてから、この石畳を登り始めたんだけど、かなりの急勾配でしんどいものの、富士山も見えて、景色は良い。なんとか、上まで行って、芭蕉句碑「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけむり」をカメラに収めてから、戻ってきた。これは、『野ざらし紀行』の中に出てくる句だ。

 金谷坂から見た富士山

 その後は、自動車道で迂回しながら牧ノ原台地へと上り、「お茶の郷」で土産物を買ってから、久延寺へと向かおうとしたんだけど、道を間違え、台地を下ってしまったので、やむを得ず、そのまま日坂宿へと入る。
 それから、掛川へと到ったんだけど、掛川城は下から見るだけにして通過し、袋井市域へと向かった。
 ここに来て、法多山の看板を見つけ、急に立ち寄ってみたくなった。まだ、遠州三山は参詣したことがないので、巡ってみたくなったのだ。
 そこで、法多山に参拝し、門前の茶屋で昼食をすませ、油山寺、可睡斎と巡ったら、かなり時間を費やしてたしまった。そこで、今日の宿湯谷温泉へ直行することにして、旧東海道を離れた。
 どんどん走っていく内に、道を間違え、迷いながら奥浜名湖畔へ出たら、とても良い景色だったので、何枚も写真を撮った。
 撮影後は、国道257号線へ出て、炭焼田トンネルを越え、愛知県へと入っていった。その後、湯谷温泉へと至り、夕方5時前には「遊泉閣 蓬莱」へと入った。
 ここは、国道沿いにある木造二階建で、老夫婦が営んでいるようで、親切ていねいに応対してくれた。部屋に荷物を置くと、さっそく浴室へと向かうことにする。内湯だけで、沸かしてはいるものの、源泉掛け流しとなっていて心地よい。湯の花も舞っていて、湯を堪能しながら、旅の疲れを癒した。
 部屋に戻ると、しばらくして夕食が運ばれてきたが、しし鍋、イワナ塩焼、天ぷら、刺身、モズク酢、茶碗蒸しなどが並べられ、お酒も冷やで2合頼んで、飲みかつ食べて、酔い心地に...。食後は、横になって、テレビを見ながら、明日のコースを考えていたら、まどろんできたので、床に就いた。
続く


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