monologue
夜明けに向けて
 



島原藩はキリシタン大名と呼ばれた旧主有馬晴信(ドン・ジュアン・プロタジオ)時代には日本カトリックの一大中心地であったが、キリスト教禁止令が出された1613年時点には島原藩は有馬晴信からその子直純が家督を継いで藩主となっていた。その有馬直純はキリスト教禁止令が出されるとただちに棄教して領民にもキリスト教の放棄を迫り棄教を拒んだ三人の重臣とその家族を火あぶりにかける。
西暦1637年寛永十四年十月二十五日ごろ、島原南部の有馬地方で妊婦を殺した代官を農民が殺害したことを契機として領民の一斉蜂起が起こった。つぎつぎに寺社を焼き、二十七日には城下に放火して島原城を襲い、天草藩(現在の熊本県天草郡を領有した藩)でも十月二十七日ごろから益田四郎の出身地大矢野島を中心に蜂起し、応援の島原勢と合流した。それで一揆は全藩域に拡大したのである。
fumio

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