フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

朝ドラ「ひよっこ」の時代背景/東北旅行の思い出

2017-05-04 12:18:01 | 日記

   「朝ドラ」ことNHKの朝の連続テレビ小説は現在『ひよっこ』を放映中。いつもはせいぜい家内が視ているの脇でみていることが多いのだが、今回は毎日とまではいかないまでも自ら進んで視ている。
   というのはドラマの中の時代が東京オリンピックの年から始まったからである。東京オリンピックがあった1964年は私が大学に入った年。世の中は高度成長期に入り、それに世紀の祭典のオリンピックを迎えることで明るく活気づいていた。私も息の詰まる受験生活から抜け出し、夢や希望に満ちたキャンパス・ライフを送り始めた時で、それこそ五輪開会式の日の空と同様突き抜けるような青空の気分であった。時代背景と個人の心境が心地よくシンクロしていたのである。
   ドラマに話を移すと、放送の始まりの頃は茨城県の農村で暮らすヒロイン家族とオリンピック景気で賑わう東京の工事現場に出稼ぎに出ている父親の姿が紹介され、現在は失踪したその父親の行方を捜すためヒロインが急きょ東京に集団就職したところとなっている。
   で、ブログに取り上げたのは私の記憶するドラマの時代背景なのだが、父親が出稼ぎに出た東京の街やヒロインが集団就職で着いた上野駅の光景などは少しセピア色がかっている、つまり時代が少し古すぎる感じで実際はもうちょっと近代的になっていたと思う。農村地帯ではボンネット型バス(エンジンルームが運転席の前に鼻のように突き出ている)が走っていたが、都市部ではとっくに姿を消していたもので、これは地方にはまだ残っているところもあったようだ。
   ヒロインが一緒に就職した仲間は茨城のほか、福島、青森、秋田と東北各県からの出身者で、私には聞き分けられないがそれぞれのお国訛りでしゃべっているところに興味が湧く。私は人が話す言葉を聞いてどこの出身者か推察する趣味みたいなものがあるので・・・。
  
   さて、朝ドラにも関連して項を改めて東北旅行の思い出を書く。
   ドラマの集団就職の年、つまり私が大学2年の夏休みに一人で約2週間の東北旅行をしたことがある。猪苗代湖をスタートに裏磐梯、会津若松、仙台の七夕、松島、金華山、平泉、花巻温泉、三陸海岸、龍泉洞、盛岡、小岩井農場、八幡平、蕪島(八戸)、種差海岸、奥入瀬渓流、十和田湖など山形県を除く東北各県を歩いた。途中会津の叔父の家、仙台の遠い親戚(私の名づけ親)、高校時代から親友の八戸の実家の3ケ所は予め予約をしておいたが、あとはその日になっての飛び込みで旅館に泊まった。
   東北周遊券というのを利用してほとんどはローカル線と路線バスを乗り継ぎ、実家が八戸の親友には車で青森県内を案内してもらった。ローカル線や路線バスの中は東北弁の宝庫だった。乗客同士が皆土地の言葉でしゃべっている。これが実に楽しい。岩手県の好摩から秋田県の八幡平に向かう列車が県境を越えたら車内の訛りが明らかに変わった。岩手弁と秋田弁の違いなのだろう。今でもこれらの方言に興味があるが、東北各県の言葉を明確には聞き分けられない。東京の人間は茨城、栃木も含めて十把ひとからげに「東北弁」にしてしまう。だから『ひよっこ』の集団就職組の訛りには興味が湧くところである。
   また東北旅行で忘れてはならないことがある。東日本大震災の被災地である。訪れた海岸線の各地で大きな津波被害を受けている。国民宿舎に泊めてもらった岩手県田老町は壊滅的な被害を受けたと報じられたが、あの風光明美な田老が・・と思うと気が沈む。八戸も大きな被害に遭っている。
   思い出話は尽きないが、ドラマの登場者の故郷がもしや私が知っている所?と考えれば楽しみも倍加するかもしれない。

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