寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

土屋淳一君が逝ってしまいました

2019年01月30日 16時58分58秒 | 日記・エッセイ・コラム

 土屋淳一君の逝去情報が同窓会報に掲載されていました。彼と初めて知り合ったのは、

大学入学して直ぐのことでした。卓球部の募集を見て部室へ行くと彼が来ていて二人一

緒に入部しました。 当時の卓球部には日本代表になった荻村氏とか角田氏が在籍して

いました。一年生の夏休み前までは、二人で夢中になって練習をしました。そのお陰で

私は関東地区大会に参加することができました。当然1回戦で負けてしまいましたが、

楽しかったですね。

 秋になって彼はワンダーフォーゲル部に入って山に行くようになり、山って素晴らし

いぞと言いながら浅間山へ行こうと誘ってくれました。先輩の係累の方の別荘が照月湖

の畔にあり、そこに宿泊させてもらいました。グループは、女性5人、男子学生4人の9名

でした。夜はトランプゲームに興じましたね。あの頃の軽井沢周辺はまだ未開発の地域

で家はほとんどありませんでした。鬼押し出しも原風景のままで大きな溶岩が広い範囲

に広がっていましたね。
 
 浅間山は、小諸で列車を降りて浅間館までバスで行き、そこから歩いて火山館経由で

頂上へ向かいます。頂上は大きな火山噴火口がくちをあけていて噴煙が出ていました。

山の東側の道を通って下山しましたが、途中血の池という赤い?色(鉄さび色の水たまりのよ

うな小さな池がありましたね。

 これは多分鉄の酸化物を含んだ水だったのでしょう。もう少し下ると、道の中央部に草の生え  

ていないところがありました。その上で新聞紙に火を付けてん地上に下げると突如火が消えて 

しまいました。ここは狸の墓場?といわれており、地中から何か例えば窒素ガスとか二酸化炭    

素ガスのような不燃性の気体が出ているものと思いました。

 地図も昔と今では変わっていて位置情報を正確に知ることができませんでしたが、この山行

や数多くの山行を通していろんな話をしたことを思い出しました。

 また、私が精神的に不安定になったときも大変力になってもらいました。いろいろありがと

うございました。ご冥福をお祈りします。


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