ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「油田」

2017年10月12日 | 旅の豆知識
 旅行先で、油田跡を目にしたことはないでしょうか。かつては、新潟県や秋田県などに多くの油田があり、盛んに採掘されていました。
 以前から、自動車や飛行機、気動車、原動機、発電用、家庭用などの燃料として、工業製品の原材料として多くの需要があり、太平洋戦争中は、海外からの輸入も制限されたので、国内生産にも重きを置かれました。しかし、戦後の高度経済成長期に、国内エネルギーの石油への転換がはかられ、大量に必要となると安価な海外産にも押され、国内の産出量も減少してしまいますが、現在でも細々と国内生産は続けられているのです。
 近年、閉鎖されてしまった産油施設(鉱場)を産業遺跡として保存しようとする動きもあり、かつての産油地には、「石油資料館」なども出来て、見学できるようになりました。中には、採掘用の櫓や機械が残されていたり、石油が出ている油井が見学できるところもあったりするので、機会があれば、立ち寄ってみることをお勧めします。

〇「油田」とは?
 地層の中で原油(一部はガス)が連続的に存在する部分を油層といい、油層が分布する地域を油田と呼んでいます。油田から石油やガスを採掘しているところを鉱場といいました。
 日本では、奈良時代に編纂された『日本書紀』の天智天皇7年(668年)7月に、「越の国、燃ゆる土、燃ゆる水とを献ず」と記されていますが、この地から自然に湧出した原油を献上したものと言われています。
 古来から、自然に湧出した原油は「臭水、草水(くそうず)」などと呼ばれて知られていました。しかし、国内の油田の本格的な利用は、明治時代以降のこととなり、新潟県の東山油田、西山油田、新津油田などの開発が先行します。大正時代になると、秋田県の黒川油田、豊川油田なども開発されますが、産油量日本一は、新津油田となりました。
 昭和時代になると、秋田県の八橋油田が開発され、日本最大の油田となりますが、北海道の石狩油田なども開発されたのです。
 太平洋戦争後は、海外から安い原油が入ってくるようになり、国内の産油量も減少して、国内需要の1%未満しか賄えないようになりました。それでも、現在も国内数ヶ所の油田で採掘が継続され、油田の探査も続けられています。

☆見学できる油田のお勧め

(1)豊川油田(秋田県潟上市)
 ここでは、江戸時代から明治時代にかけて天然アスファルト(土瀝青)が採取されて利用されてきた歴史がありました。その中で、明治時代前期の1882年(明治15)から石油開発の探査が進められ、1913年(大正2)に、油田の出油に成功したのです。翌年には出油井が5坑井となり、日産5.4klの原油を生産しましたが、多くの石油会社が参入してくるようになりました。しかし、1921年(大正10)には、ほとんど日本石油(株)で操業が行われるようになり、生産量は年間87,000klに達し、掘られた油井の数は718本と有数の油田地帯となります。その後は、生産量が減少していき、1933年(昭和8)には、年間生産量は約2万klとなり、最盛期の4分の1にまで落ち込み、1940年(昭和15)には、開発井の掘削が中止され、以降は採油作業のみとなりました。1942年(昭和17)から1955年(昭和30)までは帝国石油(株)によって油田操業が行われ、それ以降は、東北石油(株)によって操業が継続されます。2001年(平成13)には、原油の生産は中止されましたが、若干の天然ガスの生産は続けられていました。そんな中で、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」に認定され、2009年(平成21)5月10日の「地質の日」には、「日本の地質百選」にも選定されています。現在、ここを管理する「東北石油(株)」の事務所に隣接して、豊川油田の展示室が設けられました。ここには、当時の写真も展示され、わかりやすく解説されていますし、近くには採掘用の機械類も残されています。また、豊川油田跡すぐ近くの池が天然アスファルトの採掘場跡で、日本のアスファルト発祥の地とされていました。

(2)院内油田(秋田県にかほ市)
 昔の由利郡院内村の東には、字名を「臭津(くそうず)」という丘陵地帯があり、古くから石油の露頭があったことが知られていました。明治時代前期の1878年(明治11)に、日本政府に招聘され、各地域で鉱物の資源調査を行っていた地質学博士ベンジャミン・ライマンが、ここを調査して良好な油層を発見します。大正時代になって、1922年(大正11)に、大日本石油鉱業が上小国地区で試掘し、翌年には採油を開始しました。1925年(大正14)には、日本石油、旭石油などが相次いで油田の開発を行います。1931年(昭和6)に仁賀保に平沢製油所を建設し、1945年(昭和20)には、年産11万klに達し最盛期を向かえました。100基以上が稼働していた国内最大規模の油田でしたが、太平洋戦争後は、徐々に生産量が減少していき、1988年(昭和63)には秋田石油鉱業に経営権が移行し、1995年(平成7)に閉山となったのです。その後、2007年(平成19)11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定され、現在油田跡は、にかほ市によって、案内板が立てられ、「院内歴史の里」巡りのコースの一部となりました。原油を採取していたやぐら跡やポンピングパワー棟(院内油田の採油方式)が当時のまま残されていて見学出来、貴重な産業遺産となっています。

(3)黒川油田(新潟県胎内市)
 奈良時代に編纂された『日本書紀』の天智天皇7年(668年)7月に、「越の国、燃ゆる土、燃ゆる水とを献ず」と記されていますが、この地から自然に湧出した原油を献上したものと言われていて、「臭水油坪(くそうずあぶらつぼ)」(国史跡)と横たて穴の油井戸が当時のまま保存されており、日本最古の油田とされています。毎年7月には「燃水祭」を行い、天智天皇が祭られる 近江神宮(滋賀県)に採油したを献上しているとのことでした。明治時代になるとここでも原油の採掘が本格的に始まり、近代的で安全な油井戸の掘方を教えてくれる人を探していました。そんなおり、1873年(明治6)に、村松浜の豪商平野安之丞が、長崎にいたシンクルトンをつれてきて、採油法を指導したのです。シンクルトン井戸(明治の手掘井戸)が残されていますが、木枠をはめた安全な井戸の造り方を教授したもので、深さは10mほどあり、当時の木枠がくさらずに残っています。1891年(明治24)には、手掘りに替わって機械掘りが始まりました。昭和時代前期の1940年(昭和15)頃に最盛期を迎え、昭和30年代には、小学校の給食をつくる際の燃料にも使用されていたとのことです。しかし、1955年(昭和30)頃から産出量が減りだし、1980年(昭和55)頃に黒川油田は、生産を終えました。今も原油が出ていますが、量が少なく、精製するのに手間どることから採油する人はいません。このような経緯から、1996年(平成8)に「シンクルトン記念公園」(日本最古の油田跡公園)が建設され、その中に「シンクルトン記念館」がオープンしました。館内では、日本最古の石油史資料、採油資料が展示され、ハイビジョンで旧黒川村(胎内市)の歴史や文化、胎内の大自然を紹介しています。また、アラブ首長国連邦の子供たちから送られた絵なども展示されていました。公園内には、いくつかの油井戸が残り、タール状の原油が出ているのがわかります。

(4)新津油田(新潟県新潟市秋葉区)
 この地域には、昔から石油が地表ににじみ出しているところがあって、草水(くそうず)と呼ばれ、越後七不思議の一つにも数えられていました。江戸時代以前から、表層付近ににじみ出る原油の採取が行われていましたが、その採掘権は「草水稼人」に独占されていましたが、江戸時代後期の1804年(文化元)に、中野次郎左衛門(貫一の曾祖父)が草生水油採掘権を買い取り「草水稼人」となったのです。明治時代になると、1874年(明治7)に金津村の中野貫一は、借区開坑願を政府に提出し、翌年、認められて開坑し、石油精製の許可を申請して、この地方の原油の精製販売を始めました。最初は、手掘りの採油が長く行われてましたが、1893年(明治26)頃から上総掘りが成功し、採油深度も120~330mまでと深くなっていきます。1899年(明治32)には、日本石油が綱式機械掘りを熊沢鉱場で開始し、採油量は飛躍的に増大しました。その後、1902(明治35)年の日露戦争は、石油の需要を伸ばして、石油産業を発展させ、明治時代末期には、殖産興業の進展も相まって、消費量の増加により、中・小の採掘企業及び個人の採掘場が100前後に達し、採掘の機械化も進展します。そして、1917年(大正6)には、年産12万klを達成して、産油量日本一となり、全盛期を迎えました。しかし、その後は採油量が減少していき、1980年代には、組織的な採掘がほぼ終了し、1996年(平成8)3月には、最後の井戸の採掘が終了したのです。そこで、当時の新津市では実際に使われた石油の採掘・精製施設を産業文化遺産として、そして石油井戸により自然のままに保全されてきたみどり豊かな森林を環境保全林として後世の人々に伝えるために「石油文化遺産施設」として整備することになりました。石油王として隆盛を極めた「中野邸記念館」(中野家の屋敷跡)を中心に、機械掘り3号井をはじめとする石油井戸が25基、全国でも珍しいポンピングパワ-(シ-ソ-の原理を使って石油を汲み上げる施設)、水切りタンク・加熱炉などの石油精製・備蓄施設を保存し、「石油の世界館」「古代館」をつくって、「石油の里公園」としたのです。「石油の世界館」の石油資料展示室では、模型やパネルを使って、石油の歴史や採掘の技術などをわかりやすく展示し、建物中央では、新津の石油採掘に大きく貢献した、上総掘り油井の3分の2の模型をみることが出来ます。また、「古代館」は、石油の生成された同時代に生息していた恐竜をモチーフした休憩ホールとなりました。尚、2007年(平成19)5月に、日本の地質百選に選定そされ、同年11月30日には、経済産業省から「近代化産業遺産」にも認定されています。

(5)尼瀬油田(新潟県三島郡出雲崎町)
 日本海に面する尼瀬海岸には、古くから油が漂着する事例が見られたことから、石油の存在が確認されていました。「尼瀬町絵図」には、草水潤(くそおずのま)という地名も記されています。明治時代になり、1891年(明治24)に、石坂周造らによって日本で初めて機械による掘削が成功したことから、この地が“石油産業発祥の地”とされました。その後、海面を埋め立て、世界初の海底油田として操業を行う油田も出現するなど発展し、最盛期は、1889年(明治22)~1899年(明治31)の10年間で、20世紀初頭の日本の石油資源を支える油田の一つとなったのです。しかし、太平洋戦争前後から採掘量が激減し、1951年(昭和26)には日産44L、1985年(昭和60)には日産9Lとなり、採掘は終了しました。この地は、1966年(昭和41)に、「石油産業発祥地記念公園」として整備が進められ、翌年には、「石油記念館」も開館されたのです。現在は、隣接地に「道の駅越後出雲崎天領の里」がつくられ、2005年(平成17)4月1日に「天領出雲崎時代館」に併設した「出雲崎石油記念館」としてリニューアルオープンしました。館内には、古代石油発見期から近代ロータリー式掘削法にいたる推移、石油精製品や行程、石油化学製品のできるまでの工程、灯具、各種国内油田の地層、原油等が展示され、映像・音声・アクションによって、理解できるような展示になっています。公園内には、近代化産業遺産に認定されている“綱堀式石油井戸C-2号”があり、これは廃坑作業後に、1987年(昭和62)に施設保存のために、同じ場所で地下部を密閉し、井戸芯を9m残した状態で櫓とポンピングパワーを復元したものでした。

(6)相良油田(静岡県牧之原市)
 明治時代前期の1872年(明治5)2月に、海老江の谷間で油くさい水が出ることと聞いた元徳川藩士の村上正局によって発見されたことに始まります。翌年に菅ヶ谷新田、時ヶ谷、大知ヶ谷の3ヵ所に鉱区を取得し、手堀り掘削を開始しました。1874年(明治7)には、米国から蒸気機関による「綱堀り機」を購入し、日本初の機械掘りの油井が始まります。1881年(明治14)12月には、石坂周造が相良油田会社を設立しました。1884年(明治17)頃の最盛期には、約600人が働き、年間721klが産出されていましたが、色が琥珀色で、極めて良質の石油として有名だったとのことです。また、手堀りも継続して行われ、1916年(大正5)年頃には手堀井が150坑を数えました。しかし、大正時代以降は、産油量が減少し、太平洋戦争後は衰退して、次々と井戸は取り壊され、1955年(昭和30)年に完全廃坑となります。その後、1980年(昭和55)11月28日には静岡県指定文化財(天然記念物)となり、今では「油田の里公園」として周辺が整備され、園内に「相良油田資料館」が開館しました。館内では、相良油田の歴史を知ることができ、明治時代の手堀りの様子を人形で再現し、機械堀りの様子や菅山(すげやま)地域の状況などをも再現しています。また、産業技術遺産としての相良油田の文化や先人の知恵と汗による偉業を知ることが出来る資料等が展示解説されました。公園内には、1950年(昭和25)に開坑した機械堀井戸(相良油田最後の石油坑)の1つが保存され、手掘井戸の小屋など珍しい施設も再現されています。尚、2007年(平成19)11月30日には、近代石油産業発祥の地として、経済産業省の「近代産業遺産」に認定されました。

☆日本の主要な油田一覧

<北海道>
・茨戸油田(北海道) 1956年発見 1958年生産開始 1971年生産終了
・釧路油田(北海道) 調査中 (JX石油開発)
・勇払油ガス田(北海道) 1989年発見 1994年生産開始 【稼働中】

<東北>
・豊川油田(秋田県) 1913年発見 1913年生産開始 2001年生産終了
・鮎川油ガス田(秋田県) 1989年発見 1995年生産開始 【稼働中】
・由利原油ガス田(秋田県) 1976年発見 1984年生産開始 【稼働中】
・申川油田(秋田県) 1958年発見 1959年生産開始 【稼働中】
・八橋油田(秋田県) 【稼働中】
・院内油田(秋田県) 1878年発見 1923年生産開始 1995年生産終了
・余目油田(山形県) 1960年発見 1960年生産開始 【稼働中】

<中部>
・黒川油田(新潟県) 1980年頃生産終了
・尼瀬油田(新潟県) 1891年生産開始 1980年代生産終了
・大面油田(新潟県) 1916年生産開始 1963年生産終了
・新津油田(新潟県) 1874年生産開始 1996年生産終了
・岩船沖油田(新潟県) 1983年発見 1990年生産開始 【稼働中】
・東新潟油ガス田(新潟県) 1959年発見 1959年生産開始 【稼働中】
・阿賀沖油ガス田(新潟県) 1972年発見 1976年生産開始 1998年生産終了
・田麦山油田(新潟県) 1957年発見 1958年生産開始 生産終了
・南桑山油田(新潟県) 2004年から試験生産
・南長岡油ガス田(新潟県) 1979年発見 1984年生産開始 【稼働中】
・浅川油田(長野県) 1973年生産終了
・相良油田(静岡県) 1873年発見 1874年生産開始 1955年生産終了