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吉嶺史晴のブログ
リコーダー奏者吉嶺史晴のブログです。演奏活動ならびに鹿児島市で音楽教室を運営しています。
日々、練習あるのみ
2023-01-26
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日常雑記
日々、練習あるのみということで今日はスコアリーでイングの練習です。
バッハのフーガの技法(ハ音記号が3つ、ヘ音記号がひとつ)をその場でピアノ用に頭の中で直しながら弾く練習です。
調子が良い時にはそのまま移調演奏の練習もやっています。
2018年
2023-01-26
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日常雑記
2018年にフラダースリコーダーカルテット日本公演があった際の写真が出てきました。
今日は副科リコーダーレッスン
2023-01-26
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日常雑記
今日は副科リコーダーレッスンでした。
学生諸君の上達ぶりめざましいです!
鹿児島国際大学音楽学科ではリコーダーを主科の楽器として専攻することが出来ます。
2018年の秋の文章 ブリュッヘンとペトリを足して2で割ったような奏者
2023-01-21
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日常雑記
4年前に書いた文章が出てきました。
リコーダーを学び始めた頃のことについて書きました。
::::::::::::::::::::::::::
鹿児島の高校を出て東京で暮らし始めた頃からずっと、ブリュッヘンとペトリを足して2で割ったようなリコーダー奏者になりたいと思っていた。
ブリュッヘンはピリオド楽器(当時はオリジナル楽器と呼ばれていた)を使いこなせるリコーダー奏者、そしてペトリはモダンなスタイルでの奏者。
どちらも当時のリコーダー演奏の世界としては全く違う方向を向いていて、でもそれなりのやりかたで絶大な人気があった。
今、思うとなんだか若気の至りというか、思慮のなさ、というか分別のなさばかりが思い出されるけれど、僕は本気でブリュッヘンとペトリの良いとこどりをしたような奏者になりたかった。
東京へ出てすぐに「自分はレッスンを受けなければならない」と思った。なにしろそれまで一度も正式なリコーダーのレッスンを受けたことがなかったのだ。
大竹尚之先生の門を叩いた。僕はまだ18歳か19かそのくらいだった。
最初、伺った時のことを覚えている。
大竹先生は「君がどのくらい吹けるのかみてみましょう」とおっしゃって二重奏をしてくださった。
ものすごく緊張した。
短い曲を1曲か2曲吹いた後、先生は確か、僕に替え指のこととか、硬いタンギングを柔らかいタンギングを区別することなどをおっしゃったと思う。クヴァンツの「フルート奏法試論」を読むこととか、ブリュッヘンの5つのエチュードを練習しておくことなど、そんなことも言ってくださったかと思う。
今思うと恥ずかしいけれど僕はそれらのいずれのことも全く知らなかったのだ。
リコーダー奏法の基本の基本も知らないくせに録音でブリュッヘンとペトリは知っていたから耳は肥えてしまっていた。指はよく動いていたのだけれども。ただそれだけの中身のない若者だった。
大学はつまらなかった。東京に出たら同じ世代の若者同士で音楽談義ができるだろうと期待していたが、どうもそのような雰囲気ではなかった。
まわりは女子学生だらけでまるでお花畑のなかにいるようだった。
先生方は今、思うと立派な方々だった。ピアノ、声楽、音楽学、音楽理論・作曲関連科目など日本を代表するようなトップクラスの教授陣だったにもかかわらず、僕は大学に興味を失ってしまった。
先生方から見ると多分、僕は無気力な学生に見えたはずだ。
授業にはあまり出なかったが大学にある練習室にはよく行った。
とにかくリコーダーの練習だけはよくやった。
大学の寮に住んでいたのでそこにあった大きな会議室みたいなところで夜中から朝まで練習したりしていた。
卒業するまでに5年半かかった。
リコーダーのレッスンも終わろうとしていた。
大竹先生から「もうこの辺でいいんじゃないの。よくやったから。後は自分でやるだけ」のような言葉をいただいた記憶。
大竹先生に習うことの出来た時期はそのあたりまでだった。
大学を卒業して鹿児島に帰ろうとは思わなかった。
もっと音楽を勉強したかった。もっと良い演奏できるようになりたかった。
東京でアルバイトしながら暮らすうちにもう20代が終わろうとしていた。
ある時、ベルギー政府給費留学生の募集を知った。
なんとか書類を準備して申し込んだら選考に合格した。
そしてベルギーに渡った。1992年の頃だった。
FRQとの出会いがあった。FRQを続けながらも細々と彼の地でソリストとしての活動もやっていた。
とにかくヨーロッパに居なければいけない、と思っていた。
英語とオランダ語がなんとか使える程度にはなっていたのであちこちの音楽学校に就職活動のために自分を売り込む書類を送ってみたがダメだった。
FRQのバルトが僕をベルギーに居させるためにいくつか音楽学校に口利きをしてくれたけれどもそれもダメだった。
多分、それが僕の力量の限界だったのだろうと思う。
日本に帰ってきたのは2001年。今は2018年だからもうずいぶんと長い時間がたってしまった。
今の僕にはブリュッヘンやペトリみたいに成りたいという気持ちはない。
というよりもそれは無理だ、ということがわかる。
これから独奏者として国際的な演奏活動を展開するのは難しいだろう。年齢のこととか。いろいろ。
技術的にもまだ課題がある。
リコーダーという楽器の特性として強弱とピッチが連動してしまう、という問題がある。
いまだに僕はこの問題を解決できていない。
強く吹くとピッチが上がってしまうし、弱く吹くと下がってしまう。
多分、僕はこの問題を解決できないまま歳をとって死ぬだろう。
でもそれでも良いのでは。
速く吹くとか、そういうことではなく、ゆっくりした音の並びを本当に自分自身のやりたいダイナミクスとアーティキュレーションで出来るようになること。
少し前までは、そういうこと思わなかったので、もしかしたらこの点は進歩しているのかもしれないけれど。
ブリュッヘンとかペトリみたいにはなれない。
逆立ちしてもああいう風にはなれない。
ましてや足して2で割るなんてそんな失礼なことってそうそうない。
でもああいう風ではなくとも何かもっと別の在り方があっても良いのかもしれない。
それを言葉で表現するのは難しいけれども、音だったら表現できるかもしれない。
鹿児島地方、少しずつ秋らしくなって来た。
FRQの公演、少しずつ近くなって来た。
今日は
2023-01-20
|
日常雑記
今日は大学で副科リコーダーレッスンでした。
学生諸君の進歩に目を見張りました!
明日は教室で生徒さん方とのレッスン。
5月に発表会予定しています。楽しみです!
日曜日は東京に行ってまいります。
武蔵野スイングホールで開催される守安功さん、雅子さん、そしてゲストの方々のコンサートを聴きに行ってまいります。
14時と18時の2回公演です。14時の部はもう完売のようです。18時のほうはまだほんの少しだけ席があるようです。
アイリッシュの音楽やバロックの音楽、歌やダンス、楽しみです!
巡り合わせがあってもなくても
2023-01-20
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思うこと
それぞれの作曲作品は、曲によって不思議な巡り合わせを体験するものがある。
自分自身で初演してから自分でもその曲のことを忘れてしまっていて、ある時、ひょんなことで演奏の機会がもらえる曲。
委嘱してくださったアンサンブルが初演を終えて、15年たってから突然、異国の出版社から出版の話が来て世に出た曲。
それらはいずれも僕にとっては必ずしも自分自身の最良のものではない。
でもそういうことはもう良い、と思う。
巡り合わせの現場に居合わせるのは慣れないうちは新鮮で面白い体験だけれども、やっぱり僕自身はまだまだ現役の作り手として、そして演奏者としてやってゆきたいから、巡り合わせはそれはもう良いのだ。
耳あたりがよくてなんだか興味を引きそうな巡り合わせ(曲にまつわる逸話みたいなもの)があろうが、なかろうが、演奏する際にはそんなことはあんまり関係ない。
そして多分、一番大切なことは・・・
巡り合わせは起こそうと思って起きるようなものではないということだ。
:::::::::::::::::::::::
今、ある曲をちゃんと演奏できるようになりたいと心の底から思う。
自分が過去、書いた曲だけれども、必ずしも最良の曲ではない。
でも、それはもう良い。
最良なのか、最良でないのか、そういうことはもう良い。
問題は、その曲が、その曲を構成する音が空気の振動になってその場の空間に放たれる際に、ちゃんとした音楽として鳴り響くのか、どうか、というその一点だ。
::::::::::::::::::::::::::
楽譜にだまされないこと
自分の出す音にだまされないこと
作曲者だからその曲のことを一番よく知っているなんてそんなのは通用しないのだ
多少その曲について何か知っていたとしても、ちゃんとした演奏できるのか、どうか、ということとは関係ない
ましてやその曲の巡り合わせのようなことは実際にその場でその曲を聴いてくれる方々には何の関係もないことだろうと思う。
天から降ってきた曲と頭で作った曲
2023-01-20
|
思うこと
天から降ってきた曲のほうが出来が良いのは仕方ない。
頭で作った曲のほうが出来が悪いのはそれも仕方ない。
問題は頭で作った曲だ。
これをどんな風にしてまるで天から降って来た曲のように聴かせられるのか、どうか、そういうところにも演奏者が演奏者たる由を発揮させられる余地が残されているのではないだろうか。
いろいろなものを読んだり、聞いたりすると、やっぱり大多数の方々は天から降って来たものをより良いものと判断されているらしい。
それはそうなのだろうと思う。
でも、ある作り手がある曲を作った際には、彼自身の閃きの乏しさと真正面に向かい合いながら必死で机の前で音符をこねくりまわした時間の重みがないとは言えない。
そこには天から降ってきた閃きの量が絶対的に足りていないから、そういう曲には絶対にかなわないにしても。
でもそれはもうそれで良いのではないだろうか。
生まれの良い人はそれなりの人生を送るだろう。
生まれの良い曲はやはりそれなりの道をたどるだろう。
でも生まれの良くないかもしれない、そんな曲であっても、たとえそうであったとしても、その曲が存在してはいけない理由はない。
なんだか自己弁護みたいになってしまって申し訳ない。
とにかくちょとずつでも良いから前進したい。
えんやこらよ~~~っと!!!えらいやっちゃえらいやっちゃ、よいよいよいよい~~~!
オールドスタイル (合奏リコーダーの時間に学生諸君の前で演奏してみた後に思うこと)
2023-01-20
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思うこと
リコーダー演奏に関して、僕には僕なりのささやかな「オールドスタイル」の定義がある。
作曲されたものが楽譜に書いてあり、それを演奏者が目の前にある楽譜として読みながら演奏するというものだ。
ほとんどの場合は楽譜を使うことが多いけれども、暗譜している曲については楽譜は使わない。ただそれだけなのだ。
今日は勤務先の大学の合奏(リコーダー)の授業のなかで学生諸君の前で、楽譜を前にしながら、ある曲を演奏してみた、そのことに関連して楽譜を読みながら演奏する、ということについて考えてみた。
自分が立っている場所を明らかにしたいと、おりにふれて思う。忘れないうちにメモとして書いておきたい。
:::::::::::::::::::::::
大昔、楽譜がなかった頃には皆、伝承や即興で演奏していただろう。
ある時期に紙やペンが発明されて楽譜というものが出来た。
音楽の在り方はそこで劇的に変わった。
今、僕が僕なりの「オールドスタイル」と呼んでいるのは楽譜が出来た後のスタイルのことを指しているから、仮にそれが西暦1000年頃だとすると、ただがた1000年ほどの歴史しかない。
人間は数万年規模の昔から居たわけなので、それからするとあまり「オールド」とも言えない。
でも、とりあえずもう、この在り方を中心に自分自身を訓練して来てしまったので、とりあえずこの在り方はこの在り方で進めてゆきたい。
よく言われるのは楽譜の功罪である。楽譜があると、それに頼り過ぎてしまい、奏者自身が音楽を身につけるのに妨げになるのでは、というものだろう。
それは否定できない。
しかし、楽譜があることによってその場で実際にその空間に出来上がる音楽の強度が低くなってしまうのは、楽譜のせいではなく、演奏者の責任だと考えてみる。
すると、楽譜だってまんざらじゃない。むしろ功罪よりも、メリットのほうがはるかに多い。
紙とペンがあったからこそ西洋音楽の輝かしい歴史が存在しているとも言えるわけで。
しかし、実際、演奏あるいは音楽の在り方については、やはりいろいろなところで「楽譜の功罪」というものを論じられる。
これは今に始まったことではないだろうと思う。
でも当事者のひとりとして言えるのは、楽譜を見ながら演奏しているからダメ、とか暗譜でやってるから良い、とか、そんな簡単な問題ではないということ。
::::::::::::::::::::::::::::::
僕自身はなるべく客観的な立場に居たいとは願うけれど、実際にはそれは無理だ。
なぜならばその時のやむを得ない事情でどうしても楽譜が必要な演奏もあるし、時にはそうでない場合もある、ただそれだけのことなのだが、ことそれぞれの立場が絡んでくると、こんなささやかな問題ひとつがなんだか重大事みたいに取り扱われるのもちょっと、、、と感じる。
楽譜が必要な時には楽譜を使うし、そうでない時には使わない、ただそれだけのことであるはず。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
今言えることがひとつだけある。
楽譜を見ながらやることの危険性。それも、致命的になり得るほどの危険性。
演奏者自身が「だまされる」ということ。
つまり、とりあえずそれらしい音が出ているので、「自分は演奏している」と自分自身を誤解してしまうのだ。
彼がその時、空間に放っているのは、ただ楽譜に書いてある音符を羅列しただけの無意味なものとなる。
初演
2023-01-19
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音楽制作覚書
初演は恐ろしい。
初演の後、それ以降、演奏されなくなってしまうのはこの世界では珍しくない。
それを覚悟で曲を作っているというと、カッコいいかもしれないけれど、でもそれは恐ろしい。
こわがっているわけなので、それは全然カッコよくない。
というか、これしきの事をこわがる、などというのは男の風上にもおけない、と言われても仕方がないのかもしれないのである。
まことに情けないと言われても仕方がないのかもしれないのであるぞよ。
でも、もう、それは仕方ないのである。
そういう恐ろしさとか、そういうなにかを突き抜けて、それでも書きたい何かがあるのか、ないのかそこが問題なのである。
こと作曲のことに関してはどうにもこうにも青臭くなってしまうのが自分でも何だかなあと思う。
でもそれも良いことにするのである。
えんやこらっと気合を入れて前進あるのみ!
えらいやっちゃえらいやっちゃ、よいよいよいよい~
「どんぶらこっこ」(仮題)作曲メモ
2023-01-19
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音楽制作覚書
作曲・編曲について、理論は教わることが出来るけれども、自分の勝ちパターンみたいなものは自分で見つけるしかない。
今までのなかで出来た勝ちパターンのひとつは電子ピアノのふたを机の替わりにして楽譜を書くというやりかたなのだ。
ここまで到達できたら後はその勢いでだいたい最後までたどり着けることを発見した。
今取り掛かっているのは2分45秒くらいの歌の曲。
歌とリコーダーが交互に出てくるので、普通のリコーダー奏者の方々には吹いてもらえる機会があまりないかもしれないのだけれども、もう自分でやる分には何でもあり、なのでこれで良いのだ。
歌の専門の人みたいな声も出ないけれども、それも良いことにする。
日本的な五音音階と、チャーリーパーカーみたいなジャズらしいフレーズが混じってしまったけれども、それでも良いことにしよう。
多くの方々の記憶に残るような作品にはならないかもしれないけれど、それも良いことにするのだ。
こんなことやっていると自分自身が古風なリコーダー奏者の在り方からだんだん離れてしまって行っているように感じる。
でもそれも仕方ないことにするのだ。
古風って何だろう?
何が何でも古ければ良いのだろうか。。。だからといって表面的に新しいだけの装いや、古く見えそうなものを持たせただけのものは一発で見破られるだろう。
表面的に「古風」な装いをしていても、肝心かなめの音楽的な表現それ自体がなければ、やっぱりそれは面白くないのだ。
だから多分、「古風」であるということは手段であっても、目的それ自体ではあり得ない。
ここでもいつものアイディアに戻ってしまいそうだけれども、多分ヒントは、「新しいんだか、古いんだか簡単に見破れられないような仕掛けを施しておくこと」
「仕掛けを施す」なんて書くとなんだか、すごく人為的な技を凝らしているように響いてしまいそうだ。
だけど、作曲なんて言う行為そのものは、単なる閃きだけで出来るわけでもなく、そこにはその作品をその作品たらしめる強度が必要だ。
そのための理論だ。
結果的に「天衣無縫」に聴こえること。
でもその途中ではとてもじゃないけれど、聴き手の皆さんにお見せできるようなカッコいいものとは程遠い。
その過程で必要なのはやっぱり自分自身の勝ちパターンを作り上げること。
これは誰からも教わることが出来ないので、自分自身で見つけるしかない。
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