高校一年生の終わりころ、始めた楽器がスチールギターでした。
聞きまくった音楽はハワイアンです。
ここ数年遅ればせながらジャズにはまっております。
そのきっかけを作ってくれたのが、写真の鈴川先生です。
Gibson-175 を使用しております。
数年前ギター片手に我が家においでくださいました。
コーヒーをすすりながらジャズ、ハワイアン界の昔話に花を咲かせておりました。
あまりにハワイアン界の事情に詳しいので尋ねますと、もうびっくり!
お姉さんは ハワイアンシンガー 浜れいこ さんだったのです。
銀座タクトで ポス宮崎&コニーアイランダース をバックに歌ったのを幾度か聞いたことがありました。
幾人ものシンガーを聞いた中でダントツでした。
当時、僕は 浜れいこ さんのフアンでした。
そして 大久保英明&ヒロハワイアンズ の 尾崎紀世彦 さんのフアンでもありました。
先生の携帯電話の着信音が流れ始めました。
一瞬びびりました。 「海ゆかば」 です。
もしかして先生って 右翼 の方?
先生の生きがいはジャズがひとつ、もうひとつは大東亜戦争で戦死した方の軌跡をたどり、それを本にまとめ上げることだったのです。
すでに書き終え、出版した本もあるそうです。
一度お宅にお邪魔した時、戦争関係の書籍の多さにたまげました。
そんなわけで先生と居酒屋へ入ると、ジャズ、戦争、政治 のはなしとなるわけです。
先日も デューク・エリントン の 「Don't Get Around Much Any More 」の話になって、さらに1930年代、1940年代のジャズの曲の内容の話になって、
やがて先生の口から必ず出る言葉が・・・・・
「こんないい曲、すごい曲を演奏しているアメリカ人と、戦争やったって勝てっこねーよなー」。
これが先生の くちぐせ です。
ちょっと横道に入ります。
ニュースは昼と夕方、必ず見るのですが、それ以外は、録画したサスペンスも含めて深夜から朝6時ころの間にみます。
つい先日、4時ころ某テレビ局で硫黄島玉砕の番組をやっておりました。
生きて帰った元兵士の話を交えながら、米軍が撮ったものと思われるフィルムも映っておりました。
元兵士の会話の一部に、「硫黄島に送り込まれた兵士はろくな戦闘訓練も受けてない人が多く、中には鉄砲の弾の入れ方さえ分からない兵士もいた」 ということでした。
所々、涙ぐみながら見入っておりましたが、一転、ばかばかしく思わず笑ってしまったのが・・・・・。
武器、弾薬をなんとか補充してほしいと連絡を続け、やっとのことで 大本営 から送られてきたのが、ななななんと 「竹やり」あんど「花火」 だったそうです。
はなしをもどします。
先生のもうひとつ くちぐせ が・・・・・
「政治家、役人、ろくなもんじゃねー」 です。
同感です。
聞きまくった音楽はハワイアンです。
ここ数年遅ればせながらジャズにはまっております。
そのきっかけを作ってくれたのが、写真の鈴川先生です。
Gibson-175 を使用しております。
数年前ギター片手に我が家においでくださいました。
コーヒーをすすりながらジャズ、ハワイアン界の昔話に花を咲かせておりました。
あまりにハワイアン界の事情に詳しいので尋ねますと、もうびっくり!
お姉さんは ハワイアンシンガー 浜れいこ さんだったのです。
銀座タクトで ポス宮崎&コニーアイランダース をバックに歌ったのを幾度か聞いたことがありました。
幾人ものシンガーを聞いた中でダントツでした。
当時、僕は 浜れいこ さんのフアンでした。
そして 大久保英明&ヒロハワイアンズ の 尾崎紀世彦 さんのフアンでもありました。
先生の携帯電話の着信音が流れ始めました。
一瞬びびりました。 「海ゆかば」 です。
もしかして先生って 右翼 の方?
先生の生きがいはジャズがひとつ、もうひとつは大東亜戦争で戦死した方の軌跡をたどり、それを本にまとめ上げることだったのです。
すでに書き終え、出版した本もあるそうです。
一度お宅にお邪魔した時、戦争関係の書籍の多さにたまげました。
そんなわけで先生と居酒屋へ入ると、ジャズ、戦争、政治 のはなしとなるわけです。
先日も デューク・エリントン の 「Don't Get Around Much Any More 」の話になって、さらに1930年代、1940年代のジャズの曲の内容の話になって、
やがて先生の口から必ず出る言葉が・・・・・
「こんないい曲、すごい曲を演奏しているアメリカ人と、戦争やったって勝てっこねーよなー」。
これが先生の くちぐせ です。
ちょっと横道に入ります。
ニュースは昼と夕方、必ず見るのですが、それ以外は、録画したサスペンスも含めて深夜から朝6時ころの間にみます。
つい先日、4時ころ某テレビ局で硫黄島玉砕の番組をやっておりました。
生きて帰った元兵士の話を交えながら、米軍が撮ったものと思われるフィルムも映っておりました。
元兵士の会話の一部に、「硫黄島に送り込まれた兵士はろくな戦闘訓練も受けてない人が多く、中には鉄砲の弾の入れ方さえ分からない兵士もいた」 ということでした。
所々、涙ぐみながら見入っておりましたが、一転、ばかばかしく思わず笑ってしまったのが・・・・・。
武器、弾薬をなんとか補充してほしいと連絡を続け、やっとのことで 大本営 から送られてきたのが、ななななんと 「竹やり」あんど「花火」 だったそうです。
はなしをもどします。
先生のもうひとつ くちぐせ が・・・・・
「政治家、役人、ろくなもんじゃねー」 です。
同感です。